悪のカリスマ 番外

!Attention!
※83巻SBSのネタを含みます。
※ドフラミンゴ×ヴィオラ要素がっつり含みます。
※それでもよろしければどうぞ

虚ろの恋


「ヴァイオレットの様子はどうだい?」

は執務に当たる最中、ドフラミンゴに声をかけた。
ドフラミンゴの参謀として、政策を提案するのもの役目である。
その合間、雑談のつもりで振ったのだろう。
話題はドレスローザの元王女、ヴィオラについてだ。

ギロギロの実の能力は、ドフラミンゴ共に有用と認めている。
トレーボル軍に一応の籍を置いたものの、
その能力はドフラミンゴが主に重宝しており、
を飛ばしてドフラミンゴ自らがヴィオラに指示することが多い。

の言葉にドフラミンゴは肩をすくめる。

「ディアマンテがスカーレットを殺した件で思うところがあるようだな」
「ああ・・・」

は顎に己の指を這わせた。

「”あれ”は王族の務めを放棄して恋に狂った愚かな娘だったからねぇ」

が何の気なしに呟いた言葉に、
ドフラミンゴは万年筆を持つ手に力が籠ったのを自覚し、
サングラスの奥で軽く目を細めた。

「・・・そうだな」
「しかし、それは問題だねぇ、ドフィ。
 幾ら能力が卓越しているからと言っても他の”家族”に示しがつかないじゃないか。
 自分の立場と言う物を、理解してもらわなくては困るねぇ」

の赤い唇が弧を描いた。残酷に吊り上がった口の端を見て、
ドフラミンゴはまた何かが残酷な遊びに興じようとしていることに気がついた。
しかし、ドフラミンゴは止めなかった。
その残忍な微笑みを好ましく思っていたからだ。

時折の残酷さは、ドフラミンゴに熱を与える。
生きる為の熱だ。走り続ける為の、世界を食い散らかしてやる為の力だ。
ドフラミンゴの背にが居ると思うだけで、
血の海を泳ごうとも恐怖を覚えることはない。

「何をするつもりだ?トレーボル」

は柔らかく微笑んだ。

「少し、躾けてやろうと思ってねぇ」



「話があると言っていたけれど、何のご用ですか?」

ヴィオラは窓の外を眺めているその女に声をかけた。
”トレーボル”と呼ばれているが、
時折ドフラミンゴがと呼んでいるのを聞くから、そちらが本名なのだろう。
一応はヴィオラの直属の上司に当たる人物だが、
これまでそう接点が多いとは言えなかった。

振り返ったが静かに問いかけた。

「”ヴァイオレット”。お前に一つ頼みがあってねぇ、
 ”家族”の間でわだかまりがあるのはよろしくないと思うのだよ」
「・・・なんのことです?」

は芝居がかった仕草で嘆いてみせる。
大げさにため息を吐いて、額に手を当てた。

「分かっているだろう?
 ディアマンテに対して険悪なそぶりは慎みなさい」

ヴィオラは黙り込み、拳を握りしめた。
姉を殺した男に、親密な態度をとれと言うのがそもそも無理な話だ。
その集団に加わっていることさえ苦痛でしかない。

はサングラスの奥で目を眇めると、
静かにそのサングラスを外した。
切れ長の、鋭い刃物に似た眼光がヴィオラを射抜いている。

「仕方ないねぇ、・・・」

が右手をさっと払うと、ヴィオラの身体を粘液が覆った。
身動きの取れなくなったヴィオラに、は靴を鳴らしながら歩み寄り、
囁いた。

「”私を見ろ、ヴィオラ”」

粘液が蠢き、無理矢理ヴィオラの腕を持ち上げる。
ヴィオラは何が起きるのか分からぬまま、の心を見るべきなのだと思った。
逆らえば、何をされるのか分からない。

「わ、わかりました」

拘束された恐怖も相まって、ヴィオラはに従ってしまったのだ。

「”ピーピングマインド”」

暗闇に近いところから、その記憶は始まった。

下卑た笑みを浮かべ迫る何人もの大人、血を流し泣く子供。
拷問具、罵声と笑い声、獣のような息づかい、悪臭。
身体中を這うおぞましい何かの感触。焼け付くような痛み。

「ひっ」

断片的なイメージが徐々に残酷な状況を浮かび上がらせる。
ヴィオラはすぐに目を背け、顔から手を離そうとするが、はそれを許さない。

「目を逸らすな」

その声は強ばっていた。のこめかみを汗が伝っている。
いつしかヴィオラは悲鳴を繰り返し上げていた。
の心は、記憶は、今まで見て来た人間の誰よりも見るに耐えないものだった。

