まともな人
昼下がり、胡蝶しのぶはと蝶屋敷の道場で軽く手合わせをした後、
座して今後の訓練内容の説明に移った。
今日はしのぶに遠方への任務の通達が来ていたので、
へ稽古をつける時間は限られている。
実力をある程度見極めた後は、自主鍛錬に移るのが良いと考えたのである。
「君の鍛錬ですが、基礎体力向上、槍術、呼吸。
この三つの鍛錬を基本一まとまりとして昼間のうち繰り返し最低十本はやっていきましょう。
今日のように、短い間でも私が監督できる日は対人格闘も追加で行います」
手合わせをしてわかったが、の武芸の腕前は熟練の隊士と遜色ない見事なものだった。
噂に聞く通りの命令違反を厭わない傾向と実験癖さえなければ、
ゆくゆく柱になっても不思議ではないとしのぶは思う。それに何より。
「君のように腕の立つ男の子と訓練できるのはいいですね。私の腕も上がりそうです」
優れた弟子の鍛錬の最中に、師範の実力が底上げされることもあるのだ。
しのぶが期待を示すと、なぜだかの口角が引きつった。
「……“男の子”呼ばわりはやめて下さいよ、大して歳変わらないでしょう」
「確か同い年ですよね?」
しのぶがなんとなしに応じた言葉にはギョッとした様子で目を見開く。
「ああ?! やっぱりそれマジなんですか?! サバ読んでるわけではなく!?」
「どういう意味ですか?」
返答によってはただではおくまいとこめかみに血管が浮かんだしのぶを前に、
は悔しげな半眼になった。
「俺はそりゃまあちゃらんぽらんですけど、医学薬学に関しては結構頑張ってたんですよ。
父の薫陶も受けてきたんだから同年代の医者志望に負けるつもりなんか微塵もなかったんです。
なのに同い年で毒薬の開発に成功してる人がいるんですけど?!
しかも察するに独学ですよね?! どういう勉強の仕方をしたらそうなる?!」
思わぬ反応に目を丸くするしのぶである。
は言いたいことを言い切ると、深々とため息をついて項垂れるばかりだ。
「経歴知った時、絶対十は年上だと思ったんですよぉ。
しかし、……はあ。年齢詐称してるわけじゃなく同い年ですか。
同い年……俺も頑張らねば……」
「そうですね。そうしてもらえると助かります。
詐称はしていませんよ。ふふふ」
の口ぶりから、同世代の人間が上げた成果に感心しているのと、
それに負けまいとする向上心がうかがえたので、しのぶの唇も自然と綻ぶ。
それに実のところ、実年齢より年上に見られることは珍しい話ではない。
理由もしのぶ自身よく分かっているのだと、口を開いた。
「私は鬼殺隊に入隊して長いのと、蝶屋敷の主ですから。
ある程度落ち着いていないと、なにかと障りが出るんですよ」
また、が指摘した、若くして藤の毒の開発に至る並外れた薬学の知識。
これが身についたのはしのぶの生家が薬問屋だったことが関係している。
「幼い頃から遊ぶように調合の仕方を覚えていたことが、
今に活きているんでしょうね。
父は面白がって幼い私に調合の仕方を教えてくれましたし、
母も、薬に使える草花について詳しい人でしたから……」
しのぶの父は子煩悩で、暇を見つけては姉妹の遊び相手になってくれていた。
母は四季折々の花々を愛し、華道を通じて姉妹に薬草の知識を教え込んでいた。
二人とも混じり気のない幸福な時間を与えてくれた。
その、優しく聡明な両親の残した知識が今のしのぶを助けている。
鬼の頸を斬るのが難しいしのぶにとって、最後の手段が毒だった。
両親が戦う術をしのぶに残してくれたように思えて、がむしゃらになって勉強したのだ。
しのぶは伏せていた目を開き、黙ってしのぶの話を聞いていたを見やると、
にこりと常の笑みを浮かべて、励ました。
「必死に頑張れば、君ならすぐに私を追い越すことだってできるでしょう。
君も何か、具体的な目標を掲げるのも良いかもしれませんね」
「……簡単に言ってくれますね、流石に謙遜が過ぎるでしょ」
そうそう毒を開発できてたまるか、とはやや呆れた様子だったが、
目標を掲げたらどうか、と言うしのぶの提案には思うところがあったらしい。
「確かに必死になるというか、
切迫した状態に自分を追い込めば覚えようとはしますよね、ふむ」
「そうですね、例えば……」
しのぶは立ち上がるとを手招いて、道場から繋がる物置の戸を開いた。
「まずは肉体を追い込んでいったらどうでしょう?
