初恋(遺書)
手紙の書き出しにはいつも迷います。
聞けば、遺書とは「私の身に何かあったときのためにしたためました」から始まり、遺していく家族へ今後の身の振り方などを記すのがふつうとのことです。
けれど、わずかな蓄えを遺してやりたい家族はもうおりませんし、墓じまいもとうに済ませております。
どうか私のいくばくかの蓄えはお館様のご随意に、鬼殺隊のために使っていただければ幸いです。
—— と、いつも通り必要最低限のことを書きつけて片付けるのも潔いかと思いましたが、誰にも胸のうちを明かさずに死ぬ、というのもなんだか味気がないようです。
柄にもないことですが、いま一度、わが身を振り返ってみることにしました。
私は東京の片隅にある、小さな神社の生まれです。両親は優しく、質実剛健を旨とする人たちでしたので、ごくつつましく暮らしておりました。
しかしそれも、社に鬼が現れるまでの話です。
十四の頃のことでした。あの夜のことは片時も忘れたことがありません。
まぶたを閉じればありありと思い出せる。
めったに声を荒らげることのなかった父の「逃げろ」と怒鳴る声。私を身を挺してかばった母の苦痛に歪んだ顔。迫り来る鬼の、大きく開いた口からのぞく乱杭の牙。そして鬼の頸をいとも容易く断ち斬った赤く煌めく刃。
私は幸運でした。あわやというところで、炎柱に命を救っていただいたのです。
恐ろしい鬼に刀一本、身ひとつで立ち向かうその姿が、私には神仏の化身に見えました。
それでも、目の前で両親を失った私に気遣う言葉をかけてくださったあの方は、確かに人間だったのです。
鬼が死に際の悪あがきで振り回した爪があの方の手の甲を傷つけていました。流れる血は、簡単には治らない傷は、人間の証です。
あの方は「まだまだ見回りに行かねばならない」と、私を隠に預けて早々に立ち去ってしまって、お礼を満足に言うこともできなかったのが悔やまれました。
粗忽者の私はお名前を直接尋ねることも、名乗ることさえできなくて。
不作法にも隠から——人づてに聞いたお名前を、忘れないよう懐紙に書きつけました。
家族を失った私は親戚の家に世話になりました。
しばらくは塞ぎ込んでばかりいましたが、だんだん落ち着いてくると、あの方にきちんとお礼を言えなかったことが気になりだしました。あの方の手の甲を伝う真っ赤な血の一筋が、何度も頭をよぎりました。
終いに、おそらくは、一歩間違えれば、あの方も恐ろしい鬼の手にかかることがあり得るのではないかしらと思い至ると、もうジッとしてなどいられなくなりました。
きちんと、直接、あの方にお礼を言いたい。
湧きあがったこの気持ちがあったからこそ、抜け殻にならずに済んだのだと思います。
私は隠に連絡をとって雷の呼吸の育手を紹介していただき、鬼殺隊士になりました。
呼吸を修めて鬼殺隊に入隊したからといって、末端の隊士が柱にお目にかかるのは難しいことです。
鬼殺の厳しさを知れば知るほど、あの方が雲の上の人であるように思えてなりませんでしたが、それがかえって力になったようでした。
あの方にお礼を言うまでは死ねない。あの方に恥じるところのない隊士でありたい。
と、遮二無二、私は鍛錬に励みました。
煉獄杏寿郎殿と出会ったのは入隊して四年目のことでした。
合同任務で一緒になった後輩が、あんまりあの方とそっくりなので驚き、思わず私から声をかけたのを覚えています。
あの方に助けられたことがあるのだと告げると、はにかんで嬉しそうにしていたのに、ご健勝かと尋ねると言葉を濁したのが気になりました。
差し出がましいかもしれないとは思いつつ聞けば、あの方はどうも、心身の調子を崩しておられるのだと言います。
心配でした。私がご挨拶に伺えないかと杏寿郎殿に提案したのは、本当に、なんの他意もなく、心配だったからというだけのことでした。
五年ぶりにお目にかかったあの方は、確かに窶れておられました。
ところが、愚かな私はようやくお会いできたのに感激して、すっかり舞い上がっていたのです。
きっと覚えてはおられないだろうけれど、五年前、あなたに助けていただいたのだと。
あなたにどうしても直接お礼を言いたかったのだと。あなたに憧れて鬼殺隊士になったのだと。
恥ずかしげもなく無邪気に口にしていました。思い上がりも甚だしく、励ますつもりで。
それがあの方を傷つける言葉だとは、夢にも思っていなかった。
