死と罰
胡蝶しのぶがを連れて鬼殺に赴いたのは月明かりの眩い、
よく晴れた満月の夜のことだった。
下ろしたての隊服をまとった二人は夜を駆ける。
今日の鬼殺の舞台は針葉樹が覆い茂る森だ。
昼間でも日が陰るこの森は鬼が棲まうのにうってつけ。
森から少し歩けば村があり、もう少し足を伸ばせば街がある。狩場もほど近いというわけだ。
速やかに鬼の居場所を特定し、鬼殺を遂行。
その後遺体を検分するまでが今回のしのぶとに課された任務である。
しのぶは半歩後ろを駆けるに目をやった。
足場が悪い森の中、槍を背負いながら走っていても、に息を切らした様子がない。
軽佻浮薄の権化のようなだが、鍛錬勉強に熱心なのが所作に現れていると、
しのぶは内心で感心していた。
しかしはしのぶの視線には気づいていない。
暗闇に赤く光る灯火が見えて、そちらに気を取られていたのだ。
は笑みを深めて楽しそうに言う。
「見えてきましたね、鬼のねぐら」
開けた場に突然現れたのは中華風のお堂のような建物である。
赤く逆立った鱗のような瓦が、屋根から垂れ下がった丸いぼんぼりに照らされて
異様な雰囲気を醸し出していた。
「血鬼術を扱う鬼ですね」
お堂周辺はいやに甘ったるい香りが漂う。
しのぶが言うと、は面白そうに眉を上げて笑みを深めた。
「どうします? 想定よりも強そうじゃないですか?
俺を前に出して後ろから胡蝶様がグサリとやっちまいましょうよ。そのほうが楽ですって。
というか是非とも前に出たい! 久方ぶりの鬼殺だし!」
「ダメです。いけません」
しのぶがにべもなく却下するとは「えぇ〜〜〜」とわざとらしく悲嘆にくれた。
しのぶは無視して淡々と告げる。
「事前に言った通り、今回の君の役目は解剖の助手です。
鬼殺に関しては私がやります。これはお手本のようなものですね。
槍を振るうのは身を守るときだけ許可します」
「毒の調合もそこそこ覚えてるのになぁ。使いたいなぁ。
槍もいいけど鬼の顔面ドロドロ祭りも開催したいんだよなぁ」
の軽口にしのぶのこめかみがビキビキと軋む。
鉄壁の笑顔は崩れぬものの、声色が若干ささくれ立ったのは隠せない。
「君は軽薄なそぶりを慎むように。
まず、私が、お手本を、見せるので、一連の流れをきっちりと、覚えてくださいね?」
文節で区切って言い含めるように嗜めると、
まるで子供に勉強を教える教師のように優しく目を細めた。
「次に駄々を捏ねたりふざけたら麻酔を打ちます」
「鬼の前に俺が気絶しちゃうやつだな」
言外の怒りを正しく汲んでは神妙に頷いたように見えた。
が、それは別のことが気がかりだっただけらしい。
「ところで、胡蝶様って気を失った俺のこと運べます?
縦寸六尺、体重十八貫はあるんですけど」
「いたずらに隠の仕事を増やすのはやめなさい」
「……なるほど。了解」
しのぶがさらりと流したので、
もこれ以上軽口を叩いては本当に麻酔を打たれると察したらしい。
今度こそ居住まいを正して鬼の待ち受けるお堂に目を向けた。
しのぶはその様を見て一呼吸置くと、呟く。
「迅速に、的確な仕事を心がけましょう。
この点、鬼殺と医療は求められることがよく似ています」
そして言葉の終わりが放たれるや否や、しのぶは矢のようにお堂へと向かっている。
扉を開け放って鬼の姿を確認する。
お堂の真ん中に立っていたのは髪を二つに結えた、袴姿の女の鬼だ。
鬼はしのぶを見やると目を弓なりに細めて手を広げた。
空気が澱んで揺らいだ。
しのぶは構わずに刀を振るう。
蟲の呼吸 蝶の舞 戯れ
鬼に攻撃したその瞬間、床、天井、壁の四方八方から蔓のようなものが素早く伸びて、
しのぶの体を捕らえようとした。
が、蔓の先端はしのぶの目と鼻の先で動きを止めた。
女の鬼の目が驚嘆に見開かれている。
「鬼は、頸を斬られなければ死ぬことはないと油断しているところがあります。
このように、攻撃を避けないきらいがありますね。
それが命取りだったりするのですよ」
しのぶは優しく告げる。
それは今、床にくずおれて吐血し、死にゆく鬼に対してだけでなく、
後ろから軽やかな拍手と共に歩み寄るに向けた言葉でもあった。
「お見事、お見事!」
鬼が死んだ影響か、四方八方から伸びていた蔓がただちに萎び、重力に負けて垂れ下がる。
それらが床に落ちるのを確認すると、しのぶは小さく息を吐いた。
