パンプルムース バニーユ
グランドライン ”パラダイス”マルカン島 ”バルキス王国”
水に恵まれ、農耕も盛ん。艶やかな動植物が来訪者を出迎える。
そして、夕焼けの前に天候に恵まれさえすれば、
グランドライン独特の気候故にエメラルドグリーンの空と海が、
徐々に赤く染まり行く不思議な情景を見ることが出来るだろう。
その気候と建築物の色合いも相まって、この国は”碧の都”と呼ばれている。
・は今年の誕生日をこの島で過ごすことに決めていた。
絢爛豪華なホテルの一室で、ファンレターに目を通している。
幾何学模様の装飾が施された建築。壁に貼られたタイルが艶やかに光を反射している。
あちこちで南国特有の花々が咲き誇り、
窓の下を覗けば、日に焼けた人々が白い歯を見せて笑い、独特の音楽を奏でている。
昼は賑やかだったが、夜になるとメロディがゆったりとしたものに変わっていた。
足元では白い虎が寝そべり、の足を暖めている。
バルキス王国の王子はの熱心なファンだった。
彼の護衛でありペットでもある白虎、アムールを一晩貸し出そうと言われ、
はその申し出を快く受諾した。
不思議なことにアムールはに一目を置いているのか、
を噛もうとも襲おうともしなかった。
がアムールを観察しだすと、彼は大人しくを見つめ、
時折迷惑そうに目を細めはしたが、されるがままになっていた。
そしてが観察し終えると、緩やかにその身を横たえたのだ。
「私に動物が懐くのは珍しいことだわ」
毛並みを撫で、呟くの前に、黒いコートの青年が腕を組んで立っている。
窓から現れた侵入者を警戒し、唸ったアムールを大人しくさせたのは他ならぬ自身だ。
「こんばんは、サボ君。怪盗紳士の真似事かしら?
窓から現れるなんて、粋な登場の仕方じゃない?」
サボはシルクハットのつばを上げ、を睨んだ。
「・・・あんたはろくでもない王族しかパトロンにしないのか?」
バルキス王国は未だに奴隷制度が根強く残っている国だ。
ホテルで唄い踊る連中は皆貴族たちである。
外では貧困に喘ぐ痩せた人々が居ると言うのに、
彼らは水の一杯も恵んでやることは無い。
は肩を竦めてみせる。
「ふふ、そんなことは無いわ。
ありがたいことに様々な人が私の物語を気に入ってくださるのでね。
でも、あなたと会う時はそんな方々に縁があることは確かかしら」
サボは任務の最中にまた出会ったを見て、何とも言えない表情でその場に佇んでいた。
前回会ったとき、サボはと夜を共にした。
最後の一夜は肌を合わせた。
そしての悪癖である食人のターゲットになったはずなのに、
無傷で一人置いて行かれた。
再び会ったなら怒ってやろうと思っていたのに、
ごく冷静なの姿を見て毒気を抜かれてしまっている。
「立ちっぱなしではなんだし、腰掛けたらいかが?ソファがあるでしょう?」
サボは促されるまま、ソファに腰掛ける。
はようやく顔を上げた。
サボは自分の膝に頬杖をついて、に投げやりに言った。
「”4つの海の冒険”の新作。読んだよ」
「まぁ、ありがとう」
「挿絵なんか、要らないくらいだった。
、おれはやっぱりあんたの書く話が好きだ」
は嬉しそうに口角を上げる。
サボは目を眇め、嘆きを隠し切れず息を吐いた。
「・・・あんたは何で人を殺さずには居られないんだろうな」
「サボ君?」
「尊敬してるんだ。今でも。
あんたがおれを、ただの、食材みたいに思ってることは分かっているのに」
は首を傾げた。
サボは皮肉に口の端をつり上げる。
「怒ってやろうと思ってた」
「ふふ、それは興味深いわね。どんな風に怒るの?」
「今は困ったことにそんな気分になれない」
知的な老女の姿をとっているからだろうか。
本のカバーの片隅で微笑んだその顔は、子供の頃の憧れを未だに思い出させるのだ。
それを知ってか知らずか、気まぐれだったのだろうか。
は少女の姿をとった。
大きな瞳を瞬きながら、サボを不思議そうに眺めている。
「では、なぜ私の元へ?
