上弦の参 襲来
は怪我人の救護に当たりながらも思案する。
鬼の肉が死に際に吹き出し、衝撃を殺したおかげでさほど重症の者はいないが、
いかんせん乗客の数が数だ。一人でさばききれるものではない。
「眠り鬼さんの血鬼術、やはり相当強力ですね、死んでも効果が切れない上に、
この惨状でも起きてるのは鬼の手下だったらしい人間が数名。
あとはみんな眠ったままですか……」
打ち所が悪い者や流血している者も何人かいそうだ。
血鬼術のせいで眠っているのか、頭を打って昏睡しているのかの判断も難しい。
これは増援が欲しいと、はキリの良いところで乗客を救助するのを止め、
指笛で鴉を呼んだ。
パタパタと羽をはためかせた鴉を腕にとめ、は指示を出す。
「隠のかたに複数の病院への事前連絡のお願いと、
現場に医師、あるいは応急処置のできる方の派遣をお願いします。
夜明けまではまだ時間がありますし、日が昇ったころの到着で構いませんので」
「カァアア!! カァアア!! 承知承知!! 合点承知ィイ!!」
鴉を見送って、は「これでよし」と満足げに頷いた。
こうしておけば、後々円滑な治療に当たれるだろう。
この一件は鬼殺隊が手を回して、ただの交通事故として処理されるはずだ。
幸か不幸か、魘夢が乗客を眠らせたことで
乗客は混乱を起こすこともなかった。事後処理も楽だろう。
血鬼術のおかげで大体のことがうまく運んでいるのも皮肉な話である。
「あの眠り鬼さん、“策士策に溺れる”というのを全身で体現なさってましたね。
私も気をつけないと……」
一人呟きながらまた救護に当たっているときだった。
ドォン、と轟くような音が響いた。
見れば伊之助が汽車に体当たりして運転手を助けている。
は伊之助の元に駆け寄った。
「嘴平くん、大丈夫ですか?」
「お面女!」
伊之助はに気づいて顔を向けた。
運転手は地面に這いつくばって、息を荒らげている。
「嘴平くんは見たところ軽傷ですね、よかったよかった。
あらら、運転手さんは足が挟まっちゃったんですねぇ」
がすぐさま処置に移ろうとするのを、伊之助が肩を掴んで制した。
「……そいつ、健太郎のこと刺したんだ」
「うん?……ああ、竈門くんのことですか?」
馴染みのない名前が出て来て一瞬怪訝な顔をしただが、
すぐに腹を刺されていた炭治郎のことを思い出して問いかける。
伊之助はこくりとに頷いた。
はそれを聞いて、口元に手をあて、薄い笑みを酷薄なものに変えた。
「ふぅん? なるほどね。運転手は鬼の仲間だろうとは思ってましたけど、
うふふ。あなた、なかなか悪い人ですねえ、
竈門くんには何も罪はありませんでしょうに」
運転手は眉を顰め、を睨む。
だが、はそれでもしゃがみこみ、さっと応急手当に移った。
傷の具合を見て、は目を軽く眇める。
「因果は応報するものですね。あなたは左足を失うかもしれません」
「なんだと……!?」
運転手は青ざめ、伊之助も息を飲む。
は手際よく応急処置に当たりながら口を開いた。
「ふふ、……怖いですか?」
弓なりに細められたの目に、妙な凄味を覚えて運転手と伊之助は黙り込んだ。
その顔を見て、はにこやかな笑みを浮かべる。
「今、応援の医師を呼んでいます。私もこうして処置をしている。
正直なところ足の方は五分五分と言ったところですが、あなたはまだ生きています。
あなたの刺した少年と、あなたを助けたそこの彼が鬼を斬ったから」
「そうでなければ、あなたは鬼に食われて死んでましたよ」と、
はなんでもないように言った。
運転手は信じられない、と首を横に振る。
「彼は、幸せな夢を見せてくれると、」
「そんなうまい話があると思います?
あの鬼、幸せな夢を見せた後に悪夢を見せて、
苦しむ人間を食うのが好きだったそうですよ。
私を同類扱いして、嬉々として教えてくれましたけど」
処置をしながらの淡々とした言葉に、運転手は絶句した。
その様子からして、どうやら思い当たる節のようなものはあったらしい。
「まあ、食われてしまえば、辛いとか怖いとか痛いとか、
そういう思いはしなくて済んだかもしれません。
助かった後のことは知りませんから、命の使いようはご自由に。
……でも、忘れないでくださいね?」
止血しながら、は続ける。
「名も知らぬあなたのために、命をかけた人間がいたことを。
あなたの命が助かれば、少なくとも私の上官は喜びます」
の顔は、いつになく穏やかだった。
「あの方は鬼に誰も喰われず済んだことを、一人の犠牲も出なかったことを、
何より嬉しく思うような人なんです」
処置を終えて、は立ち上がり、運転手を見下ろした。
「だから私も、あなたが助かって嬉しいですよ。
あなたの刺した少年も、ちゃーんと生きておりますから、
あなたはまだ人殺しじゃない。よかったですね?」
にこやかに微笑んだに、運転手はなんとも言い難い表情を浮かべた。
強いていうなら後悔のようなものが強く滲んでいるように見える。
伊之助はの顔をじっと見つめ、沈黙していた。
視線に気づいたはいつも通りの笑みを浮かべ、口を開く。
「さてさて、嘴平くん、他の方々もちゃっちゃと助けてしまいましょう!
