Little Rose
「お前の女の泣かせ方は三流だな、」セニョール・ピンクは煙草を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。
ドンキホーテ海賊団一の女たらしの言葉に、は首を傾げる。
「泣かせ方に一流も三流もあるのかよ、セニョール」
は鼻血を乱暴に拭った。
ベビー5をこっぴどく罵り泣かせたは、
ついに見かねたドフラミンゴからいい加減にしろと説教を受け、
セニョールから折檻を受けたところだった。
セニョールはため息をつく。
「あるさ。一流の男は女を喜ばせて泣かすもんだぜ」
「喜ばせる?」
は怪訝そうな顔をする。
「優しい言葉、贈り物・・・方法は幾らでもあるが、
殴ったり詰ったりで泣かせちゃあ、男が下がる」
「・・・」
黙り込んだに、セニョールは言う。
「お前は頭も悪くない、腕っ節もその年にすりゃ及第点。人当たりもまあまあ。
・・・だがベビー5をああいう泣かせ方をするのはダメだ。
お前の将来を見込んだ若を失望させるなよ、」
「分かった。でも」
はセニョールを見上げた。
顔が傷だらけでも、その秀麗さが損なわれる事は無い。
「努力してみるけど、おれはあの子の泣き顔が一等好きなんだ。
喜ばせて泣かせた事はないから、どっちが好きかは分からないな」
「・・・、お前」
ガキの癖にサディスティックな顔をする。
これは将来は本当に”女泣かせ”になりそうだ、とセニョールは内心で嘆息した。
ベビー5も厄介な男に目を付けられたものである。
※
ベビー5はが苦手だ。
とても綺麗な顔をした、2つ年上の男の子。
は母親から酷い扱いを受けて捨てられた。
ベビー5と同じように。
だからがドンキホーテに入団すると決まって、嬉しかった。
歳も近いし、仲良くできればと思っていたのだが。
『おれはお前が嫌いだ』
『馬鹿女』
『ノータリン』
『救いようの無い阿呆』
は吐き捨てるように言う。
他のファミリーには普通に接しているのに、ベビー5にだけ辛くあたる。
「・・・私、に嫌われてるのかな?
知らないうちに、に何かしちゃったのかな?」
ベビー5がバッファローに相談すると、
バッファローはちょっと困った顔をする。
「にーん・・・ベビー5、気にすることない。
は、あー・・・天邪鬼なだけだすやん。
じゃなきゃお前を庇ったりしないだろ」
戦闘訓練も兼ねて、他の海賊と戦うときには、がベビー5を庇う事もあった。
ミラミラの実の鏡人間であるは銃相手には滅法強い。
セニョール・ピンクに師事するようになってからはより腕を上げているように見えた。
身長はベビー5とさほど変わらない。
だが大人には及ばずとも、その背中はベビー5にとって、頼りがいのある背中だった。
しかし。
「でも、お礼言っても『足手纏いは引っ込んでろ』とか、
『邪魔だ、どけ』とか言われる。・・・ぐすっ」
「て、照れ隠しだすやん!それは、マジで!」
バッファローがフォローするように言った。
タイミングが良いのか悪いのか、
包帯や絆創膏塗れのが二人の居た部屋に入ってくる。
ベビー5の肩がびくりと震えた。
の赤銅色の瞳が細められる。
「ああ、また泣いてるのか、お前。”べそかきベビー5”
そんなんで海賊が勤まるのか?」
「う、うぅ・・・」
しくしくと泣き出したベビー5を見て、バッファローがを怒鳴りつける。
「おい、!いい加減にするだすやん!
さっきまで怒られてたのにまだ懲りてないのか?
