窒息と逆襲、爪痕と愛憎
ドンキホーテ海賊団、書庫。
ローが医学書をテーブルに積み上げて、
ノートにペンを走らせていると、ふと人影がよぎる。
顔を上げると、分厚い本を抱えたが視界の端に見えてぎょっとした。
慌てて筆記具を片付け、その場を離れようとするも、は一瞥でそれを咎めた。
ぎくり、と肩を揺らすローにが息を吐く。
「お勉強の途中なのでしょう?別に邪魔をするつもりは無いわ。
本を読みたいだけだもの」
「・・・アンタと2人になるのは嫌だ」
己を睨みつけるローに、はフフフ、と笑う。
「私は本を読めればそれで良いのに」
は警戒するローを他所に、勝手にローの腰掛けていた椅子の側に座り、
分厚い本のページを捲り始めた。
デスクに積み上げた本のタイトルが目に入る。
”ドリアン・グレイの肖像” ”マクベス” ”テンペスト” ”フィガロの結婚”
が今捲っている本は”サロメ”だ。
演劇にでも出るつもりなのだろうか。
ローはと、自分の持っていた本を見比べる。
読書をするは驚く程静かで、そうしているとどこぞの令嬢にも見える。
ローは逡巡しながらも、もう一度テーブルに本を広げ、ペンを走らせた。
それが迂闊だったのだろう。
ローはすぐに勉強に夢中になって、
が側に居ることを忘れてしまったのだ。
どれほど時間が経ったのだろうか、かたん、と椅子の軋む音がして、
ローが顔を上げると、がすぐ側に立っていてぎょっとする。
はノートを取り上げ、ローの書いた記述に目を通してみせた。
「おい、勝手に触るな。返せよ」
はローの怒りを無視してぱらぱらとページを捲った。
「解剖学ね。こっちは肝臓病についての症例。カルテは読めるの?」
「当然だろ、馬鹿にしてんのか」
「いいえ、・・・ところで剣術にくらべて体術と砲術の成績が振るわないと、
ラオGとグラディウスが嘆いていたけれど?」
「ぐっ、」
ローはに思わぬことを言われて唇を噛んだ。
「・・・剣術が得意なだけだ」
「ヘぇ?」
はノートをローの手に戻した。
と思った瞬間、腕を押されてあっという間に床に押し倒される。
黒い髪がばらばらと落ちてくる。紫色の瞳が驚く程近くにあって息を飲む。
「は、な・・・!お前、なにすんだ!?」
「今私が何をしたのか、あるいは何をされたのか分かりましたか?」
「はぁ!?何言って・・・」
の目がすぅ、と細められる。
ローは思わず口を噤み、素直に質問に答えた。
「・・・関節を取られて転ばされた」
「その通りです。私は非力なので、あなたを力押しでどうこうすることはできないから、
こういう手段をとったのです。例えば、ロー、私がこうしてあなたの首を抑えると」
大して力を加えていないはずなのに驚く程の息苦しさが襲って来た。
抵抗するが、の細腕はびくともしなかった。
の目にいつかの狂気は浮かんでいないが、
息が出来なくなってきて、ローは青ざめる。
頃合いを見計らっていたのかが手を放した。
咳き込むローに、は淡々と言った。
「今のは私が娼館に居た頃に教わった技術の一つです」
ローが眉を顰める。
そこが何をする場所かなど、とうに知っていた。
よぎる軽蔑もものともせず、は言葉を続ける。
「お客様の中には命を奪われるか、奪われないかの瀬戸際を好む方もいらっしゃいました。
でも娼婦は非力な女がほとんど。そう言う好みの方のための技術です。
的確に急所を捕らえ、簡単に窒息体験させる技術ですが、こうして脅しにも使える」
「・・・何が言いてェんだよ」
「知識は理解と実践。そして応用が出来てこそですよ。ロー」
が笑っていた。
言いたいことはなんとなく分かったが、
こんな乱暴な手段を用いられなければいけないことなのだろうか、と思い、ため息を吐く。
いつの間にか、は検分するようにローを見ていた。