は床に落ちた蔓をためらいなく踏みにじりながらしのぶに微笑む。
「この蔓を自在に操る血鬼術、鬼が生きている間は相当速そうでしたけど、よく避けられましたねぇ」
「血鬼術を使う鬼への一番の対処は、術を使わせないこと。次に術を喰らわないこと。
喰らってしまったときは速やかに頸を切り落とすこと。
術の効力が弱まる場合がありますからーー今回は次点でしたね」
しのぶは刀を鞘に戻し、淡々と告げる。
「しかし、当たらなければどうということはありません」
は笑みを深める。小首を傾げてしのぶに尋ねた。
「使用した毒はかなりの強毒と見ましたが?」
「そうでもないですよ。鬼の体の大きさや、鬼が異形であるか否かなどで、
薬品の量や種類を変えています。
今回は女の鬼だったので量を多めに充填して殺しました。
むやみやたらに強毒で殺すと対策される可能性がありますから」
「いいですねいいですね! ではでは! 早速開いていきましょうか!」
が胸ポケットから手袋を取り出して手にはめる。
縫製係の前田に散々注文をつけて作らせたただけあって、
使い心地には満足しているらしい。やけに満足げである。
揚々と鬼の死体に近づくにしのぶは一番の注意事項を述べた。
「鬼の遺体はかなり脆くなっています。取り扱いには気をつけてくださいね」
はふっと足を止める。
「……死に際に塵になるような奴らだもんな。はい。承知しました」
それまでの高揚が嘘のように冷静な受け答えだった。
は鬼の遺体のそばにしゃがみこみ、しのぶの指示を待っている。
通常の鬼殺では、鬼の体の仕組みなどを検分することはかなわない。
鬼が死して骨も残らないのは、鬼舞辻がそのように仕組んでいるのか、
それとも意図せぬ現象なのかも曖昧だ。
しのぶは目を伏せて鬼の死体のそばに寄った。
「では、解剖します」
※
驚くほど順調に解剖手術が進んでいく。
は助手として、申し分のない仕事ぶりを見せた。
だからしのぶは安堵とともに知識を惜しみなく教授する。
「主要な臓器ほど毒の影響は大きいのがわかりますね。
脳、心臓はほぼ残っていない、血管もかなり脆くなっています」
「そうですねぇ、多分すぐに腐るだろうな。
このぶんだと毒殺にしろ斬首にしろどっちにしろ骨も残らないんでしょう。
……素晴らしい。本当に毒が刃の代わりになるんだ」
しのぶの言葉には感嘆のため息を交えて目を細める。
だが、実のところしのぶは毒が刀の完全な代用品になるとは思っていない。
藤の花から作られる毒は、鬼舞辻無惨の細胞を殺す。
これは下弦の鬼に対しても足止めに充分な効力を発揮するとわかっている。
宇髄天元が下弦の鬼と遭遇した際、しのぶの毒が有用だったことを伝えてくれたおかげだ。
しかし天元はこうも言っていた。
『あれは致死量の毒だったんだろ。
しかし下弦相手だと、麻痺で動けなくはなったが俺がとどめさすまでは生きてたぜ。
胡蝶、もうちょいやり方なりなんなりを考えた方がいいんじゃねぇか?』
恐らく、もしもしのぶが下弦以上の鬼と一人で戦わねばならない場面があるならば、
今の毒では心許ないと言いたかったのだろう。
悔しいが、事実だ。
鬼舞辻本人。あるいは鬼舞辻の血を多く分け与えられている上弦の鬼相手に、
現状の毒が通用するとは思えない。より強い毒を開発しなければならない。
もっと深く研究を進めなければいけない。
そう考えていた矢先にしのぶの元にやってきたのが、この、という男だった。
は真面目な顔で開いた鬼の喉元と胸を見比べる。
「……胸椎よりも頚椎の方が劣化が酷いな」
「大勢人間を喰べた鬼はまず頸を硬くします。
そのぶん毒で劣化しやすいのでしょう」
納得した様子で頷くと、はさらに続けた。
「切創があったのは頸、こめかみ、胸、上腕、大腿部。一番傷が深いのが頸。
これは胡蝶様が攻撃した部位ですね」
「頸は鬼の弱点です。
多少効果が弱い毒でも頸に打ち込めば動きを止められるだけの見込みがあるんですよ」
しのぶは手早く、開いた鬼の皮膚を縫い合わせると、軽く手を合わせてから
に向き直る。
「今回の毒もよく効いていましたね。おつかれさまでした」
「はい、ご指導ありがとうございました」
しのぶとはそれぞれ使った器具の後片付けに入った。
メスを磨きながら、しのぶは解剖中のを見て思ったことを告げる。
「やはり、と言うべきでしょうか。作業中は落ち着いていましたね、君」
は終始落ち着いた受け答えをしていた。