私はあなたと朝食を共にできれば嬉しいけれど」
サボは眉を顰める。少し言葉を選んだ。
「——そのつもりがあるなら、黙って先に居なくなられるのは、
情けない気分になるから止めてくれないか?」
驚いた顔は、少女らしいあどけないものだった。
サボは指を組んで、ちょっと困った風に笑う。
「誕生日おめでとう・。
まさかあんたがこの国に居るとは思っていなくて
何も用意してないが、その溢れる程の手紙の山のどこかに、
おれの書いたものが紛れてるはずだ。
・・・せめて、」
サボは組んだ指に目を落とした。
「同じ国にいるなら、顔を見て、言葉だけでも伝えようと思ったからここに来た」
の足元に大人しく横たわっていた虎が、耳をばたつかせて部屋の隅へ移動した。
怯えるような仕草を見せたのを、サボは横目に見ていた。
”シェヘラザード”がそこに居る。
長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳がまっすぐサボを射抜いていた。
「あなたには」
緩やかに立ち上がる仕草さえ、計算し尽くされ、一分の隙もない。
はうっすらと冷笑を浮かべる。
「危機感と言うものが足りないわ」
「足りないなら、どうなる?」
挑発するようにサボは笑い、はサボの目の前に立った。
はサボの頬に手を伸ばす。
「私の誕生日のごちそうになるわよ。
蜂蜜もナッツも、クローテッドクリームも、ケーキには良く合うもの」
頬を撫でるの手に、サボは触れる。
は軽く眉を上げた。
「食べたら何も残らない」
細い指から手の甲をなぞり、手首を掴む。
「美食家なら長く味わう方法を、
あんたは良く知っているだろう、・」
重なった視線の奥深くに、
身を焦がすような熱を見て取って、は目を細めた。
「・・・若いわね」
うるさい、と言う代わりに、手を引いて、その唇にかじり付いた。
甘く煮詰められた、果物の味がする。
キスの合間、が囁く。
「”パンプルムース バニーユ”
グレープフルーツとバニラのジャムよ」
が言葉を紡ぐ度、唇が小さく触れ合った。
切れ長の眼差しの中に、サボは自分と同じ炎を見た。
「あなたが目を伏せた時の、少し影が落ちた目の色に似てる」
※
の身体に深く身を沈めた。
サボを受け止める身体を見下ろすと、色づいた唇が小さく笑みの形を作る。
ぞくぞくと背筋を甘い痺れが撫でた。
誕生日だと知ってはいるが、幾つになったのだろう。
足を絡ませ、互いの舌を味わいながら、昂って行く本能に従って動く。
年齢も、本名も、生い立ちも、まして”本当の顔”さえ知らない。
を抱くのは、これが初めてではないが、
改めて思い返すと妙な心持ちだと、サボは軽く眉を顰めた。
細い首に顔を寄せる。
シュガシュガの実のせいなのかどうかは知らないが、
からは砂糖菓子のような香りがする。
思いつきで首筋に舌を這わせると、思った通り、ほのかに甘い。
くすぐったかったのか、はクスクス笑いながら身を捩った。
たまらなくなって、その身体をうつぶせにさせた。
は寛容だ。何もかもを柔軟に受け止めるつもりらしい。
背骨にそってアーチを描いている。美しい背中だった。
肩甲骨の内側に目印のような黒子を見つけて思わず口づける。
獣のように激しい挿抜を繰り返すと、白い身体が桃色に染まり、
肌に水気を含んで良く馴染んだ。
「は、あっ・・・」
は浅く息を吐いて、サボを受け入れる。
吸い付くような感触に、サボも小さく息を吐いた。
何度か奥を突いてやるとの手がシーツを手繰る、
よく締まった。
何とか堪えて背中に吐き出すと、
は静かに振り返りその目を恍惚に細めた。
笑っている。
「・・・あなた、文章は書かないの?」
の問いかけに、サボは瞬いた。
白い手の平が肩を押した。
「今は、・・・日記くらいしか書いてないな」