過去に叫んだのだろう、の言葉とヴィオラの言葉が重なった。

「『もう止めて!助けて・・・誰か!』」

の眉間に皺がよる。

「助けてくれる”誰か”なんてどこにも居ない。
 『もう止めて』?——そう言って止めてもらえた試しはなかったねぇ。
 ・・・続けようか」

ヴィオラは身を捩り抵抗した。
それでもの粘液はヴィオラを捕らえて逃がさなかった。
見せつけられるのは吐き気を催すような醜悪な光景だ。
言葉が反響する。

『殺せ』『笑え』『食え』『舐めろ』『撃て』『血を流せ』『悦べ』『泣け』
『咥えろ』『刎ねろ』『触れ』『喚くな』『切り捨てろ』

『頭の悪いガキは嫌いだ』

は記憶を反芻した。自らの傷を抉るのも構わないように、執拗に何度も、何度も。
やがてヴィオラの声が掠れ、疲れ果てたころにようやく
ヴィオラから距離をとり、粘液での拘束を解いた。

粘液の中に倒れたヴィオラを見ては膝をつき、
その顎をとって再び無理矢理に視線を合わせた。

「私の言うことがわかるかな、ヴァイオレット」

ヴィオラは半ば呆然としながらも、頷いた。
逆らってはいけない。そう確信していたからだ。

「私の言うことを良くお聞き。
 ディアマンテへの、いや、
 ドンキホーテファミリーへの険悪なそぶりは慎みなさい。
 良いね?」
「・・・はい」

ヴィオラはなんとか頷いてみせた。
それを見て、はヴィオラの頭を優しく撫でる。

「べへへ・・・素直でよろしい。
 恨むとするなら我々ではなく、血を恨め。
 生まれながらの立場を恨め、”ヴァイオレット”
 それから、——私の心を覗いてはいけないよ」

ヴィオラは肩を震わせた。頼まれなくとも二度と見たく無いと思った。
ヴィオラはゆっくりとの目を覗き込んだ。
額に汗を滲ませ、確かに苦痛を覚えているはずなのに、
は笑っている。

その表情にぞっとした。

「返事をなさい、ヴァイオレット」
「・・・わかりました」

言葉を絞り出したヴィオラに、は満足げに頷くと、
足早にその部屋を出て行った。



はその部屋を出ると、纏っていた笑みを取払い、
苛立ちに任せ壁を叩き、その場に座り込んだ。

「・・・やはり堪えるものだな、私でも」

何度か息を深く吐いて、は立ち上がる。
拳には血が滲んでいたがそれを気にする余裕は無かった。

「トレーボル?」

再び自室へと歩き出したを、だれかが呼び止めた。
それはドフラミンゴだった。

振り返ったを見て、ドフラミンゴは軽く息を飲んだ。

「お前、怪我をどうした?」
「え?ああ、・・・本当だ。血が出てるねぇ」

左手を不思議そうに眺めるを見て、
ドフラミンゴは眉を顰めた。

、お前、様子が・・・」

は軽く首を振って、ドフラミンゴを見上げた。
その鋭い眼差しに、ドフラミンゴの背筋を、奇妙な感覚が走る。
それは怯えにも、恍惚にも似ていた。

「ねぇ・・・お前は黒い髪の女が好きだったよねぇ、ドフィ」

鋭い切れ長の目を直接見るのは、14の頃の、あの夜以来だった。
その時と変わらない。冬の空よりも冷たい、身を切るような視線だった。

「少々こっぴどく折檻してしまったから気落ちしてしまってねぇ。
 ヴィオラを、いや、"ヴァイオレット"を慰めておやり、ドフィ。
 あの、"古き血を引く王女様"を」

ドフラミンゴはサングラスの下、目を眇め、奥歯を噛んだ。
が何を望み、何をドフラミンゴにさせたがっているのかは、
手に取るように理解出来てしまう。
思い出すのは、少し強ばったいつかの声だ。