任務が終わったら皆さんにみつまめを奢ってあげますから、」
明るく言うの言葉を遮るように、鎹鴉が空を切ってやってくる。
杏寿郎の鎹鴉である。ひどく焦っている様子だ。
瞬いたと伊之助の耳に、信じがたい言葉が飛び込んでくる。
「カアァアア! カアァアア!
上弦ノ参襲来! 上弦ノ参襲来!!
炎柱劣勢! 炎柱劣勢! 今スグ援護ニ向カエ!!!」
は鴉が言葉を終えるより先に、駆け出していた。
※
鬼と人間の技量が同程度なら鬼が勝つ。
これは当然の成り行きだ。
人間が負傷したら傷は塞がらない。鬼に比べて疲弊しやすいのだから、
時間がかかればかかるだけ不利になる。
鴉が劣勢と言っていたのなら煉獄さんは既に負傷している。
ただでさえ眠り鬼との戦闘で、五両もの車両を守り通した後だ。
一刻も早く援護しなければ……!
が現場に着いて見たのは、恐ろしく威圧感のある鬼、猗窩座と、
左目を潰された杏寿郎の姿だった。
膝をついた炭治郎を後ろに庇っている。
が息を飲む間もなく、猗窩座が、杏寿郎が動く。
の体は気づけば動いていた。
無我夢中だった。
技と技とのぶつかりあいの結果は瞬時に理解できている。
は猗窩座と杏寿郎との間に体を滑り込ませた。
宝蔵院流 表十五本式目 薙刀
炎の呼吸を乗せた技で杏寿郎の技を補強し、肩と薙刀で猗窩座の拳を防御する。
被っていた学帽が放たれた技の風圧で飛んだ。
「ぐっ……!?」
鈍い音がした。左肩を砕かれた。
鉄製の柄に小さくヒビが入る。
「君!?」
杏寿郎の驚く声が聞こえたがは無視した。
無理な体勢から、足を地面になんとかつけ、踏み込む。
罰の呼吸 弐ノ型
技を打ち込んで猗窩座に距離を取らせた。
しかし、並みの鬼ならば体に穴が開く連続突き、“
体勢の無理があって威力が落ちていたにしても、
猗窩座に与えられたのは絶望的なまでのかすり傷。
肉が多少抉れた程度で、首に至っては数ミリほど肉を削いだに過ぎない。
はその手応えに奥歯を噛んだ。
どういう硬さだ、あの鬼!
鉄製の柄にヒビ、金剛石でも砕いたかと思うほどの反動……! 手が痺れる……!
緊張と骨を砕かれた痛みに、の額からドッと汗が吹き出る。
だらりと左手を垂らしながらも薙刀を構え、猗窩座を睨んだ。
「新手か」
猗窩座はを見て愉快そうに笑う。
傷跡一つ残らず、瞬時に再生された鬼の体に、は眉を顰めた。
猗窩座の瞳に刻まれた数字は鴉の告げた通りの“上弦の参”
鬼舞辻無惨直属の十二鬼月の中でも、3本の指に入る鬼だ。
「……ふふ。これが“上弦の参”ですか、なるほどね」
の唇が弧を描く。
後ろにいた杏寿郎がの横に並び立った。
「君、下がれ、負傷した君では、」
「足手まといになるとでもおっしゃるんですか、なりませんよ。わかっているでしょう」
「上官命令だ、聞け」
互いに猗窩座を見据えながも、交わされる言葉は淡々と響いた。
は杏寿郎を一瞥もせず、断じた。
「嫌です。聞けません」
杏寿郎の副官となってから、
が杏寿郎の命令を聞かなかったのはこれが初めてだった。
「煉獄さん、諦めてください。私はここで我を通します」
「……死ぬつもりか、この後に及んで」
杏寿郎の苛立った声に、は瞬いた。
不思議と的外れな言葉に聞こえた。
は今、死ぬつもりなどさらさらない自分に気づいて、嘆息する。
ずいぶんな心境の変化であると自嘲したのだ。
それに、むしろ、
「それはこちらのセリフですわねぇ。あなた、その体たらくで何をおっしゃる。
自分一人守れぬ人間に、他の誰が救えましょうか」
その上、煉獄杏寿郎はまた、一人でなんとかしようとしている。
全くあたかも当然のように。
は前々から思っていたことを、遠慮なく口にする。
「……あなたって本当に傲慢で強情で、そのくせ薄情な方ですよね」
杏寿郎は痛罵されて眉を顰める。
は猗窩座を見据えたまま、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「もう少しご自分の副官を、信頼してもよろしいんじゃありません?」
私がいるだろう。
そう言ったに杏寿郎は瞬いて、深く息を吐く。
相変わらずの不敵で人を食ったような言動。
だが、今回ばかりは。
「上官への物言いがなってないぞ。君。
いやしかし! 気合は入った! ありがとう!」
「どういたしまして」
構えた杏寿郎とに、猗窩座が笑みを浮かべ声をかける。
そこに伺えるのは確かな余裕だ。
「話は済んだか?」
も微笑んで猗窩座に答える。
「わざわざ待っててくださるとは、律儀な鬼もいたものですねぇ。
申し遅れました。と申します」
杏寿郎同様に丁寧に名乗ったに、猗窩座は目を細めた。
「俺は猗窩座。……珍しいな、お前も柱か?」
「……ああ、勘違いさせてしまったかもしれませんが」
は片手で薙刀を手慰むようにくるくると回す。
問題なく得物を使えることを確認した後、地を蹴った。
「名乗りましたけど、よしなにする気はございませんので、悪しからず」