サボの答えに、は目を細める。
のしかかり、指を身体の隆起に沿わせながら、質問を続ける。
「読み返したりする?」
「っ、あまり、」
「日記には何を書く?」
サボは前髪を掴んだ。
「その日・・・なにが、あったか、とかっ」
「フフ、それから?」
「・・・誰と、会ったか、」
眉を顰める顔を眺め、は唇を舐めた。
「私のことも書くの?」
何とか頷いてみせたサボに、は囁く。
「それを読み返したとき、
あなた、どんな気分になるのかしらね」
手の指先を取られ、齧られた。爪が欠ける。
滴る血を啜り取られた。再び体温が上がって行く。
軽く口づけられて、サボは目を開ける。
もう一度唇が触れる。首の付け根に指をかける。
ため息がかかり、段々深くなっていく。
恋人にするようなキスだったが、2人は恋人ではない。
作家と読者。あるいは捕食者と被食者。あるいは・・・。
しかしこうしている間は、どれとも違うように思える。
何もかもが曖昧なまま、快楽に溺れる。
もしかすると、人を食べるというのは、案外このような心地なのではと、
の身体を抱き締めながら、そう思っていた。
※
ぼんやりと覚醒すると、気配があった。
白い虎が青い目を瞬き、あくびをしながら身繕いをしている。
身体を起こすとはテーブルに皿を並べているところである。
少女の身なりだった。
「おはよう、サボ君」
サボは安堵した。
はサボの様子を見て不思議そうに首を傾げた。
「・・・居なくなってるかと思った」
「嫌なんでしょう?黙っていなくなられるのは」
サボは身支度を軽く整えると、に促されるまま、椅子に腰掛けた。
テーブルの上には、美しく彩りの完璧な朝食が用意されている。
ジャムを薄く切ったパンに乗せて口に運ぶと、昨夜口づけた時の、あの味がした。
グレープフルーツの酸味と、甘いバニラの香り。
わざとだろう。サボはを睨んだ。顔が熱い。
少女の姿で、お行儀良く食事を楽しむは
その視線に少女らしからぬ意味有りげな微笑みを返した。
「・・・、おれはあんたの都合の良い男になんかなりたくない」
「あら、じゃあ何になりたいの?」
思わず零れたサボの本音には愉快そうに口角を上げる。
楽しんでいるのだ。
「恋人が良い」
おそらく予想していた答えの一つだろうに、は瞬いて、
声を上げて笑い出した。
「素直ね、フフフフフッ!」
目尻を軽く拭い、はやれやれと肩を竦めてみせる。
「会う度怪我をさせるような恋人を欲しがるなんて、
あなたも趣味が悪いわ」
サボは欠けた爪に目を落としたが、すぐに顔を上げてみせた。
「一つ言っておくと、おれは自分が案外執念深いことに気づいた。
あんたのおかげでね」
は目を眇める。
声色もほんの僅か低くなった。
「へぇ?なら、私を捕まえようとするかしら。
あなただけに物語を紡ぐ、ストーリーテラーをご所望なの?」
「それはそれで魅力的だとは思うけど」
サボはの言葉に首を横に振ってみせた。
トマトのスープを飲み干して、を伺う。
「言っただろ、おれはの書く話が好きなんだ。
自由で居てくれよ。
世界中を飛び回って、いろんなものを見て、」
「人を食べて?」
「・・・それはちょっと控えて欲しいと思ってはいる。
ただ、強制することは出来ないだろうし。でも、それでも」
茶々を入れるにサボは眉を顰めたが、それも一瞬のことだった。
まっすぐにの目を見て、サボは告げた。
「本を書き続けるの、恋人になりたい」
は目を大きく瞬いた。
「・・・私に自由でいてくれと言うのに、
恋人になりたいと言うのは不思議な希望だわ」
は口元に手を当て、考える素振りを見せる。
「別に構わないけれど、油断したら食べちゃうわよ」
サボは苦笑した。
滑稽にも聞こえる言葉が本気なのだと知っている。
