悪癖
その日はよく晴れていて月明かりの美しい夜だった。
薙刀の師範の稽古に熱が入り、
が帰る頃には日も暮れて久しく、月が頭の真上に光るほどだった。
指導の腕がいいのはわかるけれども、熱が入りすぎてこうも遅くなっては
父に心配をかけてしまうと、はそう遠くない自宅まで帰路を急ぐ。
街灯の下を通った時、影がの前に降って湧いた。
塀の上から人が落ちてきたのだと思って、は目を丸くする。
「あのぅ、大丈夫、ですか?」
もしかして泥棒かもしれないと、抱えた薙刀をそっと握りしめたのも束の間、
うつむいていた影が顔を上げる。
そしては、鬼に出遭った。
※
「むぅ……」
文机を前に腕を組み、煉獄杏寿郎は悩んでいた。
悩みのタネはもちろん、弟子となったばかりののことである。
をどう扱うべきか、考えあぐねていたのだ。
柱以外の隊士は吹けば飛ぶように次々と死んでいく。
そんな慢性的な人手不足の鬼殺隊の中で、は確かな戦力である。
ここまで戦える人材を任務に就かせない、と言うのは勿体無い。
廃寺での戦闘を見てもその才覚は伺える。
全集中の呼吸を使わない状態でも、
身のこなしと人体への知識だけで、鬼を圧倒していた。
「だがなぁ、あれは良くない……良くないぞ」
「何が良くないのでしょうか?」
「っ!?」
気配に気づけなかった杏寿郎が驚いて振り返ると
が襖を開いて笑っていた。
「お声がけしたのですけれどもお気づきになられず。
随分こんを詰めてらっしゃるようで。休憩になさったらどうですか?」
「……ああ、ありがとう」
基本的には、の鬼のような性質が露わになるのは鬼殺の任務にあたる時だけで、
日常生活を送る分には良く気がついて良く働く、弟子の鑑のような人物でもあった。
「そうそう。今日のお茶請けは“半殺し”です」
「なんだって?」
物騒な言い草に眉を上げた杏寿郎に、はカラカラと笑って皿を差し出した。
「うふふ。“皆殺し”の方がよろしかったですか?」
「君! おはぎの事ならそう言ってくれるとありがたいな!」
どうも先日の任務を経てから、は随分気安くなったように思える。
あまり笑えない冗談を言ってクスクス笑うに、杏寿郎は息を吐いた。
「ではでは、弟君とお父君にもお渡ししますので、これにて、」
「君。少し話がしたい」
杏寿郎の言葉に、は浮かしかけた腰を落ち着ける。
「はい、なんでしょう?」
「君は、鬼に格別の恨みを持っているのか?」
実のところ、杏寿郎はその答えを聴く前から理解していた。
「いいえ。全然」
は杏寿郎の予想通りの答えを笑顔で返す。
やはり、と杏寿郎はわずかに眉をひそめた。
しのぶがを受け入れがたく思ったのも、おそらくそこに理由がある。
もしもが親兄弟を殺されたとか、大事な人間を殺された恨みから
鬼へ残酷な仕打ちをしたのであれば、しのぶは窘めこそすれど、を遠ざけることはなかっただろう。
きっと同じような境遇の理解者として、人一倍親身になって、に接したはずだ。
「母は死にましたけれど、鬼が原因ではありませんし、
父は健在です。特別強く恨んでるとか、そう言うことはありませんよ」
両親について触れたに、
杏寿郎はそういえば、と思い出したことがあった。
「君の父君は確か、蝶屋敷の近くで診療所を開いたそうだな」
の目がわずかに泳いだ。
「……はい。私が鬼殺隊に入隊するにあたって、どうしても力になりたいと聞かなくて。
剣士としては無理でも、医者としてなら協力できるだろうと」
「ほう! 親子揃って入隊したのか!」
感嘆する杏寿郎に、は気恥ずかしそうに苦笑した。
「どうにも過保護で困ります」
その苦く笑った顔を、杏寿郎は珍しいと思った。
はいつも笑みを浮かべているが、
こんな風にどこか素朴な、自然な微笑みを見せることは滅多にない。
どうやらは、父親のことを本当に大事に思っているらしい。
では。
「父君は君の悪癖を知っているのか?」
は瞬いて、それから緩やかに首をかしげる。
「もしかして脅そうとなさってます?」
杏寿郎はキョトンと、目を瞬かせた後、合点がいったとばかりに手を叩いた。
なるほど、父親に全てを話すから残酷なやり方で鬼を殺すのは止めろと、
そう言う風に脅す方法もなくはない。
「ああ! そういう手も無きにしも非ずだ!」
「はぁ」
は間延びした答えを返すと、じっと杏寿郎の目を探るように見た。
「そうなったら、あなたを殺して、私も死ぬしかありませんねぇ」
うっとりと、囁くように言われて硬直した杏寿郎に、は盆を持って立ち上がる。
「うふふ。冗談ですよぉ、本気になさらないでくださいな」
