天賦の才

うずくまりながら、は片手でなんとか腕を縛り、全集中で止血を図る。
痛みよりも不甲斐なさから涙が出そうになるのを堪え、唇を噛み締める。

 結局、結局! 私が煉獄さんの足手まといになっている!
 すぐに立て! 援護しろ! この状況であの人を一人で戦わせてはいけない!

だが、薙刀を持つ手が汗で滑る。足が震えて立ち上がれない。

死闘で生じた土煙が視界を遮る。

煙が晴れてが見たのは、猗窩座に怒涛の攻撃を仕掛ける杏寿郎の姿。
恐ろしく上がった攻撃力と引き換えに、太刀筋にわずかな乱れが見える。

それに気づいた次の瞬間、杏寿郎の脇腹を拳がかすめて血が吹き出した。

「杏寿郎! そのままでは死ぬぞ! 鬼になれ!
 脆弱な人間のままでは、どう足掻いても鬼に勝てないのだから!」

猗窩座が叫ぶ。攻防の最中に人であることをやめろと迫る。
杏寿郎の呼気がゴウゴウと燃えるような音を立てた。

「鬼にはならん!! ここにいる者は誰も死なせない!!」

刀を構え、杏寿郎は猗窩座に吠える。

「それが俺に与えられた責務なのだ!!!」

の体から血の気が引いていく。

 それで皆を庇って死ぬのか。
 私は庇われて死なせるのか、この人を。

の耳元でなぜだか、かつて聞いた薙刀師範の声が、
意地悪く笑ったような気がした。

『惜しい、惜しい、誠に惜しい』



薙刀師範、宝田種篤はある日の稽古の後、
プカプカと煙を吐きながら、キセルの先でを指した。

殿の薙刀は凄まじいのう、故に惜しい。うむ、誠に惜しい」

宝田はもともと坊主だったらしいのに、
稽古中に酒を飲み、タバコを吸うような生臭な老人で、
その癖、教え方は恐ろしく上手かった。

上手すぎては、自分が“強くなりすぎている”ことに、
後戻りができなくなってから気づいたのだ。

女学校で習う型と自分が道場で習った型が、
随分と違う性質を持っていることにも。

いつの間にか、宝田の手によっては武人のような技を身につけていた。
その必要などまるで無かったのに。

その宝田がの腕前を惜しむように言うので、
怪訝そうに眉をひそめた。

「何をおっしゃるのですか? 宝田師範」

「私の教えることはもうほとんどありやしない。
 にもかかわらず、あなたはまだ“本物”では無い。まだ先がある」

はぁ、と嘆息して、宝田はを眺める。

「やはり道場での指南じゃ限界があろうなァ。
 これをさらに磨くには戦さ場にでも連れて行かねば。
 にしても殿のありようはまったく、平家物語の巴御前を彷彿とさせる……」

「大げさな」

軍記物語の一編、 馬上にて侍の首を二つねじ切った女武者と並べられて、
はさすがに白々しいと一笑に付した。

しかし、宝田は本気であったらしい。
わざとらしく真面目な顔と説法するような声を作る。

殿、大正の世にあって武道とは作法であろう?
 武道とは文字どおり『武によって道を示すもの』
 人の心のありようを教えるものである。
 しかし……殿のそれは武道の範疇をとうに越えている」

「他ならぬあなたが、やたらに実戦向けの技を叩き込んでくださったおかげでね」

が“武道の範疇を超えた技”を勝手に覚えたのでなく、
宝田が指導してこそ、こうなったのだと指摘すると、
真面目な顔を崩して、宝田は大笑した。

「カッカッカッ! そうさな。その通りよ!
 私はあなたの中に三面六臂の鬼神を見たのだ!
 平安の仏師が一つの木の中に仏を見出し、ノミ一つでその形を成したように
 私もあなたという人に眠る才覚を起こしたくなったのよ!」

宝田は何がおかしいのか、しばし手を叩いて笑うと、
またをキセルで指した。

「しかし殿の才覚は、大正の世に余る代物に間違いなく。
 惜しい、惜しい、誠に惜しい」

はため息をこぼした。
これを放っておくと延々同じ話を繰り返すだろうことに気づいたのだ。

は適当に話題を変えようと、常々気になっていたことを口にする。

「……与太話になりますが“宝蔵院流”は本来ならば仏門にて開かれた流派。
 私のような女に伝えるのは、女人禁制の掟破りと存じますが、いかがですか」

がきちんと作法に則って「与太話」と言う枕詞をつけたので、
宝田は面白そうに眉を上げた。

「確かに、与太話よなぁ。
 我らが流派は宝蔵院流槍術とともに伝えられた薙刀術に由来する。
 これを興した初代は宝蔵院の胤栄さま。
 安土桃山の僧侶であった。女人禁制その通り。
 ……だがそもそも、私は還俗してるでな。
 誰に継がせるかは私の自由よ」

