All in a Lifetime


とある島のバー、
それなりに賑わう最中で、一人の男が意を決したように唾を飲み込み、
カウンター席の隣に腰掛けた白い髪の女に問いかけた。

「あんたらどういう関係になってるんですか、今」

ハートの海賊団最古参の一人でもあるペンギンは
かなり度数の高い酒を4、5杯飲み干して
ようやっと本題に入ることにしたらしい。

先日ペンギンが『話があります。できれば2人で』と言った時には少々驚きもしたが、
その”話”というのはこれか、とは薄く笑みを浮かべた。
思春期の少年のような話題である。

「・・・知りたい?」

夢魔の牽制を滲ませた甘い声色にペンギンはたちまち怯んだ。
はグラスのマドラーを意味もなくかき混ぜる。
少々大人気なかったと思い直したのだ。

「この手のお節介をローは気に入らないと思うんだけど」

ローは基本的に干渉を嫌う男であるとは認識していた。
それを付き合いの長いペンギンが知らないわけでもないだろう。
現にペンギンはバツが悪そうに視線を彷徨わせている。

「わかってますよぉ・・・でも」
「でも?」

「おれはローに、幸せになってもらいてぇ・・・」

ついに机に突っ伏して言うペンギンに、は店員を呼んで水を用意する。

「飲み過ぎよ、ペンギン君」
「なんで元がつくとはいえ恩人の婚約者に惚れるんだあいつは、」

「・・・私が聞きたいわよ、そんなの」

の隠していた事については、ローが話すべき人間とそうでない人間とを分けて
話しているらしいが、ペンギンはどうやら前者だったようだ。

が呆れを隠さずに呟くと、ペンギンはを指差した。
帽子の陰に隠れた目は随分と据わっている。

「いや、原因わかってる。あんたが黙ってたのが悪い」

は切り込まれて口を噤んだ。

「あんた凄え尽くしてたもん。死にに行くような覚悟のあいつをしっかり支えてさぁ、
 クルーみんなに気ィ配って、身ィ挺して、馬鹿じゃねェのか、あんなん誰でも惚れるわ」

「それはどうも」
「褒めてねぇよ、ちくしょう」

肩を竦めたをひと睨みすると、
ペンギンはグラスを店員から奪うように受け取った。
水を一気に飲み干して、再びテーブルに突っ伏してしまう。

「責任取ってくださいよ。
 ちゃんと幸せにしてやってくれよ・・・頼むから」

は黙り込んで、ペンギンの言葉を聞いていた。

「あいつクソ真面目で重いから引け目に思ってるんだよ、この後に及んでよぉ・・・」
「ペンギン君、あなたちょっと面白いこと言ってるわよ」

が肩を叩くと、ペンギンはガバッと顔を上げてに管を巻き始めた。

「何が面白いんすか!?
 どーせ、また一人でぐだぐだ考えてんだよ、あいつは!!!
 さんも生殺しは酷だよ!鬼!悪魔!人でなし!」

「いや、私は本当に夢魔なんだけど・・・ペンギン君?」

言いたいことを言って満足したのか、ペンギンは机に盛大に頭をぶつけると寝息を立て始めた。
はどうしたものかと腕を組み、とりあえずでんでん虫でポーラータングに連絡を入れる。