君は元々体力自慢のようですが、維持、もしくはさらなる向上を目指してもいいと思います。
と言うわけで、基礎体力向上訓練の際はこちらも使ってください」
戸を開けた奥には、様々な大きさの瓢箪が所狭しと並んでいる。
「定期的に配達してもらってこちらにしまっているので、一つづつ取り出して使うように。
使う時は帳簿に印をつけてくださいね。君は常中ができているので、一番大きいものを……」
振り返ってしのぶは当然の如く使用時の諸注意を説明していくが、
はそれに待ったをかけた。
「どうやって使うんですかこの馬鹿でかい瓢箪」
そもそも何に使うか分かっていなかったらしい。
しのぶは意外そうに眉をあげた。
「あら、訓練用の瓢箪ですけど見たことありません? 吹いて割ります」
「……へえ。立派だからちょっともったいないな」
コンコンと、近くにあった瓢箪の側面を叩きながらは呟く。
「肺活量は呼吸の精度に著しく関わりますから、この訓練は欠かせません。
冨岡さんのところではやらなかったんですか? 全集中・常中の習得にも便利なのですけど」
しのぶの疑念には嫌に爽やかな笑顔を作った。
何を思い出しているのか心底愉快そうにハキハキと答える。
「水柱のところでも肺活量向上の鍛錬はやりましたが方法が違います。
俺はもっぱら池に沈められてました」
「冨岡様ってば許容も慈悲も容赦もなく問答無用で頭押さえてくるんですよ、アハハ!
俺に水泳の心得がなかったら死んでたなっはっは!」
などとやたら楽しげな声に誘われて、しのぶの脳裏に
『を池に思い切り突き落とし、
水面に顔を出すのを許さない冨岡義勇の図』が浮かんだ。
かなり酷い絵面である。
「……なるほど、水泳は確かに効果的な鍛錬方法です」
浮かぶ光景はともかくとして、水泳は肺活量を増やす鍛錬に適している。
水の呼吸の中には水中に適した攻撃もあるので、そちらの鍛錬と併せていたのだろう。
と、考えるしのぶをよそに、は首の後ろを撫でて笑った。
「いやあ、しかし呼吸を極めると人間、あんなになが~~~く素潜りできるんですね。
冨岡様なんて半魚人かと思うくらいでしたよ!」
「半魚人」
しのぶはたとえが悪すぎやしないかとを見やるが、
そこにあったのは他意など微塵もない、なんなら尊敬混じりの笑みだった。
は楽しそうになおも続ける。
「着衣だっていうのに水の中でもお構い無しに俊敏だし刀ブンブン振り回すし……。
人魚の末裔だと言われても信じる人は信じると思います」
「人魚」
ぐっと拳を握って力説するに、
しのぶは半魚人よりはマシかもしれないが、それもどうだろうかと呆れるものの、
すぐに別のことに気をとられて口元へと指を這わせた。
――……冨岡さんは君に半魚人とか人魚みたいだと思われてること、知っているのかしら?
妙なことが気になり出したしのぶである。
しかしはかまわずに瓢箪の表皮をさらりと撫でた。
「全く、見習いたいものです」
細めた目には懐かしげな色が窺える。
その語り口から窺えるのは、やはり敬意と好意だ。
「君は、冨岡さんのことが好きなんですね?」
しのぶの感想には「何を当たり前のことを聞くのだ」と
言わんばかりに瞬くと、満面の笑みでうなずいた。
「はい! 真面目で優しくて愉快な人ですよね!」
揚々と発せられた形容が己の知る義勇とはかけ離れたところにあったのでしのぶは首を捻る。
「真面目はともかく、優しくて愉快?
……まぁ、愉快と言えば、愉快ですか」
確かに、黙っていたかと思ったらたまに真顔で面白いことを言うので、
義勇は天然なのだとしのぶは思う。
もう少し口を開けばそういう、愛嬌のようなものが人に届くのだろうが、
いかんせん義勇は口下手だ。
しかし、どうやら元継子のは義勇の口下手を気にしていなかったようだ。
口ぶりからしてかなり好意的である。些か不自然なほどに。
「破門された割には、随分信頼してるみたいですが」
訝しげなしのぶに、はなんてこともないように言う。
「破門は致し方ないことでしたし、それを理由に師範を嫌いになったりはしませんよ。
むしろ破門してくれたことで信頼度合いは増したかも。
向こうはどう思ってるか知りませんが」
は話題を変えようと思ったのか人差し指を立てて、しのぶに尋ねた。
「ところで、胡蝶様は冨岡様に毒を渡してましたよね?