いつまでたっても退かないに、ローは怪訝に眉を顰める。
「どけ、」
「・・・あなた」
は小首を傾げてみせた。
さらり、と髪の一房がローの頬を撫ぜる。
紫色の瞳が戸惑うローをまっすぐに射抜いていた。
「キスをしたことはある?」
「は・・・!?」
抵抗する間もなく、の柔らかな唇がローの唇と重なった。
唖然としている間に、状況が悪化しているらしいのがローにはわかった。
唇が静かに角度を変え、触れ合う度に、首筋の当たりに痺れが走る。
いつの間にぬめりを帯びた舌が入るのを許していた。
遊ぶ様に舌先を突かれ、上顎を嬲られると身体が勝手に大きく跳ねる。
暫くして気が済んだのか、静かにの顔が離れた。
恐らくそう長い間の出来事ではない。
それなのに今やローは全身の力が抜けていて、肩で息をしていた。
混乱と未知の法悦に言葉を失い、ただ呆然と、の顔を見上げていた。
「・・・なに、するんだよ」
「あなたの寿命は、あと2年と少しと聞いているのだけれど」
やっとのことで口を開いたローに、は柔らかく返してみせた。
「キスも知らないまま死んでしまうのは、
可哀想だと思ったの」
かっ、と怒りでローの頬が赤くなる。
はローの肩を抑え、ローの身体を拘束していた。
見た目だけは美しい少女の纏う雰囲気が、湿度を孕み、重くなる。
ローの身体が恐怖で強ばる。
いつかと同じ、の狂気じみた眼差しがそこにあった。
「”可哀想なロー”」
口では哀れむが、嗜虐的な笑い方をする。
蛇に睨まれた蛙のように、動けないでいるローへ、は甘く囁いた。
「私が慰めてあげましょうね」
※
止めろと言っても、離せと言ってもは聞かなかった。
怒り、抗っていたのが、徐々に意味が無いと知って無抵抗に変わる。
止めさせようと声を上げる度に、みっともない吃音染みた声が零れるので、
ローは唇を噛んだ。羞恥と恐怖で、遂にぽろぽろと涙が落ちた。
「やめろ、ッ、やめてくれ、なんで、こんな、・・・ぁああっ」
はローのペニスに指を這わせ、その懇願をあっさりと無視してみせた。
幼い身体は快楽よりもおぞましさに震えているようだったが、
恐ろしさばかり感じているわけでは無いことを、は見抜いていた。
の肩を力なく叩くローに、楽しそうに囁いてみせる。
「大きな声で叫んでみる?助けてくれって?
私にあっけなく組み敷かれて、いやらしいところを触られて、
ぐちゃぐちゃになっているところを、ファミリーの皆に見せてあげるの?」
下卑た挑発にローの眉根が痛々しい程に顰められる。
しゃくり上げる声をなんとか誤摩化そうと、袖を噛んだ。
「そう、良い子ね、ロー。
良い子にはご褒美をあげなくちゃね」
「ふ、ぅ、うう・・・!んんッ・・・!」
袖を噛みながら首を横に振るローに構わず、は手つきを早めた。
恐ろしいものに全身を絡めとられていくような錯覚に、ローは震える。
何かが変わってしまう予感がしていた。
噛んだ袖に唾液が滲む。
の目が優しく細められた、瞬間だった。
「——ッ!」
頭の芯を痺れさせるような強烈な快楽が全身を包んだ。
心臓がばくばくとうるさい。
固く目を瞑り、余韻に震えていると、はようやくローから身体を退けた。
息を荒げ、肩で息をしながらぼうっとを見上げると、
は殆ど着衣を乱していなかった。
「あら、ロー、あなた、まだだったんですね。
でもこれはこれで気持ちが良かったでしょう?」
もう何も言い返す気力も無かった。
はローの身なりを正してやり、額に口づけて立ち上がる。
「フフ、また慰めて欲しくなったら声をかけてね、
可哀想で弱くて可愛い、海賊のロー?」
言い捨てては立ち去っていった。
ローは奥歯を噛んで、目蓋を覆う。
次から次へと、涙があふれ、零れていった。