吐き捨てるように「おまえを助けたことは無意味だった」とあの方はおっしゃった。
「助けた人間がむざむざ死地に赴くのであれば、俺の行いになんの意味があったのか」と。
私は、その場では恥ずかしながら二の句が継げませんでした。
あとのことはきっと杏寿郎殿がとりなしてくださったのでしょうが、正直なところ、その日どうやって帰路についたかさえ、よくは覚えておりません。
あの日から、あの方が無意味だと言うのなら、私が鬼殺隊士となったことに価値はなかったのだろうかと、私の生き方は間違いなのかということを、ずっと考えています。
きっと死ぬまで、考え続けるのだと思います。
あの方には隊士を辞めろとも言われましたが、私は辞めませんでした。鬼を殺し続けました。
ときには大ケガをしましたがそれでも辞めませんでした。
何があろうと辞めようと思ったことは一度もなかった。
十四の夜に見たあの方のように誰かを守る。今はあの方のぶんまで私が刀を振るう。
あの方が守った私がそうすることはきっと、無意味でも無価値でもないと信じていました。
あの方が鬼殺隊士として人を救ってきたことは、決して間違いではなかったと、私は私が隊士として生きていることで証明したかった。
それに、実のところ私は、今でこそ鳴柱という、身にあまる大役に就いておりますけれど、生来口下手でぼんやりしている性質ですし、以前は何かに血道をあげてがむしゃらになるということもなかったのです。
あの方に救われたから変われました。
そうでなければ、たぶん、私はずっと身内を亡くした悲しみの中にいて、生きていたいとも思えなかったのではないかしらと考えるのです。
私はあの方に一言お礼を言いたいという一心でなんとか生き延びてこられました。
そして再びお目にかかった後も、あの方の鬼殺に意味を持たせるために生き延びなければならないと思っている。
まるで、あの方から活力と情熱の火を分けていただいたようではありませんか。
私はそれを、とても誇らしく思うのです。
残念なことではありますが、誰かがこの手紙の封を開ける日が来ても、たとえ志半ばで斃れても、私があの方にずっと救われ続けたことに変わりありません。
あの方への感謝の気持ちが翳ったこともありません。出会ったことに、後悔など微塵もない。
私はあの方と、大勢の人が行き交うこの世で、この形で、お目にかかれて幸せでした。
嬉しかった。
私の一生は価値あるものでした。
誰かにそれを知っておいてほしかった。
最後に、お館様にはわがままを申しますが、煉獄杏寿郎殿に、ご家族ともどもご健勝とご多幸をお祈りしているとご伝言をお願いいたします。
また、かねてから議題に上っておりました炎柱の交代について代替わりを認め、杏寿郎殿を柱にすることを望ましく思います。
杏寿郎殿は実力充分。人を気にかけ励ますことのできる方です。何も不足はございません。
あとのことは何事も、良いようにお取り計らいお願いいたします。
追伸:
この手紙は目を通したのなら火にくべていただけると幸いです。
本当は誰に伝えるべきことでもない、とりとめもない言葉の羅列ですもの。
なにかとお手数をおかけいたしますが、お許しください。
※
柱を務める女性が死んだ。二十一歳だった。
近頃は任務に出向くこともなくなった炎柱に加え、また一人柱が欠けたので、補充が急がれたことも煉獄杏寿郎が昇進する一因になった。
死んだ鳴柱・とは彼女が柱になる前から交流がある。
なにかと気にかけてもらっていたから、今回もまるで道を譲ってもらったかのようだ。
本当は、できるなら肩を並べて柱を務めたかったと、杏寿郎は思わずにいられない。
正式に炎柱に任じられるために産屋敷邸を訪れた際、杏寿郎は耀哉からからの簡素な遺言とともに、一通の遺書を渡された。
「燃やしてくれ」とは頼まれたが「読むな」とは、言われなかった。
杏寿郎はの遺書に目を通してから、煉獄邸の庭先で火を焚いた。
手紙をくべて立ち上る煙を目で追いかけるうち、の激しい剣技を思い出す。
黙って立っていると大人しく控えめな女性に見えたは、一度刀を抜くと雷嵐のようだった。
この人のどこにこんな力が眠っているのかと驚くほどに荒々しく、強かった。
杏寿郎はの激情の正体を知って、目を閉じる。
まぶたの裏に、穏やかな顔で杏寿郎を見るの顔が浮かぶ。
思えばはいつも、杏寿郎を通して槇寿郎を見ていた。
初恋(遺書)・了