ビジネスとジュブナイル
「あ、あの、助けてくれて、ありがとう」
「・・・」
昏倒するチンピラに軽く蹴りを入れたコラソンの目の前に、
布張りのトランクを持っている子供が一人、
目尻を赤く腫らして立っていた。
見るからに裕福な家のお嬢様だ。
レース、フリルのあしらわれた洋服は素人目に見ても絢爛豪華で、
おまけにつやつやの髪の毛にリボンや花飾りが絶妙なバランスで飾り付けられている。
生きた人形のような少女だった。
スパイダーマイルズには不似合い極まりない。
だから誘拐されかけていた。
コラソンが朝から集金に出かけていなければ、
たまたまチンピラに担ぎ上げられ泣きわめく少女を見つけていなければ、
その光景が目に入った瞬間、チンピラを殴り倒していなければ、
この場違いな少女はあっさり誘拐され、売り飛ばされていたことだろう。
コラソンは尻のポケットからメモ帳とペンを取り出し、
しゃがみ込んで少女にメモ紙を押し付けた。
『そんな身なりでこのへんをうろつくな
ゆうかいしてくれって言ってるようなもんだ』
「・・・好きでこんな服着てるんじゃないのに」
少女はぎゅっと眉間に皺を作った。
コラソンは眉を上げる。
少女はうんざりしたようにフリルのスカートをつまみ、ため息を吐いた。
「・・・助けてもらったのに、ごめんなさい。場違いだってわかってる。
でも、私、今日は絶対に家にいちゃいけないの。
明日になれば、戻ってもいいと思うんだけど」
俯いた少女は緊迫した様子である。
どうも訳ありなようだ。
しかし、コラソンも”訳あり”だ。
潜入任務の最中は”子供嫌い”という設定で通すつもりだ。
このままこの子供と一緒に居ては不味い。
だが。
コラソンは少女の顔を見つめ、僅かに首を捻った。
可愛らしい、目鼻立ちの整った少女だ。しかし、どこかで見覚えがある。
不思議と懐かしいような、とにかく放っておけない気分にさせられていた。
それに、ここで別れたらまず間違いなく誘拐、人身売買の絶好のカモになる。
もともとコラソンは海兵だ。
どこか安全な場所まで、少女を連れて行くべきだろう。
ドンキホーテファミリーが牛耳るスパイダーマイルズの隣町には工場が集まっている。
その先は比較的治安の安定した住宅街と商店街が広がっている。
そこまで行けば自警隊が居るはずだ。
『じけいたいのところまで送る』
「ダメ!」
少女は必死の形相だった。コラソンは眉を寄せる。
「事情があるの、・・・あの街に居たら、私結婚させられる!」
コラソンは少女の言葉に度肝を抜かれた。
目の前にいる少女はどう見てもローやベビー5、
せいぜい大きめに見積もってバッファローと同い年くらいだ。
しかし、涙目の少女が嘘を言っているようには見えない。
どういうことだ?と問いただそうとしたとき、
ぎゅるるるる、とその場に不似合いな音がコラソンの腹から聞こえた。
・・・そう言えば、今日は朝方から集金に行かされたもんでろくにメシも食ってねェ。
コラソンはガシガシ、と頭巾の上から頭を掻き、
ほとんど殴り書きのメモを少女に渡した。
『ばしょを変えてもいいか?』
少女は目をぱちくりと瞬き、コラソンのサングラスの奥の目を探るように見つめた。
「・・・私食事に誘われてる?」
コラソンはこくり、と頷いた。
少女はしばらく逡巡したようだったが、
半ば自棄になったように深いため息を吐いてコラソンに言った。
「分かった。信用する。
さっきは撃てなかったけど、一応拳銃を持ってる。
・・・名前も知らない相手と食事するのはダメだってママが言ってた。
私、カルド・ドロテア。あなたは?」
随分としっかりしたお母様で。
できれば行っちゃいけねぇ場所についても、ちゃんと教えてやれば良かったのに。
コラソンは内心で毒づきながら、メモにロシナンテ、と書きそうになって慌てて文字を消し、
コラソンと綴った。
※
子供が入っても大丈夫な店はスパイダーマイルズでは限られているが、無い訳では無い。
おまけにカウンターで頬杖をついている強面の店主の趣味でか、
妙なこだわりのつまったメニューが置かれている。
