immoral blood
ローが魔女と出会ったのは、コラソンと死に別れて、そう時間の経たない頃だった。
その時ローは無一文で、なんとかオペオペの能力で魚だのを捕らえて餓えを凌いでいた。
盗む事もたまにはあったが、ローは流れ者で、身なりも薄汚い。
真っ先に疑われる。そのリスクはなるべく避けたかった。
幸いにしてミニオン島から逃れた後に行き着いた島はそれなりに栄えている秋島だったので、
寒さや暑さがローを蝕むことも無かったが、雨風を凌げ、
かつ能力を磨ける場所が必要だと感じていた。
オペオペの実の能力は扱いが難しい。
一旦自身の身体をバラバラにして、その血や臓器から珀鉛を除去する事で、
珀鉛病は進行を徐々に止めつつあった。
だが痣が引かない。つまりまだ完治していないのだ。
それは、ローの能力がまだ未熟である事を示している。
力が必要だった。生きるために。
しかし、このまま路頭に迷ったままでは、のたれ死にだ。
ローはため息を吐き、街を当ても無く彷徨う。
北の海 水パイプの煙が漂う、この島の名前は”アルギーラ”
ジプシーが寄り合い集いできたこの島は怪し気な呪いの言葉や、幾何学のタペストリー、
動物の剥製がそこかしこに溢れている。
水パイプの独特な香りに辟易しながら歩いていると、張り紙に気がついた。
「求人、”薬屋シャイターン”・・・」
店の名前と、仕事の内容、給金が書かれたペラ紙を取る。
一月程店主の使い走りをやって、10万ベリー。
今のローにとっては渡りに船だった。
※
その店は、アルギーラの外れにあった。
ドアベルがカランと涼やかな音を立てる。ローは周囲を見渡した。
シャイターンの外観はまるで小さな城のようで、中もかなり清潔で整えられている。
他の薬屋とは確かに一線を画しているのがローにはわかった。
しかしこの場合、この薬屋が特別優れているのではなく、
他の薬屋や、店の方が酷いと言う意味である。
受付に居た店主がローを一瞥した。
「おや、随分みすぼらしい身なりの子供が来たものだ」
「・・・魔女に言われたかねェよ」
シャイターンについて一応調べてみるとこの島では割と有名な店らしい。
店主のはアルギーラの中でも指折りの薬師だとか。
しかし気まぐれで、外法も躊躇なく使うは、
畏怖を込めて島民から魔女と呼ばれていた。
濃紺のフードを被ったが立ち上がり、ローを見下ろした。
フードの奥では夜空のような瞳が光っていた。
盲いているのか、その目は常人とは違う光り方をする。
はその瞳を緩やかに細めた。
「・・・お前、その身体に海の悪魔を飼っているね?
それもとびきり気まぐれで嫌な奴を」
「!?」
ローは息を飲む。
その目は見えてはいないはずなのに、
ローは能力を使ってさえいないのに、
悪魔の実の能力者だとは見抜いてみせた。
「お前、目が見えないんじゃねェのか」
「盲いているとも。だが見える。そういう術がこの世にはある」
はフードを下ろした。
店を切り盛りしているにしては若く見えた。
ローを盲いた目でじろじろと見つめている。
「面接をやろうかと思ったが、・・・、幾つになる?」
「13。次の月の6日で14になる」
「そのわりに小さいな」
「うるせェ、ほっとけ」
むっとしたローには腕を組んだ。
「安心しろ。おそらく小さいのは今だけだ」
は断定するように言った。
※
はローを雇う事にしたようだ。その日の内に仕事を言いつけられた。
夕飯の買い出し、掃除などの雑用から、薬の調合の準備、
たまに来るごろつきの相手など、ローはに散々こき使われた。
しかし、からは衣服と寝床を与えられ、食事もと同じ物を食べた。
そして店に並ぶ薬品や本を見る事を許された。
の扱う薬は多岐に渡る。漢方から、ローが慣れ親しんでいた薬剤、
はたまた眉唾ものの惚れ薬だの練金薬だのまで、
はローが望めばその説明を惜しまなかった。
図らずも、ローは医学の教師を手に入れたようだった。
は外ではオペオペの能力を使わない方が良い、とローに忠告したが、
店の中ではむしろ積極的に使え、と言う。
「能力は使いようだ。その力の使い道はお前次第。
自分で選択肢を狭めることはしないほうが良い。
力で遊び、力で働け、自ずと能力の精度も磨かれる」
どういうわけか、はローを育てることを楽しんでいるかのようだ。
オペオペの能力を必要最低限しか使わないでおこう、というローの思惑はに通用しなかった。
にどんな狙いがあるのかは知らないが、正直に言えばこの環境は都合が良い。
