鬼畜の男

鬼畜…鬼と畜生。人らしい心を持たない者。
あるいは無慈悲で野蛮、残酷非道な人間を指す。


「ごめんください。炎柱、煉獄杏寿郎様のお宅はこちらですか?」

桜の花びらが落ち始めた日のことである。
その日、煉獄邸を訪れたのは黒髪を散切りにした爽やかな印象の青年だった。
背負っているのは彼の得物である十文字槍である。
青年は紺染の道着と袴を着込み、愛想よく笑っていた。

「俺が煉獄杏寿郎だ!」

杏寿郎が応じると、青年は恭しく腰を折った。

「炎柱自らのお出迎え、感謝いたします。
 お館様から話は通っているかと思いますが、本日よりお世話になります、です」

は顔を上げ、たれ目がちな瞳を細める。
目元の黒子が涼しげで穏やかな、いかにも優男風の佇まいだ。
年は二つ下と聞いていたが、上背は杏寿郎とさほど変わらなかった。

「よろしくお願いしますね、煉獄様」
「……ああ! こちらこそよろしく頼むぞ、君!」

人懐っこい笑みで応じると相対した時、
杏寿郎は顔には出さずとも、これは手強い相手だと悟っていた。

は水柱と蟲柱がいったん継子と目したものの、
それぞれに破門され、杏寿郎の元にその身が回ってきた男である。

入隊試験では藤の山に放たれた鬼の8割を討伐するという極めて優秀な成績を残し、
けが人を救護、医療の心得を示したともいうので期待されていたらしいが、
どうにも鬼殺において上官の指示を聞かず、またそのやり方に問題があるとして
柱二名の手を離れている。

故に、杏寿郎が鬼殺隊の長、産屋敷耀哉直々に受けた指令は、
鬼殺隊の問題児であるの更生だ。

しかしこうして顔を合わせてみても、はとても問題児には見えなかった。
耀哉が嘘をついているはずもないので、この人当たりの良い印象はの一面ではあるが、
違う顔の持ち主でもあるのだろう。

一筋縄ではいかない相手であると杏寿郎は身構えつつ、を煉獄邸へと迎え入れたのだ。



稽古をつけてみると、は見かけによらず忍耐強い男だった。
冨岡義勇の元で呼吸の基礎を学んだだけのことはあり、体力も申し分ない。
槍の腕前は道場の一つでも開けそうなほどである。

稽古場での簡単な打ち合いの後、と向かい合って杏寿郎は開口一番、素直な感想を告げた。

「少し前まで学生だったとは思えんな!」
「そうですか?」

杏寿郎の評価には首を傾げている。
自分ではあまりピンとこないらしい。

「うむ! 呼吸の扱いはまだまだ改善できそうだ!
 なまじ機転が利くゆえに呼吸をおろそかにしがちで、
 小手先頼りの節があるのもいただけない!
 が! 確かな地力と才気を感じる! 君は伸びるぞ!!!」

「あはは! 褒められてんだか貶されてんだかわからんですね!」
「褒めている!!!」

ぐっと勢い込んで拳を握った杏寿郎に、は愉快そうな顔をする。
しかし何かに気づいたように、ふっとその顔から表情が抜け落ちて、
それからまた唇が笑みの形に戻った。

「ところで煉獄様。一つ申しあげておきたいんですが、俺、暴力が嫌いなんです」

まったく唐突な物言いであった。
杏寿郎が思わずまじまじの顔を注視すると、は爽やかに付け加える。

「規律にはきちんと従いますし、
 口で言ってくれれば大体言うこと聞くのでご留意ください」

杏寿郎は含むところを感じて尋ねる。

「ふむ……ちなみに殴る蹴るでの指導を行なった場合、どうなるのだ?」
「ああ、大したことはありませんよ。勝手に俺があなたを軽蔑するだけです」
「ほう」

「規律と理屈を講じていただければ納得するところを、
 面倒だからかなんだか知りませんが体罰に頼るってことは
 口で部下一人説得出来ない人なんだと思っちゃうんですよね! あっはっはっ!」

口調ばかりは爽やかだというのに紡がれる言葉は不穏当かつ無礼であった。

「まー、俺が上官一人を軽蔑したところで何がどうなるとかはないですけども。
 仕事はきちんとこなしますからご安心を」

杏寿郎は一度頷いて口を開く。
 
「君、割合喧嘩の売り方がわかりやすいのだな!」
「お気に障りました?」

これは自分の口にしたのが挑発だと、分かってて言っているな、と杏寿郎は思う。

しかしが口にした全てが、
杏寿郎を煽り立てる口先だけの言葉とは思わなかった。

は医者の息子で、自身も医療の心得があると聞いている。
もともと治すことを生業にしていた人間やその近くにいた者であれば
人を傷つける振る舞いに思うところがあって当然なのかもしれない。
ならば、と杏寿郎はに向かって鷹揚に頷き、腕を組んだ。

