多面の男・神鬼

藤襲山 ふじかさねやま 最終選別 三日目。

神崎アオイとはいまだに行動を共にしていた。
は今日も散々鬼を狩り、二人の選別参加者に手当てを施して別れたばかり、
二人は夜明け前に水場まで移動しているところだ。

は手当てした参加者に必ず行動を共にするかどうかを尋ねていたが、
現在行動を共にしている人間はアオイだけだった。

原因はが正直に自分の目的と、団体行動の長所と短所を打ち明けること。

何よりの言動に問題があることを短時間の間に露呈させているためである。

山狩りと救護をやるのは勝手に試験の難易度をあげているようなもので、
まずこの説明で大なり小なり怪我を負った選別参加者は難色を示して別れる。

次にが徒党を組むと痕跡を消しづらくなるため鬼に狙われやすいこと、
代わりに一人で鬼を狩るより協力して狩る方が効率が良いことを説明すると、
理由はともかく、一人で狩った方が良いと判断した参加者はここで別れる。

そして一番の問題がの無神経な振る舞いだった。

中でもアオイが酷いと思ったのは、
が斬り落とした鬼の首を蹴っ飛ばした時のことである。



「おーい!」と場違いなまでに明るい声をあげて寄越されたのが
半分塵になりかけた鬼の首だったので
簡単な処置をしていたアオイも怪我人も揃って軽く悲鳴をあげる羽目になった。
引きつった顔でを見上げたら、当のはゲラゲラ笑っている。

『ほらそいつあなたの腕、爪でザクッと削いだ奴ですよ。
 倒しましたんで死に顔拝んだら溜飲も下がるかなって! あはははは!』

最悪である。

おまけにその時は思いのほか相手の怪我の度合いが深く、
アオイの持ち物では対処が不十分でに頼ることになったので、少々もめた。

何しろそんな言動を見せられた後のことだ。
に怪我の処置を任せるのを男は大いに嫌がった。

正直アオイも気持ちはわからないでもなかった。

が、あろうことかは半ば強引に怪我人の襟首を掴み上げ、
そのまま俵を担ぐようにして藤の花の側まで無理やり移動することにしたらしい。

『埒が明かないからこのまま移動しまーす。そのあと藤の花近くで縫合しますね〜』
『なっ、おいっお前縫合って、バカやめろ離せ!』
『暴れると怪我に障るんでやめてくれないか?
 それで困るのは俺じゃなくてあなたですけど?』

の声が冷ややかに沈む。横に流した目が担いだ男と、重なる。

『死にたくないなら言うこと聞けよ』

その様は、言ってることと裏腹に地獄に囚人を引きずり込む獄卒のようだった。
先の言動を見た後のこの振る舞いに男は顔面蒼白になっている。

『ちょっ……! ちょっとさん! 横暴が過ぎます……!』

アオイもどうにか止めようとしたのだがは聞く耳を持たない。
だが、藤の木の横に放り出され、無理矢理進められるの処置を受けているうち、
男の表情が変わっていく。

アオイから見てもが月明かりの下、藤の花の傍で男を治療する様は、
浮世離れした光景に見えた。

サッと消毒した後、腕の血を清潔な布が拭う。
取り出された銀色の針と糸が傷口を縫いとめていく様はいっそ、鮮やかだ。

処置された男は、キツネにつままれたような顔でに尋ねる。

『痛くない……』
『当然です。麻酔を打ちましたので』

は真面目な顔で答え、処置を終えた後、いつの間に手に持っていたハサミで
パチン、と軽快な音を立てて糸を切った。

『すみません、麻酔の効果が切れるまで6時間は安静。選別は続けたいんですよね?』

ぽかんとを見上げていた男は、ぐっと唇を引き結んで頷く。

『……もちろんだ。まだ山を降りるわけにはいかない』
『結構。本当は一日休ませたいとこだけどそうも言ってらんないし
 今のうちに寝とくといいですよ。
 治療した相手に死なれると目覚めが悪いから見張ります。神崎さんが』

