Black Gold Fountain
「、お前誕生日はいつだすやん?」
バッファローはマナーの指南書をつまらなそうに捲っているにこう切り出した。
割り振られた、そう上等とは言えない部屋の中では顔を上げる。
相変わらず見目だけはどこぞの貴族の息子のようではあるものの、
浮かべる表情は訝しげで、警戒心の強さが伺えた。
「なんでそんなもん知りたがるんだよ」
「本当になんでおれがこんなことを聞かなきゃならねェんだ・・・」と
バッファローは内心でつぶやき、遠い目をする。
実のところバッファロー本人がの誕生日を知りたいわけではない。
つい先ほどのことである。
バッファローはベビー5に頼みごとがあると言われたのだ。
珍しいベビー5の申し出によくよく話を聞いてみると
なんてことはない。の誕生日を聞き出してこいと言うことだった。
「自分で聞けばいい」と突っぱねたバッファローだったが、
ベビー5は「そんなこと言ったら意地悪されるし、はぐらかされるだけだもん!」と言い張り、
ついにはバッファローを500ベリーのトリプルのアイスクリームで買収したのである。
そして今、バッファローは買収された自分を恨みかけている。
しかしアイスクリーム分の義理は果たしてやろうと、不思議そうなに問いただした。
「いいから答えろ」
は頭に疑問符を浮かべている様子だったが、
バッファローの視線に根負けしたように、渋々答えた。
「残念だがおれにもわからない」
「は?」
バッファローは怪訝な声を上げた。
は軽く頭を掻いて続ける。
「知らないんだよ、ちゃんとした誕生日は。一応歳だけはわかるんだが、
・・・祝ってもらった試しもねェからな」
どうもからかっているわけでもはぐらかしているわけでもなく、本心のようだ。
は顎に手を当てて首を捻っている。
「だから聞かれた時にはいつも適当に答えてる。
・・・やっぱり無いと不便かな?」
「・・・」
バッファローは絶句していた。
実のところ誕生日を知らない人間と、会ったことがなかったのだ。
皆過酷な環境で育ったドンキホーテ・ファミリーの面々だが、
は中でも異質な過去の持ち主だ。
は誰かに愛しまれた記憶を持たない子供である。
思い返せば、という名前すら、ドフラミンゴからの贈り物なのだ。
黙り込んだバッファローに、は呆れたように眉を上げた。
「なんでお前が暗くなってんだよ。そんなことより・・・」
はなんでも無いことのように話をうまく逸らすと、
消灯まで当たり障りのない会話をして見せたのだった。
※
「そういうわけで、お前の知りたがってたことは聞き出せなかった。
すまん・・・」
気落ちしたバッファローから話を聞いて、ベビー5は涙ぐんでいた。
ベビー5は以前、誕生日に贈り物をもらったから、そのお返しがしたかっただけなのだ。
それなのに、はその機会さえも持っていない。
「・・・こんなこと言ったら、またに怒られるかもしれないけど、
そんなのって無いわ。可哀想よ」
「ベビー5、」
肩を震わせ、持っていたお盆をぎゅっと握りしめるベビー5に、
バッファローはかける言葉を探した。
ベビー5は涙をこらえながらも、何か考えが浮かんだ様子で、
顔を上げる。
「私、セニョールに相談してみる」
そう告げると、善は急げとベビー5はセニョールの部屋へと小走りで向かった。
バッファローはパチパチと目を瞬き、思わず呟いていた。
「せっかちだすやん。散々いじめられてるのに、よく構う気になるよな・・・」
※
ベビー5はセニョールの部屋の前まで来ると、
ノックして、許しを得てから部屋へと足を踏み入れた。
「セニョール、今大丈夫、・・・わ、若様! 私、お邪魔かしら?」
タバコの煙が室内にたゆたう。
どうやらセニョールはドフラミンゴと相談事をしていたらしい。
ドフラミンゴは手早く広げていた書類をまとめると、
ベビー5を部屋の主人よりもよほど主人らしく迎え入れた。
「フフフッ、ちょうど話は終わったところだ」
「なんだ、ベビー5。おれに用事とは珍しい」
ベビー5は視線を彷徨わせながらも、おずおずと切り出した。
「あの・・・相談があって」
相談、と聞いてピンときたのか、ドフラミンゴが顎を撫でながら笑う。
「ほう? セニョールが相手ってことは・・・絡みか?」
「また虐められたのか、ベビー5。あいつはホントに懲りねェ坊やだな」
面白そうな顔をしているドフラミンゴとは対照的に、セニョールは呆れている様子だ。
ベビー5は慌てて首を横に振った。
