投影・煉獄杏寿郎

水の呼吸は鬼殺隊に息づく剣術の中で最も広く伝わる一派である。
しかしその呼吸を槍で再現する隊士は現在の他には居ない。

「君が水の呼吸を再現するに至った経緯が気になる!!」

休憩の際が切った梨を摘みながら杏寿郎が言うと、
は「あー……」と気の抜けるような声で応じた。

「結構苦労しましたよ。冨岡様のご指導はありましたけど、
 いくら水の呼吸の使い手が多いとはいえ、
 加えて槍を使う人間はいなかったんですから」

鬼殺隊士の殆どが日本刀を扱う。
これは日本刀が「首を斬り落とす」ことに長けた武器で、
修練に時間がかかるものの、鬼を必殺するには最も効率が良いからである。

ただし、日本刀以外の武器を扱う人間が鬼殺隊に居ないわけではなかった。

「ふむ。確かに槍使いはそう居ないか。普通は首を斬るには適さないからな!
 他に得物が特殊と言えば、現在の岩柱は鉄斧、鉄球の使い手だぞ!」

「斧と鉄球……!?」

は初耳だったのか瞠目して反芻する。

「斧はともかく鉄球って何です? 鬼の頸斬れなくないですか?
 いや、待てよ……。つまり胴体と頭が切断されてりゃ良いわけで……」

何に思い至ったのか顎に手を当てブツブツと一人呟き始めるである。

「じゃあ鉄球で鬼の頭粉砕してるってことですか?!
 へぇ。……へぇえ! 煉獄さん岩柱紹介してくださいよ。俺岩柱の鬼殺超見たい」

「ダメだ!!!」

あまりにも不純な動機が透けて見えたので杏寿郎は即、拒絶した。

「あはは! 残念!」

は申し出が受け入れられるとは最初から思ってなかったらしく、軽薄に笑うばかりだ。

「誰にでも扱える武器じゃなさそうですけどね、斧と鉄球。
 使えるようになるまで大変そう」

どういう鍛錬するのか想像もできないと言いつつ、は梨を口にする。

しかしの言うように、扱いの難しい鉄斧、鉄球を振り回し、
恵まれた体躯を活かして戦う岩柱・悲鳴嶼行冥の柱としての歴は長く、
その実力は鬼殺隊最強との呼び声高い。

「岩柱は強いぞ! 昔から岩の呼吸は刀以外を扱う者を広く受け入れるようだな!
 さて、それはそれでだ。水柱はどのように君を指導したんだ?」

冨岡義勇がどのようにを稽古したのかも気になるところだと
杏寿郎はの返答を待つ。

「見稽古とひたすら反復練習。これにつきます」

は梨を飲み下してから、人差し指を立てて口を開いた。

「刀と槍ではやはり間合いが異なりますし、
 刀でできることが槍ではできなかったりします。その逆も然り。
 けれどようは技の効果が同じになれば良いわけです。
 冨岡様に型のお手本を見せていただいて、俺はその効果を再現できるよう槍を振る。
 その繰り返しでした」

杏寿郎はの言葉に瞬く。
義勇がを指導した期間はそう長くない。三ヶ月ほどと聞いている。

「ほとんど一から技を編み出したようなものではないか!?」

その期間で一から技を編むと言うのは、
いくらが槍に精通していたからと言って並大抵のことではない。
だが、本人は自分が成したことを特に大したことではないと言う。

「いえいえ、冨岡様のお手本がありましたし、そこまで難しいことではないんです。
 大変は大変でしたけどね。
 なんとか冨岡様の弟子であるうちに形にすることはできました」