お前のせいで泣いてるんだぞ!?」
「へェ・・・?」
が首を傾げた。
完璧に整った顔が小さく笑う。
「そりゃ、いいな」
バッファローは心底理解できないものを見たようにその顔を引きつらせた。
「お、お前・・・!」
「だが、まぁ、おれも思うところがあってな。
ベビー5を虐めるのは控えようかと思う」
「え?」
「虐めてる自覚あっただすやん!?」
ベビー5はを見上げる。
バッファローは思わずと言った体で声を上げる。
はそれに呆れた様子を見せた。
「ああ、当たり前だろ。・・・なァ、ベビー5」
「な、なに??」
は口の端を上げた。目を細めている。
「しばらく優しくしてやるよ」
その声は優しく、笑い方さえ完璧だったのに、奇妙な程恐ろしかった。
ぞっとしたのはベビー5だけでなく、
バッファローも同じだったようで、「ひっ」と息を飲むような声を上げた。
「・・・な、なに企んでるだすやん。お前めちゃくちゃ怖いぞ、今の顔」
「失礼だな。バッファロー。
おれのモットーは”目には目を、歯には歯を”
優しくされりゃ優しくするし、奪われりゃ奪い返す。
お前らが何も企んでない限りは、おれは悪だくみなんかしないさ」
肩を竦めて見せるはいつも通りだった。
※
しばらくの間出来る限り、はベビー5を気遣ってやった。
ドフラミンゴやセニョールをはじめとする大人達は
「やればできるじゃねぇか」と概ねを褒めたが、
は内心でベビー5に苛立つようになっていた。
ベビー5は騙されやすく、自分の持っている物や金をすぐに誰かに差し出してしまう。
”必要”
その言葉が相手の口から出れば、どんな相手でも、どんな嘘でも信じてしまう。
ベビー5を気遣い、ベビー5を騙した相手を打ちのめし、
相手の嘘を暴けばベビー5は納得したが、説明する前、
必ずに食って掛かるのだ。
「どうして私を必要とする人達に酷い事するの!?」
「お前が騙されてたからだ、ベビー5」
はうんざりしていた。
数週間の間、がベビー5を尊重し、助け、優しくしてやると、
ベビー5はおずおずと笑顔を見せたりもした。
はその顔を、泣き顔程ではないが、悪くはないと思っていた。
しかしそれを補って余るベビー5の”悪癖”に、は我慢の限界だった。
「そもそもベビー5。今日だってなんであのリボンを渡した」
「なんでって、」
「薔薇の刺繍が入ったリボン。気に入ってたんだろう」
ベビー5は怯む。
は見ていたのだ。
いかにも高飛車な同い年くらいの子供にベビー5は絡まれていた。
二三言話したかと思いきや、ベビー5は髪に結んでいたリボンを相手の子供に差し出していた。
「・・・病気の、妹に、あげたいからって、必要だって、言うから」
「あいつらの格好見たか?どう考えたって裕福な家の子供だ。
リボンくらい自分で買えるだろう。大体、病気の妹とやらがいるかさえ怪しい、」
「私のリボンが”必要”だったの!」
ベビー5は叫ぶ。
「”必要”とされたなら、私は応えたいの・・・!」
は何か言いたそうに口を開き、やがて言葉を飲み込んだ。
優しい手つきでベビー5の目尻から零れた涙を拭う。
しかしため息を吐いたの赤銅色の瞳は苛立ちに燃えているようだった。
「・・・やっぱりおれには向かないな」
「?」
「ベビー5」
はベビー5をひどく冷たい眼差しで睨んだ。
「お前のそういうところが嫌いだよ。馬鹿女」
※
その日、は遅くまでアジトに帰ってこなかった。
泣きはらした目で一人帰って来たベビー5を見て、
セニョールが額に手を当てて、「が帰って来たら叱ってやる」とベビー5をなだめ、
ドフラミンゴが「まだ懲りないのか」と軽く呆れを滲ませていた。
「なんだなんだ。まァたに虐められたのか、ベビー5」
「ベヘヘっコラソンに殴られても泣かねェのに、お前は相手だと良く泣くんねー」
ディアマンテとトレーボルがそんな風に言ってベビー5の頭をぐりぐりと撫でる。
そう言えばそうだ、とバッファローがベビー5を見る。
実際ベビー5はが言う程泣き虫ではない。
ただ、の前でだけ、よく泣いているように見える。
今もベビー5はスカートを握りしめてぼろぼろ泣いていた。
ドアベルが小さく鳴って、話題のが戻って来た。
ジョーラに仕立ててもらった白いシャツと黒いズボンは、しかし妙に煤けて見えた。
大人達がを咎めようとする前に、はベビー5につかつかと歩み寄った。
「おい、ベビー5」
「・・・」
「ほら」
が差し出したのは薔薇の刺繍が入ったリボンだ。
少しくたびれているが、まだ綺麗だった。
それを見て、大人達も眉を上げた。
「え?」
「取り返してやった。