※
ドンキホーテファミリーとして日々を過ごす間も、コラソンと逃げていた間も、
ローはあの日の書庫での出来事を忘れることはなかった。
病院を巡り、コラソンがローの為に涙してくれたことを
心から嬉しく思った時に、ようやく少し忘れられたと思った。
それでもこびりついて消えない、汚れた記憶だった。
怒りと、羞恥と、恐怖と、憎しみと、それから認めたくは無いが、
快楽の感触が、どうしても忘れられなかった。
病院を巡る旅は終わった。今はミニオン島を目指している。
ローの病気を治す為に、オペオペの実を奪うのだと
コラソンは進路を決めてくれたのだ。
その最中、とある島で、見つけた洞穴。
そこで一晩を過ごした。
コラソンが深く寝入っているのを見てローはそっと身体を起こした。
酒を飲ませて寝かせたので、恐らく起きることは無いだろう。
コートのポケットに入っていたでんでん虫をそっと探る。
洞穴の外まで行って、ローはでんでん虫をかけた。
「・・・おれだ、ドフラミンゴ」
※
ミニオン島ではオペオペの実を、コラソンは手に入れてみせた。
途中、海賊に銃で撃たれて満身創痍だったが、
町で医者に見せることが出来たのでなんとか助けることが出来た。
ローはオペオペの実を口にしてから、少し身体が楽になったのを感じていた。
それをコラソンに告げると、自分のことの様に喜んでいる。
「そうか、そうかぁ・・・!良かったなぁ、ロー!!!痛ェ!?」
「コラさん!怪我人なんだから無茶すんなよ!」
思わずローを抱き締めたコラソンは傷が痛んだのか奥歯を噛み締めた。
ローは呆れた様にため息を吐く。
医者には今日はここで泊まれと言われている。
コラソンは頭を掻いて「面目ない」としょげていた。
「あんとき雪に足を取られなきゃ撃たれずに済んだんだが・・・」
「しょうがねェよ、そのドジは直んねェ」
「そうだな、生まれつきだから!ハハハ!・・・ハァ、笑えねぇ」
流石に今回のドジには思うところがあるらしい、落ち込んでいる。
「とりあえず手当はしたから、明日には発つぞ、いいか?」
「ああ、・・・なァ、コラさん」
「ん?」
コラソンは首を傾げてみせる。
ローは不器用に笑った。
「・・・ありがとう。ごめんな」
コラソンはついぞ聞いたことの無かった、ローの素直な言葉に息を飲む。
それから緩く頭を振って、いつもの明るい笑顔を浮かべた。
「何言ってんだよ!水臭ェな、気にするな!」
小さく頷いたローが、コラソンの隣のベッドに入る。
コラソンも出来るだけ眠って傷を癒そうと、いつもより早く目蓋を閉じた。
目覚めたら置き手紙が一つ残されているだけだとも知らずに。
※
その日の深夜、ローは雪の中を歩いていた。
港には商船が見える。しかしそれはフェイクだ。
ドフラミンゴとの2人が船の前で立っていた。
「おかえり、ロー」
ドフラミンゴが腕を広げる。
その横でが優しく微笑んでいた。
「・・・お前の言う”情報文書”だっけ?これで良いのか?」
ローは予めコラソンのポケットから盗んでいた書簡をドフラミンゴに投げ渡す。
海軍のマークの入ったそれを、ドフラミンゴは受け取るとすぐ内容に目を通しはじめた。
みるみる顔色が変わって行くのを、ローは不思議と落ち着いて見ていられた。
「あの野郎・・・!」
書簡を破り捨て、今にも弟を殺しに行きかねないドフラミンゴに
ローは首を横に振る。
「コラソンならもう客船に乗ってる。追いかけるのは無理だ」
「・・・フッフッフッ、お前、半年の間に
随分絆されたみてェだなァ、昔は嫌ってただろうに」
「ドフィ」
が柔らかな声色でドフラミンゴを呼んだ。
「良いじゃありませんか、ローもこうして戻って来てくれたことですし、
情報文書もここで消えたのでしょう?