毒を使った鬼殺って、鬼殺隊の中では一般的なんですか?」
前回の柱合会議の際、義勇に薬を渡した覚えがあったしのぶだが、
の質問には否と答えなければならなかった。
基本的には頸が斬れる剣士に毒は必要ないからだ。
「いえ、私の他にあまり使う人はいませんよ。
ああ、宇髄さんは鬼殺の際、補助的に使うこともあるようですね」
音柱・宇髄天元は元忍者ということもあり、毒にも薬にも造詣が深い。
しのぶが鬼に効く毒を開発してからは協力を仰がれることもあった。
「私から新薬をお渡しして、効果のほどを報告してもらったりもしています。
柱が扱えば毒の効果が弱くとも充分鬼殺の手助けになりますし、
宇髄さんは薬品の扱いに慣れているので」
は得心したように頷いている。
「なるほど、そうやって効果を測るんですね。
冨岡様が使った毒も試薬の一つですか」
の言葉に思わずしのぶは手を合わせて喜んだ。
「あ! 使ってくださったんですね、冨岡さん!」
「……。報告来てないんですか? 水柱が使ってもう2週間は経ってると思うんですが。
もしかして書類溜めてるせいかもしれないですけど」
義勇が毒を使ったのがしのぶにとっては初耳らしいと察したは
筆不精な師範に呆れているのか珍しく困惑したように眉を下げた。
しのぶにとっては義勇の反応は想定内なので特に気にすることでもない。
「使用感を聞けるのは次の柱合会議かなぁ、と考えてましたから全然気にしていませんよ。はい。
というよりそもそも使ってくださったことが意外です。
必要ないと突き返されるかしらと思ってたくらいですし」
「ええ……?」
「じゃあなんで渡したんだよ」との顔には書いてあるが、しのぶはそれをサラッと無視した。
「で、どんな風に使ってくださったんですか?」
わくわくしているそぶりを隠しもしないしのぶに、は小さくため息をこぼすと、
腕を組んで天井のあたりを見上げる。
「旅館での潜入任務で、おそらく鬼は自分の体液なんかを媒介して人間を操る
血鬼術の使い手だったんですけど…・」
割烹旅館「海猫亭」での潜入任務。毒の出番は夕食時に訪れたのだという。
「運ばれてきた御膳を見た瞬間嫌な予感がしたので冨岡様が毒薬を垂らしたら、
思いっきり蒸発、化学反応が起きました。
多分血液だか唾液だかが混入してたんでしょうね。
おかげで鬼の組成分入り料理を食わずに済んだ感じです。
――要するにリトマスみたいに使いました」
しのぶはしばらくの間をおいて、笑顔のまま口を開く。
「最悪ですね」
うっかりしていたら鬼の体の一部、それも血だの唾液だのを
食べさせられていたかもしれないと思うと本当に最悪である。
「最悪ですよ」
も我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。
「いやもう見た目は普通に美味そうな懐石弁当だったので、油断してたら食ってたかもと思うと
背筋がゾッとしますよね…。胡蝶様の毒で確信が持てて助かりました。
しかしあれ、とんでもない強毒でしょう?」
の指摘にしのぶは首を横に振った。
「いえいえ。あの毒だけでは鬼は死にませんので強毒のうちに入りません。
しかし私は刀に塗って使うことを想定していたのですが……そういう使い方も有りですね」
口元に手を当てて思案するしのぶに、は小首を傾げて悪戯めいた視線を向ける。
「想定通りの使用法だと鬼の皮膚ドロドロになるやつでしょ」
「はい。溶解します」
「やっぱりね!!!」
の瞳がキラリと光ったかと思うと、
片手を上げて意気揚々と続けた。
「はいはいはいはい胡蝶様! 俺次の鬼殺でそれ使いますよ! 想定通りの使用法やります!