それからあのクソガキには、妹なんか居なかった」
「本当に?」
「ああ」
は言葉少なに頷く。
ベビー5は差し出されたリボンを抱き締めてますます涙する。
「ぐす、あ、ありがとう、」
「・・・別に」
大人達はそれを見て大体の経緯を悟ったらしい。
ドフラミンゴなどはニヤニヤしながらを意味有りげに見つめている。
突き刺さる視線を鬱陶しそうにしながらもは言葉を続ける。
「ベビー5。もし誰かがお前に贈り物をしたとして、
別の誰かに必要とされたらそれも渡すのか?」
の疑問に、ベビー5はひどくうろたえた。
「渡さない」と言い切れないと、自分で分かっているのだろう。
は腕を組んでベビー5を見下ろした。
「お前に何か贈ろうとする奴が哀れだな、ベビー5」
の言葉に、ベビー5は視線を彷徨わせる。
「そんな人、いないもん」
「へぇ?」
俯いたベビー5に、は眉を上げる。
「ならこれは要らないな?ゴミ箱に捨てよう。
・・・それも面倒だ。捨てとけよベビー5」
「え?」
がベビー5に投げて寄越したのは包装された箱だった。
ベビー5はまじまじとその箱を見つめ、に視線を合わせる。
「くれるの?」
「お前人の話聞いてたか?捨てるって言っただろ。
だが、まぁ、おれが捨てたものをお前がどうしようと勝手だ」
は呆然とするベビー5を置いて足早に部屋を出て行く。
いつの間に壁際に立っていたセニョールがを呼び止めた。
「なんだ、また折檻するのか、セニョール?」
「いいや、今日は止しといてやるよ、坊や。
・・・ちゃんと渡せたじゃねぇか、プレゼント」
「ゴミだ、あれは。用件がそれだけならもう良いだろ」
言い捨てて去っていくに、セニョールが小さく笑みを浮かべる。
今月はベビー5の誕生月だ。
セニョールは知っている。
が小遣いを溜めて、小さな薔薇の飾りのついた、ネックレスを買った事を。
「天邪鬼ってのは損だな、セニョール」
「若」
ドフラミンゴがくつくつと笑いながらセニョールに声をかける。
「あれは保険をかけてるんだぜ、
ベビー5が誰かにあのネックレスを渡しても傷つかねェようにな」
「・・・ああ。そうだな。は臆病だ」
「フフフッ、だが少しは成長してくれたようじゃねェか。
見守ってやるか、面白れェし」
しかしドフラミンゴもセニョールも知らない。
は少なくとも後10年はベビー5を泣かせ続け、
その騒動は彼らが歳を経るごとに激化し、
ドンキホーテ・ファミリーの面々は少なからず巻き込まれることになるということを。
※
ドレスローザ王宮
プールの庭
ヒステリックな声が遠くに響く。
「!どこに居やがる、あのクズ野郎!」
「・・・、お前今度はベビー5に何した?」
「心当たりが多過ぎて何とも」
”執事長”はプールサイドでくつろぐドフラミンゴの横に侍りながら肩を竦めた。
ベストとスラックス姿のは汗一つかいていない。
夏島の暑さを忘れさせるほどに涼し気だった。
ドフラミンゴは「見た目はともかく、中身は相変わらず成長してねェな」と内心でため息を吐き、
頬杖をついて成り行きを見守る。
ベビー5はよほど急いで来たらしい、いつも整えられた髪が今日は少し崩れている。
「あ!居た、!また私を必要としてくれた人を酷い目に遭わせたでしょう!
”必要ない”と言われたわ!なんてことしてくれるの!?」
「へェ?一体どこのどいつのことだ?
・・・おい、ベビー5、お前まだそのゴミとっておいてるのか」
冷淡なの声が僅かに揺らいだ。
ドフラミンゴがベビー5を見ると、その首には薔薇のネックレスが光っている。
少しくすんではいるが、大事にされているのは一目で見て取れた。
ベビー5はしまった、という顔をして慌てて襟を正す。
恐らく、今まで身につけている事をには隠していたのだろう。
今日は慌てて飛び出して来たから隠しそびれたのだ。
「ふーん?」
の顔が嗜虐的な笑みを浮かべる。
思わず背筋が震えそうな蠱惑的な笑みだった。
ベビー5がキッ、とを睨む。しかしその頬は赤く染まっていた。
「な、なによ、文句ある!?」
「別に。・・・なぁ、ベビー5。しばらく優しくしてやろうか?」
一度目を見開いたベビー5はその言葉に何を思い出したのか、やがて眉を顰めた。
「向いてないくせに!」
ガトリングに変わった脚を向けられて、は喉を鳴らして笑う。
「よくご存知で」
また始まった激しい銃撃戦にドフラミンゴは息を吐く。
天邪鬼なに問題があるのは間違いないが、
ベビー5も相手には素直になれないらしい。
いい加減どっちでも良いから素直になってくれ、と呆れる周囲も他所に、
今日もとベビー5は言葉よりも鉛玉を交わしあうのだった。