舌禍・サンプル版

宇髄天元は音柱である。
鬼殺隊に9人のみ存在する指折りの剣士“柱“の一人だ。
そういう職で地位についているからには、鬼を何十、何百と退治してきた。

印象深い鬼やそうではない鬼も存在するし、助けた人間や助けられなかった人間も居る。
全員、全部の任務を覚えているわけではないが、印象に残っている鬼殺もある。
なかでも、一人の女を助けた時のことは鮮明に覚えていた。

天元は今でもふと考えることがある。自分はあの時果たして、“間に合ったのか”、“否”か。



月の明るく光る、春の夜のことだった。
巡回警備中、鬼の気配と人の気配を察して天元はすぐさま現場に向かったのだ。
駆けつけた天元が見たものは惨憺たるものだった。
血溜まりが舗装された地面に点在し、血飛沫が屋敷の塀を汚している。
女のものと思しき荷物が破れて転がっていた。

ーーまた、間に合わなかった。

天元が早合点しそうになったとき、さほど遠くない外灯の下、
人影が二つ浮かび上がっていることに気がついた。
見上げる男と見下ろす女。ーーどちらも生きている。

手足を失い、なすすべもなく茫然と女を見上げる男は鬼だ。
その前に薙刀を構え、肩で息をしている女がいる。

年の頃は若い。流行りの矢絣柄の着物に海老茶袴、ブーツの合わせ、
散らばった荷物から教科書がのぞいていたことを考えるに、女学生だ。良いところのお嬢さんだろう。
と、頭では理解したのだが、その女が返り血をべっとりと纏い、
鬼へ薙刀の刃先を突きつけている状況を、天元は容易に飲み込めなかった。

だから最初に口にしたのは安否の確認ではなかった。

「お前、随分派手にやったな」

女が天元に顔を向けた。能面のような無表情。
外灯を反射したせいか、目の中に水面の月のような光がゆらゆらと浮かんでいる。

天元と女の視線が交錯した瞬間、鬼が這々の体で逃げ出そうとした。
咄嗟に天元が背に手を伸ばしたが、刀をとる間もなかった。

女は天元から目を離しもせず、まるで息をするように操った薙刀が鬼の腹を貫いた。
短い悲鳴とともに、血飛沫が女の足元、袴を汚す。
生きたまま針で止められた虫のように手足をばたつかせる鬼に天元は我に返って、
そのまま抜いた刀を振り下ろした。

「ダメだダメだ。それじゃ死なねェよ」

頸を狙って一撃。

「こうやるんだ!」

天元の二刀が交差して、鬼の首が刎ね飛ばされる。
死際、大きく目を瞬いた鬼は、灰になりながらその口元をゆるやかに緩めたように見えた。

女はジッと死にゆく鬼を眺めていた。
携えていた薙刀を払い、構えを解くと天元に向き直る。

「お兄さん」

柔らかな声だった。動揺もなければ恐怖もない。やたらに落ち着いている。
ただ、機械的に疑問を呈するだけの声だ。

「“あれ”は何と言う生き物だったのですか?
 私も何度か首を刎ねましたが治ってしまった。徐々に回復する速度は落ちていきましたが、
 人なら致命傷だろう傷を与えても全然死ななかったのに、
 なぜお兄さんは殺せたのでしょう?」

「あれは鬼だ」

天元は簡潔に答える。

「日の光に当てて殺すか、特別な刀、日輪刀で頸を刎ねないと死なねェんだ。
 まあ、やろうと思えば他にも倒し方はあるが」

毒を使うとか、弱い鬼なら銃を使うのでも退治できるが、
それをここで女に教えてやるのもおかしな話である。
女は自分の薙刀で鬼が死ななかった理由を納得したらしく、頷いた。

「鬼……。初めて見ました。あんな生き物がいるのですね」

「大概の人間は一生見ないで済む。
 ……お前、運が良いんだか悪いんだか分からねぇが、よく俺が来るまで持ち堪えたな」

一瞬しか見れなかったが、それでも女の薙刀さばきは見事なものだった。
もしかして呼吸を覚え、日輪刀を持たせたら良いところまで行くのではないかと、
そんな考えが脳裏に過るほどである。

だが天元は今しがた鬼に襲われたばかりの女に、そのようなことを言うほど野暮でもない。
今まで通り、のほほんと暮らして行けるならばそれが一番だ。
気遣って口をつぐんだ天元に気づいた様子もなく、女は地面に目を落としたまま、ポツリと呟く。

「私、『どこから喰ってやろうか』と言われました」

女は落ち着いているように見えたが、やはり動揺しているのだろうと天元は目を眇める。
茫然としているように見える女の肩を軽く叩き、天元は朗らかに声をかけた。

「そういう人喰い鬼を狩るのが鬼殺隊だ。俺が家まで送ってやるから……」
「人喰い鬼……鬼殺隊……。お兄さんは鬼退治を生業にしているのですね」

「……? ああ。そうだ」

天元ははた、と女の格好に今一度目を止めた。
あまりに女が落ち着いているので忘れていたが、女は頭から足先まで血塗れである。
鬼を一般人が相手にして無傷ということはないだろう。
負傷の可能性に思い至るのに遅れて、天元は内心で舌打ちした。

「そんなことより、お前派手に血塗れだぞ。怪我はねェのかよ」

天元が問うと、女はなんでもないことのように答える。

「ああこれ。返り血ですからお気になさらず」

その時、天元はこの現場にあった妙な感覚、違和感の正体に気がついた。

そこら中にもげた鬼の手足の転がる凄惨な状況。
必死に逃げ出そうとする鬼。返り血塗れの薙刀をもった女。

 この女、いつから鬼と対峙していた?
 俺が来るまで、どれ程の時間、無傷で持ち堪えたんだ? 呼吸も使えねェ、一般人が?

そして今は塵となった鬼が最期に浮かべた安堵の表情と、血溜まりを遺して消え去った鬼の、
斬り落とされた手足の数があまりに多かったことを思い出す。

 抵抗して手足を斬ったにしても、量が多くはないか?

天元の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。

 ……この女、嬲っていたのか? 鬼を?
 ……まさか。

自分で導き出した答えを訝しむ天元に、女は首をかしげ、尋ねた。

「ところで、その、鬼殺隊というのにはどうやったら所属できるのですか?」
「はァ?」

天元は突如投げかけられた疑問に、今までの思考を全て放り捨てて、女の顔を凝視した。

「お前、何言ってんだ?」

正気を疑っているような天元の声色に、女はどういうわけか、うっそりと、微笑んだ。




(後略)