是非にやらせてほしいです!」
「ダメです」
「なぜ!?」
にべもなく即答で却下したしのぶには衝撃を受けたようで食い下がる。
が、しのぶは淡々と返すばかりだ。
「あれは普通の日輪刀を扱う隊士が、強力な鬼の頸を斬るときの助けに使えればと
考案した毒なのです。君じゃ試料になりません」
槍を得物とする鬼殺隊士の数はそう居ないので、に使わせて実験する意味がない。
鬼をいたずらに苦しめることになるなら毒は使わない方がいい。人を生かす場面で使うべきだ。
「ああー……俺槍使いだから……。残念……」
もしのぶの言い分には納得したようで大げさに落ち込むそぶりは見せたが
次の瞬間にはケロリとした様子で笑顔に戻った。
「でも使い道には納得がいきましたよ。鬼は強くなれば強くなるほど体に刃が通りづらい。
急所である頸を硬くしていることだってザラです。
だから刃にあらかじめこの毒を塗っておけば、
そういう小細工してる鬼も首がもろくなって斬りやすくなると。考えてますね」
概ねしのぶの意図を汲んで見せた後、はさらに目を弓なりに細めて尋ねる。
「俺はてっきり
『鬼の顔面ドロドロにするのが愉快痛快でたまらないヤベー人が開発したのかなこの毒』
とか思っていたわけですけど! 胡蝶様がまともな人で安心しましたよ、あっはっは!」
軽薄に笑い飛ばすに、しのぶもまた微笑んだまま返した。
「……。まともじゃない方が君とは気が合ったかもしれませんね?」
の実験記録と論文から得た印象。
藤の山の試験から帰ってきた時のアオイの涙。
冨岡義勇の継子を破門になった経緯。
蝶屋敷にがやって来てからの本人の振る舞いを見て、
しのぶは未だに気を許してはいけないと思う。
は紛うことのない、問題児だ。
腕は確かだが、手綱をしっかり握っていなければ引きずり回されるのはしのぶの方になるだろう。
釘を刺すべきところでは刺さねばと思うしのぶの思惑をよそに、
はしのぶの一言がツボにはまったのか、ウケている。
「ふははっ、辛辣ですね! 忌憚なく意見が交わせそうで俺としては気が楽です!」
腹を抱えて笑ったは涙さえぬぐっていた。
「なのでズバッと聞いちゃいますけど、俺に対して当たりが強いのって、
神崎さんが鬼殺に出てないのと何か関係がありますか?」
率直な疑問にしのぶは一瞬、答えに窮した。
ふざけた調子のだが、手のひらから垣間見える顔には油断ならない、
探るような色をしている。
「……本当に、ズバッと聞きましたね、君」
「遠回しのやりとりも毒舌も嫌いじゃないんですけど、
理由は気になったのではっきりさせておこうかと。
一応思い当たる節はあるんですけども」
は腕を組んで遠くを見やる。
何を思い出したのか目を眇め、口の端を吊り上げた。
「やっぱり藤の山の試験で、最後に彼女が斬ろうとしてた鬼を
俺が斬ったのがまずかったんですかね?」
しのぶは息を整える。
の言うことは当たらずも遠からずだった。
しのぶが再び見上げた顔、の軽薄な笑みを形作る瞳には、金色の火が揺れているように見える。
その火を見ているとはぐらかしてはいけない気持ちになった。
の率直さに応えるように、しのぶもまた正直な気持ちでに答える。
「……確かに、私が君によくない先入観を持って、接していたのは事実です。
冨岡さんから破門されてきて、お館様からも監督の必要性がある人物と聞いていましたから、
厳しい目で見るべきと考えていました。
また君の言うように、君の藤襲山での振る舞いにも、思うところがあったので」
の藤襲山での最後の鬼殺。
鬼の両脚を両断してから頸の切断は神崎アオイの目の前で行われた。
「アオイは家族を鬼に殺されています」
「はい、伺っています」
「アオイのご両親は、手足をバラバラにもがれて亡くなっていたそうです」
しのぶが淡々と述べた言葉に、は軽く目を見張った。
「アオイは駆けつけた鬼殺隊士に助けられて無事でしたが、両親の死に様をその目で見ていた」
語り口に腑に落ちるところがあったようで、
おもむろに口元に手をやったは何度も納得したように頷いている。
「ああ……そうか。なるほど。俺はよりによって目の前で同じ殺し方をしたと。
そのせいで神崎さんは鬼殺に出れなくなってしまったわけですか」
