技比べ三本勝負
「あ、ごめんなさい杏寿郎さん。
宝田師範があなたにお会いしたいと駄々を捏ねているので、
申し訳ないのですが都合をつけていただけると助かります」
「うむ、構わないぞ!」
結婚の報告に来たに今度は杏寿郎を連れて来いと駄々をこねた薙刀師範、宝田種篤。
この偏屈な老人の機嫌を損ねると後々面倒だと知っているが
杏寿郎に都合を付けて欲しいと朝食時に頼み込むと、杏寿郎は二つ返事で頷いた。
そして、驚くべきことにの出した名前に聞き覚えがあったのは、
から何度か宝田の話を聞いていた、杏寿郎だけではなかった。
「宝田……?」
共に食卓を囲んでいた槇寿郎がいぶかしむように首をひねる。
千寿郎が瞬いて尋ねた。
「お知り合いなんですか、父上?」
「いや、聞き覚えがある名前だったから驚いただけだ。しかし……偶然だろう。
さんの師範ということは得物は薙刀なのだろうし」
「いえ、宝田師範は薙刀も使えますが、基本的に扱うのは槍ですよ。十文字槍を使います」
の言葉に何か思い当たる節があったらしい。
槇寿郎は椀を置いて口を開いた。
「……つかぬ事を聞くがその宝田という人物、元は奈良の坊主か?
ずっと笑みを絶やさず、人を食ったような物言いをして、
四六時中、煙草と酒を浴びるほど呑む、」
「それ、絶対宝田師範だわぁ。面識がおありだったんですか? 世間は狭いですねぇ」
特徴からして間違いなく宝田種篤であると断言し、
しみじみと聞いたに槇寿郎は首を横に振った。
「俺は直接会ったことはないが、歴代炎柱の手記に名前が出てくる」
「え?」
「俺の父、松寿郎と犬猿の仲だったという鬼殺隊士の名前が“宝田種篤”だ。……うん」
槇寿郎は、ふっとから目をそらした。
手記にどういう記述があったのかは定かではないが、
おそらく宝田の弟子であるには言いにくい事柄なのだろう。
だが、は別に気を使わずとも結構だと槇寿郎に言う。
「あの、はっきりおっしゃってくださって構いませんよ。
宝田師範の性格が最低最悪で意地が悪いのは存じ上げておりますし」
「さん……、仮にも師範をそんな……」
千寿郎が呆れてたしなめていると、ポツリと槇寿郎が呟く。
「……『クソ坊主』と書いてあった」
「え?」
「は?」
「他にも『あのハゲ』とか『糸目狐』とか、そういう、その、罵詈雑言が」
目を丸くする杏寿郎と千寿郎を差し置いて、は口元を押さえ、サッと俯き震えだした。
槇寿郎は腕を組み、懐かしむように言う。
「父は真面目で頑固でな。手記も他の記述は事務的で簡潔なものばかりだったのに、
宝田隊士のことを綴る時だけまるで子供の悪口のような書き方、罵りようだったので、
『あの父が』と、俺はちょっと面白く思っていたんだが……」
「父上、面白がるのはどうかと!」
杏寿郎が槇寿郎を咎めるように言う横で、はくつくつと肩を震わせ笑っている。
「ク、“クソ坊主”、“ハゲ”……!」
「さん、そんな笑うことですか?」
「だって本当にその通りなんですもの……!」
静かにツボにはまったのか腹を抱えて笑うに
やれやれと千寿郎と杏寿郎とは目を合わせて嘆息する。
「それにしても君の言う通り世間は狭いな!