・・・お子様ランチもその一つだ。
ちなみにコラソンは立派な大人なのでミートソーススパゲティを頼んだ。
ドロテアはよく躾けられているらしい。口も洋服も汚す事無くきれいに、
フラッグの立てられたチキンライスも、うさぎ型に切られた林檎も完食していた。
コラソンは口の周りとシャツの襟までべたべたにして食事を終えた。
ドロテアがうわぁ・・・、という顔でコラソンを見ていた。
「・・・コラソン、毎回そんな風になるなら
好きな人とご飯食べるときにミートソーススパゲティは避けた方が良いと思う」
確かに、と己の有様を省みて思ったが、
コラソンはとりあえずナフキンで口を拭ってからドロテアの事情とやらを聞くことにした。
一緒に口紅も落ちた気がするがまぁ、いいだろう。
ドロテアの話はこうだ。
ドロテアの父親は工場を一代にして盛り立てた敏腕経営者、
母親は没落した元貴族。貴族にしては珍しい恋愛結婚の果てにドロテアが生まれた。
しかしドロテアが生まれて6年後に母親が流行病で死んだ。
父親はしばらく独り身だったが、周囲の勧めもあって後添いを迎えた。
これが1年前の事。
「私の服、新しいママの趣味なの。マジで最悪。すごい少女趣味でしょ?
私のことアクセサリーか着せ替え人形なんかだと思ってるの。
これ、スカートを膨らませるために”馬鹿みたい”にペチコートを重ねたりしてる。
ほんと、”馬鹿みたい”に重いんだよ。
このご時世に流行らないでしょ・・・」
服装については大いに不満があったらしい。その物言いには熱が入った。
「でも、趣味じゃない服を着させられたりとか、何かと夜会だのパーティだのに連れ出される以外は、
意地悪もされなかったし、去年の誕生日には、パパと連盟で悪魔の実の図鑑をくれた。
とても貴重なものだから、凄く嬉しかった。けど・・・」
ドロテアは心底がっかりしたように俯いた。
「昨日の夜、ママに男の人の写真を渡された。どう思うって聞かれたから、
私正直に答えたの。『まぁまぁ、かっこいい人ね』
・・・なんだか嫌な予感がして、全然寝付けなかった。
そしたらママが使用人頭と話してるのが聞こえたの。
『明日ドロテアの許婚が来るから粗相の無いように。
そのまま相手宅まで送らせるから、面会の最中にドロテアの荷物をまとめてちょうだい』って。
信じられないでしょ、私まだ11なのに!」
マシンガントーク。
それも年齢にそぐわない蓮っ葉な物言いで語られる内容にコラソンはくらくらしていた。
ドロテアは腕をまくって見せる。
可哀想な位鳥肌が立っている。
「ほら、見てよ、すっごい鳥肌。
震えも止まらないの。
私の許婚どんな奴だったと思う?」
その語り口にコラソンは首を傾げた。
ドロテアはヒソヒソと声を潜めた。
「確かに、ええ、確かに顔立ちは悪くなかった。でも推定年齢、45歳よ・・・」
コラソンは思わず天を仰ぎ、呟いていた。
ドロテアが首を傾げたのでメモ帳に同じ言葉を殴り書く。
『ありえない。はんざいだ』
「でしょ!?」
心から不愉快だと言う顔をしたコラソンの返答に
我が意を得たり!と言わんばかりにドロテアは頷く。
「薄々気づいてた。私、新しいママにとっては邪魔者なのよね。
前妻の娘だからって虐めたりしないし
うまくやっていけるかもって油断した私も悪いけど・・・」
目を伏せたドロテアに、コラソンは綴る。
『父親はどうしてる?』
「パパはお仕事が忙しいの・・・ここ最近じゃ、
ろくにお家に帰ってこない、相談もできないの・・・。
だから家出したわ。明日は31日でしょ。パパは月末だけは家に帰るから。
明日になれば、相談出来ると思う。
工場に直接いくのは、部下の人からママに連絡が行ってしまうし
・・・自警隊は私を家に帰そうとするでしょう。だから、スパイダーマイルズまで来たの。
どうしても今日だけは、家に帰りたくない・・・!」
こんなにも切迫した「家に帰りたくない」と言うセリフを聞くのは生まれて初めてだ。
コラソンはうっかり親身になってドロテアの話を聞いてしまっていた。