藤襲山の最終選別、最後の鬼殺で、
は神崎アオイの心の傷を意図せず抉った。
そのせいでアオイは仇討ちのために動けなくなったのだとは考えたらしい。
しかし、しのぶは首を横に振って否定する。
「いいえ、勘違いされては困ります。
君の鬼殺の仕方が凶悪で惨たらしいことも、そういう傾向を直したほうがいいのも確かですけど、
アオイが鬼殺の任務に出れないのは、君のせいではありません」
訝しむように眉を上げたへ、しのぶは静かに続ける。
「いざという時鬼を殺せない人間が任務に就けないのは当然のこと。
惨殺された人間を目にすることも隊士ならばままあることです。
自分の両親と同じ死に方をしたご遺体を目の当たりにすることが無いとは言えない。
その時冷静に鬼殺ができないようでは、大怪我をする。最悪みすみす死ぬことになります」
鬼殺の任務の現場において、最も重要なのは冷静であることだとしのぶは思う。
煮え滾る怒りも、恐怖も、憎悪も、時に命取りになる。
「感情の制御ができない未熟者が、鬼殺の任務に出てはいけません」
アオイだけではなく、も例外では無いのだと言外に含ませて
しのぶはを見上げた。
「アオイもそれは承知している。繰り返し言いますが君のせいではありません。わかりますね?」
「……ええ、わかりました」
は頷いた。
それを見とめると、しのぶはふっと息を抜いて、力を入れていた肩を落とす。
今、しのぶの言いたいことを汲み取ることができているかどうかは知らないが、
少なくともはアオイの件について自省が見られた。
しのぶが当初思っていたよりは“マシな人物”だと見当がついたので気が抜けたのである。
「君が、もしも鬼殺の才覚におごった傲慢な人物なら、
鬼殺の任務に出れなくなったアオイに辛く当たるかもしれないと
私は懸念していたわけですが……そうではないことが今わかりました。
不躾な態度を謝罪します」
ただ、しのぶが態度を軟化させた理由がはよくわからなかったらしく、
パチクリと目を瞬いている。
「え? 急に何? 今のやりとりで何がわかったんです?」
「他者の態度に棘がある理由を『自分にあるかも』と考えるのは自省できる人です。
そういう人は他人をむやみに見下したりしませんよね?」
にこやかに微笑んだしのぶには微妙にばつの悪そうな顔をしつつ、
何やらまごつきながら言葉をひねり出した。
「……いや、そうかもしれませんけどぉ。
ていうか誰もここで『見下します』とは言わんでしょ」
「釘を刺したんですよ。おとなしく刺さっといてください。死にはしないんですから」
「不躾な態度を謝罪したそばからそういうこと言います?!」
毒を吐いたしのぶには即座に突っ込んだ。
しのぶは笑いながら続ける。
「君を相手にかしこまるのも何やら違う気がするので」
「ああそう……? まあ俺は気が楽なんでいいですけど」
とて突っ込んではいるものの実際どうでも良さそうではある。
へらりと笑ってさらに口を開いた。
「それはそれとして、なんで神崎さんは萎縮してるんですかね?」
しのぶは思わず固まった。
「また一から話をしなくてはいけませんか?」
今現在がアオイの心の傷を抉った話をしたばかりでは?と
苛立つしのぶに、は付け加えるように言う。
「いや、俺に対してじゃなくてですよ」
しのぶは思わずの顔を注視した。
は答えを探るように口元に手をやって首を傾げている。
「俺のことが怖くて距離を取るのは仕方ないというか、
当たり前の話なんですけど、それとは別に、ふとした瞬間やたらに自信なさげというか……、
鬼殺に出れない自分を責めてませんかね、彼女」
の指摘はしのぶにも思い当たるところがある。
アオイが最終選別から自信を失っているのは明らかだ。
まだ蝶屋敷に来て日の浅いがそんな風に思うのなら、
アオイの状況はしのぶが思うよりも深刻なのかもしれない。
より詳しく聞き取らなくては、とに向き直った。
「……君はどう思いますか?」
「うーん、被虐趣味なのかな?」
やたら軽薄な調子で放たれた言葉を聞いて、
未だ昼時だというのにしのぶの顔へ一段深い影が差した。
額のあたりに怒りの筋も走る。
「そんなわけないことを分かってて言ってますよね?