何を思い出したのか腕を組み遠い目をするである。

「そもそも、俺は宝蔵院流に全集中の呼吸を乗せるのでも
 鬼殺に充分対応できると思ってたんですよ。
 しかし冨岡様が『水の呼吸』の相伝にこだわりましたから……」

杏寿郎にとっては予想外の言葉だった。

「意外だな。冨岡にそういうこだわりがあるとは思わなかった」

柱合会議などで見聞きし、うかがえる冨岡義勇の人となりは
寡黙で口下手ながらもその実力に不足なく、ひたすらに己に課された仕事をこなす男である。

生半な鬼が相手では任務で相手取っても傷一つ付かないと評判だ。
その評判と裏腹、決して おご らず、水の呼吸の頂点に立つ柱として彼なりに、
粛々と奮闘していることがわかる。
そういう人物だった。
己の流派に格別のこだわりや執着を持っているような人間には見えなかったのだ。

は杏寿郎の反応こそ意外だと思ったらしい。首をかしげている。

「そうなんですか? でも同僚と部下とでは態度も異なるでしょう。そういうことでは?」
「そうだろうか?」

の推察があまりしっくりこなかった杏寿郎も首をひねった。

が、そもそも義勇は必要以上に口数が少なく、流派について話すどころか
会議に来て発言回数が片手で数えられるほどのことも多かったため、
そういった面が見えていなかっただけかもしれない、と杏寿郎は改めて思う。

何よりこの場に居ない人間の真意を考えても仕方ないことだと
杏寿郎は本題に話を戻すことにした。

「ところで君の槍改 やりのあらため はずいぶん荒々しい雰囲気だったな!
 確かに水の呼吸ではあるが、濁流のようだった!」

は杏寿郎の評価にばつが悪そうに首の後ろを撫でた。

「お恥ずかしい。実は型の再現することを目的とした場合と、
 鬼の頸を斬るのを目的とした場合で極端に動きが変わるみたいなんですよね。
 自分ではあんまり自覚がないし困ったことはないんですけど、冨岡様は嫌がってたなぁ」

「ほう……?」
「今やってみましょうか? 多分実戦とは違って見えると思います」

言いながらは片手に竹槍を持ち、
縁側からすっくと立ち上がって稽古場の真ん中へと移動する。
縁側にいる杏寿郎に見えるよう立ち位置を定めると、ニッと口の端をつりあげて笑った。

「以前披露したのは打ち潮でしたね。いざ、」

の槍が波のように振れた。

 水の呼吸 槍改 やりのあらため  肆ノ型 打ち潮

淀みなく繋がる斬撃。足捌きも見事なものだ。
その様は力強くもありながら流麗。
水の呼吸とはかくあるべしと言わんばかりのあり様である。

が、杏寿郎が以前目撃した打ち潮とは、形に大きな差はなくとも全く違う印象を受けた。


「確かに異なるな!? 変えようと思ってやっているわけではないのか!?」

目を丸くする杏寿郎には苦笑する。

「ええ。多分邪道なんですよ俺。
 実戦では冨岡様の清々しい剣技まではうつし取れないってことですかね。心根の差かなぁ」

「……うむ! みなまで言うまい!!!」

腕を組み神妙な面持ちで返す杏寿郎だ。
はムッと眉を寄せる。

「いやそれ完全にそうだって言ってるよ。
 ……いいけど別に。言い出したのは俺だから」

自分で言っておきながら拗ねたような物言いをするを杏寿郎は笑った。

「ハハハ! 心根の違いはすなわち心構えの差だ!
 は鬼に対し隙あらば痛めつけ頸を斬りたい。
 冨岡は頸を斬ることそれのみに集中している。その差が技に出ているということだろう!」

指を立てて言った杏寿郎はそのままをビシッと指差した。

「つまり実戦における君の技には大いに邪念雑念が含まれると言うことだ!!!」
「なるほど全く否定できねぇ」

は素直に頷いた。
杏寿郎は思うところがあって「しかし、」と続ける。

「実戦での槍改 やりのあらため は雑念が入ってもかえって威力は増していたようにも思える。
 普通は型通りにやらねば技として精度が落ちるものだ。
 だが君のは本流と異なるが技としては悪くない、」

