Smoke, Mirror, Smile
は日常的にはタバコを吸わない。執事長として、そして殺し屋としての職務のためだ。
香りは個性だ。その上後を引く。
の職務に、個性や印象は必要ない。
だからこそ身に付けるものにはこだわった。
執事長として振る舞う際にはドフラミンゴの”添え物”として機能するように、
誰が口を出したわけでもないのに制服を着用した。
その方が添え物としての見栄えが良くなったからだ。
主人の上等な”懐刀”として、ドフラミンゴの歩くスケジュール帳として、
あるいは文字通り、扱いやすい便利なナイフのように振る舞う。
そして殺し屋として行動するとき、からはあらゆる人間性が消え失せる。
必死に覚えたマナーも、他人に不快感を与えない言葉遣いや態度も、何もかもが。
だが、それでもの左胸には、
滅多に中身の減らないシガレットケースと、ライターが常に入っている。
仕事の作法
とあるホテルの一室。扉の前に立ち、
は深呼吸して、仕事に取り掛かった。
まずはノックを3回。
出てきたターゲットの男の顔に先制して拳を叩き込む。
男が緩めたネクタイを首にかけていたのが運の尽きだ。
は男にチーフを丸めて咥えさせると
手早くネクタイの先端を掴み、男を床に引き倒して引きずった。
途中、ベットサイドの目覚まし時計に目を留める。
その横にレコードプレーヤーがあったので、針を回るレコードに落とした。
「へぇ、”My Funny Valentine”か。いい趣味だな」
サックスとピアノが洒落た旋律を奏で出すが、誰もその旋律を気にしない。
目覚まし時計を手にとって、浴室へと向かう。
しかし、男が何か喚こうとしている上に抵抗して腕を散々に振り回すので
は男の肩を踏みつけて腕の骨を外すことにした。
鈍い音がジャズミュージックに紛れて響く。
一拍の間を置いて、布に遮られた絶叫。
間も無くは男の顔を蹴り上げた。
「うるせェんだよ」
真冬の海よりも冷たい声色に、男は浅く息を吐き、喚くのをやめる。
は浴室に足を踏み入れると栓を限界まで緩めてバスタブに湯を張り始めた。
男の口に突っ込んでいたチーフを外すと、はネクタイを引っ張り上げて男を立ち上がらせる。
洗面台に取り付けられた鏡が、血まみれの男の顔と、マネキンのような男を映し出す。
は男のネクタイを後ろから締めてやった。
男は肩で息をしていた。きっとこの状況から抜け出す術を必死に探しているはずだ。
は目を細めてみせる。
「こんばんは、ミスター。
申し遅れたがおれはドンキホーテ・ファミリーの”執事長”だ」
名乗りを上げたに何を思ったのか、男の目に恐怖の色がよぎる。
「ミスター? このネクタイが結び終わるまででいい。
ちょっとした愚痴を聞いてくれないかな。
どうも最近おかしなことばかりが続くんだよ。
取引先にふっかけられることが増えた。
調べたらウチが単独で扱う薬品や弾丸の原価が漏れたのが原因だったりする・・・、
重要な情報がすっぱ抜かれてるらしい。不思議だろ?」
「あ、ぁ・・・」
男は呻いた。は殴られた鼻から血を流す男の首元に、
完璧なウィンザーノットを作り、満足げな笑みを見せる。
「ところで、ここがビジネスシーンなら名刺交換でもするのがセオリーなんだろうな?
何しろあんたらはれっきとした会社員だ。”バロックワークス”。
待遇がしっかりしたいい会社だと聞いている。・・・仕事内容を除けばな」
は笑みを浮かべたまま男の頭を躊躇なく鏡に叩きつけた。
銀色の破片があたりに散らばる。
男が呻きながら暴れているが、細身のはずのはビクともしない。
「どこからウチの情報を聞き出した? ええ?