子供嫌いと言う設定を押し通すには不都合だったが、
このどこか懐かしい面影を感じさせる少女が
推定年齢45歳に良いようにされるのは我慢ならない。
・・・そもそもコラソンは海兵だ。
今はドンキホーテ海賊団の幹部として潜入任務にあたってはいるものの、見過ごせない。
どうしたものか、と考えていると強面の店主がつかつかと歩み寄って来た。
「コラソンよォ、そろそろおれはディナータイムの仕込みに入りてェんだが・・・って
アンタどんな食い方したらそうなるんだよ!?ああ!?テーブルクロスがダメになってる!」
コラソンは「ヤベェ」と言う顔をしてダン!とベリー紙幣をテーブルに叩き付け、
ドロテアを抱きかかえて店を出た。
店主が喚き散らす声が後ろから聞こえたが、やがてそれも聞こえなくなり、ほっと息を吐く。
コラソンは自身の格好を思い出した。
白地に赤いハート柄のシャツは今やミートソースのまだら模様で汚れている。
斬新なファッションと言い訳はできまい。
そして。
「・・・ねえ、コラソン、あなた着替えた方が良いと思うの。・・・あと、多分、私も」
・・・やっちまった。
ドロテアのスカートにミートソースの染みが移っているのを見て、
コラソンは額に手を当て嘆いた。声が出せる状況なら叫んでいただろう。
完全にドジッ子の本領を発揮してしまったわけである。
※
コラソンとドロテアはドンキホーテの馴染みの服屋に入った。
コラソンにしてみれば適当な安売りのシャツで充分だったが、
ドフラミンゴが服装にうるさいのだ。
曰く
『みっともねェナリはするな、ドンキホーテの名に泥を塗ってくれるなよ?
特にお前は”おれの”実の弟なんだからな』
だがピンクのフェザーコートをオーダーメイドで作らせた挙げ句
色違いのコートを渡してくる兄の趣味はまともではないとコラソンは思う。
兄の趣味の押しつけに反抗。兄弟間での冷戦が勃発し、
「絶対にピンクのフェザーコートなんか着るか!」から
「黒なら・・・まあ・・・」と妥協したのは記憶に新しい。
コラソンが店員にメモを渡すとすぐに汚れていない同じデザインのシャツが渡された。
試着室で着替えて出てくると、ドロテアも着替え終わったようだった。
サイズが合うものを見繕ってくれ、と投げやりに頼んだせいか、店員は妙な気を効かせたらしい。
コラソンとお揃いのハート柄のワンピースを着て、ドロテアは鏡に向かって身だしなみを整えていた。
髪飾りも取って随分と身軽になった。
とても可愛らしいと素直に思うが、お揃いの格好だなんて、
ファミリーに見られたらなんて言い訳をすれば良いだろうか。
ドロテアはコラソンに気づいたのか振り返ってぱっと微笑んだ。
「こんなに洋服が軽いの、久しぶり!髪も!」
ドロテアが纏う空気まで軽やかになった気がした。
『そりゃよかった』
メモを押し付けるとドロテアはハッ、と何かに気づいた様子で、
トランクから財布を取り出した。
「あの、いくら?」
『べつにいい』
「そういう訳には・・・さっきだってご飯食べさせてもらったのに」
どうせまとめてツケで支払われるのだ。構わない。
コラソンが頑としてドロテアから金を受け取らなかったので、
ドロテアはしぶしぶの体で財布を引っ込めた。
「・・・ありがとう、コラソン!」
眩しい程の微笑みに目を細める。
・・・なんでおれ、子供嫌いなんて設定にしたんだろう。
内心ため息を吐きながら、コラソンはドロテアの頭をぐりぐり撫でた。
ドロテアはクスクス笑っている。
※
もう夕方に差し掛かろうという時間だ。
ドロテアと2人ベンチに腰掛け、コラソンは今後どうしようかと悩んでいた。
そもそも、ドロテアの身の安全を今日一日確保し、明日家に帰したところで、
ドロテアが結婚せずにいられる保証は無い。
父親と継母がグルになっている可能性だってあるのだ。
肝心のドロテアはと言えばよほどお人形のような服が嫌だったのか、
新しい服を与えたコラソンをすっかり信頼しだしているようだった。
ニコニコと機嫌良く鼻歌を歌っている。
・・・もっと警戒しろ! アイス食うか?
