地獄変・泥眼

鬼のような女

泥眼

泥眼 でいがん … 能面の一つ。鬼と人とのはざまの顔。眼に金泥を塗った妖気の漂う面。

「ごめんください。炎柱、煉獄杏寿郎さまのお宅はこちらでしょうか?」

桜の花びらが落ち始めた日のことである。
その日、煉獄邸を訪れたのは黒髪を飾り紐で結った、清楚な雰囲気の少女だった。

自ら客人を出迎えた煉獄杏寿郎が少女に向かって鷹揚に頷く。

「俺が煉獄杏寿郎だ! ということは、君が、」

少女は眦を細めた。目元の黒子が涼やかな印象だ。
薙刀を背負っていながらも虫も殺しそうにない、たおやかな笑みを浮かべている。

「わざわざのお出迎え感謝いたします。
 はい。本日よりお世話になります、と申します。よしなに」

「うむ! よろしく頼むぞ、君!」

杏寿郎はその、どちらかといえば大人しそうな印象の少女を見た時、
顔には出さずとも意外だと思っていた。

何しろは蟲柱の胡蝶しのぶが、一度は継子と目したものの破門を言い渡した人物である。

その上、産屋敷耀哉直々に「手に負えぬ鬼殺隊の問題児を鍛え直せ」と言う指令を受け
杏寿郎の元にその身が回ってきたのだ。

どんな不良娘が現れるのかと思えば、
育ちの良さそうな女子だったので、正直なところ面食らったのである。



は鬼殺隊の最終選別が行われる藤襲山 ふじかさねやま で、放たれたほとんどの鬼を無傷で倒した逸材である。
蓮乃と共に選別に臨み、負傷した者たちを手当てしながら七日間生き残るという、傑出した才を示したのだ。

だが、これは女ながら、何年かに一度出るか出ないかの人物であると目されたのは、
が鬼殺隊に入隊してから半年ほどまで。

医療知識と腕を買われ、また女だということ、日輪刀が適正を示したことで、
の身柄は胡蝶しのぶが預かることになった、はずだった。

『申し訳ありません。さんの指導は私の手に余ります』

しのぶはどこか途方にくれた様子で、耀哉に頭を下げたそうだ。

真面目で指導力もあるしのぶが、新人のを半ば放り出すようにして破門したのは
柱の間でも暫く話題になった。

はまだ発展途上だが、それでもとても強い子だよ。頭も切れる。
 ただ、少し“遊び”が過ぎるきらいがあるね」

杏寿郎にの指導を命じた時、耀哉はそのように述べていた。

「でも、きっと杏寿郎ならを鍛えあげてくれると信じているよ」
「はい! ちょうど継子を探していたところ!
 必ずやお館様の期待に応えてみせましょう!!!」

杏寿郎が軽く話を聞いただけでも、は炎の呼吸を扱うのに適した人物とは思えない。
どちらかといえば炎の呼吸とは正反対の流派、
水の呼吸の派生である蟲、花の呼吸に蓮乃は適性を示したのだ。

だが、それでも水柱である冨岡義勇ではなく、
杏寿郎こそが監督にふさわしいと耀哉に命じられたからには、
全力で取り組むまでであると、杏寿郎は胸を張って応えたのだが。



「全く! 拍子抜けするほど順調だな!」
「左様ですか。それは良かった」

杏寿郎は腕を組んで袴姿のを見やった。
組手をやって何度も杏寿郎に投げ飛ばされても、にはへこたれた様子がない。

一週間ほどの面倒を見てわかったことは、が何事もそつなくこなす質だということだ。

朝は誰よりも早く起き、食事の用意や掃除までさっさと行い、
そして何より訓練に熱心だった。

「君は何か、もともと武道を嗜んでいたのか?」
「薙刀を。それから柔道を少し。流石は柱ですね、歯が立たなかったです」
「早々に歯が立ったら困るぞ! はっはっは!」

笑う杏寿郎に、は微笑むばかりである。

とても耀哉に「“遊び”が過ぎるきらいがある」と言われたとは思えない、
脇目も振らぬやり方の訓練に付いてくるに、
杏寿郎はこの分なら任務に出してもいいだろうと思っていた。

ただ、一つだけ懸念がある。

杏寿郎が耀哉からあらかじめ手紙で与えられた情報だと、
はしのぶから破門を申しつけられた後、暫くの間は一人でいくつかの任務をこなしていた。

その間に斬った鬼の数は15体。しのぶの元でも5体の鬼を倒している。
合計20体。入隊して一年足らずの新人にしてはあまりに多く、驚異的な数字といってもいい。

のこなした任務には一人での任務も合同任務もあった。
杏寿郎の懸念は、の合同任務における評判が、“すこぶる悪い”ことにある。

「それで、煉獄さま、私はいつ任務に出られましょうか」

は訓練の最後、道場の雑巾掛けを終わらせて、杏寿郎に問いかけた。

「そう堅苦しく呼ばなくてもいいぞ! 例えば、兄と呼んでくれても構わん!」
「あら、うふふ……ご冗談を」

半ば本気で言ったことをさらりと笑顔で躱され、
杏寿郎はそっと咳払いをした。本題に入ることにする。

「うん、ちょうど一件、それらしい情報が来ている。
 明日には出発したいと思っているところだ。本来は君一人で就く任務だが、俺も行こう!」
「まぁまぁ、そんなにお気遣いを頂かずとも、一人でこなせますのに」