――こちらも真面目に答えねばなるまい。

「全く気にしてないから構わんぞ! 君の言い分にも一理ある。
 確かに力で押さえつけるやり方を取る前に、
 対話ができればそれに越したことはないからな!」

はあっさり自分の意見に同意を見せた杏寿郎を意外に思ったらしい。
黙って杏寿郎の言葉を待っている。

「故に、今回は言葉で忠告させて貰おう!
 上官を無闇矢鱈に挑発して度量を測るような真似はよせ。
 そういう駆け引きめいたことは時間の無駄だ。
 そんな暇があるなら自らの武芸を磨いて俺を追い抜けば良いだろう!」

「君が柱になれば万事解決!」と言ってのける杏寿郎に、
はぱちくりと瞬いたあと、真意を問う。

「その心は?」

「君は従いたくない相手を上官と仰がずに済む!
 実力有る隊士は鬼殺隊にとっては得がたい財で、俺にとっても心強い!
 三方に利があるというわけだ!」

指折り数えて見せた杏寿郎に、はさらに不思議そうに首を傾げる。

「生意気な後輩に上をいかれるのは構わないんですか」
「個人の好悪を任務の評価・配分に持ち込むのはどうかと思う!」
「なるほど。道理です」

感心している様子のへ付け加えるように、杏寿郎は自信満々に答える。

「それに、君がいくら有望とは言えど、まだまだ俺の方が強いので心配はしばらく杞憂だぞ!」
「そりゃそうでしょう」

は挑発的な言動の割に、自身の力量を見誤ってはいないようだ。
杏寿郎の言葉に理があると認めれば、柔軟に応じるだけの度量はあるらしい。

杏寿郎は案外素直なに笑みを作って「それから」と前置く。

君には様付けで呼ぶのをやめてもらいたい!
 なんと言うか……君のは含みがあるように聞こえるのだ!」

「ははは! 承知、感服いたしました」

は深々と頭を下げて顔を上げる。何が楽しいのか、心底上機嫌だった。

「煉獄さん、あなた結構冷静な人ですね。
 炎の呼吸の使い手だからって、ところ構わず熱くなるわけじゃない、と」

杏寿郎の希望に沿って呼び名を変え、は何度か納得したように頷いている。

「……俺も見習いたいところです」

瞳に浮かぶ金色の光がゆらりと形を変えたように見えた。
だがそれも一瞬のことで、けろっとした顔で笑うばかりだ。

「でも、単刀直入に『慇懃無礼だから止めろ』って
 言ってもらってよかったですよ。あっはっは!」

「自覚があるなら改めろ!」
「努力しまーす」

なんとなく軽薄な調子なのは気のせいだろうか、と思いつつ、
杏寿郎はひとまずの“人となり“の一端に触れたのだった。



が継子となって一週間後、
煉獄杏寿郎とは連れ立って山あいに建つ廃寺に向かっていた。

多少挑発的な言動も見られたが、は訓練においては真面目である。
こうなるとやはり本番、鬼殺の任務に当たってどのような振る舞いであるのかが気になってくるので、
杏寿郎はに同行することにした。

出立前には一人でも構わないと遠慮していたが、
杏寿郎が実戦での働きぶりを見ておきたい、
常の通りに任務に当たってくれればいいと言うと、素直に頷いて今に至る。

事前に杏寿郎へ伝えられた情報だと、の合同任務での評判はすこぶる悪く、
多くの脱隊者を出してもいるので、
が問題児たる理由はやはり実務の時の態度にあるのだと思う。

――鬼が出るか蛇が出るか。

杏寿郎が横目にを窺うと、ちょうど足を止めたところだった。
は目の前の寂れた廃寺を前に顎を撫でる。

「鬼が居ますね、これは」

廃寺の破れた戸の隙間から、うすらぼんやり灯りがこぼれていた。
中に誰かしらが居るのは確かである。

「多分一匹。生きてる人間は居ないかも」
「ああ……」

の推測には概ね同意見だ。しかし、何か引っかかると杏寿郎はを注視する。
が、は構わずにスタスタと寺の入り口まで歩み寄り、豪快に戸を開いた。

鬼が一体、人間の足を抱えて肉を貪り食らっている。

よくよく見れば犠牲となった人間がそこら中に散らばる凄惨な現場だった。
は槍を抱えながら腕を組み、床に転がる遺体を数える。

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……5人かな。
 見事にバラバラになってますね。これはとてもじゃないけど治せない」
「……お前、鬼狩りか?」

