All in a Lifetime
「キャプテンどこ行ったんだ!?」
「船長室には居ないのか?」
「もぬけの殻!」
外が随分と騒がしい。
読んでいた本を閉じ、は紅茶で喉を湿らせる。
同室の女海賊、イッカクは昨日夜番だったせいか眠っている。
まだ温かい紅茶をポットに残し、メモを添えて部屋を出た。
「あっ、とさん!キャプテン見ませんでした?」
シャチが小走りに駆けて来ると、
ちょうど部屋を出たばかりのにローの行方を尋ねる。
は首を傾げてみせた。
「いいえ。・・・また誰にも声をかけずに出かけたのね」
「そうみたいで・・・。さん、悪いんですけど手が空いてたら
ちょっと探して来て貰えませんか?
放っといたらいつまでも戻って来ないんで!」
シャチの懇願に、は少し困った表情を浮かべる。
「構わないけど、この島には昨日着いたばかりだし、
ローの行きそうな場所に心当たりはないわよ?」
の懸念をシャチは笑い飛ばした。
「大丈夫ですよォ、さんも単独行動癖あるし、
キャプテンのことなら大体検討つくでしょ」
身に覚えが多分にあるので、は苦笑して答える。
「・・・しょうがないわね。見つけたら連れて帰ってくるわ」
「あ、何ならデートとかしてきてくれても全然おれたちはかまわない、
・・・さん!耳!耳をつねらないで!」
シャチの揶揄に、は口角を上げてシャチの耳をつねった。
その計算尽くされた微笑み方に、シャチはひ、と小さく息を飲む。
「フフ、シャチ君、まあるい耳の形をしてるのね、可愛いわ」
「・・・!? おれが悪かったんで揶揄うの勘弁してください!
こんなんキャプテンに見られたら機嫌悪くなるんで!本当!」
顔を赤くしたり青くしながら手を上げて降参だと慌てるシャチに、
は意地悪く目を細めて手を離した。
「そう? 残念。フフフフフッ」
いつも通りクスクス笑うに、シャチはほっと胸を撫で下ろす。
心臓に悪いと言わんばかりだった。
「じゃあ、出かけるけど、戻りは・・・」
「・・・お好きな時間に戻ってください。ええ。
いってらっしゃーい」
ぶんぶんと大きく手を振ったシャチに軽く手を振返し、
はその島へと足を向けた。
※
この島の規模はドレスローザとさほど変わらない。
島には東西南北の4つの港があり、足を踏み入れようとする人間から
通行税を取ることで知られている。
しかし、金さえ払えば海賊だろうが、犯罪者だろうが、島に入ることは出来るのだ。
世界政府に非加盟で、海軍の助けを得られないこの国の男達は皆兵士だ。
いくら新世界の荒波を超えて来た海賊といえども、 生半可な覚悟で彼らを敵に回すことはしないだろう。
屈強な彼らは、無口で、逞しく、強く——そして時間に几帳面だ。
そのせいか否か、職人気質でもある彼らが作った時計は素晴らしい。
この国で買った時計は、丈夫で狂わず、何十年も正確に時間を刻み続けるだろう。
今日も、明日も、明後日も。
そして何より、この国は美しい。
一年中雪化粧をした高い山、深い緑の森が、赤煉瓦の街並から望めるはずだ。
耳をすませば時計の音、空は高く澄み渡る、足元の石畳を鳴らして歩こう。
この国の名前はヘルベチカ。
グランドライン”新世界”のボールド島にある、
世界政府非加盟”ヘルベチカ共和国” 。
それが今、ハートの海賊団の停泊する国の名前だ。
東の港からすぐのロマシュの街には足を踏み入れていた。
「シャチ君にはああ言われたけど、
本当に心当たりは無いのよね。余り遠出する気はないはずだけど」
は街をなんとなく歩き出した。
島々に独特の文化があるのがグランドラインの特徴だが、
この島はどこか、北の海の島々の特徴を感じさせるように思えた。
夏と言えど冬島だからだろうか、過ごしやすい気候だ。
表通りには時計職人達の構えた店が連なる。
チクタクと幾つもの時計が鳴る様は壮観であった。
細工の美しい観賞品のようなものから、
軍人の使うようなごく実用的な腕時計まで、店頭に並んでいる。
時計の国、軍人の国と言われるだけのことはあると、は感心しながら通りを歩く。
しばらく進むと、裏路地が見えて来たのでそちらに足を向けた。
石畳の坂道は不思議と懐かしい雰囲気がする。
道なりに進むと、道がひらける。
まばらな木立が見え始め、やがて街から見えた森に近づいてきたのが分かった。
その中に朽ちた教会を見つけ、は興味を引かれて側に寄る。
立ち入り禁止のテープが地面に落ちていた。
扉は開いている。
火災かなにかがあったのだろう。
屋根は落ち、ドーム型の天井は無惨に骨組みを晒していた。
