殺人刀・活人剣

が槇寿郎と一悶着起こした日の夕食時、
槇寿郎はが自室に持って行ったはずの膳を持って兄弟の居る居間に顔を出し、
空いたところに座り込んで飯を食い始めた。

これには兄弟はもちろん、頰を腫らしたままのも驚く。

「父上、……あの、」
「なんだ?」

千寿郎がおそるおそる声をかけるが、槇寿郎がジロリと見やると、
千寿郎は何を問う気かも忘れ「なんでもないです」と碗に目をやった。

杏寿郎はもくもくと飯を平げる最中、
突然食事を共にする気になったらしい父親に声をかけた。

「珍しいですね父上! こうして夕食を共にするのは何年ぶりでしょうか!」
「気が向いただけのことだ」
「なるほど!」

杏寿郎は明朗に頷いたかと思うと、箸を置いて尋ねる。

「ところで、に怪我をさせたのは父上ですか?」

そこには確かに、咎めるような色が見える。
ピリリとした空気に、当のが珍しくうろたえた様子で杏寿郎に声をかけた。

「煉獄さん、これ十割俺が悪いので、そのような言い方は、」

「そういうわけにもいかん!
 弟子に不始末があれば責任を取るのが師範!
 弟子が理由なく殴られたとあらばこれに抗議するのも師範!
 成り行きがわからねば判断もできん。父上、経緯をお聞かせ願いたく」

言い募った杏寿郎に槇寿郎も箸を置き、静かに頷いた。

「ああ、俺が殴った」
「なぜでしょう」

槇寿郎はを見やる。
万事休すと認めたが諦観の眼差しで槇寿郎を見返すと、
槇寿郎はなぜだか、心得ていると言わんばかりに、頷いた。

「杏寿郎、お前この男との稽古の際、“無刀”を外しているだろう」

無刀とは、刀無しでの所作、丸腰で剣を持つ相手に相対する時の流儀を指す。

槇寿郎の言葉に、杏寿郎は虚をつかれて瞬くも、
すぐに真剣な面持ちになって父に向き直った。

「はい。は格闘、槍の扱いそのものについては申し分なく、
 比べて呼吸の扱いが不得手でしたからそちらの底上げをせねばと思い、」

「確かに隊士は得物を持って任務に当たるから、その鍛錬の仕方で間違いは無い。
 しかしこの男、手足の如く十文字槍を扱う。
 であれば、槍を持たない状態で呼吸を指南すれば
 槍を持った時に、より呼吸がしやすくなるのではないか」