しばらく待つと、シャチが入り口でキョロキョロと辺りを見渡しているのが見えた。
はそれにヒラヒラと手を振る。

シャチは早足に近づいてくると、
テーブルに突っ伏したままのペンギンの頰をペチペチ叩いた。

「うっわ、マジで潰れてるよ、ペンギン。
 こいつ結構強いはずなんですけどね・・・」

シャチがペンギンと肩を組んでなんとか立ち上がらせてから、船に戻ろうと帰路についた。
船まではそう遠くはなかったのがせめてもの救いだった。

「こりゃ明日使いもんになるかどうかわからねェな。潰したんですか?」

は人聞きが悪い、と横目でシャチを睨んだが、
あながち間違いでもないと思い直し、肩を竦めて見せた。

「・・・いいえ、勝手に潰れた、の方が正しいわね。でも、」

は苦笑していた。
珍しい表情だとシャチは軽く目を瞬く。

「彼が潰れたのは私のせいでしょうね。申し訳ないことをしたわ」

は小さく息を吐いた。
さて、ここまで釘を刺されては、思うところがないわけでもない。

今のとローの関係性に名前をつけるのは難しい。

は未だにローから逃げ続けているし、
ローはローで追いかけているものの、決定的には踏み込んでこない。

しかしはローが好きかと言われれば頷ける。
愛しているかと言う問いにも肯定できる。

しかし及び腰なのは、長年復讐に身を浸していたと言う事実を、
未だに後ろめたく思っているからだ。

死んだロシナンテに操立ている訳でもないが、
理性がこれは正しいのかどうかと警鐘を鳴らしている。
もっと相応しい誰かが居るのではないかと思っていた。

その上迷いがあるのはローも同じではあるらしい。
を見る目に懇願と苦渋の混じる時がある。

2週間に一度の夢魔の食事の間隔は短くなった。
短くなったのは間隔だけだ。

いい加減にしろと、念を押されたような気がしていた。

「そろそろ腹でもくくるべきなのかしらねぇ」



夢魔の食事は大体が船長室で行われた。
引きずり込まれるか引きずりこむかの違いはあるが、
食事の内容はさほど変わらない。

フラストレーションをぶつけるような口付けに始まり、
がある程度のところで食事を打ち切り、
ローが退室を促して、がそれに従う。

今日もそうだった。

「用が済んだら出て行け」

ローは気怠そうにソファの背もたれに体を預け、
今ではお決まりになってしまったフレーズを口にする。

しかしは出て行く気にはなれなかった。

それは先日ペンギンに釘を刺されたせいかもしれないが、
あるいは、夢魔としての本能がそうさせたのかもしれなかった。

ローは瞼を手のひらで覆い、息を整えている。

「あなた、いつもどうしてるの?」
「なんの話だ?」

ローは怪訝そうに眉を寄せてを見た。
は出て行くどころか、ローに歩み寄ると、そっとひざまずいた。

「私を思って、自分を慰めたりするの?」

ローは「何が何だかわからない」と言う顔をした。
しかし意味を飲み込んだ瞬間のわずかな狼狽を見て取って、は目を細める。

「へぇ、・・・するんだ?」
「だったらどうだって言うんだよ」

苛立ったように目を眇めたローの膝に、が触れる。

「手伝ってあげましょうか」
「は?・・・お、い?!」

制止の言葉は意味を為さなかった。
灰色の瞳が薄く青い光を帯びている。
ソファの上でローを仰向けに引き倒し、はその上に跨った。

の着ていた白いシャツのボタンが一つ、二つ、外れていく。
唖然と流されていたローはの腕を掴んだ。

「何を考えてるんだ、お前は!」
「・・・考えるからどこにも行けなくなるんだわ」

怒りを露わにするローへ、は呟く。

「いつまでも、逃げられないことはわかっていたし、
 私は望んでここにいるのよ」

ローの表情から険しさが取れた。

「どういう意味か聞いてもいいか?」
「・・・察してちょうだい」

決まり悪そうに目を逸らしたに、
ローはしばしの沈黙の後、喉を鳴らすように笑った。
思わずと言ったそぶりだった。
は眉を上げて不服そうな表情を浮かべ、投げやりに問いかける。

「まだ出て行って欲しいならそうするけど?」
「そうだな・・・、もう少し、付き合え」

の腕を掴んでいた手が、離れて行った。
纏っていたシャツと、スカートを脱ぎ捨てると
ローのシャツを捲り上げる。

上半身に広がる刺青を手のひらで辿った。
ハートの意匠のトライバルタトゥー、
刻まれた信念の象徴を愛でるのを、指から唇に、唇から舌へと変える。

刺青の中心に口付けると腕を強く引かれた。
バランスを崩して倒れこんだ体が反転する。

逆光の中に見えた琥珀色の瞳は細められ、常よりも暗い色に見えた。
苛立ちと興奮、それから。

感情を読み取ろうと伺ったの首筋に、
ローの鼻先が触れたかと思うと、耳の輪郭に歯を立てられた。

「考えるな」

一瞬走った痛みと共に、声が鼓膜を震わせた。
震えたのはそこだけではなかった。

殆ど声を出せないまま、吐息だけで肯定する。

黒く短い髪に指を差し入れ、撫でるのにも構わずに、
ローはの鎖骨を甘く噛んだ。

の喉が、軽い痛みに上下する。
しかし感じていたのは痛みだけではない。

快感とともに、欲望が膨れ上がっていく。

もっと溺れてしまえばいい。
飲み干してやりたい、食い散らかしてやりたい。
澄ました顔をぐちゃぐちゃにして、
前後不覚に陥るまで、皮膚を通して会話をしたい。

吐息で小さく笑ったに、ローは訝しんで顔を上げた。
視線が一度絡まる。夢魔の瞳は、今は灰色のままだ。

「愛してる」

息を飲んだ音が聞こえた。
はローの顎を掬い上げ、唇を奪う。



ローは嵐のような官能の中で、途方も無い夢魔の恐ろしさを味わっていた。

マリファナ、コカイン、覚せい剤、麻薬と呼ばれるそれらに匹敵するような、
頭を直接掻き回されるような激しい快楽と興奮が全身を伝っていく。
互いに互いを貪っていても、頭の片隅にはほんの僅か、冷静さが残っている。