どこの馬鹿だ、適当な仕事をして許されると思ってる奴は」
水音と、遠くからは叙情的なピアノの音が鳴り続けていたがその間も沈黙が続く。
とうとう浴槽から水が溢れ出した。こぼれた水が渦を巻いて排水溝に吸い込まれていく。
「言うわけ、ねェだろ」
「そうか。なら仕方ない」
は御誂え向きに男の長めの栗毛を掴んだまま、水の溜まった湯船へと男の頭を突っ込んだ。
血が水に溶けて薄汚い色に変わる。
用意した目覚まし時計できっかり1分45秒を数えると、男の頭を引っ張りあげる。
男がむせ返ること30秒、もう一度湯船に頭を沈めた。また同じ時間を時計が刻む。
にとってはただの単純作業だった。
何度か繰り返すと男はブレイクタイムの30秒間、小鳥がさえずるように喋り出す。
恫喝、恫喝、懇願、情報、謝罪、情報、懇願、情報、謝罪、懇願、懇願、謝罪、懇願・・・。
1時間も経たずに、男は全てをぶちまけていた。
はそれを頭で反芻し、覚える。
覚えた後はもう時計を見る必要がない。
たった2分で人は溺れ死ぬのだ。
※
は身なりをあらかた整えてクローゼットに備え付きの全身鏡の中へ入った。
なんだかひどく喉が渇いていた。
水よりもウィスキーが欲しい、あるいはウォッカ、いや違う。
は嘆息した。
もっと苦いやつだ。それから煙の香り、滑る感触、生ぬるい体温。
・・・ああ、あの苦味が恋しい。
尊敬と諦観
ドフラミンゴは報告書に目を通し、ブランデーを煽るとの仕事を褒めた。
「相変わらず見事な手際だ。どんな手を使った?」
何しろ涼しい顔をしてドフラミンゴの前に立つ執事長は通常業務を滞りなくこなしながらも、
指令を出して3日で全ての始末をつけてきた。
”バロックワークス”のスパイ、情報を流した男を処理し、
そうかと思えば”バロックワークス”の動向さえも掴んでいたのだ。
「鏡はおれの目で耳で足です。地道に身体を使いましたよ。
・・・奴ら武器を集めてますね。それも尋常じゃない量を。
いくつかの島を仲介させてますが、武器の行く末はいずれもグランドライン前半。
ジャヤ、ルネス、シャドウィープ、ラクシャ、・・・」
海図を広げ、は武器の行き着く先に印をつける。
海図を覗き込んだドフラミンゴは口の端を愉快そうにつり上げた。
「なるほど、なるほど・・・面白れェ! フッフッフッフ!!!」
サンディアイランド”アラバスタ王国”の近く、
比較的治安の悪い島だけに武器が行き着いている。
まるで取り囲むようだ。
ドフラミンゴは機嫌が上向いたのか、に手ずからブランデーを注いでやる。
「フフフフフッ! お手柄だな。・・・!
アラバスタ王国周辺にこれだけ武器が集まってるってこたァ、
十中八九ワニ野郎が絡んでやがる!」
はブランデーを舐めるように口にしながら、海図をペンで軽く叩く。
「どうも。 ”彼”の差し金なら”ジョーカー”の取引に首を突っ込んでくる理由も
なんとなく察しがつきますしね」
「ほう? まァ、おれも検討はつくんだがな。なんだと思う?」
「嫌がらせでしょう」
「フッフッフッフッフッフ!!! 」
ドフラミンゴは腹を抱えて笑っている。
主人と裏腹に執事長はあくまで冷静だ。
ドフラミンゴは顎を撫でる。
「フフフッ、お前は情報屋でも食ってけるだろうなァ」
「まさか」
は心外だ、というポーズとして片目を瞑った。
「できないこともないでしょうが、おれは”ドンキホーテ・ファミリーの”ですよ船長。
”執事長”だ。まァ、多少他の執事とは異なる業務もこなしてますが、
この仕事をおれは気に入っていますから」
「へぇ?」
「あなたの仕事はおれの目から見ても愉快でね」
ドフラミンゴは眉を上げた。
主人の気分を良くする言葉をは呆れるほど知っていたし言い慣れていたが、
この言葉はおそらくの本心である。
酒のせいか、いつもの敬語が抜けている。
「頭の使い方を知らず力だけを持て余した馬鹿どもをうまく操って利益を生み出す。
実に痛快だ。惚れ惚れするよ」
「フフッどうした? ご機嫌取りとはらしくもない。小金でも入り用なのか?
