女王陛下の戦争指南

私は予兆。

人の手によって緻密に計算されたデザイン。
オブジェ、抽象画。架空の生き物。

皆、私に投影する。
理想の王。理想の女。理想の友。
私は記憶の奥底に燻る幻を投影する器に過ぎない。

私はコレクション。

長い廊下に並べられる肖像画の一枚。
かつて役目を果たした王族。その一員になる事が私に求められている。

額縁に嵌められる事で私は完成する。

国を富ませ、敵を叩き潰し、国民を守る母となること。
私はそうして初めて、永遠に微笑む絵画の一枚になる。

私は威厳。

この国の頂点に立つ者は、黒い衣服と金の冠を被る。
公の場に出るとき、私は漆黒のドレスを身につける。それが伝統だからだ。
黒は人の本質を引き出す色。全てを支配する色だからだ。

18の頃、病に伏せる父から冠を賜った。
父の死後、国土に群がる近隣諸国を叩き伏せ、私はこの国に君臨する。
この国に格別の愛着も、守るものもありはしない。
強いて言うのなら私はこの立場を愛している。

そうでなければ、他人の血を流す、”戦争”という下品で上等な遊びに耽る事は出来まい。

私は

偉大なる航路、新世界。
芳しい黄昏続く夜の国 ”キリアンノワール”の女王である。



「敵ながらお見事ですね、ドフラミンゴ」

の賞賛を受けて、ドフラミンゴは笑った。

「フッフッフッ!今最も波に乗る国、
 キリアンノワールの女王陛下にお褒めいただけるとは・・・。
 ”勝利の女神”に見放されるのは久しぶりだろう?」

「さぁ、いかがでしょう?」

テーブルを挟んで向き合う二人の後ろには側近の姿。
ドフラミンゴの後ろにはグラディウス。
の後ろには狼のような目をした若者が控えていた。

テーブルの上にはチェスの駒が並んでいる。
ただし、その盤上の駒は異様に多く、またマス目の数も通常のチェス盤の4倍。
一列が16マスある特殊なものだった。

ポーンやクイーン、キングなどおなじみの駒の他にライオンや弓、船などがあり、
その種類は24。
テラチェスと呼ばれるこのゲームを、ドフラミンゴはに持ちかけた。

『負けた方が1つ相手の言う事を聞く』

そんな条件付けをされてもはゲームを受けた。

その気性は相変わらずらしい、
敗北したチェス盤に目を落とし、
何か長考している様子のを、ドフラミンゴは眺めた。

初めて出会った頃から幾分年月を重ねた。
互いに少しは老いたが、の頭脳は明晰なまま変わらない。
その覇気も、その凪いだ眼差しも。



数年前、世界会議にその強い影響力をもって特例として招待された
キリアンノワール王国の女王”
即位して数年、その顔にまだあどけなさを残しながら、
国土防衛の為に複数の国を下した辣腕の女王は、
漆黒のドレスを纏い、獅子の意匠のあしらわれたレガリアの杖を持って、
臆する事無く堂々とマリージョアに立った。

はくせ者揃いの王族の中でも一際異彩を放っていた。
垂れ流される覇気と、そぐわない若さと美貌、その強烈な印象に反し、
語られる言葉は驚く程真っ当で、血なまぐさい功績とは裏腹に一見穏健派に見えた。
しかし、ドフラミンゴには分かっていた。

「随分と分厚い猫を被ってやがるな」

退屈な会議を終えて、ドフラミンゴはに声をかけた。

は側近を伴って宿に戻る途中だったのだろう。
振り返りドフラミンゴを見上げる目に、取り立てた感情は見えなかった。

「・・・ドレスローザ国王、ドンキホーテ・ドフラミンゴ」

その声は冷静で、平坦だった。

「キリアンノワール女王、
 フッフッフッ! 5つの国を叩きのめした女傑が、
 お手本通りの仲良しこよしを演じようなんざ、少々無理があるんじゃねェか?」

はドフラミンゴの挑発に、ふ、と笑みを浮かべる。
に表情らしい表情が浮かんだのは、これが初めてだった。

「我々は世界会議に参加する国と、
 特別仲良くする気も、敵対する気もありませんよ、ドフラミンゴ」
「中立か。凡庸な態度だな」
「・・・何しろ我々はあと1年で3つの国を落とさなくてはならない。
 構う暇もないのです」