「失礼いたしました」と、襖を閉めて去っていったをみやり、
杏寿郎は静かにため息をこぼした。
「本気だったな、今のは……」
※
杏寿郎はの指導方法を決めかねたまま、次の任務にを連れていった。
強力な鬼が出ると言うので他にも階級がそこそこの2人の隊士が集まることになっている。
柱を中心に、部隊を組んで鬼殺に当たるのも珍しいことではない。
鬼の根城と思しき小道に向かう道中、杏寿郎はにこう言いつけていた。
「君、君は鬼を見つけたら俺と、もう二人のうち誰かを呼んで
合同で首を切ること」
は足場の悪い山道の小石に目を落とした。
「必ず首を切らなきゃダメですか?」
「ダメだ」
どこか悲しげにも見える顔と声色で問いかけられたが、
杏寿郎は取り合わなかった。
あっさりと断られて、はわざとらしくため息をこぼした。
「じゃあ、首を切るのは別の方に任せて、
私は“隙を作る”と言うのはどうですか?」
「……それで構わない」
杏寿郎は頷いた。
「わかりました。そのように」
は微笑んで命令を飲む。
最初から「首以外を切るな」「拷問するな」と言うのは簡単だが、
そうするとは日常生活の方に支障がでると言うのが杏寿郎の結論だった。
現に、先日の廃寺での任務から鬼殺を制限されたは
訓練にあってはよりピリピリと殺気立った動きを見せた。
訓練以外では大して変わった様子は見せないが、それも時間の問題だろう。
おそらく、は日常に置いてかなり“自身を抑えている”。
そうしているうちに溜まった鬱憤を鬼にぶつけ、それで心身の帳尻を合わせているのだ。
この鬱憤が溜まるにつれ、の殺気立った行動は徐々に程度を増していくに違いない。
だからから鬼殺の任務を取り上げるわけには行かない。
杏寿郎は少しずつ、時間をかけて、に“才ある者の宿命”を理解させねばならないのだ。
考えに耽っていた杏寿郎を、の声が現実に引き戻した。
「着きましたね、あちらの二人が合同で任務に当たる方々でしょう」
その小道の前、鬼殺隊の隊服を着た二人の青年が杏寿郎とを見つけると腰を折った。
二人の後ろには鳥居が延々と続いている。
杏寿郎は鳥居を見上げた。この辺りに神社があるとは聞いていない。
「これは元々こんな道なのか?」
「いえ、昼間はこんな鳥居、ありませんでした」
「日が落ちてしばらく経つとこんな風になって……」
二人がいぶかしむように言うのを聞いて、は杏寿郎に顔を向ける。
「どう考えても、これ、血鬼術ですよねぇ」
「そうだな! 行こう! 各自固まって行動!
くれぐれも気をつけるように!」
まるで誘い込むような敵陣だったとしても、行かねばならない時もある、と
杏寿郎は先陣を切って歩き出した。
※
その鳥居には終わりが見えなかった。
鳥居と鳥居の間には一定の間隔で灯篭が置かれていて
ぼんやりとした明かりが灯っている。
4人は黙って鳥居をくぐり、小道を歩き続けた。
何本目かわかぬほどの鳥居をくぐった時に、一番後ろにいたが声をあげる。
「うふふ。この鬼、回りくどいことをなさるんですねぇ」
そう言うや否や、は薙刀を灯篭が照らした自身の影に突き刺した。
「ギャッ!」
「ッ?!」
の影は苦悶するように形を変え、そして鬼となって飛び出した。
だが、の隊服、腕のあたりからも血が流れている。
「だ、大丈夫か!?」
「……影を攻撃すると自身も傷つくようですね、私は平気です。お気遣いなく」
は薙刀をぎゅ、と握りしめた。飛び出して来た鬼は自身の腕の傷を舐めると、
ニヤニヤと皆を笑う。
「気づいたところでもう遅い」
鬼が他の隊士に斬りかかった。応戦する隊士が鬼の手を斬りつけると、
の左手から血飛沫があがる。
それを見て、皆おおよそのことは察していた。
つまり、この鬼へ攻撃するとも同じ場所に傷を負うのである。
鬼は粘りつくような笑みを、より一層深くした。
「さぁさぁ、どうするどうする!? 仲間を見捨てて俺の首がき、」
挑発する途中、鬼の首は一瞬ではね飛ばされていた。
真っ先に動いたのは他ならぬ自身だ。
「なんだ。こけ脅しでしたねぇ、私の首、繋がってますよ」
薙刀を片手で回して、は刃についた血を払う。
一筋、の首に傷がついて血が滴ってるものの、軽傷で済んだ様子だ。
「良かったですねぇ、万事解決です。めでたしめでたし」
朽ちていく鬼にパチパチと拍手してみせるを
杏寿郎は厳しい表情で一瞥し、二人の隊士は呆然と見やっていた。
あたりを取り巻いていた鳥居と灯篭は消え、鬼も退治できた。
だが、杏寿郎はの悪癖がより質の悪いものだったことに気がついていた。
は青ざめた隊士二人を見て、とても愉快そうに笑っている。