『利用価値があるか、後腐れのない人間を選ぶべきだ』

ヴィオラにはその価値がある。2つの王家の和合。
ギロギロの実の能力の制御。屈辱と優越が混沌する遊び。

「それから私のことは、トレーボルとお呼びよ。ドフラミンゴ」

その静かだが有無を言わせない声色に、ドフラミンゴはやっとの思いで頷いた。

はたから見れば常の通りだったろうが、内心は違った。
嵐の海でさえ、今のドフラミンゴの心よりは静かだったろう。
は頷いたドフラミンゴに小さく微笑み、歩き去っていった。

ドフラミンゴはその背を視線だけで追いかけた。

こんなやりきれない感情に支配されるのは、
の感心を買おうと躍起になっていた10代の頃以来だろうか。
ドフラミンゴは小さくため息を吐き、それでもその部屋に足を運んだ。



ドフラミンゴがとヴィオラのいた部屋に入ると、
ヴィオラは溶けた粘液の中泣きじゃくっていた。
尋常の様子ではない。
ドフラミンゴがいることに気づくとヴィオラは肩を震わせ、後ずさった。

「・・・ヴァイオレット、何があった」

ドフラミンゴが聞くとヴィオラは首を横に振った。

「話したくない。もう沢山、・・・もう沢山よ!」
「落ち着け、何もしない」
「嫌!」

話にならない。
ドフラミンゴは眉を顰めながら、落ち着かせようと言葉を選んだ。

「お前なら、心を覗けばおれが何もするつもりがないとわかるはずだ」

瞬間ヴィオラは心底怯えるようにドフラミンゴを見て叫ぶ。

「もう見ないわ!人の心なんて!
 あんなものを見るくらいなら目を潰したほうがましよ!!!」

その時、ドフラミンゴは雷に撃たれたような衝撃を覚えていた。
いつの間に、浮かべていた笑みが抜け落ちていた。

「・・・見たんだな、お前は」

は、ヴィオラに心を覗かせたのだ。

「見せたんだな、お前に」

ファミリーの誰も、の心の奥深くまで踏み入ったことは無いというのに。
肌を合わせたときでさえ、はドフラミンゴに全てを委ねさせることなどしなかった。
それは今となってはドフラミンゴが唯一、どれほど望んでも手に入らないものだった。

内臓が焼き爛れるような心地がする。

ドフラミンゴが覚えたのは激しい嫉妬だった。
空気が変わったのを悟ったのか、ヴィオラが小さく息を飲む。

「"おれを見ろ、ヴァイオレット"」

ドフラミンゴは粘液の中にヴィオラを組み敷いた。
黒い髪が粘液の中に広がる。

「何をするの・・・!?」
「従わないなら殺す」

ヴィオラの唇から悲鳴を押し殺した声がした。
ドフラミンゴは苛立ちを隠そうともせず、さらに言葉を続けた。

「お前ではなく、父親と姪をだ」
「・・・止めて!・・・わかりました」

ヴィオラは泣きながら手を自身の顔に這わせた。

「・・・”ピーピングマインド”」

ヴィオラが見たのは、ドフラミンゴの半生だった。
それは幸福な記憶から始まる。
煌びやかな屋敷、優し気な母親の笑顔、父親と手をつないだぬくもり、
オモチャを取り合い笑う弟の顔。宝石、金貨、天蓋に描かれたプラネタリウム。
幼い笑い声が響いていた。

しかし暫くして状況は一変する。
理不尽な暴力、やせ細った母親の手首、うなだれる父親の後ろ姿。
必死に声を殺そうと、自分の腕を噛んで泣く弟。
窓から吊り下げられ焼かれ、矢を撃たれた時の己の叫び声。