と言う人物がロー自身については干渉してこないという点でも。
「ロー。お前まだオペオペの悪魔を飼い馴らしきれていないね?」
大鍋で煮た、ごった煮のスープはいい加減に作られたものだがなぜか美味かった。
パンが嫌いなローは勝手に自分で米を炊き、かき込んでいる。
は独特の言い回しで悪魔の実のことを表現する。
「・・・だったら何だ」
「お前の飼う海の悪魔はへそ曲がりだ。・・・扱いが容易でないと言う意味だよ」
は吟味するように目を細めた。
「だが、往々にして海の悪魔と言うものは宿主を選ぶ。
その悪魔はお前を選んだ。いずれは使いこなせるはずだ」
「悪魔の実が・・・?そんなの聞いた事無いぞ」
「私の実感に基づいている」
ローの疑問にはこともなげに言った。
「私も能力者だ。ただ、お前のような超人系ではないから
お前が悪魔を飼い馴らす手助けは出来ないが・・・。
悪魔を飼い馴らした連中をお前、知っているのではないか?」
ローは軽く目を眇めた。
は何もかもをお見通しと言う顔をしている。
「そいつらを参考にすると良い。熟練した能力者は悪魔に心底惚れ込まれている。
そのせいか能力の幅も広い。お前にも身に覚えがあるかも知れないが、
なんとなく、自分に何が出来て出来ないのかが分かるだろう?
悪魔からインスピレーションを受けているのさ」
「・・・」
初めて自身をバラバラにした時、きっと元に戻せると分かっていた。
の言うことも一理ありそうだとローは納得する。
「・・・お前には何もかも見えてるみたいだ」
「見えるようになったんだよ」
は皿を片付けながら返事を寄越す。
ローを振り返るその目は盲目のままだというのに、
知性に光っているように見えた。
「何かを失った人間は、別の何かを得るものだ。
失った代償が大きければ大きい程に」
含みのある言葉だった。
では、はどのような能力者なのだろう。
ローは好奇心から問いかけた。
「お前の能力は、どんな」
「私は見世物じゃない」
常になくピシャリと撥ね付けられた。
思わずローが怯むと、は軽く息をついた。
「すまない。あまり気に入っていないんだ。
私の欠点が強調されるような、能力だから」
そう言い残して、は調剤部屋に戻っていった。
※
いつの間に、一月は過ぎていた。
はなぜか医学や薬の調合法をローに教え込むようになった。
から学べることは多いと、ローはシャイターンにもうしばらく残ることにした。
珀鉛病の経過も順調だ。ローの肌から徐々に白い痣が引いている。
が予見したように、ローの背丈がまるで竹のように伸びるようになった。
骨が軋む痛みで目を覚ます事も増えた。
視点も変われば今まで見えなかったことが見えてくる。
はローとは少し違う方面の医学をベースにした薬剤師であり、医者であり、呪い師だ。
腕は悪くない。外法を使うと誹りを受けているのは、
人体にメスを入れることがこの島ではタブー視されている故である。
だがローはが魔女と呼ばれる理由が他にある事に気がついた。
は安息日の夜8時に必ず、外出する。
戻るのは決まって深夜2時、帰ってくる姿を見られたくないと言うので
ローは必ず先に床に入るようにしていたが、一度だけその姿を盗み見たことがある。
その時のは疲れているようだったが、しかし奇妙な艶かしさを帯びていた。
シャイターンには無い香油の香りにローは大体のことを察していた。
察した瞬間に、複雑な感覚を覚えたことに、ローは戸惑う。
関係ないはずだ。がどこで誰に抱かれていたって。
「ロー、何を怒っている?」
「・・・別に」
は盲目の癖にローの不機嫌を察しているらしい。
頬杖をついて、ローを嗜めた。
「なにが不満?給金は約束通りに払っている。
パンが嫌いだとか言うお前のワガママにも応えているだろう?」
そうなのだ。は妙なところでローに甘い。
何か裏があるのかとも思ったが、そういうそぶりを見せないでいる。
だから情を移してしまったのだろうか。
盲目の女だからと油断しているのだろうか。
「・・・日曜」
は眉を上げる。
「ああ、外出のことか。
・・・あれはこの島の長に薬を届けているだけさ」
「・・・馬鹿にするな。おれがガキだからって何も分からないと思うのか」
ローはを睨んだ。
睨まれたは軽く頭を振った。
「なにか、誤解しているようだな。
お前の思うようなことを、私はしていないよ、ロー」
「ウソをつけ」
「・・・なぜそう頑なになるんだ、