も元隊士から手ほどきを受けていたならば教えてくれれば良かったのに!」
水臭いではないか、と言う杏寿郎に、やっと落ち着いたらしいはにこりと微笑んだ。
「ああ、それは無理ですね。宝田師範が鬼殺隊に居たこと、私は今知りましたので」
「ん?」
「そういえば“産屋敷”の方々となにやら因縁がありそうなことは言っていましたが、
それまでは私、宝田師範から鬼殺隊の“き”の字も聞いたこと、無かったんですよ」
の言いように杏寿郎がそれはおかしい、と眉をひそめた。
「いやでも、君は薙刀道場を辞める時、師範に鬼殺隊に入隊することを報告したのだろう?」
「もちろん報告しましたよ。
鬼と鬼殺隊の存在を知っているとは申していましたけど、
宝田師範から呼吸を教えてもらったことはありませんねえ。
胡蝶さまにも随分驚かれて。それまで呼吸なしで鬼を斬っていましたから」
が鬼殺隊に入ると知ってなお、呼吸を指導しなかった、
自身が元隊員であることも教えなかったというのは妙な話である。
難しい顔をする煉獄家の男たちを横に、は深々と息を吐いた。
「……“クソ坊主”なんですよ。本当に。
さて、杏寿郎さん、その宝田師範、多分あなたと試合う気です。真剣で」
「なんと! しかし話を聞く限り俺の祖父とそう変わらぬ年齢ではないのか?!
結構なお年だと思うのだが!」
驚く杏寿郎に、は肩を落としつつ頼み込む。
「いやあ、完全に年寄りの冷や水なんですけど、言い出したら聞かないんですよこれが……。
重ね重ね本当に申し訳ないんですが、付き合ってもらえるとありがたいです」
杏寿郎はしばらく考えるそぶりを見せると、に向き直って頷いた。
「わかった! 善処しよう! 今の話を聞いて尋ねてみたいこともできたからな!」
「ありがとうございます」
は杏寿郎に笑顔で頷きながら、内心では別のことを考えていた。
おそらく煉獄杏寿郎と宝田種篤、絶対に馬が合わないだろう。
顔合わせでは何が起きることやら、と楽しみなような、不安なような複雑な気持ちになりつつ、
宝田に連絡をしなければならない、と自室にある便箋の残りに想いを馳せた。
※
宝田第二道場。
壁に龍虎の絵が描かれた上座に腰掛ける宝田種篤に、向き直るようにして杏寿郎とは座る。
「お初にお目にかかります! 俺が煉獄杏寿郎です!」
朗らかに挨拶した杏寿郎を見て宝田はあぐらに頬杖をつき、あからさまに眉を顰めた。
「うぅわ、いらんわァ……。松寿郎に生き写しではないか。ほんに最悪」
「宝田師範、忙しいのに無理を言って来て貰ったんですからその態度は如何なものかと」
がたしなめるが、宝田は槍を横に腕を組んで、ため息をこぼすばかりである。
杏寿郎はあまり歓迎されてなさそうな空気にも構わず、はきはきと口を開いた。
「祖父と面識があったことは伺っています!」
「あー、よいよい、その顔にかしこまって喋られると背筋が寒うなる。
知っとると思うが私は宝田種篤。あんたの婚約者の薙刀師範よ。
それに、おうとも、あんたの爺さんのことはよう知っとります」
宝田は砕けて喋ればいいと手をひらひらと振った。
「煉獄の松寿郎さんはおめでたいのは名前ばかりよ。
四角四面な男でな。いっつもカクカクしておった」
そこまで言うと、宝田は杏寿郎を値踏みするように見やり、
何に満足したのか頷きながら笑みを浮かべる。
「うん、しかし、あんたは爺さんより融通がききそうだの。
まあ、趣味もよろしいし。カッカッカ!」