ヴィオラはそれに息を飲み、眉を顰めた。
そして、そこからまた違う情景が広がり出した。

『お前の為なら何だってするよ』

最初は甘やかな女の声だった。差し伸べられた温かな手だった。
穏やかな微笑みだった。優しく頭を撫でられる感触だった。

『さぁ、暴力を、火を讃えろ、ドフィ、克服するんだ』

火の中で、血を浴びたままその女は笑う。火の粉が女を飾り立てていた。
美しく、おぞましかった。目を離すことが出来なくなった。
ドフラミンゴの記憶の中に、深くその女は居着いている。
幸福そうに笑う顔、憮然と怒る顔、楽しそうに目を細める顔、
跪いて涙を流す顔、——様々な表情を見せ、不思議とどれも魅力的だった。
引力のようなものを纏っているかのように、その女に意識を吸い寄せられる。
これは”ドフラミンゴの視点”なのだ。

ヴィオラは瞬いた。思わず口にしていた。

「あなたは、トレーボルを愛しているの・・・?」
「ああ」

ドフラミンゴは頷いた。認めるのは簡単だった。

「だが、は知らない。これまでも、この先も」

皮肉と嘲りに笑い、ドフラミンゴはヴィオラに囁いた。

「フフ・・・、だからこれはお前自身に非があるわけじゃねェ、
 に思惑があり、お前に利用価値があり・・・おれの虫の居所が悪いせいだ」

ヴィオラの肩を掴む手に、力が籠る。

「お前は少し、昔のに似ている」

そのときヴィオラは声も出せなかった。
抵抗が無意味に終わることをどこかでヴィオラは知っていた。
叩いても、拒む様に首を横に振ってもびくともしない。
それでもそうしなくてはならなかった。

恐怖と憤り、悲しみ、同情と苦痛の渦巻くその最中、
ヴィオラの耳元で、が囁いた気がしていた。

『血を恨め。生まれながらの立場を恨め、”ヴァイオレット”』

ヴィオラはいつしか涙を流していた。

 何の意味があるの。国を奪っただけでは飽き足らず、
 何故、こうも踏みにじりつづけるの?
 自分だって傷ついている癖に、
 こんな交わりでは誰も幸福にならない。誰も報われない。
 なのになぜ。——なぜ?

誰も応えないはずの答えを、ヴィオラは考え続けていた。
ヴィオラの頭の奥で炎そのもののような女が笑う。

ヴィオラはドフラミンゴの目を見た。
こめかみに汗を浮かべ、苦しげに顰められた眉の奥の、濃い赤色の瞳を見た。

ドフラミンゴはまごうことのない強者のはずだ。
それなのにドフラミンゴの願いは叶わない。

視線が交わり、目が細められた。
その時、ヴィオラは冬の空のようなの目を、ドフラミンゴを通して見ていた。

 ああ、この交わりでさえ、人でなしのあのひとの望みだから、従うのか。
 愛してしまったあのひとの面影を探って私を抱くのか。

ヴィオラは顔を覆う。
不可思議な衝動が巻き起こっていた。
肩を震わせ笑ってしまいそうだった。

 この人は哀れだ。
 哀れな男だ。

この国の誰より強く、その頭上には血みどろの王冠が輝くのに、
この国の誰より哀れな男だった。



は、リク王の元を訪れていた。
人気の無いあばら屋に居たリク王は、を見て息を飲む。

「お前は、ドンキホーテファミリーの・・・!」
「べへへ、そう。最高幹部だ。
 トレーボルと言う。ご機嫌はいかがかな。前国王陛下」

リク王は眉を顰め、を睨み据えた。

「——私を殺しに来たのか」

はリク王の物言いに眉を上げるが、やがて首を横に振った。

「いや?そんなことはしないさ。
 ちょっと話をしに来ただけだよ」
「今更、話すことなど、」

「お前の娘、姉の方は愚かだったが、妹の方は賢いねぇ、リク・ドルド」

リク王の顔色が変わった。

「スカーレットを殺めたのは貴様らだろう!?
 飽き足らずヴィオラに、私の娘に何をした!?」
「その娘に身を挺して庇われている分際でよくもまあ吠えることだな」

の冷えきった眼差しに、リク王は奥歯を噛んだ。
は小さく首を傾げてみせる。

「お前は私に武器を向けないのだねぇ」
「できるものなら殺してやりたい・・・!
 だが、貴様を殺したところで状況は良くはなるまい。
 用件があるのなら早くしてくれ、汚らしい獣の顔など見たく無い」