テキパキと提案した上で流れるようにアオイを指差した
今度はアオイが慌てふためく。

『わ、私が? いえ、構いませんけど、先に合意をとってもらえませんか?!』
『あはは! 次からそうしますね。俺はもうちょっと巡回してきますから』

来た道を指差したに、男が難しい顔で問いかけた。

『しかし、ずっと藤の近くに居て失格にはならないか?』

は男の傍から立ち上がり、見事に花咲く藤を見上げる。

『うーん。どうでしょう。
 別に「藤の近くに居るな」とは言われてはないから平気じゃないですかね。
 確かに夜のうちは積極的に鬼を退治するそぶりを見せないと減点されそうですが……。
 入った後の査定に響くだけじゃないですか? 
 合格基準は説明の通り“七日間、藤の山で生き残ること”でしょう』

『……』

男はの言い分に何を思ったのか黙り込む。

『でも、それ以前に対処できる怪我を対処せず鬼に向かってく方が無謀です。
 最悪死にますよ、あはは!』

快活に笑うものの笑い事ではない。

は自分で言ったことに引っかかったのか、
すぐに山道へと引き返そうとはせず、アオイに顔を向けた。

『言われてみれば監視役も居そうなもんだけど、見当たらないんだよな。
 お二方、それらしい人を感知したことあります?』

『いいえ、特には』
『俺も見てないな』

首を横に振る二人である。は「そうですか」と頷いて言葉を切った。

それを好機と見たらしい。男は自身の傷ととを見比べて、尋ねる。

『ところで……お前、医者なのか?』

その時の、の表情の変化は、それまでアオイが見たことのない類のものだった。
ごっそりと感情が抜け落ちた後、口角だけが切れるように上向く。

『そんな良いもんじゃない。俺は“もどき”ですよ』

冷たい目をしていた。

言い捨てるようにしては再び鬼を狩りに山へと入る。
怪我人の男とアオイはそれから少し話をした。

男は言う。

『お前、よくあいつと一緒に居られるな』

助けられておきながら言う言葉ではないが、
の言動は確かに傍若無人だし無理もない。
アオイは苦笑して応じる。

『私も助けられたものですから、借りを返さねばと思いまして。
 確かにあの人は口も悪いし乱暴ですが、人を助けることに力を惜しまない人ですよ』

アオイの言葉に男はしばし黙り込むと、口を開いた。

『……そうか。そうだよな。そう思うのが普通か。
 手当てしてもらっておいて俺は恩知らずかもしれない。
 でもあいつ、何か、……変じゃないか?』

傷を掲げて男は続ける。

『これ、全然痛くないんだ。手当ての最中も縫われてる感触はあったけどそれだけ。
 すごいと思うよ。感謝もしてる。でも……。
 でも俺はあいつが、あっという間に鬼を倒して、
 ……鬼の頭を蹴飛ばしてよこした時、笑ってたあいつの方が、』



『鬼に見えたんだよ』

怯えていた男が告げた言葉が、アオイの頭から離れずにいる。

確かには人を喰ったような物言いをするし、
鬼に対しては冷酷だが、少なくとも人間に対しての行動は親切だ。

そして、医者かどうか尋ねられたときの顔は、少し、傷ついているようにも見えた。

何か訳があるのかもしれない。

そう思って前を行くに声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「何が?」

思わず問いかけたアオイではあるが、振り返ったは不思議そうだ。
その顔を見て言葉に詰まる。

試験も半ばに差し掛かろうとしているが、
は着ているものさえ汚れていない。
派手な鬼殺のやり方をするが、返り血を浴びぬよう気遣うだけの余裕があるのだ。

人の心配をする前に鬼を倒せぬ自分の心配をすべきではと、
悶々とし出したアオイを見てはニコリと笑う。

「ああ、でも神崎さんがそう言うの、実はわかる気もします。
 結構働いてますもんね、俺。
 ……もしかして付き合わされるのがしんどいとかそういうやつ?
 『テメェが働いてると私が休めねェんだよ殺すぞクソ野郎』的な?」