「杏寿郎さん、これ、褒めてるようで褒めてないので。
真に受けた瞬間バカにされますし、
砕けて喋ると『礼儀知らずの若造』的なことを言い出します。この人のことですから」
どう返すべきか少し迷った杏寿郎に、がズバッと切り込んだ。
宝田は笑いながら答える。
「つまらんなァ、殿はちと種明かしが早すぎる」
「ほら。ほらね。こういう人なんですよ」
「……」
それ見たことか、とジト目で宝田を指差すに杏寿郎は呆れている。
はさらにムッとした様子で宝田に尋ねた。
「と言うか、宝田師範が鬼殺隊に属されていたことも私は知らなかったのですが。
杏寿郎さんのお祖父さんの手記に宝田種篤の名前を見たと聞いて、
私がどれだけ驚いたかわかります?」
「はて? 言っておらんかったかな?」
「これですよ……まぁ薄々はわかってましたけど」
トボけた様子の宝田に、はもう何も言うまいと首を横に振った。
杏寿郎は今が頃合いと見て、宝田に声をかける。
「御老体、あなたはなんでも“呼吸を最低限度しか覚えず、
その身のこなしと槍術のみで百鬼を屠った元僧侶”であり、
その上“柱の資格を有しながらも柱にならなかった人物”だとか!」
「ほう? それは松寿郎の言葉かな?」
「はい! 手記にあなたの記述があるところだけ、
やたらと筆が乱れていたと父が言っておりました!」
眉を上げた宝田の疑念を肯定した杏寿郎である。
割合正直に答えた杏寿郎に宝田は愉快そうな笑みを浮かべた。
「カカカッ! そりゃそうよ。私が柱にならんのが気に食わんかったようで、
やたら突っかかって来おったからなァ、あの男」
「なぜ柱にならなかったかの理由も気になりますが、
それよりも、俺は一つ聞きたいことがあるのです!」
杏寿郎はあくまでも世間話の一つのように、本当に聞きたかったことを尋ねた。
「に呼吸を指導しなかったのはなぜですか?」
「ん?」
「は鬼殺隊に入るまで、身につけていたのは薙刀術のみだったと聞いています!
それも、極めて実践的な代物だったと!
鬼に相対するには足りないが、学校の授業で扱うにはあまりにも過ぎた指導に思えます!
それに、あなたには少しではあるが呼吸の心得があるはずだ!」
「呼吸なんぞを覚えちまったら、この方の刃が鈍ると思ったのよ」
宝田の言葉に、杏寿郎は黙り込んだ。
宝田は顎でを指して言う。
「あんた、殿を曲がりなりにも指導したならわかるやろ?
この方の薙刀の冴えは普通ではない。最初に薙刀を振るった時からそうだった。
天賦の才よ! 神仏のいかなる手が入ったかは知れぬが、
この方は武芸を極めるべく生まれた器であった!」
は宝田の高揚にも慣れているのか落ち着いた様子でただ黙っていた。
「だから殿は鬼に相対しても呼吸なしで相手取ることができる」
冷めた様子のと裏腹、杏寿郎は膝に置いた手を強く握る。
宝田はそれぞれ好意的でない反応を示す二人にも構わず持論を展開する。
「殿の中には鬼神が眠っておられた!
この方の薙刀は、邪鬼を踏み潰し愚かな人間を睨み据える四天王にすら迫る刃だ。
それを完璧に彫り出すのに呼吸は邪魔よ!
そんなもん使わんでもこの方の薙刀はいずれ天まで届いた……が、」
宝田は杏寿郎の顔を見て、細い目をますます細め、鼻で笑った。
「ふん、『納得いかん』と言う顔だの」
「鬼殺隊に入るならば呼吸の習得は必須のこと!
いくらが恵まれた才能の持ち主だからと言って、
鬼を相手に呼吸なしで生き延びられるのは尋常のことではありません!