それとも何か強請るつもりか?」
「いいえ。ただの本心です」
嘘くさい笑みを湛えては主人の部屋を去った。
※
「”ドンキホーテ・ファミリーの”、か」
鏡の国では煙草に火をつけた。
ドレスローザの鏡の裏側、だけが出入りできるその国は、
にとっては気のおけない場所だった。
だから持ち込んだテーブルに、行儀悪く足をかけることも許される。
は煙草の煙が立ち上っていくのを眺めて、呟く。
「もう少しビジネスライクな方が、お互いのためだったと思うぜ。船長」
は自分がドフラミンゴの”懐刀”と言われる所以を、
おそらくはドフラミンゴよりも理解していた。
は人の顔色を伺い、
相手が何を望んでいるのかを知ることができなければ
生死に関わる環境で生まれ落ちた。
そしてその場所からドフラミンゴによって救い上げられた後は、
他のドンキホーテ・ファミリー同様に、ドフラミンゴを慕い、彼の役に立つべきだと思った。
が、は捻くれていた。
例えばグラディウスのように、
ドフラミンゴに心酔し、命を賭して仕える人間が同じファミリーに2人いるよりも、
は””としてドフラミンゴの役に立つべきだ。
他のファミリーとは違うスタンスで、ドフラミンゴと接した方が利口だろう。
そう考えたのである。
故に幼少のの目標は”ドフラミンゴ”と同等の知識を得ることだった。
ドフラミンゴが何を考えているのか、何を好きで、何が嫌いなのか、何を目的としているのか。
それを自己解釈し、まるで暴くようにドフラミンゴの思考を咀嚼する。
人とは違った視点からドフラミンゴに仕える為に。
だが、それはもしかすると、唯々諾々と従う”道具”に成り下がりたくはないという、
の無意識の抵抗だったのかもしれない。
そして、めでたくはドフラミンゴのある種の価値観に行き着いた。
選民思想、差別意識、破壊願望。
それが何をルーツにしているのかはにとってはどうでもいいことだ。
ドフラミンゴがそばに置き、厚遇する人間の種類を思えば、大体の想像はつく。
どうせ過去にロクでもない目にあったのだろう。このご時世では珍しい話ではない。
問題だったのは、ドフラミンゴにとっての”ファミリー”が代替可能なものであったということ。
また一見血筋よりも信頼関係や絆のような繋がりを重んじているように見せかけていたが、
実のところ生まれとか身分とかに人間の価値というものがあると、ドフラミンゴは信じているように見えた。
育った環境にこそ人間の真価があるとドフラミンゴは豪語するが、
その環境というのは大抵自分ではどうにもならないものである。
恵まれた環境に生まれて海賊をやっている人間、例えばハイエナのベラミーを
ドフラミンゴが冷遇するのは、何不自由なく育った人間が大抵無知で鈍感だからだろう。
だがドフラミンゴが這い上がらんともがく卑しい身分の人間を見下していないかといえば、そうでもない。
ドンキホーテ・ロシナンテに対する態度がそれを示していた。
血の繋がった弟を、ドフラミンゴは格別に大切にした。
それも、にとってはどうでもいいことだった。
”ファミリー”の中に好き嫌いのグラデーションがあるのは自然なことだし、
差別意識は人間の誰しもに備わっている。いちいち目くじらを立てるほどのことでもない。
別にはドフラミンゴの”一番”になりたいわけではなかった。
だが、そのロシナンテですらドフラミンゴは目的のために殺すことができた。
血の繋がった弟を、ドフラミンゴはあっけなく殺した。”血の掟”に則って。
それを目の当たりにした時、は諦観を覚えた。
つまり、ドフラミンゴにとって”ファミリー”とは、
目的のためなら失っても構わない駒のようなものなのである。
さて、そんなドフラミンゴにとってのとは何か。
は考えた。
他人に身を売って生きてきた薄汚い子供が成長した””は、
ドフラミンゴにとって何者になれるのかを。
そして結論を出した。
せいぜいが”懐刀”だ。
はドフラミンゴの心臓にも頭脳にも右腕にもなれない。
”操られるだけのゴミ”よりは随分と格上げされているが、それだけである。
そのことには傷つきはしなかったが、勝手なことに落胆はした。
多くの人間と大差ない思考だったからだ。
「船長。おれはアンタを心から敬愛し、気まぐれでもおれを救ったことを恩義に思っている。
名前を、衣食住を、知恵を、力を与えてくれたことを本当に感謝している。
だが、アンタはおれの神様じゃない」
くゆる煙草の煙を視線だけで追いかけ、は一人皮肉に笑った。
「心臓は一つしかない。二つは捧げられないんだ。悪く思わないでくれ。
これは優先順位の問題だから」
の心臓は、泣き虫の女の子が持って行ってしまった。
ブランデーの残り香を味わうために、は瞼を閉じる。
いつか来るだろう。
にとって世界で一番大切な女の子を
ドフラミンゴがまるでゴミのように捨てようとする瞬間。
がそれまでの忠義をかなぐり捨てて、ドフラミンゴに刃を向ける日が。
その日が今日でないことを祈りながら、
ドフラミンゴに対する尊敬や恩義はそのままに、期待や信頼などは置かぬまま、
はドフラミンゴに今日も仕えるのだ。