Litmus test
はその日、ドレスローザの王宮にある自室で部下から話を聞いていた。
報告が終わるとは軽く目を細める。
「・・・わからないなァ」
「何が」
「お前、なぜ"コラソン"に成った?」
先ほどまでごく事務的な仕事の報告をしていたローは、
の顔を見て怪訝に眉をひそめた。
船医でもあるローは、診察にあたる際は白衣を着て、眼鏡をかけている。
つい先ほどまで船医として働いていたので、今もその格好だ。
その姿さえ、にとっては並々ならぬ違和感があるのだが、
ローはそんなことを知る由もない。
「最初からそういう話だったろうが。
その年でもうボケが始まってるとは大変だな、お前も」
「おやおや、ずいぶんな口をきくねぇ、生意気なお口は閉じてしまおう」
の親指がローの唇を一撫ですると、ローの目が大きく見開いた。
開かない唇に小さく呻いて、ローはを睨む。
「ああ、静かになった。ふむ・・・回りくどい言い回しはこの場合適切ではないか。
お前、ドフラミンゴを恨んでいないのか?」
ローは口が動かないので黙っている。
しかしその表情に動揺はない。
は再びローの唇に指を這わせ、薄付けた粘液の効果を払う。
「先代コラソンの死について思うところは何もないのか?」
「何か思っていて欲しいような言い草だな?」
の平手がローの頬を張った。メガネが床で高い音を立てる。
ローが顔を上げ、を見るとサングラス越しにもわかるほど鋭い視線だった。
「誰がお前に質問を許した?」
ローは軽く目を眇めただけだが、その実、二の腕に鳥肌が立つほどの覇気である。
「・・・何度かその手の質問をされたが、何とも思ってねェって言ってるだろう。
理不尽に部下を殴るほどイラついてんのか。
それともおれの仕事ぶりに、何か不満が?」
「いいや? お前は3代目コラソンとして実によく働いてくれているさ。
その辺りはドフィも喜んでいるだろうとも。
だが、そうだなァ、腑に落ちないんだよ。
お前が、ドフィの、右腕となったことが」
が微笑む。
サングラスの奥から覗く瞳は鋭く尖ったまま、ローを見据えていた。
「おれを拾い救ったのはドフラミンゴだ。恩に報いようと思うのは自然だろう。
幹部連中はそういう奴らの集まりだ。
・・・お前が一番よく知ってるはずだと思うが」
ローは淀みなく語り、はそれに黙り込む。
一応は納得したと見て、ローは話題を変えた。
「ところで、今日はお前の誕生会だったな。今年は身内だけでやるんだろ」
「ああ。もう昔のように誰かを招くことは少なくなった。ありがたいことだよ。
疲れるからなァ、あの手の催しは」
は小さく息を吐く。
ローは髪の隙間から覗く、クローバーの耳飾りに目を止める。
「・・・大した独占欲だな」
「何の話だ?」
怪訝そうに眉をひそめるに、ローは指差した。
「あんたのつけてる装飾品、全部贈り物だろう」
「そうだねぇ、全く、ドフィは家族には甘いところがあるから」
「それ、本気で言ってるのか? しらばっくれているわけでもなく?」
ローの疑問に、は腕を組んで首を傾げた。
「私がお前を相手に、何を誤魔化す必要があるんだろうねぇ」
ローはしばし、信じられないと言わんばかりの驚愕を浮かべていた。
「呆れたな、ドフラミンゴがただの家族に、
毎年揃いのアクセサリーを用意すると思ってんのか?」
「・・・ああ、そう言う意味か。べへへへへへ!」
は高らかに笑う。
心底面白いジョークを聞いた時のように。
「確かに、ドフィは私に格別の信頼を寄せているだろう。
それは否定はしまいよ。事実だ。
だがそこに、愛情などと言う不確かな要素は無いよ」
には迷いがない。そこには確かな自負がある。
さながら親が子を褒めるような、自らが作り上げた芸術作品を自賛するような、
そんな響きさえ伺えた。
「破壊こそが全てだ。”家族”は単なる手段に過ぎない」
はローの頰を指で撫ぜる。
行為だけを見れば甘やかなそれも、の手にかかれば低温の脅しに変わる。
「かつて、お前がそうだったようになァ、トラファルガー・ロー?」
ローは目を眇め、苦々しく言い募った。
「・・・今もそうだ、と言ったところで、お前は納得しねェだろうな」
「ベヘヘ、すまないねェ。私を納得させるだけの材料を、お前は持っていないんだ。
これから先、それをお前が示すとも思えないしねぇ、
結局、お前が潔白ならば私は何もしないのだから、それで許しておくれよ、”コラソン”」
「・・・」
いい加減に我慢の限界だったのかもしれない。
ローは能力を使って、を引き倒した。
流石に驚き、瞬くの耳元に、妖刀、鬼哭の刃が光っている。
それを横目で流し見た後、は軽くため息を吐いた。
「備品を壊すのはやめておくれよ、修繕もタダじゃないんだ」
「なら、おれを理不尽に付き合わせるのは止めてもらおうか。
・・・うんざりしてるんだよ」
「ほう? 怒っているのか、珍しい」
確かにローの眼差しには怒りが見える。