一歩間違えれば、」
杏寿郎の言葉を遮って、宝田は告げる。
「わからん人よなァ。一歩も間違わぬからこの方は鬼神に成り得たのだ」
「……は人ですよ」
杏寿郎の声色に少しばかり冷えた色が乗った。
は口を挟まずに成り行きを見守っている。
宝田は杏寿郎に眉を上げたものの、気圧される様子もなくさらに続けた。
「そりゃあ、殿がそう成ろうとしたからだ。成ろうと思えばこの方は何にでも成れたよ。
軍記物語の英雄! 仏敵を打ちのめす天の一柱! 無論、三面六臂の阿修羅にもな」
「それをあなたは良しとしたのか」
「そらよろしかろう。なにせこの方の武芸は凶悪絶佳! 残酷になればなるほど美しい!」
宝田は挑発するように口の端を吊り上げた。
「衝動の為すまま、思うままに薙刀を振るっても血煙がこの方を飾ったろう。
その様もさぞ見事であったろうになァ?」
眉を顰めた杏寿郎であるが、当の本人に全く動じるところがないのを横目に見て、
これがおそらく日常茶飯事だったことを察していた。
宝田はの武芸の才に心酔している。本人の意思を置き去りにして。
「だが殿はよう耐えた。
自らに眠る鬼神の性を限界まで押さえ込み、歯を食いしばって振るう刃になった。
……それもまた良し」
杏寿郎の悟った答えを裏付けるように、宝田は滔々と歌うようにの武芸を賛美する。
「その刃の軌跡を彫り出すことは、どんな仏師にもできますまい。どんな絵師にも描けぬよ。
あの自らをも焦がすような金の焔を、この方の胸の内の地獄を、あんたも見たならわかるだろうが」
「……なるほど!」
杏寿郎は理解していた。
「どうやら俺とあなたとでは、どうしても擦り合わせることのできない、
価値観の違いというものがあるらしい!」
こと、の扱いにおいて、
煉獄杏寿郎と宝田種篤の間には全く相容れない断絶が存在するのだと。
「カッカッカ! そうだろうなァ!
さて、現役の炎柱とやらのお手並み拝見とまいりましょか?」
※
身の丈より大きな十文字槍を手に宝田は低く構えた。
杏寿郎も正面に構える。
向かい合うと空気が張り詰め、道場は静まり返っていく。
二人が集中するのに伴って音がなくなっていくようだった。
呼吸音、衣摺れすらも消えていく。
どれほど時間が経っただろうか、宝田が槍を握る手に力を込めた、その時だった。
杏寿郎が踏み込んだ音が道場に響く。
刀の峰が槍の柄を弾く。
一瞬で槍が弾き飛ばされていた。
これには宝田も目を見張り、しびれる手を抑えながら杏寿郎を見やる。
「……ほう、老骨相手に最初から手加減無用とはな。あんた、割にいい性格しとる」
「返って失礼だと思ったので!」
杏寿郎は朗らかに答えた。
「何しろの薙刀師範ですから、一筋縄ではいかないものだと」
「ほーん? 言うやないか」
筆で一息で書いたような細い目を、宝田はますます細めた。
「生意気な」
宝田は床に転がる槍の柄を踏み蹴る。
ぐるん、と回転した槍の刃先が杏寿郎に向かうが、距離をとって躱した。
宝田の手に槍が戻る。
宝蔵院流 奥義第一 “大悦眼”
ニッ、と宝田は人の良さそうな笑みを浮かべた。
瞬間、十文字の刃が杏寿郎の左目、眼帯の前まで迫る。
杏寿郎は避けるものの、すぐさま回転した槍の柄が足を狙って繰り出される。
飛びのいて躱し、その勢いのまま杏寿郎は一気に刀の峰で手首を叩き、槍を落とし、蹴り飛ばした。
金属音を立てて槍が遠くに転がる。
今度はすぐに杏寿郎を攻撃することはできない位置だ。
それでもなお油断することなく、すぐさま構えた杏寿郎に、宝田は愉快そうに笑った。
「カッカッカ! これはこれは! 牛若丸もかくやの身のこなし!
隻眼も何も関係無いのだなァ?」
杏寿郎は勝負には勝ったものの、
改めて宝田を油断ならない人物と見て、こめかみに汗を浮かべた。
「やはりあなたはの師範らしい。俺の左目を狙いましたね?」
の勝負事の鉄則は“相手の嫌がることを、相手が音を上げるまでやり続けること”。
反則技もためらわない傾向は間違いなくこの宝田からの系譜だろう。
それを裏付けるように、宝田は頷いた。
「そりゃあ、弱いところを狙うんは当然のこと。なんか問題あったかの?」
はて、と首をかしげる様は嫌という程見覚えがあった。
「一度は聞いたことはないかな?