ドフラミンゴは思わず虚をつかれていた。

ついこの間だったはずだ。
が隣国の王の首を落としたのは。

ドフラミンゴは訝し気な表情を浮かべていたのだろう。
が静かに話す。

「おや、意外に思われましたか?
 キリアンノワールに戦争を仕掛ける国は”何故だか”後を絶ちません。
 我々のような国土が豊かとは言えない弱小国には、戦争も立派な経済策。
 心苦しいですが、必要な事なのです」

国を憂うような言葉を囁いたの口の端に浮かぶのは
柔らかな笑みだ。
それを見て、ドフラミンゴも笑みを浮かべる。

「フフッ、”趣味”の間違いだろう」
「・・・さぁ、いかがでしょう?」

浮かべた無邪気な笑みに混じる、恍惚と狂気に気がついたのは、
恐らくドフラミンゴとが同じ穴の狢だったからだ。

ドレスローザに戻り、キリアンノワールの戦争を調べ直すと、
がどれほど優れた扇動者なのかがよく知れた。

相手を挑発し、戦争を仕掛けさせる手腕。
少ない兵士で圧倒的多数を倒す巧みな戦術、知略。
容赦なく敵国から富を奪い、制圧するその有様はさながら海賊のようだった。

それからだった。
ドフラミンゴがに、取引を持ちかけるようになったのは。

2人が交わす会話、それはたわいもない雑談を装った戦争だった。
お互いの情報をいかに引き出し、弱みを握り、優位に立つかを争うのだ。
時にはトランプやボードゲームに興じた。
莫大な金、貴重な宝石、珍しい生き物、悪魔の実、武器、情報、有能な人間。
ありとあらゆるものを賭けた。
2人の王の勝率は全く同じ、一つ奪えば一つ奪われた。

”真っ当な”取引も交わした。
2国で交わされたのは銃火器、薬品、時には花や香水、嗜好品。
その貿易は恐るべき富を生み、恐るべき結果を生んだ。
いつしかドレスローザとキリアンノワールが友好国となるまでに、
が落とした国は15。
キリアンノワールは大国となったのである。



物思いに耽っていたドフラミンゴに、は首を傾げてみせた。
どうやらチェスの”おさらい”は終わったらしい。
次に勝てるかどうかはわからないな、とドフラミンゴは内心で嘆息する。
は素晴らしい勝負運の持ち主であり、戦略家だ。

「ドフラミンゴ、それで、あなたは私に何を望むのですか?」

は淡々とドフラミンゴに問いかける。

恐らく、国土を寄越せ、と言えばは気前良くドフラミンゴにそれを渡すだろう。
キリアンノワールの玉座が欲しいと言っても、
は己の被っていた王冠を簡単にドフラミンゴに被せてみせるはずだ。

そして取り戻してみせるのだろう。

それはそれで魅力的なやり取りに思えたが、
ドフラミンゴは素直にを指差した。

「お前を寄越せ、
「・・・なるほど、そう来ましたか」

はふむ、と思案してみせる。
の側近が僅かに苛立ったように目を細めたが、
従者とは打って変わってに動揺は見えない。
おそらくは、”合理的”だと納得しているのだろう。
がドフラミンゴのものになれば、国土、玉座、の持つ全てが手に入るからだ。