は口の端を釣り上げた。
そうとも、恭順などというものが、トラファルガー・ローに似合うわけもない。
怒り、憎しむその目こそが、にとっては馴染み深いものだった。
は狂い出した妄想がもたらす変化に、気を配る必要があったのだ。
この先自分に致命傷を与えうる、ローに関しては特に。
は挑発するように笑う。
「ここで私を殺してみるか?」
「・・・嬲り殺してやりたい気分だ」
焼け付くような憎悪が、その声から滲んでいる。
やはりローの中には怒りがあるのだ。
は確かめる。
まだ怒っているのか、まだ憎しみに囚われているのか。
いつかその情を、利用し尽くしてやるために。
掌から染み出した粘液が鬼哭の刃を縫い止める。
まだ感情の隠し方が甘い若者に、は囁いてやった。
「私を無理に暴いたところで、何も感じたりはしないよ。
どうでも良いんだ。そんなものは。
私を傷つけたいのなら、」
どろりとした粘液の感触に眉を顰めながら、
ローはいつの間に自身が粘液の檻に居ることに気がついた。
頰を撫でる指先が糸を引く。
「愛する者に、引鉄を引ける男になるが良い」
は笑うばかりだ。
「自らのために、親も妻子も、恋人も友人も殺してみせろ。
そのくらいの気概がなくては、私は殺せない」
「・・・人でなしめ」
「半人前がよく言うねェ、だが、まぁ、言い得て妙だな。
怪物は怪物でなくては殺せない。そう相場は決まっている」
粘液が急にサラサラと溶け始めた。
気が済んだのだろう。は呆れたように目を細め、
ローの肩を短く叩いた。
「・・・どいておくれ、感情に従うお前が成功した試しを、私は見たことがない」
ローは舌打ちすると、すぐに体を起こす。
も立ち上がり、埃を叩いていた。
その背にローは静かに問いかけた。
「だったら一つだけ聞かせてくれ、
お前は、なぜドフラミンゴから格別の信頼を寄せられると思ってるんだ?」
は振り返る。
「”破壊こそが全て” それは私も同じだからだ」
胸に手を当て、静かに答えた。
「我々は同じ船に乗り、同じ夢を見て、
どちらかが迷えばどちらかが助言し、船を漕ぐことができる」
淡々と紡がれる声色に熱は見えない。
「シンプルだが、これ以上ない理由だろう。
感情のバイアスのかからない分、余計にねぇ」
ローは黙り込んだ。
は気づいていないのだ。
”トレーボルからの信頼”を、失いたくないがために、
ドフラミンゴがどれほど淀んだ感情を押し殺して居るのかを。
その背に感情の煮詰まった眼差しが注がれていることすらも。
ローは口を閉ざす。
それはの希少な綻びだった。
「時間を取らせてすまなかった。また夜会でお会いしよう」
はそう言って、言外に退室を促した。
ローはそれに従い、床に転がっていたメガネを拾い上げて扉に手をかける。
「トレーボル、おれも、ドフラミンゴも、
お前の思うような人間じゃねェよ」
振り返ったローは口角を上げて見せた。
「誕生日おめでとう。せいぜい長々生きればいい」
「・・・それはどうも」
扉を閉める前に、意外そうなの顔が見えた気がしたが、
ローは構わずに立ち去った。
※
そうとも、簡単に死なれてたまるものか。
ローは身の内で膨れ上がる憎悪を堪えながら、奥歯を噛みしめ、王宮を闊歩する。
故郷で家族が、友人が味わった辛酸を、に舐めさせるまでは、
死んでもらっては困るのだ。
恩人であるコラソンを殺したドフラミンゴ。
フレバンスの悲劇を商売にしたトレーボル。
ローに力と居場所を与えた彼らは、恩人であると同時に、
殺しても殺し足りないほどの仇である。
普通にやって勝てる相手ではない。
だからこそ、こうして内部から機が熟すのを待っている。
ローが26になったら、ドンキホーテ・ファミリーを壊滅させる。
そのために、ローは”コラソン”になったのだ。
長い間、彼らを見てきて思うことはいくつかある。
まるで影のように、ドフラミンゴに付き従うは、
その実ドフラミンゴのことを”見ていない”。
反対に、ドフラミンゴはのことをずっと見ている。
うまく隠しているつもりだろうが、ローにはわかる。
ドフラミンゴの書斎に足を向け、入室を促され部屋に入ると、
ローの顔を見て、先ほどまで笑っていたのだろう口角が簡単に下がった。
「ロー、どうした、その頰は?」
「・・・さァ、トレーボルの奴、機嫌が悪かったんじゃねェか?」
しらばっくれて見せると、あからさまにドフラミンゴは眉を顰めた。
「トレーボルが”家族”に手をあげるのは相応のことをした時に限る。
お前、何をした?」
「特に何も? おれは前からすぐに手が出る女だと思ってたよ。
本題に入ろうか」
要件に入ってもドフラミンゴはまだ笑わない。
ローは微かに口角を持ち上げる。
ドフラミンゴはの思うよりよほど感情的だし、
ローはの思うより、ずっと大人げない。
表面だけ取り繕った、うわべの”家族”にヒビが入るのは、もうすぐである。