ほれ『“人の嫌がること”は、すすんでするもの』だと」
「俺の知る言葉とは意味が違いますが!?」
「うふふふふ!」
本来とは真逆で最悪な意味になるではないか、と思わず突っ込んだ杏寿郎に、が笑っている。
その様を見て宝田はやれやれと肩をすくめた。
「は~、かったいなァ? 松寿郎さんよりマシだと思ったけれど、それでも全然硬いのう。
殿はあんたの技を“清濁併呑”と評したが、まだまだあんた、濁れますなァ?」
宝田の顔から笑みが消えた。
「あんた何をなりふり構っとるんや、“殺し”を生業としとる分際で」
宝田の威圧感に空気が震える。
おおよそ還暦を超え、古稀に迫ろうかという老人が放っていい気迫ではなかった。
「私はな、産屋敷が気に食わん。ついでその取り巻き、特にあんたの爺さんが気に食わんかった。
あの男、鬼殺の仕事を世のため人のため、誰かがやらねばならんことだと、
“柱”と言うのは尊敬されるべき立派な役職であると誇らしげに語りおってなァ、
よりにもよって“拙僧”の前で」
「恥知らずもいいとこやろ。田舎侍が」
は目を眇める。
宝田と杏寿郎のやりとりに基本的には口を挟むつもりはなかったが、
悪し様な言いようには思うところがある、と口を開きかけると、
他ならぬ杏寿郎がの前に手を払った。
最後まで喋らせるつもりか、とが伺うと、
後ろから見えた杏寿郎は至って冷静な表情を浮かべている。
宝田は二人のやりとりには構わずに、つらつらと述べた。
「結局鬼殺隊士のやっとることは人殺しと何も変わりませんよ。
“鬼”は人を食わざるをえないから食っとるだけの元人間。
そもそも、“鬼”でなくても人は人を殺すし、踏みにじるし、
理性を剥げばどいつもこいつも本性は醜悪だ。
なんなら生きるために、食うために、そうせざるをえずに
人を殺す鬼の方がなんぼか純粋とは思わんかね?」
どうやら宝田は僧侶であった頃の経験と、一時的にでも鬼殺隊に属した頃の体験から
独特の価値観を有しているらしい。
杏寿郎に尋ねながらも答えは求めていなかったのかすぐに続けた。
「人間様の都合で鬼を狩った我らに、鬼と大差があるものか。
どんな理由があろうとも、人の命を屠ったら悪よ。皆地獄行きよ。
その代わりにいくらか命を救えたとしてもそれは変わらん。相殺される理由にはならん。
“柱”と言うのは“殺人鬼”に与えられる称号に違いない」
宝田は槍を拾いに杏寿郎に背を向ける。
転がった槍を手にとってくるくると気まぐれに回すと、何か腑に落ちなかったのか首を傾けていた。
「それを当時の柱の連中はわかっとらんかった。いや、わかってても大義名分を掲げたんかな?
まあ、私とは価値基準が違うんやろ。知らんけど」
宝田は振り返って杏寿郎を指差した。
「だからあたかも『何もお天道様に恥じることなどない』『正義は我にあり』って言うツラで
鬼殺をやっとる人間が嫌いなんよ。正直、あんたのことも気に食わん」
細い目を眇め、薄い眉を顰めて杏寿郎を睨む。
「私の磨いた殿を横からかっさらって行きおった上、
“人”なんぞに成らせおってからに」
杏寿郎は常の笑みを浮かべながらも、小さく眉根を寄せて口を開いた。
「……鬼殺においてはこちらにも言い分がありますが、
あなたの考えを、理解できないわけでもない。
だが、に関しては話は別だ」
「ほう? よろしいわ、聞くだけ聞いたろか?」
面白そうに尋ねた宝田に、杏寿郎は息を吐いたかと思うと、
はきはきと口を開いた。
「あなたは自らを悪人であるからと開き直り!