「私は作法と心得を習いに来たのですがねぇ」

密かに脈々と受け継がれていた、
宝蔵院流の継承者になどなる気は無かったのに、と嘆息するに、
宝田は筆で一息に描いたような細い眼をきらりと光らせる。

「ならば、あなたはなぜ、未だにこの道場に通う?」

は黙り込んだ。
宝田はニィ、と口角を上げてキセルをふかす。

「あなたは刃を振るうのが楽しかろう? 演武などまさに真骨頂よな。
 薙ぎ払い十五の表、受け流し十一の裏。いずれもただ型をこなすでなく、
 “空にある人”と打ち合うような演技。
 荒々しく大変勢いのある様が本質ながら、ちょいと抑えれば洗練された刃にもなる。
 “好きこそ物の上手なれ”とは、ほんに、あなたのことよ」

腰の据わりが悪そうな顔をするを、宝田は笑った。

「その上で血気に逸る己を何より嫌い、恥じるのだから、やはりあなたは面白い」
「面白がらないでくださいな」

が嫌そうに言うと、宝田は意地悪く哀れっぽい声色を作った。

「そりゃあ、殺生というもの! 老い先短い私の楽しみを奪わんでおくれ……!」
「……あなた殺しても死にませんでしょ」

常に、そういう人を食った調子であったから、
が鬼殺隊に入ることを伝えた時も、宝田は心底楽しそうだった。

その日、宝田は道場に足を踏み入れたの顔を見て、
愉快そうに顎を撫でていた。

「ほほう。面構えが変わりましたのぉ、殿」

は淡々と頷いてみせる。

「はい。鬼を斬りましたもので。
 これを機会に“鬼殺隊”なる、鬼狩りの組織に身を置くことにした次第です。
 定期的な稽古はこたびで最後にお願いします」

の説明を聞いて、普通なら突拍子も無い話である、訳がわからないと、
驚いたり呆れたりしそうなところを、
宝田は細い目をきらきらとさせて食いついて来た。

「ほうほう! 鬼に遭いましたか!
 あなたのことだから夜明けまで見事に斬り伏せ続けたのであろうなァ!
 是非とも拝見したかったものよ!」

は宝田を伺う。

「……鬼の存在を、知っていらしたのですか?」
「そら、見たこともありますし、鬼殺隊と言う組織があるのも知っとりますよ。
 私はあれらが好かんがね」

珍しく宝田は苦虫を嚙みつぶしたような顔をした。
滅多に見せない表情に興味を惹かれて、は首をかしげてみせる。

「と、申しますと?」
「“産屋敷”が気に食わん」

まるで吐き捨てるようだった。

「脈々受け継がれた妄執がそのまんま人の形を成したらああなる。
 そのくせの外面似菩薩 げめんじぼさつ よ。
 ……誰にも救いようあらへん、あんなもん」

宝田のお国言葉がはっきり出るのも珍しい。
だが、どこかその言葉にはやりきれないような、複雑なものが滲んでいる。
言葉通り単に気に入らないとか嫌いとか、そういう訳でもなさそうだ。

は、宝田がきっと仔細を話さないだろうことはわかっていたので、
当たり障りなく返事をする。

「ははあ、随分と鬼殺隊がお嫌いなようで。
 でも、私の入隊をお止めにはならないのですね」

の気遣いに気づいたのか否か、宝田は破顔する。

「カッカッカ! 殿はおそらく産屋敷に心酔したりはせんとわかっとるでなァ、
 それに、命のやり取りの中でこそ、あなたの薙刀もまた冴える。なればよし。
 このような道場でその腕を腐らせるより、
 血風の中を生き生きと、鬼を狩るのがよろしかろうて」