鬼が抱えていた足を離し、舌舐めずりしてを睨む。
しかしは極めて穏やかな所作で槍を構え、笑った。

「ええ、では。参ります」

鬼がに襲い掛かった瞬間、低く嘲笑う声が耳を通り抜けていった。

「お前が殺した5人の人間、さぞ無念だったろうな」

肉が千切れ落ちる音がした後、絶叫が響き渡る。
瞬く間に切り口がズタズタの腕と足が床に転がり、十文字槍が鬼の鎖骨の下を貫いていた。

壁に串刺しにした鬼を見やり、
は胸の衣嚢 ポケット に入れていた白手袋をはめて、なおも悶える鬼に言う。

「痛いか? 痛いよな? 当然だよ、痛くしてるんだから」
「はーッ、はーッ、お、おま、お前、喰い殺してや、ぁああああああ!!!」

腰に携えていた短刀を抜き、は鬼の腹を裂く。
明らかに槍より刀の扱いの精度が低い。
呼吸もほとんど使っていない。
しかし、その拙い剣術がかえって痛みを増しているらしい。
は悲鳴を上げる鬼を見て、笑う。

「あはは! おっかないこと言うんだなぁ、お前。
 俺は小胆でさ。怖いとつい、余計な力も入っちまうんだ。悪いね」

溢れたはらわたを一つ掴む。
それ以外の臓物は鬼の意思とは関係なく、収まるべきところへ収まっていく。

「そうそう。引きずり出した内臓はほとんど自動で巻き取られるんだろ。
 ちゃんと斬ってたら多分再生したよな? きっと!」
「ぎっ……!?」

乱暴に切り落とした内臓が床に落ちると腹の傷は当然の如く治癒していく。
はそれを見て、手を叩いて喜んだ。

「ほーら! 再生した! 便利だよな鬼の体!」

鬼は呆気に取られてを見上げる。

の、鬼殺隊士であるはずの男の行動の意味が、全く汲み取れずにいたからだ。
普通は頸を狙ってくるはずだがそうしない。挙句鬼の体が治癒するのを喜ぶ始末。
そのくせ、が鬼に与えてくる攻撃は全て、苦痛を伴うものばかりだった。

「……いやお前、何ぼうっとしてんだよ。喜べよ。人間じゃこうはいかねェんだから」

そして、浮かべていた笑みを取り払った心底醒め切った目と視線が重なった時、
鬼はそこに、己とまた別の“鬼”を見た。

は再びニコ、と笑みを作って歩み寄る。

「ところで、鬼ってのは傷がたちどころに治るって言うだろ?
 実際お前も腹の傷治ってるし。でも日輪刀で頸を刎ねたら死ぬわけだ。
 ……そのことに俺、あんまり納得いってなくってさあ!!!」

愉快そうな声が急に攻撃的なものになる。

それからまた、淡々としつつも面白がるような声へと変わる。

「やっぱり人間の一番の急所って言ったら心臓と脳味噌だろ?
 だからお前の他にも朝まで心臓刺し続けたりしてみたんだけど、こんな感じで」

振りかぶった刀が鬼の胸に突き刺さった。

「ギャッ!?」

鬼の口から血が吹きこぼれる。

「ダメなんだよ。死なねェんだ」

血飛沫が声の主の頬へと跳ねた。

「繰り返すうちに再生、回復速度は落ちるみたいなんだけど、」

は鬼の胸から刀を乱暴に引き抜き、
鬼の生態についてつらつらと、自身の見解を述べ始めた。

「それが主要な臓器をぶっ壊し続けたことが原因か、
 それとも単なる衰弱が理由なのかはまだ判別不可能でさ。
 あと10体くらい試せばおぼろげに統計取れそうなんだ。協力してくれ。
 でもまず俺が殺した鬼がそんなに人間喰ってないとも考えられるわけよ。
 鬼化の程度が低い奴はそこそこ脆いのかな?って思ってるんだけど、
 お前今まで何人殺した? 
 言葉が堪能ってことは、けっこう人を喰ってるんじゃないか?」

「フーッ……! フーッ……!」

「……言わねェよな。ま、いいや。そろそろ新しいこともしたかったし」

は懐からガラスの小瓶を取り出した。

「『日輪刀で鬼の頸を刎ねる』の基準も知りたいんだ」

片手で器用に蓋を外すと中に入った黒い粉を、
何を思ったか、白手袋の上に擦りつける。

「どこからどこまでが“斬首”の域になるのかな?
 縦に斬っても死ぬか? 本当に絶対日輪刀を使わないとダメか?
 鉄の粉末が付着した靴や手を使っての攻撃は有効かな?」