ひとまずアイスの件だけ誘ってみると、ドロテアは遠慮がちに首を横に振ったが、
コラソンが肩を落として『おれがたべたい』と書くと、おずおずと頷いた。
「なんだかコラソンにはしてもらってばかり。なにか、返せないかな?」
『べつにいい』
さっきもメモに書いた言葉を指差すと、ドロテアは困ったように眉を顰めた。
その時だ。
「ん?コラソンじゃねぇか、集金は終わったんだろうな?」
聞き覚えのある声に、コラソンがギクシャクと振り返ると、よりによってドフラミンゴがそこにいる。
グラディウスとローも一緒だ。ローが抱える見覚えのある紙袋から察するに、武器を調達してきたらしい。
ボス直々に将来の右腕に武器の手ほどきか!? 今日じゃなくても良かっただろうが!
本当はそう言いたいところだったが喋れないと言う体なのでただ黙り込む。
グラディウスとローはドロテアに気づいて、怪訝そうに首を捻る。
「コラソン、お前子供嫌いじゃなかったのか?」
「・・・誘拐でもして来たのか」
年齢はまちまちだが、威圧的で柄の悪い男3人に見つめられ、
ドロテアはコラソンの足に捕まって隠れた。
その様子を見て、ローとグラディウスはますます訝しんでいる。
まずい、これはまずい。なんて言い訳すれば・・・。
コラソンが内心冷や汗をだらだらとかいていると、
ドフラミンゴが口元に手を当てなにか考えるようなそぶりを見せた後、
驚くべき事に、ドロテアに視線を合わせるために膝を着いた。
「わ、若?」
「!?」
ドフラミンゴは困惑する3人のファミリーには構わず、
ドロテアをじっと見つめていたかと思えば、その口元に常ならぬ柔らかな笑みを浮かべた。
「・・・なるほど。コラソン、確かにお前は彼女を殴ったり蹴ったり出来ないだろうな。
フッフッフ!」
グラディウスとローは勿論、コラソン、ドロテアも首を捻った。
どういう意味だ?
「ああ?なんだ。自覚がねェのか。・・・まあいいさ」
ドフラミンゴはコラソンを面白そうに笑い、ドロテアに優し気な声を作ってみせた。
「お嬢さん、名前は何て言う?」
・・・おい、なんだその声。なんだその顔。
コラソンは驚愕していた。こんなに優し気な、・・・ネコを被った兄を見た事が無い。
グラディウスとローもぎょっとしてドフラミンゴとドロテアを交互に見比べている。
当のドロテアは戸惑っていた。
「え、あ・・・ドロテア、カルド・ドロテア、です」
です!?
蓮っ葉な物言いをしていたドロテアがぽーっと頬を染めてはにかんでいるではないか。
まずい。これはまずい。先ほどとは違う意味でまずい。
コラソンは内心で奇妙な強迫観念に駆られていた。
一刻も早くこの場を離れるべきでは・・・?
しかし、ドフラミンゴは「カルド、・・・フフフ、道理で、」と意味深に呟いている。
それから立ち上がるとコラソンに向き直った。
「コラソン、どういう経緯でドロテアお嬢さんとデートに洒落込んだんだ?」
『いいかた ごへい』
「フッフッフッフ!照れるなよ!」
結局ドフラミンゴを丸め込むのは難しいとコラソンは諦めた。
それに、何が面白いのかやたら上機嫌なドフラミンゴを見て、ある考えに至ったのだ。
ドフラミンゴはドロテアをどういう訳か気に入っているそぶりを見せている。
悪いようにはしないだろう。
なら、コラソン一人でドロテアの問題を抱え込むよりは、
いっその事話してしまって巻き込もうと思ったのだ。
無駄に狡猾で回る頭を、たまには人助けに使ってくれ、と言う気分だった。