疑問に思ったことはすぐに尋ね、手際も良い。
正直ずっとこの態度だったならば良いのにとしのぶが思ったことは事実である。
「こういう形での解剖は興味深くはありますが、死体と生体ではやっぱり感覚が違いますから。
気分揚々大興奮とはならんですねぇ。残念ながら……」
「残念でもなんでもないので永遠に落ち着いててください」
解剖中と打って変わってふざけた調子のにしのぶは思い切り本心をこぼした。
「辛辣!あっはっは!まあでも解剖作業中は気分が上がってても記録すること、
見るべき場所が多いから頭はそれなりに冷静であろうとはしますよ。当然ですけど」
はへこたれた様子もなく笑い飛ばすと、
片付けの合間、自前の帳面に走り書きしながらしのぶに尋ねる。
「胡蝶様は生きたまま鬼を解剖したりしないんですか?」
「やりません」
なんの迷いもなくしのぶは即答する。
すると、は思いのほか、真面目な調子で続けた。
「一番分かりやすく毒の効果を測れるのは、生きたまま実験するのが一番なのに?」
それはそうだと、しのぶは頷きそうになってとどまる。
生きたまま実験することと、死後に解剖すること。
これを併せて行えば、より精度の高い結果を見ることができるというのは、わかっていた。
わかってはいるが、やらないとも決めている。
「……できなかったんですよ。
こういう死後の解剖、検死は山ほどやりましたが、生きたままというのは無理でした。姉が、」
胡蝶カナエは、しのぶが毒を開発すると、その努力を労ってすぐに
なるべく苦痛のないようにすることはできないか、と尋ねてきた。
カナエは優しかった。
鬼を憎むより憐れんでいた。
「『人に施すことができないと思う手術や実験を、鬼にも施すべきではない』
そういう方針だったので、私もそれにならったんです」
姉の言うことを受け入れられないと思うこともあったが、
一理あると思えることもあった。だからこの方針を、しのぶは今も守っている。
「へぇ。お優しい方ですね、俺は嫌われそうだな~。
お姉さんも医療の心得があるんですか? 蝶屋敷ではお目にかかれなかったですけど」
「亡くなっています」
の雨のような言葉がピタリと止んだ。
「姉は隊士としても働いていたので。もう3年は前のことです。お気になさらず」
「そうですか。いえ、知らないとはいえ不躾なことを言いました。すみません」
珍しくしおらしい態度のに、しのぶはふっと目を伏せて笑う。
「いいえ。姉は、生きていれば君のことを気にかけただろうと思いますし」
は笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「おや、どうしてでしょう?」
「君の実験のやり方は、惨たらしい」
しのぶは鬼の遺骸を見やりながら答える。
「鬼に対してもやるべきではない。
ことさら痛めつけるようなやり方を取るのは感心しません、どうしてそんなことをするのか、と、
姉ならばこんこんと諭したでしょう。それはもうしつこく、うんざりするほど」
「あはは! 左様ですか。じゃあ答えてみようかな。理由は三つです」
は外した手袋を胸ポケットに突っ込むと、指を三本立てて折っていく。
「一つ、対象が人間ではなく鬼で、人道を適するに相応しい相手ではないこと。
二つ、臨床実験が極めて有用であること。
三つ目は……」
最後の指を折るのを止めて口ごもったかと思うと、
は朗らかな笑みを作った。
「まあ、怒られそうだから言うのやめときます。
代わりに今の解剖の所感、というか、もしもの話をしても?」
「いいですよ、どうぞ?」
しのぶが促すと、は鬼の遺骸へ目を落とした。
「もしも、宿主の生命を維持できたまま、鬼舞辻の細胞のみを毒で殺すことが可能なら、
鬼を人間に戻せるのではありませんか?」
カナエに、いつだかほとんど同じことを言われたことを思い出して、しのぶは眉を微かにひそめた。
カナエの笑顔が脳裏をよぎって、しのぶは固く目を瞑る。
「……理論上できるか、できないかの話をするならば、『できます』」
の目にパッと高揚の火花が散ったのがわかる。
色めき立って口を開こうとするのを制して、しのぶは続けた。
「けれど君。
一度でも理性を失くし、人を殺して喰らった鬼を人に戻すことができたとして、
その人は、救われますか?」
沈黙したにしのぶはなおも問いかける。
「君なら耐えられますか?
