修羅場
決定打が見つからない。
は息切れしだした体を叱咤する代わりに無理やり笑みを浮かべた。
疲弊がの体を重くする。
砕かれた肩は痛み、動かすと激痛が走るが、弱音を吐いている場合ではない。
この猗窩座という鬼、今まで相対したどの鬼よりも強い。
私を正確無比と呼んだのは嫌味か何かか?
こちらの防御が甘いところに吸い寄せられるような正確な攻撃、
何より腹が立つのが、この鬼、我らとの戦いを心底楽しんで興じている……!
猗窩座の足元に、勝ち筋を指し示すように羅針が浮かぶ。
術式展開 破壊殺・脚式
今まで拳撃のみを扱っていた猗窩座の足技に、は距離を踊らせる。
すぐさま杏寿郎が援護に入るがその衝撃に、は再び地面に転がっていた。
それでもなんとか受け身をとって、杏寿郎とともに技を展開する。
宝蔵院流 裏十一本式目 薙刀
炎の呼吸 壱ノ型 不知火
だがそれも読まれている。
後ろに距離を取られ、虚空を打つ拳撃で威力を殺された。
杏寿郎も息を切らしながら猗窩座を睨んでいる。
このままでは共倒れだ。夜明けまで持たない。
肩を砕かれた私ではあの首を切るには力不足、
斬首は煉獄さんに任せるしかない。それは敵も味方もわかってるはず。
だが疲労や弱気を顔に出すわけにはいかない。
少しでも首を斬れるのだと思い込ませろ……!
煉獄さんの消耗も激しい。私の方が余力があるのだから、
時間を稼ぎ、こちらになんとか注意を引かねば!
は猗窩座に不敵な笑みを向けた。
「抜き身の刀のような鬼ですねぇ、あなた……!
確かに数百年、鍛え抜いてきたのがわかります。
長きに渡る研鑽。武術を少しばかり齧った者としては
素直にお見それいたします。が、」
空々しく褒め称えたは、しかし、薙刀の切っ先で猗窩座を指した。
「あなた、手段と目的、取り違えてやしませんか?」
「何だと?」
「ひたすらに鍛え強くなりたいと願うにも何か理由がありましょう。
なぜそんなに強くなりたいのですか?」
突然の質問に猗窩座はの目を見て、黙り込んだ。
の口ぶりには揶揄するような色が見える。
「もっともらしいのは『鬼舞辻無惨への忠誠』ですが、
あなたは心底、我らとの力比べ、技比べを楽しんでおられる。
本当に忠誠心だけが強さを渇望する理由ならば、
あなたはこのように興じたりはしない。
我らの命を奪うことだけを考えて、戦いを楽しむようなことはしないはずでは?」
「ほら、無惨ってそういう“遊び”を嫌いそうじゃないですか。
慎重で、どちらかと言えば成果主義っぽいですし」と
どこか面白がるように言うに猗窩座は耳を疑った。
はまるで、無惨の人となりを知っているような口ぶりなのだ。
「まあ、あなたが上弦の“参”ならば、
上に壱とか弐とかいるんじゃないかと思いますから、
こちらとしては人間を巻き込まず、
その方々と鬼同士勝手に潰しあってほしいものですけど。
……そういうわけにもいかないのでしょう?