ドフラミンゴは笑みを深める。
打算や計算、それが全く無いとは言えないが、
を欲したのはよりシンプルな理由からだ。
しかしそれが、に通じるとは思っていない。

「構いませんが、少々問題がありますね。
 ・・・失礼ですが側近を外して頂いても?
 勿論、私の従者、スコルも退室させますので」
「、陛下」

従者が口を挟もうとした。しかし、その瞬間むせ返るような覇気が迸る。
グラディウスが息を飲み、その能力故に手袋が膨れ上がりそうになった。
ドフラミンゴはそれを手で制する。

が従者に視線を向けた。
夜の闇のような漆黒の目が冷徹に光っている。

「退室なさい。スコル」

従者は返事をする事さえ困難だったのだろう。
頷くと部屋を出て行った。

「グラディウス」
「・・・はい、若」

の従者に比べ、グラディウスは素直だった。
恐らく本来なら止めただろうとは思うが、相手が、女であることもあって、
ドフラミンゴがどうこうされるとも思わなかったのだろう。

しかし、ドフラミンゴがどうこうされかねないのがという女だ。

「わざわざ人払いをさせるとは珍しい、良かったのか?”海賊”と2人きりだ」
「・・・あなたはプライドの高いお方です。ドフラミンゴ」

は柔らかく微笑んだ。

「私と交わしたルール。規範。約束。あなたはそれに従うでしょう。
 それを破り捨ててしまった時点で、あなたは私に敗北していることになるのですもの。
 10も歳の離れた小娘に、なりふりを構っていられずに居るという証明に他ならない。
 そんな無様な真似を、あなたがするはずありません」

ドフラミンゴの唇が弧を描く。

この挑発。この牽制。
王下七武海を相手に、頭のネジが抜けているとしか思えない大胆さ。

それがどれほどドフラミンゴの背筋を震わせるのか、
どれほどの渇望を生じさせるのかをは知らないだろう。

「さて、本題に入りましょうか。
 私をご所望とのことですが、私をどのような立場でお考えているのでしょう?
 私という”王権”が欲しいのか、私という”肉体”が欲しいのか、
 あるいは私という”精神”が欲しいのか・・・」

「全てひっくるめて”お前”だろう??」

ドフラミンゴの言葉に、は一度だけ瞬きをした。

「強欲な方ですね」

は珍しく感情の乗った声を出した。
困惑と呆れの入り交じった声だった。

「フッフッフ!そりゃあそうだろうよ」

ドフラミンゴは笑い、は静かに嘆息した。

「困りましたね、王権と肉体なら差し上げることは可能ですが、
 私の精神、心は、私の理性に時折逆らいますので、
 そちらを所有するのは、あなたの手腕次第ということになりますよ」

「へぇ?珍しく随分と回りくどい言い方をする・・・」
「なら、少々砕けた物言いをいたしましょうか」

がドフラミンゴのサングラスの奥の瞳を探るように見つめる。

「私の心とやら、奪えるものなら奪ってみるがいい」

底冷えするような声色だった。
ドフラミンゴは笑みが深まってくるのを自覚する。

「これはこれは、随分とご機嫌斜めだ。分厚い猫が剥がれかけてるぜ」

「天下の王下七武海ともあろうお方が随分な取引を持ちかけたものですね。
 高々ボードゲームの勝利に”私”が値すると、本気で思っていらっしゃるの?」
「・・・ああ、それはそうだな、謝るよ」

ドフラミンゴの言葉に、は眉を軽く上げた。

「らしくなく殊勝じゃありませんか」
「フフッ、正直なだけだ」
「はぁ・・・。しかし、私が負けたのも事実です」

は静かに立ち上がるとドフラミンゴに近づいた。
座ったままのドフラミンゴを見下ろすと緩やかにその顔を寄せる。

鼻先が触れ合った。の手の平がドフラミンゴの頬に触れる。
ほお骨、輪郭、顎をなぞり、首にかかった。
首筋を通って、耳に触れる。ピアスを弄ぶように弾かれる。
扇情的な仕草と裏腹に、黒い瞳は凪いでいる。