備わった才を見抜いたからといって頼まれもしないのにの武芸を磨き上げ!
その結果彼女を苦しませた! “悪癖”を助長させた!」
いっそ朗らかな口調でなじられ、宝田は目を丸くする。
「が自らの悪癖を恥じ、苦しみもがき、不断の努力で抑えよう律しようと努める様を、
あなたはまるで観劇でもするように愉しんでおられる!
全く心底気に食わない! 言語道断! あなたこそ恥を知るべきではないか!?」
杏寿郎は胸を張り、断じた。
「俺はあなたが嫌いです!!!」
唖然と口を半開きにした宝田が瞬いたのち、呟く。
「……なんやあんた、笑顔でむちゃくちゃ言いますやん」
「あっはっはっはっは!」
が腹を抱えて笑う声が響いた。
肩を震わせ、涙さえ拭いながら笑ったは、深く息を吐いた後に宝田に声をかける。
「宝田師範、次は私と試合ましょうか」
「なんだって?」
眉を上げた宝田には義手と自身の手を合わせて微笑んだ。
「三本勝負ならもうすでに杏寿郎さんが二点先取しておりますもの。
これも一興。いかがです?」
「しかしあなた、腕を落としているだろうに」
「六臂あったものが半分になったら三つでしょう。腕三本もあれば十分十分」
流石に気遣うようなそぶりを見せた宝田に、は楽しげに言ってから
スゥ、と冷ややかに目を細めた。
「正直、日和っただの、つまらんだの言われて少々頭にきておりますゆえ」
宝田はの氷のような眼差しに目を見張ると、愉快そうに口角を上げた。
「……やはりあなたは良いのう。うん。良い良い。闘争心が目に浮かんでる時が一番良い。
薙刀は貸して差し上げよう。好きなものを選ぶがよろしい」
は宝田に頷くと勝手知ったるとばかりに道場の奥に入り、薙刀を携えてやってきた。
「すみません杏寿郎さん、結局私のわがままに付き合わせてしまい」
「いや、構わない。君ならば大丈夫だろうし!」
杏寿郎はに明るく応じる。はにこにこと笑って頷いた。
面白くなさそうな宝田がに言う。
「はよう構えていただけませんかねぇ?」
「せっかちな人ですね。わかってますよ」
は苦笑すると緩やかな所作で宝田の前に立った。
うっすらと笑みを浮かべた老人と、同じく笑みを浮かべた女が相対する。
お互いに持っている得物が真剣で、およそ切った張ったをこれから行うとは思えぬ、
穏やかな雰囲気でさえあった。
しかし杏寿郎は既に知っている。
これがこの二人の最も得意とする臨戦態勢であることを。
宝蔵院流 奥義第一 “大悦眼”
ひときわ愉快そうに笑みを浮かべた宝田の槍がに迫る。
やはり弱った左腕を狙っての一打である。
しかし、はまるで舞でも踊るように軽やかな足さばきで避ける。
宝田の目が、鮮やかな刃の軌跡をとらえた。
宝蔵院流 表裏十二本式目 薙刀改
もともとが使用していた“宝蔵院流 表十五本式目”、“宝蔵院流 裏十一本式目”は
それぞれが攻防一体、いくつもの型を集めた技だ。
だが、片腕となってしまったでは扱えない型が出てきたため、
は表裏を合わせて一つに改良した。
それが“宝蔵院流 表裏十二本式目 薙刀改”
その技にさらに呼吸を乗せることで、は片腕となってなお
鬼殺に当たることができるように調整している。
未だ戦いに身を置くことを躊躇わぬ執念の刃に、宝田の十文字槍が絡め取られて吹き飛んだ。
そのまま薙刀を払い、は再び構えて笑う。
「如何でしょう? 私の腕、落ちてますかね?」
「……お見事。まっこと、見事なり。すまなんだ。私の目が曇っておったわ」
宝田は手を叩いて賞賛する。
を見誤っていたようだと感心した宝田だが、