それとも、何だ、嫉妬しているのか」
カッと頭に血が上った。だが言葉に出せば肯定することにしかなるまい。
故にローはぐっと堪えた。しかしそれもまた無言の肯定である。
は僅かに戸惑ったようにも見えたが、やがて深いため息を吐いた。
「お前、確か先月15になったんだろう。一月のハズが、一年か」
「・・・それが、なんだ」
「なら、まぁ、いいか」
は店にcloseの札を下げた。
「おいで。抱いてやろう」
「なっ・・・ふざけるなよ、誰が、!?」
の静かな眼差しの奥に、小さな火が灯っていることに気がついた瞬間、
ぐら、とローの身体が傾いた。
熱に浮かされたように、目の前が揺れている。
に緩やかに抱きとめられる。
「ロー」
その声色は蜜より甘い。
「おいで」
※
深い口づけを何度も交わした。
まるで薬学を教授するときと変わらず、丁寧に、交わり方を教え込まれた。
身体中を撫で回され、慈しまれ、抗えない快楽の奔流に押し流される。
全身から汗が吹き出る。髪が額に張り付いた。
馬鹿になったみたいだ。
まともに息が出来なくなって、肩が大きく上下した。
状況の変化に意識が追いついていない代わりに、身体だけが従順になっていくのが分かった。
の唇から鋭い犬歯が覗く。
首の付け根を噛まれた。
痛みと、それに勝る恍惚に背筋が震える。
だが、血を啜られていることに気がついて頭が冷えた。
「ぁ、やめろ、おれは・・・っ、珀鉛病だ!」
ローの言葉に、は顔を上げた。
「いいや、」
は静かに断じる。
「その病は完治している」
息を飲んだローを見て、唇を舐め、は笑った。
「お前の血に混ざりものはない。吸血鬼が言うんだ。間違いないさ」
「う、」
ローは手の平で顔を覆う。わけが分からなくなった。
安堵、疑問、恐怖、快楽。ローの胸の内をぐちゃぐちゃにしては笑って見せる。
「・・・そう泣くな。お前が自力で治したんだろうに。確信が持てなかったのか?
それにしても、この状況で私を気遣うとは」
頬を撫で、指先で耳の輪郭をくすぐられる。
ぞくぞくと、首の後ろ辺りから、電流が走っている。
「馬鹿だね、お前も」
その先はもうダメだった。
飲み込まれて吸い付かれて何度も何度も吐精した。
気が狂うかと思ったし事実狂っていたのだろう。
指を絡ませてした、血の味のする口づけが、死ぬ程良かった。
※
ローが目を覚ますと、はすでに身支度を整えているようだった。
首に鈍い痛みが走る。瘡蓋になった牙の痕に気がついて、ローは眉を顰めた。
「・・・、お前なんでおれの血を今まで吸わなかった?」
「ああ、起きたのか。その病が完治したら貰うつもりだったさ。
肌を合わせるつもりは無かったんだが、なりゆきという奴だな」
は簡単に言った。
「お前の年頃が一番美味い。ふふ、そう怯えるな。殺さないよ。
それにお前も良かったろう?」
「・・・最低だ」
「おや、まんざらでもない風に思えたけども」
「黙れ」
は拗ねるローの頭をぐりぐりと撫でる。
「だが、そうだな、お前そろそろここを出て行った方が良い」
「は?」
は言い方が良くなかったかな、と首を捻った。
「別にお前が面倒とか、肌を合わせたからもう用済みとか、
そういうわけじゃないよ。
私とあまり交わると、今度はお前が吸血鬼になるから」
「おい、ちょっと待て!」
ローはその顔を蒼白にした。
珀鉛病を患って、完治したと思ったら吸血鬼にされる。
そんな事態になったら目も当てられない。
焦るローを見て、はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「嘘だ」
「おい!!!」
吐いて良い嘘とそうでない嘘があるだろう!?とローが言い募るも、
はどこ吹く風だ。
「まあ冗談はさておき、お前の血がな」
「・・・なんだよ」
「そりゃあ美味いんだ」
あっけにとられて、口をぽかんと開けたローに、はため息を吐いた。
「このままだとね、食い殺しかねないんだよ。
惜しいがなァ、毎日でも吸いたいくらいだが、それじゃあお前死んじゃうし。
多分その治療法が影響してるんだろうな。
不純物の無い、良い血だった」
「・・・おれを食い物や飲み物みてェに言いやがって。
悪魔の実のせいか?」
は微笑む。
「これは私の質が悪い故だ」
「血液嗜好症、・・・ってわけじゃ、ねェんだよな」
ローの言葉には頷く。
「そういう病や症状があることは知っているが、多分私のは違う。
牙が伸びたのをローも見ただろう?
