物見遊山・藤

親兄弟を殺された仇を討つため、鬼狩りになると神崎アオイは決めていた。

だから血を吐くような鍛錬をした。
竹刀木刀を握り過ぎて手はいつだってマメだらけだった。
体力をつけるために山を駆け、非力な女であっても鬼の首を斬れるよう花の呼吸を覚え、
簡単なものではあるが、応急処置や医術も学んだ。

そうやって何年も鍛練してようやく、
身を寄せる蝶屋敷の女主人、胡蝶しのぶから選別参加の許可を得て、
アオイは一年中花を咲かせる狂った藤の木の前に立っている。

降りしきる雨のように花をつけて、藤はアオイや他の選別参加者たちを出迎える。
しかしこの藤の“役目”のことを考えると、アオイは見惚れる気にもなれなかった。

鬼は藤の香りを嫌い、近寄ることさえ嫌がる。
その特性を利用して作られた鬼の牢獄がここ、藤襲山 ふじかさねやま だ。
山の麓をぐるりと取り巻く藤の囲いの内側には、鬼がうじゃうじゃと蔓延 はびこ っているのだ。
アオイはその様を想像してぎゅっと腰に携えた刀の柄を握りしめる。

――必ず、必ず生きて蝶屋敷に戻る。きっとしのぶ様の助けになるような隊士になる。

キッと前を見据えたアオイの耳に、軽やかなよく通る声が聞こえた。

「へぇ、見事なもんだな。花見はいいよね。酒が美味しく飲めるから」

アオイよりもいくらか年上らしい男が藤を見上げ、感心した様子で腕を組んでいる。
他の選別参加者のような剣呑な雰囲気は持ち合わせておらず、
事情を知らない見物客が紛れ込んだのかと錯覚するほど呑気だ。

それでもアオイを始め、二十名近くいる参加者たちが
彼をジロリと一瞥するのにとどめ、声をかけなかったのは
彼もまた参加者の一人だと、抱える槍が示していたからだ。

よくよく見れば着ているものも紺染の道着に紺袴で、他の参加者と大差ない運動着である。
にも関わらず、明らかに男は浮いていた。

上背はあるが筋骨たくましいというよりは、すらりとした印象が先立つ。
顔つきは温厚で、目鼻立ちもはっきりと整っているものの、
浮べる笑みのせいかなんとなく軽薄に見える。
周囲を物珍しげに見物する様に悲壮感や緊張感はカケラもなく、
この場にいる誰より自然体だった。

――なんなのかしら、この人。

どうも気に障る男だな、と思いつつアオイはとくに突っかかることもせず、
選別の開始を待った。

――お遊び気分の人間がこの選別を乗り越えられるはずもない。
――もし仮に乗り越えられたなら、それは隊士として
  格別素養ある人間であることの証明にほかならない。

「皆さま」

物思いにふけるアオイの耳に、よく通る涼しげな声が聞こえた。

声の主の方へと顔を向ければいつの間にか、
艶やかな頭髪を結い上げ、上等な紫の着物を纏った女性が明かりを手に立っている。

「今宵は最終選別にお集まりいただき、ありがとうございます――」

女性が深々と腰を折り、選別参加者に見送りの挨拶を述べた後、
参加者たちは雪崩れ込むように藤襲山 ふじかさねやま 中心部に入る。

アオイはその時にはもう、他の参加者のことなど頭に残っていなかった。



アオイが山に入って二時間は経った頃、
三体の鬼に囲まれたことに、気がついた時には遅かった。

鬼は群れない、共食いする。
しかし連携することはなくとも、大勢の鬼と戦うことになれば
無勢なアオイが不利なことに代わりなく、
アオイは震える手で抜いた、刀の切っ先を鬼に向けながらジリジリと後ずさった。

――鬼。これが、鬼だ。

人肉を喰うのが久方ぶりとあってか三体とも目は血走っている。
姿形はまちまちだが、鋭い爪で肉を切り裂き、
尖った牙で骨まで砕いて食うだろう、化け物であることに変わりはない。