「そんなこと言ってませんけど!?」

アオイは即座に首を横に振って、
に物騒かつ失礼な人物像を投影されたことに抗議した。

さん、私がそんな口をきく人間だと思ってるんですか?!」
「ははは! 思ってないよ! 冗談です!」

笑うに、冗談にしたってあんまりでは?と頬を膨らませるアオイである。
それから深々とため息をついて「確かに」と認め、腕を組んだ。

「ずいぶん無茶をする人だとは思ってますよ。
 夜通し息をつく暇もなく鬼を探索、討伐して、近くに怪我人がいたら応急処置。
 本格的な処置が必要な方には藤の花近くで治療して、また鬼狩り……」

鬼の活動しない昼間を睡眠にあて、野草や川魚等を充分食べているとはいえ、
少しは消耗してしかるべきだというのに、恐るべき体力と旺盛な活力である。

アオイは胡蝶姉妹からみっちり呼吸の鍛錬をつけられたため
なんとかついて行けているが、それでも“なんとか”という有様だ。

「呼吸もなしで、あなた、なんでそんな元気なんですか?」
「普通に鍛えてるからかな?」
「それで片付けられる範疇にないと思うんですよ。普通って何ですか普通って」

は「そんなこと言われてもな〜」と苦笑している。
ただ、何やら思い当たる節があったのか「あぁ、」と声をあげ、人差し指を立てた。

「俺は運にも恵まれてますよね。
 今のところ重傷者を出してないのでなんとかできてるんだと思います。
 でも残り四日もありますから。この先どうなるかはわからんです」

思いの外謙虚な言葉が返ってきて、アオイは意外に思う。
はさらに、アオイへすまなそうに眉を下げた。

「それに、わりと軽い処置はほとんど神崎さんがやってるじゃないですか。
 いやぁ、俺は助かってるけどちょっと申し訳ないかも……」

「いいえ。私は鬼を未だ一体も斬れてないのですから、少しは力にならねばと思います」

気まずそうに自分の首を撫でるにアオイはきりりとした態度で言う。
パチパチと瞬いたがやがて愉快そうに声をあげた。

「あはは、神崎さん真面目ですね!」

それから再び前を向いて水場までの道を歩みだした。
太陽がすでに昇りつつある。
朝焼けの橙色がの髪と、剥き出しの槍の刃に落ちて光った。

「別に、あなたは俺に付き合う義理なんてないんだから、
 俺の行動が負担になるなら別行動でもいいんですよ。
 怪我もだいぶ良くなってるようですし」

は淡々と言うので、アオイもつられて静かに言った。

「私は足手まといでしょうか」
「いいえ」

ほとんど間髪入れずに遮られた。続く声色はやけに明るい。

「誤解はして欲しくないなぁ。俺は神崎さんに助けられてます。
 あなたが居ると思うから、鬼を狩るのに夢中にならずに済んでるところがあるので」

アオイの頭に小さな空白が生まれた。
意味をよく、飲み込めない言葉だったのだ。

「それは、どういう、」

問いかける最中には振り向いて、にこやかに微笑む。

「あなたがここに居てくれて、よかったってことですよ」

風が枝を揺らして波のような音を立てた。

「……ふふふっ! 行きますよ神崎さん。
 日が昇り切る前に拠点を作らないと明日が辛いんだから」

アオイは呆気にとられていたが、そのうちが肩を揺らして笑い出したので
からかわれたのだと思い、カッと頬を染めて声を荒げる。

「……さん、あなたさては相当の“たらし”ですね?!」
「え〜、心外 しんが〜い 。そんなつもりじゃなかったんですけど〜」
「茶化すのやめてください!」
「あはははは!」
「笑い事じゃない!」

わざとふざけたそぶりを見せるにアオイは怒るがのれんに腕押し。
まるでこたえた様子もない。

アオイが話をはぐらかされたことに気づいたのはずいぶん後のことである。

振り返ってみれば予兆は最初からあったのだ。が、一体どういう人間なのか。