次茶化したらぶん殴りますよ。真面目に答えてください」
「すみません」
本気で怒られて流石に悪いと思ったらしいは素直に謝ると、
ため息をひとつこぼして口を開いた。
「ちょっと息抜きが必要に見えます。
余計なことを考えないよう忙しくしてるのはわかるけど」
そしてその言葉を皮切りに、すらすらと話し始めた。
「神崎さんは、雑事から簡単な診察、応急手当て、看護、機能回復訓練の補助までこなしてる。
胡蝶様が屋敷を離れてる時はだいたい彼女が中心になって動いてますよね。
手際よく、精一杯働いてるのに、自分のことを卑下する必要ないでしょう。
鬼殺隊士の回復を手伝うのだって、鬼殺への尽力には違いないんだから」
アオイの働きぶりに感心する言葉を述べたあと、は冷ややかな声になった。
「前線に立つのがそんなに偉いと思ってるのかな?
単に適材適所ってだけだと思うのですが」
「……」
苛立ちさえ混じった言葉を聞いて、
しのぶはのことを本当に先入観で見ていたことに気がついた。
――鬼殺の才におごっているどころか、これは、
才能に価値があるとさえ思っていない口ぶりではないか?
それはそれで腑に落ちないしのぶである。
「しかし、剣士が命をかけて前線に立つからこそ鬼殺が行われるわけですし、」
「命をかけているからなんだって言うんです?」
そんなことは関係ないと、は緩くかぶりを振った。
「鬼殺隊士が生きるか死ぬかの仕事なのはみんな承知の上でしょう。
命をかけようがかけまいが、人を助け守ろうとする、志ある人と仕事には
それなりの敬意が払われるべきです。そこに貴賎はないはずだ」
普段軽薄に物を言うだが、このときばかりは厳格で真面目に見えた。
常に浮かべていた笑みも取り払われ、眉根をわずかに寄せた顔は、険しい。
「……どうしてまともな人ほど自分のやることなすことに価値を置かないんですかね。
もっと、胸を張ってもいいはずなのに」
の言う“まともな人”と言うのは、おそらくアオイのことだけではないのだろう。
だが、そこには確かに、アオイを含む、生真面目な人間に対して慮る心というのが感じられて、
しのぶはと相対して初めて穏やかな心持ちで口を開いた。
「それは、アオイに直接言ってあげたらどうでしょう」
しのぶの声に、ハッと我に返った様子では目を見張ると、
すぐに常の薄ら笑いに戻って、軽口を叩いた。
「アハハ! 申し訳ありませんがそれは嫌です!」
「は?……なぜ?」
声に棘の出たしのぶに、はいっそわざとらしいそぶりで肩をすくめてみせる。
「だってどの立場で何を言ってるんだって話になりません?
直接こんな偉そうなこと言えないですよ。
それに現在の、距離を置きつつ普通に仕事上の付き合いはできる関係性が俺は大変快適なんです!」
気を使っているのだかそうでないのか曖昧なことを軽快に述べると、
は小さく呟いた。
「まともな人と親しくなろうとすると、ろくなことがないんですよね、俺」
どういう意味か、としのぶが聞くより先に、
は胸の前でパンっと軽く手を合わせて提案する。
「というわけなので! 胡蝶様から気晴らし的なことを許してあげたらどうですか?
忙しくして余計なことを考える暇を失くすことはもう充分やってるんですから、
今度は必要な考えを整理する時間、休む時間が必要でしょう」
の提言は、それほど突飛なものではない。
むしろ“まともな”ものだった。
「胡蝶様から働きぶりを認める形とか、何かのついでなら罪悪感もないでしょうから、
なんかお使いがてら遊びに行ってもらうとか……。
俺が現場を回せばいいし、なんなら栗花落さんと一緒だと
神崎さんも気兼ねしないだろうし、いかがですか?」
おまけにアオイの通常業務を自身が補填する気満々である。
「君は変な気のまわし方をするんですね……」
しのぶは呆れまじりに呟いた。
これはおそらくなりの、罪滅ぼしのようなものなのだろう。
「いいでしょう、考えておきます。たまの気分転換はいいことです」
しのぶが応じるとは指を鳴らして頷いた。
「ですよね!……あ、念のため言いますけど、
神崎さんには俺の発案だって伏せておいてくださいね」
しかし、しのぶはの懇願に、にこやかかつ、曖昧に返す。
「考えておきます」
「……頼みますよ、マジで」
の念押しは果たしてしのぶの胸に届いたのか、否か。
すぐに任務のため蝶屋敷を発ってしまったしのぶの他に、知る人はない。