恐らくこの世界には、私のような化け物が他にも居るんだろう。
例えば、手長族や、足長族、人魚や魚人といった種族と同じで・・・、
人間を糧とする呪われた種族だが」
自嘲するような言い草だった。
「ふふ、そういえばお前、私の能力が気になっていたな。
見せてあげよう」
その変化は静かだった。
の手が翼に変わる。耳が大きく、広がっていく。
「動物系、バットバットの実、モデル・イエコウモリ」
はその翼を組んで、ローに向き直る。
「吸血鬼には、ぴったりの能力だろう?」
その姿は醜悪と妖艶の狭間にあった。
がその姿を疎んでいるのがなんとなく、ローには分かったが、
脅すつもりなら逆効果だった。
「綺麗だ」
ローの言葉に、は眉を顰めた。
「・・・世辞は結構だ。
もし仮に本気で言っているのなら、
お前の美的感覚はどうかしてるよ、ロー」
「どうかしてるのはお互い様だろ」
その言葉に、は苦笑した。
「なるほど、道理だ」
それから数日しない内に、ローはシャイターンを、アルギーラを後にした。
は見送らなかった。ローも振り返らなかった。
それがその時は一番利口な選択肢だった。
おかげでローは化け物に食い殺される事も無く、目的を明確にし、
一人で力を磨く方法も知ったのだから。
※
それが今から9年前の出来事だ。
まだろくに能力を使いこなせなかったローが、から学んだことは多い。
「キャプテーン、そろそろグランドラインに入るんでしょ?」
「”アルギーラ”ってジプシーの島じゃないですか。何か用でもあるんです?
あの島、呪いだの何だのが盛んで、ろくに薬も売ってないですよ」
そんな風に言う仲間達に適当に返事をして、
ローは一人その店を目指していた。
相変わらずその島では水パイプの煙がそこかしこで漂い、
胡散臭い呪いの言葉が行き交っている。
その通りを超えて、中心街の外れ、小さな城のような店に辿り着く。
ドアを開くと涼やかにドアベルが鳴った。
「いらっしゃい。・・・おや、懐かしい顔が来たものだ」
「よぉ、吸血鬼」
は笑う。見た目が9年前とそう変わらないのはその種族故なのだろうか。
「何しに来たんだ?」
「お前を攫いに」
訝し気に眉を顰めたが、次の瞬間、ローの腕の中に居た。
“ROOM”、”シャンブルズ”
シャイターンではよく使った能力の一つだ。
ローが手の平をナイフで傷つけ、の目の前に差し出すと、目の色が変わる。
「お、前・・・なんのつもりだ!?」
「おれの血が好きだったろ?・・・飲めよ」
血の流れる手を唇に押し付ける。
は何がなんだか分からないという表情ながら
欲望には勝てなかったのか、その血を口にした。
生温い体温が手の平に移る。
「なぁ、、おれは海賊になった。
お前が磨いた力を、おれは自力でさらに研いだ」
「は、そりゃ良かった、で?何故私を攫おうと?
まさか一度抱いてやったのが忘れられないとでも?」
「そうだよ」
の目が驚愕に見開かれる。
ローは目を細めた。その顔が見たかったのだ。
取り繕えなくなった、感情のままの、その顔が。
「お前はおれをナメてかかってたんだ」
子供だから、捕食される方だから、病に罹っていたから、雇っていたから。
だが、もう逆転している。
「残念だったな、。相手が悪かったよ。
おれに手を出さなけりゃ、お前は適当な奴から血を啜って
平和に生きていけただろうが、・・・おれはそれを許さない」
離れてから気がついた。
多分、忘れられない。
ならどうすれば良いのか。
自問自答して、すぐに答えは出せた。
簡単な事だった。手に入れれば良い。海賊なのだから、奪えば良いのだ。
もう、何一つ、欲しいと思ったものを諦めたりはしない。
それが手に入る距離にあるのなら。
「おれと来い。抱いてやる」
いつか聞いたセリフを、意趣返しに囁けば、は眉を顰めながらも不敵に笑った。
「・・・食い殺すぞ」
「できねェさ。お前、おれの事が好きだろう」
は唖然としていた。
愉快だった。
今度はローが教え込む番だ。
まずは海賊に目を付けられたなら、逃げる事など出来はしないと言う事を
その身体と頭に刻み込んでやる。
ローは笑いながら、かつて教わった通りに、に深く口づけた。