『猿真似だからだろう』

槇寿郎の言葉を思い出し、杏寿郎は口元に手をやって目を眇めた。

――猿真似。流麗な水の呼吸と荒々しい水の呼吸。清廉な宝蔵院流の演武……。

杏寿郎はに顔を向けて、提案する。

「……少し気になることがある。、炎の呼吸の再現をやってみてほしい」
「え?」
「習得を目的とした稽古ではないので、壱ノ型のみで構わん。
 軽くでいいのだ。やってみてくれ!」

杏寿郎が何か見極めようとしていると悟ったらしい。は微笑んで快諾した。

「わかりました。では煉獄さん、お手数ですが最初に型を見せてください」
「応とも!」

胸を張って杏寿郎も縁側から稽古場の中心へと移動する。
が竹刀で問題ないと言うので、訓練用の竹刀を握り、構える。

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

この技は素早く踏み込んで鬼とすれ違い様に頸を斬る。
踏み込む速さ、首を的確に落とすことが要となる技である。

杏寿郎は技を見せてを振り返った。

「どうだ、このような感じで……」

杏寿郎は途中で言葉を呑んだ。
は瞠目し、無言のまま杏寿郎を眺めている。
極めて深く集中しているようだった。

おもむろに、が竹槍をごく自然な所作で振り上げ、その場で横に薙ぎ払い前に出る。
息を深く吸って吐く。
確かめるように一連の動作を終えた後は、また杏寿郎を見据えて口を開く。

「もう一度お願いできますか?」

それから何度か繰り返した。
杏寿郎が手本となる不知火を繰り出すたびには槍を振り、足捌きを模索する。

やがて合図の言葉も無くなり、最中、杏寿郎は不可思議な感覚に陥っていった。
杏寿郎との動きが徐々に噛み合ってくるのがわかる。
その様がまるで一つの演技なのだ。

時の流れすら曖昧に思いながら、
杏寿郎が技を出すとがその技に迫ってくる。
常の打ち合いとは異なる緊張感を伴って、一挙手一投足が互いに洗練されていく。
雅楽の音取、楽器の調律にも似たやり取りのうち、
杏寿郎は相対しているのがでは無いような気さえした。

異様な錯覚だった。
背景が遠ざかり、相対する人間の個性も消え失せ、輪郭だけが際立っていく。

杏寿郎の前に立つ相手。
これが槍を扱うにも関わらず、
放つ技が不知火そのもののように思えた瞬間、
義勇が相伝にこだわった理由がよく理解できた。
これができるならば後を託しても良いと勘違いしそうになるのもわかった。

――そこに居るのは、もう一人の、

杏寿郎は得体の知れない気色悪さを覚えて声を張る。

「止め!!」

はピタ、と足を止め、杏寿郎を見た。
それまで極度の集中で虚にも見えた瞳に光が戻る。こめかみからひとすじ汗が流れた。

それを見て杏寿郎もまた自分が汗だくであることに気づく。
互いに恐ろしく消耗していた。外を見れば休憩から二時間以上経っているらしく、日が高い。

「煉獄さん、まだ途中ですよ。せっかく乗ってきたとこなのに。
 ……でも習得が目的じゃないからいいのか。何かわかりました?」

常のように軽く言うに、杏寿郎は口を開いた。

、君はもしかすると自ら技を編むのが良いかもしれん」
「へ?」

はぽかんと口を開けている。
杏寿郎は不可思議な見稽古と反復の余韻も醒めやらぬまま、所感を述べた。

「君は模倣がすこぶる上手い。
 いや、正確にいうのならこれは模倣ではないのだろう。得物が違うからな。
 俺が槍を扱うならこうなるだろう、という感じだ。
 しばらく続ければ不知火もこの上なく忠実に再現ができるようになるはず」