大変ですねぇ、“鬼舞辻無惨の直属”というのも」
の挑発に猗窩座のこめかみに青筋が浮かぶ。
だが、それ以上にの口にする情報は思わせぶりで、問いかけずにはいられなかった。
「……随分知ったような口を聞くのだな。
お前があの方の何を知っている?」
は弓なりに目を細める。
「生きたまま鬼を解剖した際に、“鬼舞辻無惨”とは何度か相対しておりますので」
「……!?」
その場にいた者は皆驚いていた。
と、そしての上官である杏寿郎以外は。
は小首を傾げてみせる。
「正確に言うのなら、“無惨の細胞”と言ったほうが良いのかしら。
あの方、“情報漏洩”を大変恐れていましたねぇ。
私が解剖をしているらしいと気づくと、
たちまち鬼の口とか腹から肉塊やら手やらが生えてきて……うふふっ、参りましたよ。
鬼は死んでしまって解剖できる箇所が減りますし、
私も攻撃を受けますし、毎回踏んだり蹴ったりでした」
何を思い出したのか陶然と頬を染めて、愉快そうに笑うに、
猗窩座は不穏なものを感じ取って眉を顰めた。
頭のどこかが警鐘を鳴らしている気がしたのだ。
猗窩座は、実力では確かに凌駕しているはずの女に、奇妙な怖気を覚えていた。
「ふふ、でも……それでわかったこともあるんですけど。
ねぇ、どんな気分なのですか?
自分ではない誰かに、頭の中を四六時中覗かれているというのは」
猗窩座の纏っていた空気が変わる。
に向けられる恐るべき鬼気に、杏寿郎は顔を顰めた。
時間稼ぎ、回復に努めるだけの時間は十分だった。
「……君、もういい」
「いいえ。まだですよ、まだ聞きたいことがあるんです」
だが、は未だ挑発をやめないつもりらしい。
完全に悪癖の箍が外れていた。
「猗窩座、あなたは私の最初の質問には、答えないのですか?
それとも、“答えられない”のですか?」
はいつでも技を出せる体勢を取りながら、
膨らんでいく殺気をむしろ楽しむようなそぶりで、弾んだ声のまま喋り続ける。
「わからないことを責めたりはしません。覚えていなくても仕方ないことです。
なにせ無惨の血と細胞は苗床となる人間の身体中に根を張るもの。
それは脳も例外ではありません。
……むしろ、脳こそ一番に蝕まれるんじゃないかしら?」
の挑発に苛立ちながらも、しかし、
猗窩座はなんの反応も返してはいけなかった。
の口にする仮説の中で確かに当たっていることが一つある。
無惨は情報漏洩を極端に恐れている。
ここで是も非も返してはいけない。その反応自体が“情報”だ。
鬼殺隊に情報を与えることを何より無惨は嫌がるだろう。
はそれを漠然と理解していたらしい、
弾んでいた声色は哀れむような色に変わった。
「ふふふっ、全くひどい話ですよねぇ!
記憶は蝕まれ、ただひたすらに漠然とした“強くなることへの渇望”だけが残り、
渇望する理由はすでに失われているが故に、
どんなに鍛え上げたところで永久に満足することはない」
猗窩座の拳が一層固く握られる。
その鬼気は今やむせかえるようだが、
は猗窩座の怒りを楽しむように口角を歪める。
「断言します。あなたの渇望は満たされない。
自分が選んだ強い人間を鬼にしたところで満足することはないでしょう。
きっと屍山血河をいたずらに築くだけ……」
は知っていた。
もしも自身と同等か地力が上の鬼と相対した場合は油断を誘うか、
判断力を落として隙を作り、首を斬るのだ。
だからこそ、私は相手を一番怒らせる言葉を選ぶ。
……半分は趣味だけど。
とどめとばかりに、はにこやかな笑みを作って、首をかしげた。
「そんな永遠、楽しいですか?」
その言葉を言い終わるか否かの一瞬だった。
破壊殺・乱式
ドッ、と音を立てて、拳の連打がを襲う。
宝蔵院流 裏十一本式目 薙刀
破壊殺・砕式
畳み掛けるような猛攻に、は一番速く技の出せる蟲の呼吸を乗せて対応するが、
先ほどまでとは全く異なる速度と強度の攻撃に、躱しきることはできなかった。
「……! だから言わんことじゃない!!!」
杏寿郎の援護でなんとか致命傷を回避しているような状態だ。
は短く舌打ちする。
怒りに任せた攻撃、狙いは分かるが躱し切れる速度じゃないな、これは!
私の防御がもう少しうまくいけば、ある程度隙ができてるから
煉獄さんに首を斬ってもらえそうなものを……!