「ふん、中途半端に賢しい男だな、お前は。
 一応報告しようと思ってねぇ。お前の娘は我が海賊団の幹部となったよ」

リク王は地面に目を落とし、深く息を吐いた。
堪え難い苦痛を受けた時、人はこのような顔をする。
はリク王のその顔を見て、呟いた。

「・・・古き王、お前の哲学と私の哲学はどうも相容れないようだな」

リク王はの顔を注視した。
声色が変わっている。得体の知れない悪寒が背筋をなぞる。

「お前は人間である為には努力が必要だと言う。
 お前は殺人を犯さねば生きて行けない人間を”獣”と呼んだ。
 だがその実、お前は理解しているはずだ」

は指を己の顎に這わせた。

「お前の言う人間と獣は薄皮一枚の隔たりも無く同じだ。
 お前の呼ぶ”人間”は血の欲望を理性と言う轡で抑圧しているに過ぎない。
 我々は轡を使わず、飼い馴らしている。
 野方図に、奔放に、食欲のまま餓えを満たす様に」

嫌悪に表情を歪めるリク王に、は面白そうに笑ってみせた。

「この国にはコロシアムがある。それが何よりの証拠だろうよ、リク・ドルド。
 轡を噛まされた人と言う名の獣は擬似的な闘いによって餓えを満たしているのだな。
 実に涙ぐましい努力だ。だが、本物の血を飲ませれば、容易く轡は解けてしまう」

は半ば陶酔するように言葉を紡ぐ。

「清貧に暮らし、轡を噛まされた”人間”も、
 富と血に溺れれば容易くお前の言うところの獣に堕ち、
 そして血の味を覚えた獣は二度と”人間”には戻れはしまい。 
 ・・・この国はもうお前の言う”人間”の国ではないのだ」

「貴様は、貴様らはどこまで・・・!殺戮国家に、未来など無いと言うのに!
 なぜ人間であるための努力をしない?
 なぜ平気で人を踏みつけにし、笑っていられる!?」

くつくつと喉の奥で笑っているその女が、リク王にはまるで化け物の様に見えた。
憎悪と獣性を凝り固めたものが、人の形を成している様な気さえしていた。

「”勝者”だからだ。
 私とお前の違いなんて、そこしか無い。
 私は確かに”人間”だとも。お前と同じ、”人間”だ。
 鬼でも悪魔でも、”獣”でもない」

はリク王の顎を掴んだ。
鼻先が触れ合う程の距離で低く囁く。

「故に、お前に『死ね』と言われる道理も無いのだ。
 善人の皮を被った、冷酷な”人間”の古き王よ」
「!?」

指がリク王の頬に食い込んだ。

「これは報いなのだよ、リク王。
 思い知るがいい。人間が、どのような生き物なのかを。
 忘れるな。お前とお前の孫が五体満足で居るのは、
 お前の娘が”我らが王”に仕えるが故なのだと」