かろうじて無事だったのだろうステンドグラスが、埃の被った床に美しい光を落としている。
ベンチの残骸の先、ひび割れた祭壇の前に人影が見えた。
欠けた十字架を眺めているようだった。
薄々居るだろうという予感はあったが、正直に言えば意外だった。
「珍しいわね。あなたでも神様に祈ることがあるの?」
「・・・」
揶揄するようなの声に、ローは振り返った。
「皆心配してるわ。そろそろ戻ってはいかが?」
「さっき船を出たばかりだぞ」
ローは訝し気な顔をする。
は腕を組んだ。
「もう半日は経ってるわよ」
「何?」
「どうやらこの島、時間の感覚を狂わせるらしいわ」
は屋根から見える青空を見上げる。
島の主立った情報は頭に入れてから巡るのがの常だった。
「この島、薄いガラス質のドームに囲われていて、
一日の内、太陽がほぼ同じ位置にあるように見えるみたいよ。
夕方になると30分かけて夜になる。
雨の日くらいなんですって、正常な時間の感覚を得られるのは」
ローもと同じ様に、空を見上げた。
目を眇め、睨んでいる様にも見える。
はローが珍しく、感傷的になっているようだと思った。
それが何かを名残惜しむようなそぶりに見えたのだ。
誰かと居る時には余り見せない様子だった。
「何か思い出すことでも?」
の問いかけに、ローは浅くため息を吐いた。
「・・・この国はフレバンスに似ている」
静かな告白に、は目を瞬いた。
「おれの家の近くに、こんな教会があった。
学校を兼ねていて、神父とシスターが教鞭をとっていた」
ローは祭壇に目を向ける。
かつては人々が手を合わせて祈ったその場所も、
朽ち果て、打ち捨てられた今は昔栄えた時の名残を見せるばかりである。
「神の家ってのはどこも似ている。
グランドラインにはそれぞれの島に、それぞれの宗教や文化はあるが」
ローは吐き捨てるように言った。
「どれも人を縋らせようと見た目だけは立派だ」
は黙って欠けた十字架を見上げた。
確かに、言われて見ればローの言うとおりなのかもしれないと思っていた。
しかし、にはそもそも、神について思いを馳せる習慣がなかった。
「お前も神は信じない口だろう」
「・・・そうね。フフフフフ!」
思わずといったように笑い出したに、
ローは眉を上げた。
「何がおかしい?」
「いえ、信じるも何も、私は夢魔よ、ロー。”悪魔”だわ」
おかしそうに笑みを浮かべたに、ローは不意を突かれた様に目を丸くした。
はその顔を見て、ますます笑みを深めている。
「この教会がまだ生きていたなら、
私はたちまち聖水を浴びせかけられ、十字架を押し付けられ、
焼きごてを当てられるでしょうね。あるいは杭でも刺されるかしら」
「致命傷になりうるのは、焼きごてと杭だけでしょうけど」と軽口を叩いたは、
灰色の瞳を柔らかく細めていた。
「——あなた、本当に私を人間だと思っているのね」
ローはの言い草に眉を顰める。
「・・・まだ自分を化け物扱いするのか」
は首を横に振ってみせた。
「いいえ、ただ、やっぱりまともな人間扱いされるのは、
私にとって嬉しいことだわ」
ローは帽子を被り直した。
靴を鳴らしてに近づく。
「行くぞ」
「あら、もう良いの?」
「お前のおかげで、イラついてるのが馬鹿らしくなった」
はローがいつの間に落ち着いているので首を傾げた。
何か機嫌を上向かせるようなことを言ったつもりもなかったのだが。
その上半ば有無を言わせず手を取られている。
「」
「何?」
「今日誕生日だろう」
そのまま歩き出したローに、は眉を上げた。
「覚えていたの?」
ローは胡乱気な眼差しをに投げかけた。
視線は雄弁に語る。
『お前はおれを何だと思っているんだ』
しかしそれを口に出すことは無かった。
代わりに出て来たのは、一人を迎えに寄越したシャチらについてだ。
「どうせあいつらがお前を一人で寄越したのも、宴会の準備でばたばたするからだ」
「・・・それ、私が聞いて良かったのかしら」
呆れた笑みを浮かべるに、ローは鼻を鳴らした。
「毎年のことだからお前も勘づいてるだろうが、今更何言ってやがる」
「・・・様式美というものがあるでしょう」
木立を抜け、赤煉瓦の街並を歩く最中も、ローとの手は結ばれたままだった。
「——時間の感覚がおかしくなるのはこれのせいじゃねェのか」
それぞれが別の時間をさす沢山の時計を指差して、ローはぽつりと呟く。
は小さく苦笑した。皮肉な物言いは治らない。
「まあ、そう言わずに」
宥める様に言うを他所に、ローは何かに目を留めたようだった。
「ここで待ってろ」
頷くと、ローはフラッとある時計店に入った。