宝田は満足そうに頷いて、を指差した。

殿、安心いたせ。鬼を狩るのもまた鬼よ。あなたに限ったことではない」
「……」

物言いたげなには構わず、宝田は悩ましげな表情を作る。
「一つ心残りがあるとすれば」と前置き、宝田は言った。

「あなたが“本物”になる手伝いが最後まで出来なんだのは悔やまれる。
 まァ、言うても最後の仕上げはあなた自身が為さねばならんし」

「私が?」

宝田はの疑問に頷いて答える。

「何せ自らのこと。竜の目を入れるのは自分自身と相場は決まっておる。
 巴となるか鬼神となるか、
 ……はたまた全く別の道を行かれるか、お好きにいたせよ」

そう言って宝田はを送りだした。
未完成のまま。がどう成るかを面白がるように。
 


一瞬のうちに蘇った記憶に、はどうしようもない怒りを覚えていた。

 ――何が巴御前。何が鬼神。

ずっと薙刀と格闘に才があると言われてきた。
おだてられ、褒めそやされた。
鬼殺隊に入ってからも、格別の才覚があるのだから、
それを人のために使え、存分に振るえと期待をかけられた。

だがの持つ才覚がもたらしたのは、人を傷つける悪癖。
どうしても堪えきれない加虐衝動。

 ――何が才能。

薙刀を握る右手で地面を掻いた。

杏寿郎の下で自分を律するために鍛え続けて、いくらか安定したものの、
自分の衝動を制御しきれたことなど一度もない。は未熟で中途半端なままだ。

 肝心な時に何も守れないなら、そんなものに価値はない。

震える膝に力を込める。

 目の前で命も心も燃やし尽くそうとしている人が、自分の命よりも大事だった。
 どうしたって失いたくない。手のひらからこぼれ落ちていくのが許せない。
 
 だから何を犠牲にしてでも、私はここで、“本物”に成らねばならない。
 本懐を、遂げねばならない。
 
深く息を吐いた。
痛みや薄っぺらな未練などを捨て去ってしまえば、まだまだの体は動く。

散らばった医療器具の中に鉄の粉を見つけて薙刀の刃先になすりつける。
 
 相対するは上弦の参。
 相手にとって不足なし。



杏寿郎は奥義の構えをとる。

およそ200人の乗客。4人の後輩、1人の副官。
鬼殺隊を支える“柱”ならば、いや、“煉獄杏寿郎”ならば、
彼らを守るのは当然のこと。

全力でカタをつけようと研ぎ澄ます闘気に、空気が震えた、その時だった。
杏寿郎の体に、衝撃が走った。

「は……っ!?」

全く警戒していなかった方向から蹴りを貰ったのだ。
重傷を負いかねないような全力の攻撃に、
杏寿郎は受け身を取りながらも顔を顰める。

「ほう! お前、その傷でまだ動くのか!
 だが、……一体どういう了見だ? ?」

猗窩座が乱入したを見て、首を捻った。
確かに今の攻撃は容赦がなかった。

俯いたまま、髪の隙間に顔を隠して立っているに、
杏寿郎は問う。

君! 何を!?」

「あなたを鬼に殺されるくらいなら、
 鬼より先に私があなたを殺します。今、ここで」

冷静な声だった。冗談ではないことは明らかだった。
突然の仲間割れに杏寿郎はもちろんのこと、猗窩座も驚き、唖然としている。

「……私に人を殺させたくないなら、間合いに入らないでくださいね」

は小さく呟き、杏寿郎の耳は確かにその言葉を拾った。
杏寿郎は、かつてに告げた言葉を思い出す。

『俺は君を見捨てない。君に人を傷つけさせない。
 まして殺させるようなことはさせない』


その約束を逆手に取った、あまりにも卑怯な脅迫だった。
杏寿郎は奥歯を噛み、叫ぶ。

「ふざけるな!!!」

激する杏寿郎にが返したのは言葉ではなく、
肌のひりつくような殺気と悪意だった。

杏寿郎と猗窩座は身構える。

は本気で、間合いに入る全てを殺し尽くそうとしている。
自身の止血に回していた全集中を解いてまで。

縛った腕から血が滴り落ちるさまに顔色を変え、杏寿郎は声を荒らげる。

「呼吸を止めるな!! 集中、止血するんだ、君!!」

だが、の耳にはもう何も届かない。

「猗窩座」

ぬばたまの黒髪の隙間、うつむいていたの唇が弧を描いた。

「“永遠に戦い続ける”。大いに結構。
 鬼となるのも、やぶさかではございませんが」

杏寿郎と猗窩座の間に割って入ったは、片手で薙刀を構える。
恐るべき、“鬼気迫る闘気”がみなぎり、研ぎ澄まされていくのを、
おそらくその場にいた誰もが感じていた。

そこにいるのは人ではなかった。

の口の端から言葉とともに、火のような熱い呼気が溢れる。

「ここは人の世、現世にて、鬼のはばかる道理なし。
 鬼の住処と言えば、相場が決まっておりましょう」

 罰の呼吸 ノ型

「場所を地獄に移しましょうや」

 “地獄変”