それでも未だ半信半疑なのか首をひねった。
「不可思議よ。今ここで言葉を放つあなたはただ人なのに、
柄を持つと変わるのだな。いや、あなた……何か掴みましたか?」
「うふふ。まあ、これも杏寿郎さんのおかげですから、
あまり目くじらを立てられると困りますよ、宝田師範」
ニコニコと上機嫌のと成り行きを静かに見守っていた杏寿郎を見比べ、
宝田は鼻を鳴らすと息を吐いた。
「……ふん、もうええわ。あーあー、しかし年は取りたくないわな。
私がもうちょい若けりゃまともに勝負になっただろうに」
ひとりごちた宝田は杏寿郎に目をやった。
「殿の刃が鈍るどころかさらに冴えておったのは
あんたの指導によるところと認めましょか。
ま、せいぜいこの方に愛想つかされへんよう、お気をつけなされよ」
「言われなくとも!」
思い切り負け越したというのに上からものを言う宝田に、
杏寿郎は全く勝った気がしないな、と思いながらも力強く頷いたのである。
※
と杏寿郎は帰路を行く。
夕焼けの坂道を下りながら、は顔合わせの成り行きを思い返してしみじみと言った。
「いやぁ、あなたと宝田師範の馬が合わないのは初めからわかっていましたが、
本当に全く相性がよろしくありませんでしたね」
何しろ目上、年上にはごく当たり前に敬意を払う杏寿郎が、
宝田には思い切り「あなたのことが嫌いです」と宣言したのだ。
宝田のことがよほど気に食わなかったのだろう。
その証拠に、に話題を振られた杏寿郎は全く、と頷いた。
「君の武芸の行く先にしか興味のなさそうな方だったな」
「まあ、そういう人なのですよ。
宝田師範は私の技さえ冴えていればそれで良いと言いますね。きっと。
でも、ふふふ!」
しかしは杏寿郎と裏腹に上機嫌である。
杏寿郎の横顔を眺め、口元をゆるませていた。
「怒ってましたねえ、あなた」
「……まあな! 少々腹が立った!」
「ふふふふふっ!」
笑い飛ばすに、ムッと眉を寄せて杏寿郎は怒る。
「笑い事なものか! 宝田老人は君が苦しみもがく様を、
まるで見世物のように見ていたと、そう言っているようなものだったろう!」
「ええ、ええ、そうですねえ」
しかし全く堪えた様子もなく、むしろ楽しくて仕方ないと言った風情のである。
杏寿郎はいぶかしむように首をひねった。
「おい君、さっきからニヤニヤと何がおかしい?」
「だって、あなたが私のために怒って下さるから、」
は眦を細め、心底幸福そうに微笑む。
「ふふ、嬉しい」
「、君な……」
杏寿郎は照れ混じりにを咎めるが、
はくつくつ喉を鳴らして肩を震わせるばかりである。
「良いんですよ。あの方は私を人扱いしませんし、
仏像でも彫るように私に武芸を叩き込みましたが、
そういうところに救われていた部分もあったのです」
「まあ、あなたのおっしゃる通りに私の悪癖が悪化したのも、
あの方に一因が無いとは言えませんけど」と、は嘆息したが、
杏寿郎に向き直ると顔を覗き込んで尋ねる。
「でも、私の箍が外れそうになっても、あなたが止めてくれますでしょ?」
「当然!」
間髪入れずに答えた杏寿郎に、は頷き返した。
「ならば私も応えて堪えますからね。
何も案ずることはありません。私は人です。ただの小娘。ふふ!」
はますます目を細める。
「師範の望むような、鬼神なんかになってやるものですか」
そう述べるの目にはまだ、金の焔がちらついている。
しかし杏寿郎は全く心配していなかった。
は人である。
人でありたいとが望む限り、煉獄杏寿郎の横にいる限りは。