このままだとまたは灸を据えられることになりかねない。
「ち、違うの! のことだって言うのは本当だけど。実は・・・」
ベビー5がバッファローから聞いた経緯を説明すると、
ドフラミンゴとセニョールは神妙な表情で頷いて見せた。
「なるほど、そういうことか」
「・・・ここいらじゃ誕生日も知らないってのはそう珍しいことでもないからな」
セニョールの言葉に、ベビー5は思わず、と言った調子で口を開いた。
「でも、私贈り物をもらったから、お返しだってしてあげたいわ。
お祝いされるの、とても嬉しいもの。必要とされてると思えるから。
それに、一度も生まれてきたことを喜んでもらえないのは、可哀想よ・・・」
スカートを握りしめて呟くベビー5に、ドフラミンゴは口元に手を這わせ、
何か考えるそぶりを見せたかと思うと、ベビー5の頭を軽く撫でた。
顔を上げたベビー5に、ドフラミンゴはいつも通りの笑みを浮かべる。
「だったらお前が決めてやれ、ベビー5」
「私が? どういう意味なの、若様?」
不思議そうな顔をするベビー5に、ドフラミンゴはますます笑みを深めた。
「フフフフフッ、面白ェじゃねェか。あいつの鼻を明かしてやろうぜ。
小遣いを弾んでやろう。あいつが喜びそうなものを買うといい」
「えっ?!」
意外な申し出にベビー5はぎょっと目を見開いた。
ドフラミンゴは目を白黒させているベビー5には構わず、
セニョールに話を振った。
「なァ、セニョール、アドバイスしてやれよ」
「そうだな。あいつは年の割にガキらしいもんに興味はねェから・・・」
セニョールは万年筆と懐中時計と迷って、「万年筆がいいんじゃないか」と言う。
「いい店を知っている。
紹介してやってもいいが、肝心のプレゼントはお前が選ぶんだぞ。ベビー5」
なんだかトントン拍子にことが運んでいる。
ベビー5は戸惑いながらも、セニョールに尋ねた。
いつもおしゃれにしているセニョールが選ぶならまだしも、
うまくの喜びそうなものを選べるのか、自信がなかったのだ。
「・・・でも、セニョールみたいに、センス良く選べるかな」
何しろベビー5は自分の持っているものを必要とされたらなんだって手放してしまうし、
「あれが欲しい」「これが欲しい」と言われることは多いけれど、
がベビー5に何かを強請るなんてことは全くなかった。
その上、ベビー5が自主的に何かを選んで、誰かに贈り物をするのは初めてのことだったのだ。
そんなベビー5の不安を見越してか、セニョールは口角を上げる。
「センスがあろうがなかろうが、お前が選ぶってことが重要なんだぜ」
憎らしいほど洗練された微笑みを浮かべるセニョールに、
ベビー5は圧倒されつつ、頷いた。
※
ドフラミンゴとセニョールに背中を押され、
ベビー5は相談から数ヶ月経ったある日の夕食後、食器を磨くに声をかけた。
「」
は振り返る。
ベビー5を見ると、その目は軽く伏せられた。
「なんだ、おれは見ての通り忙しい、」
「はい」
何か憎まれ口を叩こうとするを遮って、
ベビー5は箱をの目の前に掲げて見せた。
さすがに面食らったのか、は大きな目をますます大きくして瞬いている。
「・・・これは?」
不思議そうなに、ベビー5ははっきりと告げる。
「今日はあんたの誕生日なの」
「・・・どう言うことだ? おれは自分の誕生日を知らないんだが、」
眉をひそめ、嫌味も忘れて戸惑うに、
ベビー5はずい、とプレゼントの箱を押し付けて言った。
「今日はあんたがファミリーに入った日。ドンキホーテ・ファミリーの一員になった日。
””になった日だから、」
は息を飲んだ。
ベビー5は少々の気恥ずかしさを覚えながら、どうやら驚いているらしいに念を押した。
「だから、誕生日プレゼント。あげる。こないだ私にくれたから、お返し」
そこまで言うと、ベビー5の意図を悟ったのか、は黙ってベビー5から箱を受け取った。
ベビー5は「もしかしてそのまま打ち捨てられるのでは、」と少しひやりとしたが、
はそんなことをしなかった。
まじまじと贈り物の箱を見ている。
裏、表、裏・・・まるでそれが正体不明の異物のように。
ベビー5は眉を上げた。
「別に変なものなんか入ってないわよ」
「・・・へェ? そりゃありがたいね」
「憎まれ口はいいから、あけて見て!」
はリボンを解いて、箱を開けた。
包装の先に現れたのは、美しい流線模様とフラミンゴの刻印の入ったペン先の万年筆だ。
黒く艶やかなペン軸に控えめな金色の装飾がついている。