小さくため息がかかった。
唇がかすめ、追いかけさせられる。表面の皮膚をなぞるだけ、
それがやがて深くなる。
口蓋を撫でる。舌の裏側を持ち上げる。

脳みその芯が痺れていく。

好きにさせていたのを止めて仕掛けた。
舌を押し返し細い首に手をかける。
簡単にへし折れるだろう首筋を撫で、もう片方の手で引き寄せた。
床に膝をつかせたを見下ろし、一度離れた唇にかじり付いた。
口の端を舌がなぞり、奥へと進む。
が目を閉じた。
喉に近い部分まで舌を含ませ、撫で、最後に唇を舐めてやる。

息を荒げたの手が、口の端から溢れた唾を拭った。

「・・・いかがでしょう」

の声はどこまでも平坦だ。
一度息を吐いてしまえば、色も熱も、もうそこには残っていない。

「フフフッ、フッフッフッフッ!」

ドフラミンゴは笑いだした。
は無表情で、それを眺めている。

「なるほど、フフッ、悪くはねェな」
「左様でございますか」

膝を着いたまま、ドフラミンゴを見上げるの顎を撫でる。

「あと何回、お前に勝てばこの先を味わえる?」

は緩やかに口の端を上げた。

「あなたの手腕次第ですね」

無理に暴けばに敗北することと同じ。
はドフラミンゴに理性を求める。
理性を持って、引き摺り落としてみろと言うのだ。
欲しいのなら手に入れてみろと。
戦いの果てにしか求めるものは手に入らないのだと。

ドフラミンゴは笑みを深める。

「・・・望むところだ」



は客人の居なくなった部屋、チェスボードを一人動かしていた。
のキング。
そのトドメを刺したのは通常のチェスには無い駒”ライオン”だった。
その駒をつまみ上げ、は検分するように駒を眺める。

ライオンは権威の象徴だ。
人はそれを称え、恐れ、追い求め、抑えつける。
は飼い馴らす事にしている。おそらくはドフラミンゴも。

「つくづく手強い男だこと」

今のところ、五分五分の勝負を続けているが、
いつまでこの均衡が続くのかは分からない。

キリアンノワールはによって大国となった。
国土、武力、経済を整えた。もう他国に理由を付けて戦争が出来ない程充分に。
他国との経済競争が、戦争の代わりとなるだろう。
それもそれで悪くは無いが、は物足りないでいる。

15の国王の首を切った時には心が躍った。
命がけで敵を打ちのめし、屈服させた。
弱く脆い”女”に国を蹂躙されたと知った国主の絶望の視線を一身に受け、
その首を刎ね飛ばした瞬間のオルガスムスと全能感ときたら、何にも変えがたい快楽だった。

の異常を知るのは側近達の一部と、ドフラミンゴくらいのものだろう。
ドフラミンゴは驚くべき事に、一目見ての異常を嗅ぎ取ってみせた。

ドフラミンゴはの好敵手であり最大の理解者。
最も重要な友であり、最も危険な敵でもある。

そして今、最も魅力的な獲物だ。

「それにしても」

は笑う。
自分は最後にはねじ伏せられるのだろうか、それともねじ伏せるのだろうか。
どちらでも構いはしない。
ドフラミンゴは知らないだろう。
は”勝っても負けても”良い勝負しかしない。

「”何回勝てば”?
 一度負ければ済む話でしょうに・・・可愛い人」

理想的な勝ち方にこだわっているのはではなく、ドフラミンゴのほうだ。
ドフラミンゴはから軽蔑されるのを避けたいと思う程度には、
を尊重しているのだろう。

その意図を推し量る度にの鋼鉄の仮面の下が揺らぐ。
ふつふつと、こみ上げせり上がる何かがある。
その”何か”が一体なんなのか、は分かりかねているが、
この先勝負を続ける先に、答えがあるのだろう。

なぜなら、欲しいものは戦わなければ手に入らないのだから。