槇寿郎はを一瞥してさらに続ける。

「そう思い無刀の稽古をつけたところ、此奴の頬を強かに殴打したため、こうなった」

杏寿郎は半ば呆然とと槇寿郎とを見比べる。

「父上が、稽古を?」
「本当ですか、さん?」

それまで静観していた千寿郎ですら訝しんで聞くので、
はわけもわからず槇寿郎に話を合わせた。

「えー……あの、あんまりにも見事に大師範にぶん殴られてしまったため
 俺は恥ずかしくてですね……」

嘘は言ってないが本当のことでもない、極めてあやふやな答えである。

杏寿郎は未だ釈然としないようだったが、
それでも唇に笑みを浮かべ、槇寿郎に顔を向けた。

「……その無刀の稽古、俺にもご教授願いたいのですが!」
「僕もお願いいたします!」

稽古をつけてほしいと申し出た兄弟に、槇寿郎はきょとんとした顔をする。
どうやらこの、息子たちの反応は想像できなかったらしい。

「は? なぜ?」

「なぜって、」

言葉に詰まった杏寿郎に、槇寿郎は腕を組んで言う。

「お前たちには必要なかろう。特に杏寿郎、お前には俺の指導などいらんはずだ」
「……」

横で俯いた千寿郎に、杏寿郎もまた笑みを失い、空になった器に目を落とした。
しかし槇寿郎は静かに続ける。

「もうすでに理解実践していることを改まって教えて何になる? 充分やっているだろうに」

弾かれたように杏寿郎は顔を上げる。

「父上、」

瞬く息子を見て、槇寿郎はらしくもないことを言ったことに気づいたらしい。
一瞬気まずそうな顔をしたかと思うとスッと立ち上がって言い捨てた。

「もう、寝る」

ピシャッと襖を閉じて去っていった父親の姿に、
杏寿郎と千寿郎は顔を見合わせる。

杏寿郎はその後、へと目を向けた。

、君は父に何か言ったのか?」
「いえ、煉獄さんに声をかけろとか、俺の言えた義理じゃないんで」

も驚いた様子なのを見て、杏寿郎はますます釈然としないと言った様子で腕を組む。
それから、そらんじるように呟いた。

「しかし、無刀。無刀か。盲点だったな。次の稽古から取り入れよう!
 多少厳しくなるかもしれんが!」

率直な一言には一瞬言葉に詰まるも、頷いてみせる。

「……構いません。よろしくお願いいたします」

「多分煉獄さん、大師範に稽古をつけてもらいたかったんだろう。
 それで、何で息子の自分を差し置いて俺が指導されてるんだって気持ちが、
 ないわけじゃないんだろうな」とは内心ため息をついた。

杏寿郎とて人間である。
稽古に私情を挟むようなことは多分、おそらく、きっとしないだろうが、
心情的には穏やかでないだろうとは察していた。

しかし、とは空になった膳を片しながら、槇寿郎の去った方を見やる。
なぜ槇寿郎が庇うような物言いをしたのかも分からない。

――このままでは据わりが悪い。

はいま一度、槇寿郎と対話しなくてはならないと改めて思った。



思い立ったら吉日と言わんばかりに、
煉獄槇寿郎の部屋をが訪ねたのは翌日のことである。

入室を促した槇寿郎は文机に向かって本を読んでいたところだったらしい。
が訪ねてくるのも予想していたらしく、普段は入るな、と一喝するところを
受け入れてに視線をくれた。

「お時間頂戴してしまい申し訳ありません。
 少々お話しさせていただきたく、」

が丁寧に礼をしたのを槇寿郎は遮る。

「貴様は、」

顔を上げたに向けて、槇寿郎は深々とため息をついた。

「口も減らず性も最悪で、槍の筋も見かけばかり清しいが正体は獣じみて荒々しく、
 人、鬼、問わず傷つけることにしか能のない、“殺人刀”ばかり使う男だが、」

言いたい放題である。
こめかみが軋むのを堪えて、は槇寿郎の言葉の続きを待つ。
 
「杏寿郎は、どうやらお前に“活人剣”を教えようとしているらしい」

殺人刀・活人剣。も聞き覚えのある単語だった。

禅において、生かすも殺すも自由自在、そういう心の動きを目指す時、
例えに使われる言葉である。

の槍の師範は元僧侶。
禅についても造詣が深く、もまたその教えを受けていたのでその意味も知っていた。

「禅問答ですか?」

の疑問に槇寿郎は興味を覚えたのか眉を上げた。

「起源はそちらだが俺が言っているのは兵法だ。
 普通こちらの方が一般に知られているのだが。……まあ、いい」

槇寿郎はどうでも良さそうに呟いて後、背筋を正した。
それに釣られても居住まいを正す。

「『一人の悪によって万人苦しむことあり。しかるに一人の悪を殺して万人を生かす。
 まことに、人を殺す剣は人を生かす剣となるべき』
 必殺するのが殺人刀、悪を殺して大勢生かすのが活人剣。
 江戸時代初期成立した、柳生宗矩の『兵法家伝書』にある。
 鬼殺隊のありようにも通じるだろう」

すらすらと兵法書の一節をそらんじた槇寿郎に、は瞬きつつも、頷く。

「はい」

「しかしこの『殺人刀・活人剣』は広く意味を含む言葉だ。
 簡単に言いほどくと
 敵を威圧してその動きを殺して勝つのを“殺人刀”。
 敵を利用してその動きを活かして勝つのを“活人剣”とも言う」