さらさらと鉄の粉末が鬼の目の前を流れていく。
流れ落ちたのは所々腐り落ちた木の床の上。は革靴の底で鉄粉を踏みにじった。

ロウソクの灯火が照らしだす、鬼の顔色はいまや青いのを通り越して紙のように白い。
が次に踏みつけにするのが自分の命であることを、すでに理解していたからだ。

「今から全部お前で試そう! 順番に死ななそうな実験からやってくから安心してくれ!」

満面の笑みを浮かべて、は自分を見上げる鬼を見下ろす。

「大丈夫!! 死ぬほど痛ェだけだから!!!」

「殺せ……殺してくれ……く、首を斬ってくれ……」

涙声での哀願には瞬く。それからしゃがみ込んで視線を合わせた。

「嫌でーす」

場違いなまでにるい返答だった。
そこに酌量の余地はなく、慈悲もない。ふっと声を落として囁く。

「人間バラッバラにして貪り喰ってる分際で死に方に注文つけてんじゃねェよ。
 甘えてるのか?」

鬼は喉から引きつれたような声をあげ、しゃくり上げて泣き出した。
はうんうん、と満足そうに頷いて、また笑う。

「そうそう!
 そうやって惨めったらしく朝まで泣き喚きながら
 のたうち回って死んでくれないと、」

言葉の途中、の顔の横を一筋、風が通ったかと思うと、鬼の首がぼとりと落ちた。

「あ、」

ぽかんと口を開けたは、その風が杏寿郎の一太刀の余波だと悟る。
振り返ると杏寿郎は刀を払い、へと厳しい表情を向けていた。

君、君の鬼殺は、悪辣が過ぎる」
「まぁそうですね。顔色悪いですよ煉獄さん」
「茶化すな」

杏寿郎はピシャリとの軽口を跳ね除けた。

「いつでも頸を斬れたはずだ。執拗に甚振る必要はなかった」
「そうですか?」

は白々しく首を傾げる。
鬼の食い散らかした哀れな人間の遺体に目をやって口を開く。

「少なくとも5人もの人間の命がこいつのせいで失われたんですよ。
 鬼畜生なんざ痛い目見て当然じゃないですか?」

その言い分に杏寿郎はなおも険しい顔のままを睨む。

そこに言葉通りの憤りは一欠片も感じ取れず、
いかにも口先だけの言葉に聞こえたからだ。

当のも自分が使ったのが見え透いた言い訳であると知っていたらしい。
わざとらしく肩を竦めてにこやかに言う。

「……なんてね。ええ、あなたのお察しの通り、
 俺は義憤にかられて鬼を嬲り殺してるわけじゃないです」

浮かべた笑みは爽やかだというのに、
一段低くなったその声は粘りつくような湿度を孕む。

「これが心底痛快で、面白おかしいからやってます」

杏寿郎は全く不愉快な心地だった。
相対するは人間、仲間である鬼殺隊士にも関わらず、その得体の知れない雰囲気、
非道な物言いは鬼と相対した時に味わうものとよく似ている。

しかし、と杏寿郎は息を整えて、へと声をかける。

「君は口での指導ならば聞くのだったな」

の鬼殺には著しい欠点があった。
拷問めいた鬼殺には時間がかかり、隊士が本来こなすべき警備巡回に向いておらず、
一体の鬼に時間をかけるのは非効率極まりない。なにより。

「君の鬼殺の方法には欠点がある。
 君が鬼を甚振るのに夢中になってる隙を狙われることもあるだろう。
 もしも鬼を逃すようなことがあれば……」

「その時はその時だと思います」

にこやかな声だった。
言葉を失う杏寿郎に、は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「すみませんね、煉獄さん。俺は頭がおかしいんです。
 鬼殺隊に入ったのも鬼を苦しめて殺すことができるからなんですよ」

はどこか投げやりに言う。

「じゃないと、いつか人を殺すだろうなと思ったので」

思わず、刀を握る手に力が篭る。

煉獄杏寿郎もまた、に鬼を見た。

おそらくと接してきた隊士たちも同じようにこの男に鬼を見て、
耐え難く思ったのではなかろうか。 

「大目に見てはくださいませんか?
 人殺しよりは鬼殺しの方が随分、マシでしょ?」

杏寿郎は嫌悪感に眉を顰めながらも、抜いたままの日輪刀を鞘へと戻した。
かつて聞いた母の教えが脳裏を過ぎったからだ。

『生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、
 その力を世のため、人のために使わねばなりません』


は鬼のような男であるが、隊士としての才は疑いようがない。
ならばその才覚、力を人のために使わせることこそが、
杏寿郎の指導するべきことではないかと思った。

「戻ろう、君」

母から聞いた教えを、今度は自分が教える。
たとえ応えてくれるかわからなくとも、試してみないことには何にもならない。

意外そうに瞬いた後黙って背後をついてくるの足音を窺いながら、
杏寿郎はそんなことを思っていた。