――これに家族を奪われた。これに蝶屋敷のみんな身内を殺されている。

――けれど、怖い。

抱えていた怒りよりも恐怖が勝って、アオイの手足が震える。

一人の鬼が距離を詰めて襲いかかってきた。
刀を振って応戦するものの、アオイの袖を鬼の爪が掠めて破れる。

その時だ。
鬼の首の一つが空中を舞った。

紺染紺袴の男が血に濡れた槍を携えてアオイの前に立っている。

二体の鬼は突然乱入した男に一体が屠られたのを見て、
アオイから男へと標的を変えたらしい。
明らかに警戒の度合いが増していた。

それなのに、男に頓着する様子は全く無い。
何しろこの男、何がおかしいのか大笑いしている。

「あっはははは! いやあ、しっかしこの槍、本当に良いな!
 十文字槍と言えば突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌!
 どれをとっても外れはなしとくるもんだが、
 加えてこの一振りは斬れば太刀にも匹敵しそうだ! 首斬りに適した槍! お見事!
 鍛治の方には礼を尽くさねばなりませんね!!!」

くるくると槍を振り回して汚れを払ったあと、なにやら自身の得物を絶賛しながら
襲いくる鬼を槍の柄で殴り、斬りつけた。

アオイは唖然とその男を見やる。

選別には場違いだと思っていた槍使い。
――けれどその印象と裏腹、男は相当の手練れだった。

二体の鬼を相手取りながらも全く怯みもしなければ焦ることもなく、
爪や牙をいなしては頸を斬る機会を自ら作り出していた。

「金払うのは違うよなぁ! 差し入れかなぁ!
 水菓子とか?! 今の時期だと何が良いだろ、旬の果物ってなんだ?!」

二体目の鬼の頸を斬りながら男が言う。
転がる首を槍の柄で払って最後の鬼にぶつけ、距離を取りながらもこの余裕。

「そこの君! どう思います?!」

どうやらアオイのこともきちんと把握していたらしい。
突然問いかけられてアオイはわけもわからず、混乱のあまり妙なことを口走った。

「ふ、普通にお手紙出すだけで良いんじゃないですかぁ!?」

アオイ自身この状況で言う言葉じゃないだろうとすぐさま我に返るが、
当の男は気にした様子もない。

「そう? でも確かに初っ端から袖の下渡すのも下品ですよね!!」

迫ってきた最後の鬼の前、槍が水平に振りかぶられたと思うと、
見事な太刀筋で鬼の首を刎ね飛ばす。

あっと言う間の出来事だった。
散りゆく鬼には見向きもせず、男はうっとりと三叉に分かれた槍を眺める。

「はー……。本っ当に惚れ惚れするぜ、この切れ味。この重さ!
 まさしく機能美ここに極まれりって感じだ……。
 これは感謝を伝えるまでは死ねないなぁ。うん。死ねない」

何に納得しているのかうんうん、と大きく頷いた後、
男はアオイに向き直って、爽やかに微笑む。

「ところであなた、お怪我はありませんか? 大丈夫?」

それまでの挙動と打って変わって優しく、人好きのする笑顔だった。

「……た、すかりました。ありがとう」

当てられて言葉が詰まり気味になるも、アオイは咳払いをして気を取り直す。

「怪我は大したことないです。自分で処置できますからご心配なく。
 ……私は神崎アオイと申します。あなた、お名前は?」

尋ねると男は朗らかに応じた。

「ああ、申し遅れました。です。よろしく」



は変わった男だった。
アオイが応急処置するのを見学したいと言い、許すと心底愉快そうに眺めている。

「……応急処置がそんなに珍しいですか?」

「珍しいというか、神崎さん手際が良いな〜と思いまして。
 こう、しっかりした知識経験に基づいた人間の所作を見るのって楽しくないですか?
 例えば、寿司屋で職人が魚に包丁入れたり、握るとこ見るの面白いでしょ」

理解できそうでできない例えである。
アオイは包帯の始末をしながら、呆れて半眼になった。

「……包帯巻くのをそういう風に思う人、あんまりいないと思いますけど」
「そうかな?
 あ、そうだ。話は変わるんですけど神崎さん、ちょっとお願いが、」

アオイがフッと顔を上げると、
の右肩後方に蛇のような体躯の鬼が忍び寄っているのがわかった。
アオイと鬼との目があった瞬間、鬼が粘つくような笑みを浮かべ、
ガパ、と大きく口を開けた。