は言葉を失くしたリク王から離れた。

「べへへ、それでは夜分遅くに失礼したねぇ」
「——まて」

振り返ったをリク王は睨む。

「・・・貴様はなぜ、ここに来た。
 なぜ、わざわざ私に会いに?
 理性を失くした私に、殺されるとは思わなかったのか」

リク王は剣を手にしていた。

は一瞬サングラスの奥の目を瞬き、驚いたように見えた。
似つかわしく無い幼い表情だと、リク王は思う。
はやがてその顔を笑みの形に変えた。

「べへへへへへ!
 残念ながら、それは無理な話だ。まだ退場には早いし、
 なにより、——お前にはできない」
 
笑うは杖を振るった。
リク王の持っていた剣をいとも簡単に弾き落とし、拾い上げては微笑んだ。

「・・・刃を潰した剣では、人は殺せまい。
 まァ、いまここで私を殺してもらっても別に構わないんだが、いいのか?」

は無垢な少女のようなそぶりで首を傾げる。
甘ったるい声には、残酷な響きがあった。

「轡が外れて”獣”に堕ちるぞ、リク・ドルド」

奥歯を噛んだリク王を、は笑う。
その笑い声は、がその場から立ち去った後も、
リク王の脳裏で反響していた。



「なぁ、"トレーボル"お前も私と同じように唆したのか?
 それともドフィ自ら篭絡したのかな?」

は自室の鏡に向かい静かに話しかけた。
当然誰も返事をよこさないが、はクスクス笑っている。

「19の箱入りの小娘は、自信に満ち溢れ、カリスマ性に富んだ、
 今まで見たことのない”悪"の香りのする
 年上の男に惹かれずにいられるのかしらねぇ」

鏡に映る自分自身と会話するように、
は自身の胸に手を当てた。

「"トレーボル"。私はね、己の国を奪い、姉を殺した男を愚かにも愛してしまう
 あの聡明な王女様が、自己嫌悪と愛憎に苛まれる様が見たいのだよ。
 いかにもお誂え向きだとは思わないか。
 この国は、愛と情熱の国なのだろう?
 恋というものは不毛であればあるほど煌めくのだという。
 はたから見る分にはこんなに愉快な見世物はない」

はそう言って鏡台に頬杖をついた。

「何が愛?何が情熱?何の価値があるんだろうねぇ、
 自らを不幸にするような感情のぶれに左右されて、
 身を滅ぼす連中は何を求めているのだろうねぇ。
 私には、さっぱり理解できないよ」

鏡の中の自身がふと、大柄な男のイメージとだぶって見えた。
その男はを指差し、笑う。
しかし瞬けば、常の通りの顔が写るだけだ。

「・・・そうとも。私は狂っている。
 故に解せないのさ。自ら狂気に苛まれに行く奴らがな」

狂気のまま”トレーボル”の役目を演じるのはあと10年。
その後は自由が待っている。
ただその間を、唯々諾々と過ごすのは惜しいと、は思っているのだ。

「さぁ、火種を撒こう。美しい花火を上げよう。
 燃え尽きれば後は何も残らない、ただ鮮烈な印象のみを与える炎の花を」

自身を鼓舞するように、は呟き、笑う。

10年後、心底から理解出来ないと嘲笑った愛と情熱に、
何もかもを暴かれ、燃やし尽くされるのを知りもせずに。



10年後、ドレスローザ。

突然鳥カゴが消えて国民達がざわめく中、ヴィオラはドフラミンゴの姿を見た。
大切そうにを抱えながら、笑って空を駆けて行く。
その姿を見とめて、唇から感嘆の声が漏れたのが分かった。

「・・・ねぇ、レベッカ。
 あなた、愛する人の為に全部を捨てられる?」

「え!?ヴィオラさん何言ってるの、こんな時に!?
 そ、そんなのわからないよ・・・」

戸惑うレベッカの声も耳をすり抜けて行く。ヴィオラの目尻から涙が零れた。
レベッカはそれを、国が解放されたことに対する喜びなのだと思ったらしい。
宥める様に背中を擦られる。ヴィオラは小さく呟いた。

「私にはできないわ」

ヴィオラにはできなかった。
憎悪とともに愛着を覚え、自己嫌悪に苛まれ、
いっそ何もかもを忘れたいと欲望に溺れたが、それでも心を許しきることは無かった。
父が、姪が、国民全てが大事だった。
王女としての自尊心が、何もかもを捨て去ることを許さなかった。

だが、ドフラミンゴには出来たのだ。
あれほど執着していたように見えた権力を、家族をすべて切り捨てて、
たった一人を選んだ。利口とは言えない選択肢を選んだ。あの恐ろしく狡猾な男が。

——忍ばせたナイフすら、使い道を失ってしまった。

ヴィオラは諦めた様に小さく笑い、
内心で人でなしの女に向けて皮肉を吐いた。

 あなた、きっと死ぬ程束縛されるわよ。
 覚悟しておいた方が良いわ。

それは確信めいた予感だった。
ヴィオラは顔を上げ、涙を拭う。
ドレスローザは、もうドフラミンゴの支配を受けることはない。

「行きましょう。もう、大丈夫だから」

ヴィオラはレベッカに向けて心から微笑んだ。
恋に破れても、自由に生きることは出来るのだから。