君が、万が一鬼になった時、理性と自由意思を理不尽に奪われ、
人を殺して喰らった後に人に戻れたとして、そのあと君はどうします?
殺してしまった相手に償えますか?
それとも人を喰ったことを『仕方がなかったのだ』と割り切れます?」
「……無理ですね。どうやっても償えないな、そんなの」
が、ここで開き直るような人物だったなら、
しのぶは鬼殺隊を辞めるよう勧めるつもりでいた。
少なくともしのぶの思う一線をは越えてはこなかったので、
安堵して、こぼしてしまったのだ。
「人として生かすことが幸せだとは限りませんよね?」
「死なせることが救いだとでも?」
その声は鋭かった。
ハッとの顔を見やると、能面のような無表情がしのぶを見返す。
試されているとすぐにわかった。
だからしのぶは真面目に答える。
「……いいえ。救いにはならないでしょう。
不死の鬼を死なせる、刃を振るって傷つけることは、あえて言うなら、“罰”なのだと思います。
罪を罪と認めさせるため、償わせるため、止めるため、許すための罰です」
鬼に情をかけていたカナエも『鬼を殺さない』という選択肢は選ばなかった。
むしろ、誰より強くあろうとしていたように思う。
可憐な立ち居振る舞いと裏腹に、その剣技は限りなく研ぎ澄まされ、
華奢な腕で鬼の頸を刎ね飛ばした。
カナエも分かっていたからだ。
「鬼の罪がそそがれない限り、人が鬼と手を取り合い、仲良くするのは難しい。
人を殺してなんのお咎めもないならば、殺された人が報われません。
鬼には反省してもらわなくては。心から罪を悔いて、贖ってもらわねば。
そうでなければ許されないでしょう?」
は何かに引っかかった様子で口を開いた。
「許されない、ですか。
でも、それだと結局鬼は死にますよね。仲良くしようがなくないですか?」
「そんなことはありませんよ。
死ぬことだけが償いの手段ではありませんし、鬼は簡単には死なないんですから、
初めに“それなりの誠意”を見せてもらえればいいんです」
保身のために嘘を吐かないこと、
空腹に負けず人を二度と喰わないと誓うこと、それを証明し続けること。
殺してしまった人への、償いの言葉、慮る姿勢。
誠意の示し方はいくらでもある、が。
「しかし、残念ながらほとんどの鬼と交渉の余地がありません。
できても最後には決裂してしまう。……本当に、残念なことですけれど」
姉の望みを叶えたいと思っていても、
鬼舞辻無惨に生殺与奪の権を握られている鬼とでは、難しいことがあまりにも多い。
黙ってこちらを見つめるの顔を見て、
しのぶは本題と話がずれてきていることに気がついた。
に常の微笑みを向ける。
「話が逸れましたが、鬼になったのが不可抗力であろうとも、
人を殺して喰らってしまった事実は覆らない上に、放っておけば大勢が死にます。
一度人の味を覚えた鬼は殺すことでしか止められないのが現状です。
……私は鬼を人に戻す薬は作らない。少なくとも今、必要な薬だとは思いません。
使いどころを誤れば、それは”人”を苦悩させる毒になるからです」
「なるほどね」
は納得した様子で腕を組んだ。
「鬼が人を殺した時点で、人間としての“その人”は
死んでしまったも同然、ということなのかもしれませんねぇ」
しみじみと呟かれた言葉に、しのぶは軽く瞬いた。
「……君の口から、鬼を慮る言葉が出るとは思っていませんでした。
君にもそういう、手心と思いやりがあるんですね」
しのぶの感嘆には訝しげに眉を上げて、あっけらかんと言い放つ。
「え? 別に思いやりとか慮るとかじゃないですよ。
普通に治せるなら治した方がいいでしょ、こんなおぞましい病のような現象。
鬼なんか、できれば一刻も早く根絶やしになってほしくて当然じゃないですか」
感心して損した気分になってきたしのぶを横目に、
は「うーむ」と思い悩むような所作で腕を組んだ。
「でも、そうだな。確かに治した後のことを考えると、
元々が善人なら善人なほど苦しむというのはやりきれない。
なりたての鬼なんざ理性がないのが当然で、
隊士が遭遇する鬼は最低一人二人喰ってるもんなァ、治そうにも簡単にはいかないか」
「……姉も、君と同じようなことを言っていました。
おそらく君とは少々違う意図だったと思いますけど」
思わずしのぶが言った言葉に、は聞き返した。
「お姉さんが?」
「君の言ったように、優しい人だったんですよ。とても」
今日はの言動に姉を思い出すことが多い、としのぶは複雑な笑みをこぼすが、
はしのぶの感傷などまったく意に介したそぶりはなく、
ただ何かに気がついた様子で手を打った。
「ああ! だから胡蝶様ってば『鬼と仲良く』なんて言うんですね!