「でも、なら、炎の呼吸はともかくとして、適性のある水の呼吸を磨いた方が良いのでは?」

首を傾げるに、杏寿郎は否と言う。

はおそらく模倣しない方が伸びると思う!
 なぜなら実戦では模倣の精度が落ちている代わり、
 君は無意識のうちに技を応用しているからだ!!」

影鬼の討伐の際、見せた『打ち潮』は荒々しくも水の呼吸とわかり、技として成立していた。
これは応用に他ならないと杏寿郎は言う。

「実戦に即して扱いやすいように応用しているのなら、
 最初から無理に型にはめず、型破りな技を研いだ方が強いこともある!!
 しかし君は手本となる型を訓練では完璧に模倣・再現できてしまう!」

得物が異なっても同じ効果を再現し、
適性も異なると言うのに、一瞬とはいえ杏寿郎に見劣りしない“不知火”を出せただが、
杏寿郎は今の見稽古で、この弟子の欠点を見抜いていた。

「ひょっとすると型破りな技の方が再現しにくいのではないか?」

「そうですね。
 と言うか恥ずかしながら自分が実戦でどこを変えてるかよく分かってないんで、
 煉獄さん曰くの応用は、俺には再現不可能ですね」

は杏寿郎の指摘に頷いた。
やはり、と杏寿郎はさらに続ける。

「水の呼吸を磨いてもいいとは思ったが、どうも君の応用の仕方を見ていると、
 模倣に甘んじては頭打ちになる気もするのだ」

手本としたのが冨岡義勇。
水の呼吸の頂点を訓練とはいえ模倣・再現できると言うのは紛うことなく強みであるが、
の応用技を見た杏寿郎には、義勇の模倣を続けても限界があるように感じていた。

の武芸の本質は清濁の濁。

そちらを伸ばすなら、方法は一つであると杏寿郎は宣言する。

「ならばいっそのこと!
 実戦・訓練に差異の出ないよう、君による君のための新しい技を編めば良い!!」
「ふむ……」

は一理あると納得したのか考えるそぶりを見せた。

「なによりこれには前例がある!! 甘露寺がそうだった!!」
「ああ、元継子の?」

杏寿郎が例に挙げたのは甘露寺蜜璃。杏寿郎の元継子である。
蜜璃はもともと炎の呼吸を学びに煉獄家の門戸を叩いたのだが、
その独創性溢れる才能に、杏寿郎は独立を促したという経緯がある。

結果、蜜璃は出世街道をひた走り、現在恋柱として鬼殺隊を支えるに至っている。

前例があると言うのに相応の説得力を感じたらしいはやがて、頷いた。

「うん、そうですね。そういうことなら考えてみます。
 開発にあたっては指南いただければ幸いです」
「もちろんだ!」

「とりあえず着替えて掃除しましょう。お互い汗だくだし風邪ひきますよ、このままだと」と
が冷静に言うので杏寿郎は掃除道具の準備をしつつ
着替えを取りに行くを見送った。

――見かけは自分と正反対だと思う。

は割合着痩せする方で、鍛えてはいるものの長身の印象が強く、
顔立ちもいかにも優男と言った風情だ。
これに口を開いて生じる軽薄な雰囲気と
意地の悪さを加えることでどうも胡散臭い印象になる。
髪も短く整えていて、隊服を着ていても杏寿郎と見間違えるようなことは考えられない。

杏寿郎はそのの挙動に、
一瞬と言えど自分自身の影を見るとは思っていなかった。

それがなぜ、の振る舞いに己を見たのか。

――心は水中の月に似たり 形は鏡上の影の如し。

父、槇寿郎に幼少の頃説かれた、武道においての心構えが杏寿郎の脳裏を過ぎる。

水の呼吸や、その派生に適性がある人物は穏やかな気性の人間が多い。
気性の荒いが適性を示したことを、
杏寿郎は内心不思議に思っていたのだが、この見稽古で納得した。

――は鏡になることができるのだ。

月をあるがまま映す水面のような在り方は、誰にでもできることではない。
の才の一つだろう。

だが、煉獄杏寿郎はが模倣に甘んじることを許さなかった。

最初から最後まで。ただの一度も。