「うしろ!!」

アオイが声をあげた瞬間、は携えていた槍を取り、豹変した。
獣じみた形相で吼える。

「失せろ木端 こっぱ !!!」

下から克ち上げるような一振りに襲いかかってきた鬼は二つに裂ける。
と思ったら飛んだ鬼の首がさらに分かたれ、ばらりと解けた。

縦横無尽の槍技である。鬼を、豆腐のように簡単に刻んでしまった。

は短く舌打ちしたかと思うと、槍を振って血を払った。
地面に濃く、染みが残る。

「……鬱陶しいな。
 俺、人が話してる途中で茶々入れてくる奴、嫌いなんですよ。
 にしても、奴ら鼻が利くのか?」

低く唸るような呟きに、アオイは小さく口を開いた。

「鼻だけじゃないでしょう……」

鬼が恐るべき身体能力の持ち主であることは周知の事実のはずだ、と
普段のアオイならキッパリと断言していたところだが、
今のにそのような態度を取ることは躊躇われた。

――鬼も怖ければも異様で、怖い。

ついさっきまで人当たりよく優しげだったのに、一瞬で飢えて吠え猛る獣のようになった。
しかし、はおずおずと声をあげたアオイに
尖っていた目つきを和らげ、また、にこりと微笑む。

「すみません。詳しく話を聞かせてくれませんか?
 なにぶん鬼の生態について疎いので」

強さと裏腹、は鬼についてほとんど知らない様子である。
アオイは口元を押さえたのち、顔を上げて提案した。

「……なら、移動しながらにしましょう、鬼が来たということは、
 おそらく私の血の匂いを辿られたのだと思います。
 血は止まってますから、包帯を巻き直して移動すれば、少しは鬼を撒けると思うので」



アオイとは夜の山を行く。
はアオイの提案をあっさり呑んだ。
今は先陣をきって枯れ葉の折り重なった、足場の悪い山道を歩いている。

のアオイに対する言動は概ね親切と言っていい。
どうにも気は許せないと思いつつ、なし崩しに行動を共にしてしまう程度には。

そのの背に、アオイは思うことがあった。
先の戦闘で気づいたが、は呼吸を使わなかったのだ。

けろりとした様子で先を行くから基礎体力も充分なのだろうが、
それにしたって呼吸が使えないのに選別に参加する人間はそう多くないだろう。

「あなた、育手に修行をつけられなかったんですか?
 呼吸も使わず……あんな、力任せに鬼を退治するなんて、」
「え? 何か特殊技能が必要なの?」

はアオイの言葉に驚いた様子で振り向く。
そのまま困ったように己の首の後ろを撫でた。

「参ったな……。
 そもそも七日間生きてりゃそれでいいって聞いてたんですけど。
 目一杯自分の技能を使えとは指南されましたが、」

「それで合ってますよ。合ってはいますけど……」

大変ざっくりした認識だったので、
アオイは選別の要綱、鬼について知られていること、そして呼吸についてをに話す。

はアオイの話を遮らず最後まで聞くと、深く溜息を吐いた。

「なるほど。普通は呼吸っていう身体強化法を使うと。
 うーん、じゃあ俺は人より出遅れてんのかな」

「どの口で言うんですか」

出遅れているどころか、少なくとも鬼殺については
頭ひとつ分確実に抜けているだろうとアオイは思う。

「あはは。俺が特殊枠なのは自分でもわかってたつもりなんですけど、
 それでも皆さんが持ってる技術が身についてないのは入ったあと不利かなって思いまして」

言いながらアオイの腕の包帯が目に止まったようで、はスッと指をさす。

「ところで神崎さん、怪我は大丈夫ですか?
 なんだったら藤の近くに移動した方がいいかもしれませんよ」

気遣っての言葉だとはわかっていたが、心配は無用だとアオイは首を横に振る。

「それでは仇をとれませんから」

その頑なな声色にどうやら訳ありと察したらしい。
は気まずそうに視線を彷徨わせたのち、誤魔化すような笑みで頰をかいている。

「えーと……なにか、すみません」
「……いえ、」

アオイは気を使わせてしまったかしら、とをうかがう。
助けてもらっておいての態度にしては、少々刺々しかったかもしれない。

「お気持ちはありがたいですが、お構いなく。
 鬼殺隊に志願する人の間では、珍しいことではありません」

目を伏せたアオイに、はあっさりと頷いた。

「ああ、それはそうでしょうね。こんな人死に前提の試験をやるくらいだ。
 よっぽど訳ありの人間しか集まらんでしょうし、
 剣士にはそういう人材しか欲しくもないんだろうな」