それに、客船を襲うには装備が足りません。海軍も来ています」
はローを面白そうに見つめた。
「ローの条件でしたものね。
オペオペの実を口にして、ファミリーへ帰還する代わりに、
迎えはドフィと私だけで来いと言うのは」
ローは目を眇めてを睨む。
ドフラミンゴはそれを見て眉を上げた。
「それにしても、なぜおれとを選んだ?」
「ドフラミンゴは、自分の目で見ねェと
おれがドンキホーテ・ファミリーに戻るって納得しなかっただろ、
おれがオペオペの実食ったことも、情報文書を盗んだこともな」
ローの言い分に納得するように笑みを深めたドフラミンゴを他所に、
ローはに視線を移し、唾棄する様に言葉を吐いた。
「——、お前のせいだ」
ドフラミンゴには何のことだか分からなかっただろう。
も理解しているのかいないのか定かでは無いが、
紅の引かれた唇が弧を描いた。
※
ドレスローザ王宮。
与えられた自室の、ウォークインクローゼットの中、
は棚にもたれ、身体を弄る掌に堪えている。
刺青の入った腕がを後ろから拘束し、濡れそぼった入り口に、
ペニスを射し入れて、激しい挿抜を繰り返していた。
「ああっ!・・・あっ!・・・あんっ、あ、ぅっ」
は弓なりに背をそらす。
ローはの乳房を乱暴に掴み、叩き付けるように腰をぶつけた。
ぐっと力を込めると、柔らかな乳房が形を変える。
噛まれて紅色になった先端を、骨張った指が抓りあげた。
「っ、ロー、は、ぁ!・・・ぁあっ!」
そろそろ限界が近いのかの締め付けが強くなる。
ローはの首を後ろから締めた。
「ッう、ぐッ・・・!」
甘い嬌声に苦し気な色が乗った。
きりきりと締め上げる指が離されることはない。
の片手がローの右腕にかかる。
まるで攻防するようなやり取りの最中、
が立てた爪がローの腕に傷を作ったころに、指が離れた。
突然解放されて噎せ返るの顎をローは無理矢理に掴み、乱暴に口づける。
棚に身体を押し付けて、物を扱うように、自分本位に吐精した。
ローがペニスを引き抜き、拘束を解くと
ぜえぜえと息を吐いたは座り込んで、やがて小さく笑う。
「ふっ、ふふふっ、相変わらず乱暴ですね。
でも、最初よりは随分上手になったのではなくて?」
「黙れ」
ローは簡単に身なりを整えると冷えきった眼差しでを見下ろした。
指の痕がの首にくっきりと残っている。
ローはしゃがみ込み、掌を首に当てた。
苦虫を噛み潰したような顔でを睨む。
「おれをこんな風にしやがって」
「『許さない』とでも言いたそうね」
は笑う。
「でも、こうして私の誕生日に関係を持ちたいと思う程度には、
私を愛しているのでしょう」
「愛?誰が?」
ローは鼻で笑う。
冗談が過ぎると続けようとするも、
の紫色の瞳は、まっすぐにローを射抜いていた。
「私でなくてはダメなんでしょう」
ローはの頬を張った。
そのまま倒れ込んだの顎を掴み、その瞳を覗き込む。
「わけわかんねェこと抜かしやがって・・・。
そんなに殺されたいか」
冷笑を浮かべていた唇が真一文字に引き結ばれた。
「安心しろ、お前はおれが殺してやる」
「・・・情熱的ね。
それで、いつ、私を殺してくださるの?」
の唇が柔らかく弧を描く。
ローはぐ、と眉間に皺を寄せた。
「ドフィに勝てる様になってからかしら?
それともドレスローザを解放してから?
ねぇ、ロー。あなたが例の海軍中将と仲良しなの、私は知っているのよ。
黙っておいてあげているの。賢いあなたはお分かりでしょうに」
押し黙ったローに、は口の端をつり上げる。
「フフフ、でもね、私はこの状況、とても楽しいわ。
ドフィはああ見えて嫉妬深いから、
少しでも誰かの影を見て取るととても激しく愛してくれる。
・・・あなたもそうね?」
「・・・売女が」
吐き捨てる様にを罵ると、ローは部屋を後にする。
は残された部屋で小さく恍惚の息を吐いた。
「可哀想で可愛いロー。
優しくしてくれた海兵さんと生きる道もあったのに、
あなたは私を選んだ。——フフフフフッ!」
は己の肩を掻き抱いた。
痕が残る程ローに抱かれたからには、今日の夜はドフラミンゴに酷くされるだろう。
ほら、また楽しみが増えた。
は緩やかに立ち上がる。
まずは夜になるまでに、身なりを整えなければならない。
夜会では、きっと玉座に座るドフラミンゴがに誕生日を祝う言葉をくれるだろう。
そして、その右横に侍る、腕を組んだローが着飾ったを一瞥するのだ。
重苦しく煮詰まった、愛憎に尖った金色の眼差しをくれることだろう。
そう思うだけでの背筋を甘い痺れが走る。
うっとりと頬を抑え、笑うはまさしく娼婦そのものだった。