は目を丸くしていた。
それから緩やかに目を細め、口角を上げる。
「万年借金地獄のお前が、よく買えたもんだな、こんな高い万年筆を」
いつも通りの底意地の悪さを見せたに、ベビー5は唇を尖らせた。
「何よ!? ほっといて! 私だってちゃんとやろうと思えば貯金くらいできるんだから!」
「・・・ふーん」
「ああっ、信じてないでしょ!? 若様に聞けばわかるんだからね!?」
「まァ、それはどうでもいいんだが、」
「どうでもいいとはなんだ」と頬を膨らませるベビー5に、
は万年筆をジャケットの胸ポケットに差して見せた。
どうやら口では色々と言っているようだが、使ってくれる気にはなったらしい。
「ちょうどペンを切らしてたところだ。ありがたく使ってやる。
・・・恩に着せられるのは癪だがな」
素直じゃないにもほどがある。
ベビー5は腕を組んで、を不機嫌そうに一瞥すると、そっぽを向いた。
「・・・天邪鬼! たまには素直に『ありがとう』くらい言って見たらどうなの?!」
「ありがとう」
ベビー5は耳を疑った。
慌ててを見返すと、はニヤリと口角を上げてみせる。
それはもう、見事に意地の悪い笑みだった。
「これで満足か?」
ベビー5はぽかんと口を開けたあと、
じわじわと赤くなる頬を押さえながら地団駄を踏んだ。
揶揄われたのだ。
「何よっ! の馬鹿っ、知らないっ!」
バタン、と扉を乱暴に閉めて出て行ったベビー5を見て、は深いため息を零した。
「ああ、そうだよ。おれは馬鹿だ・・・」
しかし、胸ポケットの万年筆を撫でる手は優しく、そして浮かべる表情も穏やかだったのだ。
※
15年後 ドレスローザ。
書斎に、バキッ、と木が砕けるような音が響き渡った。
ドフラミンゴは短く舌打ちすると、グラスに水を注ぐを呼びつける。
「・・・、ペンが折れた。貸してくれ」
は頷くと胸ポケットから万年筆を差し出し、
そしてレモンの入った氷水をドフラミンゴの前に置いた。
機嫌の悪そうな主人を気遣う完璧な表情を形作り、尋ねる。
「何か嫌なことでも?」
「ああ、金払いを渋る奴との会食ほど不愉快な時間はねェよ。
人生で取れる食事の回数なんざたかが知れてるってのになァ」
ドフラミンゴはさる相手の会食の誘いに辟易しているらしい。
だがそれなりの取引相手だ。断る訳にもいかないのだろう。
は「同情します」と短く言うと、自分の仕事に戻った。
ドフラミンゴの財産の管理である。
ドフラミンゴは王下七武海だ。その収益の何割かを政府に納めることが義務付けられている。
どれだけ利益を手元に残し、政府を納得させられるだけの金を納めるのか、
そのやりくりも執事長の仕事である。
こればかりはドフラミンゴに迅速な指示を仰ぐ必要があるので、
ドフラミンゴとは同じ部屋で仕事を進めていた。
ドフラミンゴはイライラとから手渡された万年筆で仕事を続ける。
しかし、目の端に光るものを見つけ、ドフラミンゴは顔を上げた。
よくよく見れば、の胸ポケットにもう一本万年筆が刺さっている。
「予備を用意してるのか」
「ええ、まぁ」
はドフラミンゴの言いたいことを皆まで言わずに察して答える。
ドフラミンゴはサングラスの下で目を細めた。
黒い艶やかな光を放つ万年筆には、見覚えがある。
ドフラミンゴは口角を上げて、を褒めた。
「相変わらず嫌味なくらい卒がないな、お前は」
「ほめ言葉として受け取っておきます」
が穏やかに返答した後、
音を立ててドフラミンゴの手の中でペンが砕けた。
は唖然とそれに瞬いた。
しばらくの沈黙の後、深いため息をこぼす。
「ドフラミンゴ船長・・・アンタ知っててやってるだろ」
「フッフッフッフ!!! さァ、なんのことやら」
ドフラミンゴはに手を差し出した。
は眉を上げて、腕を組んでみせる。
「生憎、壊れると困るものなのでお貸しできません」
先ほどまでの不機嫌が嘘のように、ドフラミンゴはニヤニヤとを伺う。
反して、は胡乱げな表情でドフラミンゴを睨んでいた。
ドフラミンゴはわざとらしい口調を作って、に尋ねる。
「へぇ? お前がそこまで言うんだ。由来を教えてくれよ」
「・・・部下への八つ当たりはどうかと思うぜ、おれは」
はそう言うと足早に鏡の中へと足を踏み入れた。
おそらくそう経たないうちに山ほどの万年筆を抱えて戻ってくるだろう。
ドフラミンゴは機嫌の上向いたことに気付きながら、の帰りを待った。
いつも巻き込まれる立場なのだが、たまには揶揄ってやるのも悪くないと思いながら。