それ言いだしたのお姉さんでしょ!」
「なんですか、急に」
もうお互いに解剖手術の片付けはとっくに終わっている。
しかしその時漂う空気には未だ、張り詰めた糸のような緊張が継続している。
は猫のように、弓なりに目を細めた。
「胡蝶様ってさ。なーんかちぐはぐなんですよねぇ」
はスッとしのぶの腰元を指差して、微笑む。
「武芸をやってる人の気質は良くも悪くも得物に出ると言うのが持論なんですが、
……本当に鬼と仲良くしたい人がそんな刀を使うかな?」
「どういう意味です?」
「あなた、攻撃を刀で受ける気がサラサラないでしょう」
しのぶは口を噤んだ。
は心底愉快そうに続ける。
鬼の死体を解剖するときの、しのぶの指導に大人しく従い、
雄弁かつ的確に疑問を口にしていた時と同じように、は言葉で切り開いていく。
「絶対に鬼の攻撃を避けきる自信と、必ず自分の毒で鬼を滅殺する確信がなければ
そんな刀で前線に立てない。
抵抗される前に素早く鬼を殺す自負があるからこそ、繊細な刀を扱えるのでは?」
「胡蝶様の鬼殺は惚れ惚れするほど素早かった。冨岡様も迅速ではあったけれど、
あなたはより軽やかで容赦がなかったです」と、かつての師範と現在の上司とを比べ、
はその違いを楽しんでいた。
「その日輪刀はあなたの矜持の表れですね?
俺そういうの大好きだ! 『腕に知識に覚えあり』って感じ! 格好がいいですねえ!」
手放しで贈られる率直な賛辞だが、しのぶは、の言葉が何に決着するか分からずに
得体の知れない怖気を感じ取っていた。
「でも、だからこそ解せない。
鬼と仲良くしたいなら、多分、普通は交渉できるように長く場を保たせられる技を磨く。
ならば当然相手の攻撃を受ける機会も増えるでしょう。
その場合、華奢な刀じゃ分が悪すぎる」
の顔に、冷ややかな笑みが浮かぶ。
「何が何でも鬼を殺してやりたい人じゃないと、
そんな研ぎ澄ました殺意そのものみたいな刀を扱いはしない」
しのぶは反論しようとして、できないことに気がついた。
優しく殺すために磨いた刃もまた、殺意であることに変わりない。
そしてなにより、しのぶは鬼を憎悪している。カナエとは違って。
「鬼を殺す気満々のあなたが、なんで鬼と仲良くしたいなんて言うのかな?って、
俺は不思議でならなかったんです。
でも今日の話で腑に落ちてスッキリしました!」
そしては結論に至った。
「元はと言えば胡蝶様のお姉さんが『鬼と仲良く』したかったんですね?
あなたはそれに倣ったわけだ」
しのぶは、言葉が心を解体するように刺さっていくような心地に眉を顰める。
不愉快だった。
おそらくはわざとやっている。
しのぶの感情を逆撫でして、反応を窺って物事の成否を計っている。
「確かに、胡蝶様。俺はあなたのお姉さん“とは”あんまり馬が合わないかもしれないです。
でも、あなたとだったら、どうかな?」
「……だから、どういう意味ですか」
苛立ちのまましのぶが問い返すと、ふっとが放っていた異様な威圧感がなくなった。
急に興味を失ったようにはさらりと述べる。
「言葉通りの意味ですけど。姉妹、親子で全く同じ考えということはないでしょう。
……あ」
開け放ったお堂の扉から朝日が差し込んでいることに気がついた。
は立ち上がると伸びをしてしのぶを振り返る。
「夜明けですね。とっとと帰りましょう。それから、」
の声が静かに沈んだ。
「俺は医療に携わる人間が一番言っちゃいけない言葉が『死は救いである』だと思ってるんですよ。
胡蝶様がそういうことを言わない人でホッとしました」
それから嬉しそうに微笑むと、確かめるように口を開く。
「でも、いいですね。『死は罰である』っていうのは悪くない。
含蓄があって大変いいです。気に入りました」
「覚えておきます」と笑う顔は逆光に黒く沈んで、輪郭ばかりが赤く燃えているようだった。