その正常な意識をの目が、指が、舌が、肌が、根こそぎ毟り取ろうと動くのだ。
しかし、耳に吹き込まれる愛を囁く言葉が、それ以上に肌に沁みていく。

奪われ、与えられるのを繰り返される。
どんな愛撫より情熱的で、どんな拷問よりも苦痛を伴い、
永遠にこの時間が続けばいいとも思いながら、早く終われとも思っていた。
自分が自分で無くなりそうなのに、紛れもなくそれが自分自身だとまざまざと見せつけられる。

その有様を見てかどうかは知らないが、は薄く笑っていた。
肌は赤らみ、汗で白い髪が額に張り付いている。
瞳の中は透明に澄んでいた。
僅かな灯りを反射して煌めく様は宝石のようで、
ローは背筋を寒気とも恍惚ともつかないものが這い上がるのを感じていた。

が悪魔だと言うのは、間違いでは無い。
しかし、が人間だと言うのも、真実なのだ。

「愛してる」

そうでなくては、その言葉が打ち震えるほどに柔らかく響くわけがない。
恐怖さえ感じる快楽の感触が、涙さえ流させるほどの幸福に変わるわけがない。

指を絡め、何度目かわからない口づけを交わす。
受け入れる体を抱きしめて、奥歯を噛み締めた。

まともでいられなくなっていくのが自覚できた頃には空が白んでいた。



浅く、断続的に息をする。
脱力したローの体を受け止め、は体の隅々まで満ち足りた充足感を味わいながら、
徐々に思考が平生に戻っていくのを感じていた。
一滴残らず放たれたものを飲み干して、際限のない夢魔の空腹に区切りをつけた。
にもかかわらず、ローの手のひらが左足の傷跡を撫でる。

「っ、あ・・・!」

驚くほど鋭敏に快楽を拾う体は、また勝手に導火線に火をつけようとし始めた。
しかしは首を横に振った。止め時だと理性が叫んでいる。

「は、・・・ロー、こっちを見なさい」

手のひらがの腹を撫でて、下へ、下へと滑り落ちる。
は一度目を眇め、自身の指を噛んだ後、
ローの顔を掴み、無理やり視線を合わせた。

「私を見て」

青白い光を帯びた目が、ローの視線と絡まった。
ローの浸っていた忘我の快楽と獣じみた衝動が徐々に収まっていくのが、にもわかる。

ローは現実に引き戻されると自身がかなり消耗していることに気がついたらしく。
先ほどまで軋ませていた寝台にゆっくりとその身体を預ける。
目を閉じ、息を整えようと深く息を吸い込んでいた。

それを見ては汗で張り付いたローの髪を払ってやる。

「生きてる?」
「・・・ご覧の通りだ」

驚いたことに声まで掠れていた。
どうもやり過ぎたらしいことは、自身の体調からも、ローの消耗からもよくわかる。

「それは良かった」

それでもは安堵の息を吐く。

加減を覚えていた。まだ人間として生きていられる。
絶対に殺したくない相手とでなければ褥を共にしてはいけないと、
は改めて認識していた。



ローが思索に耽るを呼ぶ。

「何?」
「こっちに来い」

は首を傾げつつ、そう遠くない距離を詰めた。
ローの腕がの背に回る。

「・・・一言言わせて、これ以上は死ぬわよ、あなた」

は忠告するが、余計な世話だと言わんばかりにローは鼻を鳴らした。

「分かってるよ。おれは医者だぞ。
 ・・・テメェ、ギリッギリまで食い散らかしやがって」
「ははは」

剣呑な声色には小さく笑う。
ローは深いため息を吐くと、の頭に顎を乗せた。

「・・・寝る」
「ええ、どうぞ」
「気は済んだか?」

ローの静かな問いかけに、は目を瞑り、額をローの首筋に埋めた。

「フフ! どうかしら?」
「あァ?」

この後に及んで軽口を叩くに、ローはイラついた声を上げる。
は喉を鳴らすように笑い、続けて言った。

「もう何度か確かめないことには、なんとも」

しばらくの沈黙の後、頭上から聞こえてきた「回りくどい」と言う感想に、
はついに声をあげて笑う。

 素直になれないのは今更直しようもないから許してほしい。
 伝えるべきことは、伝えられるようになったのだから。