今のアオイには堪える言葉だった。ギュッと刀の柄を握りしめる。
はそれをどう思ったのか、なおも続けた。

「でも神崎さん。あなたもう鬼に向かって刀振れないでしょう?」

はにこやかながら、鋭く、核心をつくような物言いをする。

「……そんなことないです」

思わず否定したアオイだが、は納得しなかった。

「いやいや、嘘つかなくても。分かりますよ。
 俺が槍振った時、あなたひたすら身を守ってましたよね。
 あれじゃ鬼の頸なんて斬れないよ」

アオイは言葉に詰まって黙り込む。

「普通ですよ、普通。
 まともだったら怖いのが当たり前でしょ、鬼なんか。
 なまじ言葉も通じるしさ。恥じることなんてひとつもないです。
 刀振れないなら別の方法で組織に役立てばいいでしょう。
 適材適所なんじゃないですか?」

「……」

の言い分は間違っているわけじゃない。
筋が通っているし、優しげにも聞こえる。
されども、一度鬼殺隊士を志した人間にとっては侮辱にも等しい言いようだ。
悪気があるのかないのかはともかく、納得し難い言葉だった。

けれど、アオイは言い返せない。
に助けられていなければ、アオイは鬼に喰い殺されていたからだ。
助けられておいて異を唱えるのは違う。

それでも心情が顔に出ていたのか、は笑って指摘する。

「あはは! 納得行かないって顔ですね!」

そして、人差し指を立ててさらに提案した。

「じゃあ、選別の間、俺を助けてくれませんか?」
「え?」

アオイはハッと顔を上げる。
助けてもらったのはアオイの方で、を助けることなどできるのだろうか、
と戸惑うアオイに、はうきうきと続けた。

「自分を手当てするときの手際、利き手が使えてないのに良かったです。
 素人じゃああはならない。
 その辺知識がある人なんだと思ったんですよ。違います?」

「え、ええ。……はい。多少の心得があります」

「ですよね! それに神崎さん、震えてはいたけど剣術の構え自体はしっかりしてました。
 俺と違ってちゃんとした育手に教わってきたんでしょう?
 怯むの止めれば首も斬れますよ。多分」

はなんでもないことのように言った。

「俺はこれから山狩りしながら負傷してる人間がいたら手当てしていきます。
 半端ながら医療知識があることを売り込みたいので。
 一応物資は一通り持ってきましたが数は限られてるから、
 なるべく大勢の鬼を狩って最小限の被害で済ませたいんです」

「え、あの、」

矢継ぎ早に己の立てた計画を口にするにアオイは目を白黒させる。

普通に山で生き残るだけでも困難だと言うのに、
鬼を殲滅させる勢いで山狩りするとなれば
選別の難易度を勝手に一人で上げるようなものだ。

「ダメなら一人でやりますが、しばらくは一緒にいさせて欲しいです。
 半日くらいで利き手の扱いに慣れるでしょうからそのくらい。
 関わった人間が知らないところで死ぬのはもったいない気もするし、
 神崎さんが鬼殺すとこも見てみたいんですよ、俺」

ところが、は自分の計画に狂いはないと信じきっている様子である。

「あ、残念だけど協力したくないならそれでもいいです。
 俺はやれることをやった。それはそれで結構」

言葉を失っているアオイには二本指を立てて首を傾げた。

「俺から提案できるのは手伝う。手伝わない。この2択。選んでくれると嬉しいな」

アオイはの指をじっと眺め、やがて、頷いた。

「……手伝います」
「助かる。ありがとうございます」

そう言ってまたは先を行く。

神崎アオイがの提案に乗ったのは、
の言動に少なからず裏打ちされた実力があったからだ。

――そのと行動を共にすれば、少しは落ち着いて鬼殺に臨むことができるかもしれない。
――もしも一体でも鬼の頸を斬ることができれば、自信が持てるかもしれない。

そんな風に考えてアオイははた、と気がついた。
と話しているうちに、彼の軽薄な態度のせいか、
鬼への恐怖が紛れている気がしたのだ。

「どうしました?」

足を止めたアオイを気にして、振り向きうかがうの顔を、
アオイはまじまじと見つめる。

「あなた、変わった人ですね」
「ええー……急になんですか。わりとよく言われますけど」

眉を困ったようにひそめて苦笑する顔は、
それまでの挙動と異なりごくごく普通の青年らしく見えた。

は、つかみどころのない男である。