頰に手を当てて困ったように首をかしげたに、杏寿郎はまっすぐに答えた。

「いや、これは気遣いじゃない」

は薄い笑みを湛えたまま、杏寿郎のことをじっと眺めている。

「君の“素”の戦い方を見ておきたい! 
 訓練ではなく実戦でこそ、君がどういう人間かわかるはずだ!」

と合同任務に出かけた隊士の中から、脱隊を申し出るものが続出した。
彼らはあまり多くを語らず、青ざめた顔でただ『辞めたい』と言った。

『あの女とは共に戦えない』『あれは人間じゃない』『“鬼”だ』と。

「……では、明日は好きにしてもよろしいのですね?」
「あぁ、思うようにやってみるといい! 危なくなれば俺が出るから安心してくれ!」
「ふふ、」

は歯をこぼすようにして笑った。
陶器のような白く尖った犬歯が、唇から覗いてきらりと光った。

「ありがとうございます、煉獄さん」



その鬼は山奥の廃寺を根城にしていた。
杏寿郎とが夜を待ってその寺に踏み入った時にはまさしく食事の最中だったらしい。

ロウソクの薄明かりに照らされるのは
鬼が人間の足を抱え、貪り食っているところだった。

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……バラバラになってしまってわかりませんが、
 少なくとも5人以上は食べてますねぇ、息のあるのはいなさそう」

が薙刀を未だ構えずに、鬼を眺めている。
床に食い散らかされた遺体が無残に横たわっていた。

「なんだ、お前ら、鬼殺隊か……?!」

ここから先はに一任していると、
杏寿郎は寺の入り口に立ち、成り行きを見守った。

「はい。では、参りますよ」

はいとも簡単に、鬼の前に躍り出た。
薙刀は鬼の手足をなぎ払い、あっという間に手足をもがれた鬼は床に転がった。
異能を発する間もなく、鬼は半ば呆然とを見やっている。

普通の隊士なら手足が再生される前に、ここで首を落とすところだ。

だが、は首を落とさなかった。

「ギィ、ヤァアアアアア!!!」

それどころか薙刀の刃が鬼の腹を生きたまま裂いていく。
再生する側から薙刀が振るわれる。
腹を裂くのに飽きたのか、は鬼を薙刀で貫いて、そのまま寺の壁に串刺した。

「ぐ、ぇぇ!?」
「……痛いですか?」

磔になった鬼を見て何を思ったか、は鬼の傷口に手を入れる。

「はーッ、はーッ、お、おま、お前、食い殺してや、ぁああああああ!!!」

は鬼のはらわたを引きずり出した。

「鬼というのは、切り落とされた肉も繋がり、傷などもたちどころに治る。
 ただの人としては羨ましい限りです。……でもね?」

白い指が鬼の顎を撫で、まぶたにたどり着いた。

「痛いものは痛いのでしょう? うふふ、ふふふふふっ!」

何かが潰され弾けるような音がする。鬼の悲鳴が途切れない。
執拗な拷問を繰り返し、は返り血で隊服を真っ赤に染めながら、笑っている。

鬼は最初のうちこそを殺すと喚いていたが、
切り刻まれ、目を潰され、はらわたをかき回されているうちに、再生速度が落ちてくる。
このまま嬲り殺されることに気づいた鬼は、涙声になった。

「殺せ……殺してくれ……く、首を切ってくれ……」

哀願する鬼に、は満面の笑みを浮かべる。

「嫌です」

はうっとりと自身の頰に、血まみれの手のひらを這わせた。

「朝まで苦しんでのたうち回ってください。
 さぁさぁ夜は長いのですから、もっともっと、悲鳴を聴かせてくださいな!」

ひゅ、と鬼が絶望に息を飲んだ時だった。
先ほどまでつながっていた鬼の首がぽん、と跳ねた。

「あ」

がぽかんと口を開けて、日輪刀を振るった杏寿郎を見やった。
鬼はサラサラと、解けるように塵になっていく。

杏寿郎はを険しい顔つきで見下ろした。
最後まで見るつもりが、見ていられなくなったのだ。

「……いつでも首を切れたはずだ。少なくとも執拗に甚振る必要はなかった」

怒鳴りつけるのを堪えて言うと、
は途端に興ざめしたような、つまらなそうな顔になった。

「朝になったら陽の光に晒して殺そうと思っていたのです。
 そもそも、同じように死んでしまうのに、どうして首を切らねばならぬのでしょう。
 好きなようにやれとおっしゃったのは煉獄さんですよ」

「隙をみて逃げ出されたら?
 君が鬼を甚振るのに夢中になってる隙を狙われることもあるだろう」

「その時はその時じゃないですか」

杏寿郎は唖然とした。

「鬼を逃してもいい」と言う信じられない言い分を、
は本気で口にしたのだ。

杏寿郎の戸惑いを見て取って、は眦を緩めた。
血塗れになりながら、虫も殺さぬような、たおやかな笑みを浮かべてみせる。
ロウソクの火が黒い瞳に映り込み、金色に燃えていた。

「私はね、煉獄さん。
 鬼を苦しめて殺すことができるから、鬼殺隊に入ったんですよ」

 “鬼”だ。

目の前にいる少女に拭い切れない嫌悪を覚え、
思わず杏寿郎の鞘を握る手に力が篭る。

胡蝶しのぶがなぜ、を破門したのか。
なぜ、と任務についた者たちが鬼殺隊を辞めたいと思ったのか。

杏寿郎は今それを、はっきりと理解していた。
彼らはに、共に歩むべき隊士の女に、“鬼”を見たのだ。

杏寿郎は眉を顰め、日輪刀を鞘に戻した。

「戻ろう。君」

は意外そうに瞬いたが、素直に先をゆく杏寿郎のあとをついてきた。

 野放しにはできない。捨て置くなどもってのほかだ。

『生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、
 その力を世のため、人のために使わねばなりません』


母の教えが杏寿郎の脳裏をよぎる。
おそらく、今度は杏寿郎がそれをに教え、守らせねばならない番なのだ。