そう時間も経たないうちに、店から出て来る。
「何も買わなかったの?」
「いや」
ローはそれ以上何も言わず、そのまままっすぐに船へと向かった。
戻る途中で夕焼けが始まったのを見て、
はローを探しに出てから思いの外、時間が経っていることに
そのときやっと気がついたのだった。
※
ハートの海賊団も、なんだかんだと騒がしいのが好きなのだろう。
海賊らしく大笑いしながら肩を組んで歌い出したのを見て、
はそっと甲板へ抜け出した。
主役だからと浴びる様に飲まされたので、少々酔いを醒まそうと思ったのだ。
誰も咎めず、また、が抜けたことにも気づかなかったようなので、
は少し安堵する。
夜風に当たり、濃紺の海を眺めていた。
星々と月が明るく、夜とは言えさほど暗くは無い。
甲板への扉がまた開いた。
振り返ると琥珀色の瞳と目が合う。
「酔い覚ましか」
「そんなところよ、あなたも?」
「ああ」
半ばうんざりと息を吐いたローに、は首を傾げた。
「宴会はそこまで嫌いな方じゃないでしょうに」
麦わらの一味と行動を共にしていたときはより騒がしく、
またその時はその時でローもゾロやルフィやチョッパーらに絡まれたりして、
時々は笑うこともあったようには思う。
「・・・さすがにこの時間になるとうるせぇ」
宴会が始まってからもう2、3時間は経っている。
それなりに船員達はできあがっていた。
「フフ、一応主役の私がここに居る時点で咎める立場じゃないけどね」
肩をすくめるを一瞥して、ローがふと、眼差しを緩めた様に見えた。
「、」
「!」
空中で月明かりを受けて金色に光る何かを投げ渡された。
咄嗟に受け取り、は目を瞬かせる。
「投げて寄越すこと無いでしょう。何?・・・懐中時計?」
蓋のついた懐中時計だ。
白衣のポケットに忍ばせるにはちょうど良いサイズだった。
「やる」
はしばし沈黙した。
静かに驚いていたのだ。
ローはその反応に眉を顰めている。
「・・・なんだよ」
「いえ、くれるものとは思わなくて」
その言い草に、ローは頬を引きつらせた。
ついに先ほどは喉元で堪えた言葉を、に投げかける。
「・・・前々から思っていたが、お前、おれを何だと思ってるんだ」
剣呑な声色に、は気づいていないようだった。
月明かりに光る時計の蓋を撫でている。
「――ありがとう」
穏やかに笑ったに、ローは何も言わず腕を組んだ。
は懐中時計の蓋を開ける。歯車の透ける懐中時計は、美しかった。
蓋の裏に、文字が刻まれていることに気づいて、月明かりに時計をかざした。
思わず息を止めていた。
刻まれていたのは海賊らしい命令だった。
ローは黙り込んだまま、の言葉を待っている。
はなんとか、絞り出す様に言葉を紡ぐ。
「・・・誕生日の人間に、ものを強請るのはどうなの?」
「さァな」
それは、いつもの軽口のやりとりの延長のようだった。
「気障ったらしいわ、らしくない」
「うるせェ」
ローは自覚があるのか、から目を逸らしてみせる。
できるだけ、自然体を装って、は素直な感想を述べることにした。
「・・・『お前の一生の時間を寄越せ』って、プロポーズみたいね」
「そうだって言ったらどうする」
その答えだけは常のやりとりとは違っている。
は額に掌を当てた。
今のローはあまりに、にとっては厄介なことに、直球だった。
「そもそも、ダメって言ったら言うこと聞くの?」
は逃げた。
行き止まりまで追いつめられていることを承知で、足掻いてみせた。
ローの唇が意地の悪い笑みを浮かべたのが月明かりに良くわかる。
「聞くと思うか」
いつかのドレスローザでのやりとりを思い出したのは、きっとだけではなかっただろう。
あの時は魔眼を使ってローから逃げた。
は目を閉じる。やがてゆっくりと目蓋を開けた。
今度は逃げなかった。
「思わない」
はローに歩み寄る。
灰色の瞳が人間離れした光り方をすることはなく、
白い指が、ローの頬を撫でた。
ガラス細工に触れようとするような、そんな手つきだった。
「あなたって、ほんとに、ばかね」
ローはされるがままだった。
随分前に、殺されても構わないのだと気づいてからは、
生き死にに関わること以外は、出来る限り寛容であろうと決めていた。
自分も許されたいからだ。
「ばかで結構だ」
小さく笑ったローに、は硬く目を瞑り、ローの肩に顔を埋めた。
睫毛の上に、朝露のような涙が滲んでいる。
はその日、遂に負けを認めてみせたのだった。
グランドライン”新世界”
ヘルベチカ共和国
この国で買った時計は、丈夫で狂わず、何十年も正確に、時間を刻み続けるだろう。
今日も、明日も、明後日も。