朝食を終えると、はナフキンにでんでん虫の番号を走り書いて、サボに渡した。
「”恋人なら”知っていても良いでしょう」
サボはメモを受け取り、自分のビブルカードをに渡す。
少女の小さな手を引いて、小さな唇に、軽いキスを落とした。
は流石に驚いたのか、息を飲むそぶりを見せる。
「”恋人なら”」
サボは唖然とするに悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「こういう別れの挨拶をしたって不自然じゃない。だろ?」
「・・・子供にそういうことをするのはよろしくないわよ」
呆れるに、サボは首を横に振る。
「どんな姿でも、”・”、
今日からあんたはおれの恋人だ。また会える日を、楽しみにしてる」
足取りも軽く窓から去って行くサボは、
がどんな顔をしているのかを、あえて見なかった。
※
ドレスローザ 王宮
ドフラミンゴの前に、上品なワンピースを纏った少女が座っている。
「久しいな、・。
今日はアンタの為にケーキを用意したんだ。
たしか誕生日を迎えたばかりだろう?」
「まぁ、ありがとう。
遠慮なくいただきます」
テーブルに大きな宝石のようなケーキが運ばれて来る。
グレープフルーツとオレンジのムースケーキだ。
鮮やかな色合いに、は目を細めた。
フォークを握り、ケーキに射し入れる。
「竜の爪の味はどうだった?」
ドフラミンゴの問いかけに、は一度手を止めた。
「フフ、どちらが食べられたものやら・・・」
愉快そうに笑うの答えに、ドフラミンゴは眉を上げた。
「へぇ、まだ生きてるのか。珍しい。
アンタが目を付けた相手を生かしておくとはな。
減量が必要には見えねぇが」
「不躾ね、ドフラミンゴ」
は目を眇めてみせるが、
さして怒っている訳でもないらしい。
ケーキを味わいながら、ドフラミンゴに応えてみせる。
「軽く味見はしたけれど、より寝かせた方が美味しく頂けそうなので時間を置いたのよ。
それにしても、若いと随分物言いが即物的よね、
それなりに年を重ねていると新鮮に映るわ」
「——例えばどんな物言いを?」
「『恋人にしてくれ』と」
ドフラミンゴはサングラスの下、目を瞬いた。
そして弓なりにその口角を上げ、笑い出す。
「フフフフフッ、面白ェ!
それでアンタはなんて答えた?」
「『別に構わない』と」
ドフラミンゴは笑うのを止めて、まじまじとを見つめた。
「・・・意外だな。アンタは縛られるのが嫌いだと思ってた」
「その通りよ。関係にいちいち名前を付けるのも鬱陶しいし、
必要性を余り感じないわ」
「だろうなァ」
ドフラミンゴは頬杖をつき、に続きを促した。
「でもね、感情と言うものはより煮詰められ、熟成された時が、
一層煌びやかに、そして美味しくなるものよ。
ちょうど、ジャムや、ワインのように」
は唇を舐める。
「私はそれを味わいたいのよ。出来るだけ長く、
振り絞る、最後の一滴まで美味しく、ね」
少女の瞳の奥に、背筋を粟立てるような感情が渦巻いているのを見て取って、
ドフラミンゴは笑みを浮かべる。
「フッフッフッ、同情するぜ。
骨までしゃぶり付かれる若造にな」
ドフラミンゴは腕を組み、囁いてみせる。
「アンタ今、何人男が居る?」
「その答えには、あなたを含めるべきかしら?」
は虚をつかれたらしいドフラミンゴの表情に声を上げて笑う。
「ウフフフ、冗談よ」
「・・・食えない女だ」
肩を竦めてみせたドフラミンゴの言葉に、は笑みを深める。
「勿論。美食家ですもの」
ただ。
は舌の上に残るグレープフルーツの風味に、目を細めた。
あの若く聡明な青年を食べてしまったら何も残らないことを、
二度と触れられないことを知っている。
それを惜しむ自分が居るのも確かなことなのだ。
「素敵なプレゼントを、頂いたものだわ」