解説した後、槇寿郎は腕を組んでを見やった。

「お前は呼吸を扱わぬときは自在に相手の動きを引き出せるが、
 呼吸を扱いながらのこととなると後者の意味での殺人刀を重用しがちだ」

は黙って槇寿郎の言うことを聞いている。

「威圧的、乱暴な太刀筋も悪くはないが、
 医者の息子ならもっと頭を使って反則に頼る以外の腹芸をやれ。
 緩急をつけろ」

締め括った槇寿郎の言葉に、は感心していた。
確かに、的を射た指導だった。
身に覚えのあることばかりを言い当てられたのである。

言われてみれば槇寿郎の部屋にある本は兵法書、家伝が圧倒的に多い。
おそらく、文書を読み解いて教えること、実践に移すことに長けているのだろう。

ただ酒を飲んでは寝っ転がって自堕落な生活を送るおっさんではなかったと言うわけか、と
内心失礼千万のことを思いつつ、はしみじみと頷いた。

「……ははあ、本当に大師範、柱だったんですね。
 俺の癖も見抜かれましたか。いつ稽古を覗き見てたんですか?」

「……本当に口の減らない男だな、お前は」

慇懃ながら無礼を隠さないの言葉に槇寿郎はジトリとした目を向けた後、
ふと何に思い至ったのか静かに口をつぐみ、それから目礼してみせる。

「先日の一件、俺には返す言葉がなかった」

謝罪とも取れる言葉に、謝りに来たにもかかわらず
先に謝られてしまった、とは慌てて口を開いた。

「ああー、あのー、今日は差し出がましい口をきいたのを、謝りにきたんですけども」
「しかしあれはお前の、かけねなしの本音だろう」

図星を突かれては黙る。

「……」
「ふん、馬鹿正直な奴め」

槇寿郎は鼻で笑う。
しかしそこに必要以上の侮りはなく、は本題を問うことにした。

「なぜ、昨日の夕食時、俺を庇うようなことをしたんです?」

槇寿郎は目を伏せ、静かに答える。

「杏寿郎も千寿郎も、俺を気づかって
 お前のように明け透けな罵声を浴びせかけることはなかった」

「……はぁ。人間の出来た息子さん達ですね」
「そうだな」

空々しく返したに、槇寿郎はことのほか感じいった様子で頷いた。
はそれに瞬いて、返す言葉を失う。

槇寿郎はに構わず、言葉を続けた。

「杏寿郎が俺とお前との悶着を知れば、お前の方が破門になるだろう。
 そうなるとお前への罰が重すぎる。あれは両成敗になるべき沙汰だ。
 身内を貶されて頭に血が上るのは、当然のこと」

槇寿郎は深く息を吐くと、を見据える。

「お前の殺人刀、尋常の努力で御せるものではない」

断言した槇寿郎に、は重々しく頷いた。

「しかし、杏寿郎の指導はどうやらお前に合ってはいるらしい。
 当初よりは血生臭さが薄れてきた。それをお前は自覚しているな?」

「……はい。杏寿郎さんには大変感謝しております。
 あの人の鍛錬指導のおかげで、俺はまともな隊士として振る舞えるのですから」

「ならば俺の一存でお前と杏寿郎を引き離すわけにもいくまい。
 なによりこれはお館様のご采配。
 お館様直々に望まれてお前の師範となったのならこれを成すのが杏寿郎の務め。
 貴様のことは今も大いに、そう、大いに気にくわんが、」

槇寿郎はの目を見て、はっきりと言った。

「息子が励み務めるのを邪魔するのが親の役目とも、俺は思わん」

「……」

「貴様のことは放っておく。
 お前のような男はふてぶてしく世渡りをするものと相場は決まっているのだ。
 俺が口出ししようがしまいがどの道変わらんだろう」

は槇寿郎の物言いに、口元に手を当て考えるそぶりを見せたかと思うと、
顔を上げて口を開いた。

「……あの、僭越ながら申し上げますが、兵法の解説とか、あるいは組み手の指導も、
 俺じゃなくって息子さんたちに教えたほうが、喜ばれると思いますよ」
「馬鹿め」

槇寿郎はを小馬鹿にした様子で、皮肉に笑う。

「あの子らはすでにこの程度のことは理解している。
 わざわざ改まって教える必要はない。……俺には過ぎた子供らだ」

瞠目するに、槇寿郎は襖の方を顎でしゃくり、退室を促して言った。

「二度も言わせるな。もう行け。俺の気が変わらんうちにな」

は眉をひそめて槇寿郎を見やった後、素直に従って廊下に出る。
襖を閉めて、寄り掛かった。

「馬鹿はどっちだ。俺に言ってもしょうがねえだろ、そういうの……」

が深いため息とともにこぼした本音は、誰に聞かれるわけでもなく、
煉獄邸の廊下にうつろに響くばかりである。