「露骨な時間稼ぎだったな、!
お前は鬼にならずとも結構だ。ここで死ね!」
「あらあら、振られてしまいましたねぇ!
願い下げですよこちらから!」
それでも笑みは崩さぬままに、は頭を全力で回転させる。
体を想像の通りに動かし続ける。
勝負事において必勝の原則は
相手の嫌がることを、相手が音を上げるまでやり続けること!
罰の呼吸 弐ノ型
薙刀での連続突き、今度こそ頭と体に穴を開けた手応えはあったが、
首だけはやたらに固く、貫けない。
体の傷は鬼である猗窩座ならばすぐに元どおりになることはわかっている。
動かすと痛む左手は重石にはなっていない。
しかし攻撃の威力がどうしても落ちる。
関節を狙う。特に足を念入りに狙う。重心移動を崩してやる。
相手の動きを予測し、それを阻む攻撃をし続ける。
罰の呼吸 壱ノ型
柄をぐるぐると振り回し、遠心力任せに飛んでくる拳を斬り飛ばす。
だが、斬り飛ばしたはずの拳は瞬きもしないうちに再生する。
は伝わる感触と反動に眉を顰めた。
なんなんだこの異常な再生速度……!
普通の鬼ならとっくに再生力が落ちている頃合いだと言うのに!
の手のひらにビリビリと痛みが走る。
生半可な技ではその肉体を両断できない。
猗窩座はあまりに強い。あまりに遠い。
だが、幾たびの撃ち合いの中に、はか細い勝ち筋を見出した。
いざとなれば薙刀は捨ててもいい。
串刺しにしてやる。
その後煉獄さんに首を切ってもらえればいい。
問題は、肩を砕かれた私がそれだけの力を出せるかと言うこと……!
猗窩座の拳が、めがけて振るわれる。
は防御姿勢をとり、呼吸を乗せた技で躱そうとした。
宝蔵院流 裏十一本式目 薙刀……
その瞬間、バツン、と音を立てて髪紐がちぎれる。
『人でなし』
の耳元で、女の低い声が囁いた気がした。
無視できなかったは息を飲み、大きく目を見開く。
長い黒髪が空中に散らばった。
「君! しっかりしろ!」
杏寿郎の声で我に返った時には、もう遅かった。
視界が……!
は今、猗窩座の間合いに入っている。
破壊殺・滅式
とっさに身をよじり、かばうように出した左腕、
二の腕の先がちぎれて飛んだ。
「ッぁ、!?」
感覚の全てが傷口に集中したかのような猛烈な痛みと熱。
誰かが遠くでの名前を叫んだ気がしたが、それも幻聴か否かわからない。
「ぐっ、ぅううううう!!!」
なんとか薙刀は離さなかったが、悲鳴をあげて崩れ落ちるの前に、
炎を模した羽織が翻る。
歯噛みしながらも、杏寿郎は刀を振った。
「君……っ! 君はよくやってくれた! 止血して下がれ!」
炎の呼吸 伍ノ型 炎虎
虎を思わせる炎の斬撃が猗窩座を襲う。だが。
「その技は何度も見たぞ、杏寿郎」
破壊殺・乱式
空を打つ打撃で衝撃を殺され、猗窩座は無傷だ。
猗窩座は傷口を抑え悶えるを見て、目を眇めた。
「なんとか致命傷は避けたか?
さっきから左腕が邪魔そうだった。ちょうど軽くなって良かったなァ?」
が猗窩座を睨み上げるより先に、怒声が響いた。
「貴様……!!!」
ビリビリと怒気が空気を揺らす。
杏寿郎の眼差しには、今までにない殺意が篭っていた。
猗窩座は瞬いたかと思うと、歓喜に笑みを浮かべる。
「ハハハ! 素晴らしい闘気だな、杏寿郎! 元はお前との一騎打ちだった!
地をつくばう弱者に構うな! 今のお前ならより楽しめそうだ!」
そして再び、死闘が始まった。