弁慶と牛若丸
その一行が奈良にある寺院を訪れたのは秋の頃だった。
紅葉とイチョウの中をずらずらと、
腰に刀を携えた、なんだかやたらに屈強な男どもが境内を行く。
さながら大名行列のようである。
その真ん中に振袖を着た日本人形のような童がちょこちょこと歩いているのを横目に見て、
竹槍を片手に稽古をしていた寺の小坊主、
「はて、“鬼狩り”と言うからには皆々立派な鎧兜でも着込んでるかと思いきや、
案外身軽ではないか。
それにしても鬼狩り。鬼狩りとはなァ……」
顎を撫でて、胤篤は一人呟く。
「平安の時代でもあるまいに、鬼が徳川の世まで存在するなど、
なんとも奇妙な話よの」
※
胤篤は奈良の歴史ある寺院の生まれである。
物心のつく前から寺に伝わる宝蔵院流の武術を習い、
経を読むのと同じくらい槍と薙刀を振るった。
14になった今は正統な宝蔵院流の後継者として目され、周囲から期待をかけられている。
胤篤は宝蔵院流を継ぐことになんの疑問も抱いていなかった。
稽古は厳しいがそれ以上に楽しい。
世が世ならば槍を血に染める事もあっただろうが、
少なくとも今の時代、胤篤が殺生しなくてはならない機会はそうそうない。
胤篤には武芸の才があった。
そして生まれにふさわしい信仰心が備わっていた。
本来ならば殺しの術であるものを不殺、無血のまま磨き上げ、神仏に捧げ奉ること。
これが胤篤の積む功徳であると、誰に言われずとも胤篤自身が悟っていたのである。
その修行の日々に突如として現れたのが“鬼狩り”であった。
ある日、父親である院主に直々呼び出されたので
胤篤が何事かと部屋に向かうと、すぐさま院主と膝を突き合わせることになった。
院主は暦を指して「この日付に、」と口火を切った。
「江戸に住まう産屋敷一族が率いる組織『鬼殺隊』の人間が訪ねて来るそうな。
布施を賜る故、無下にすることあたわず。歓待するように」
「“きさつたい”とは……?」
耳慣れない単語に首をかしげた胤篤に、院主は淡々と答える。
「その字のごとく“鬼を殺す隊”のこと。“鬼狩り”とも言う」
「はァ!?」
胤篤は細く切れ長の目を限界まで見開いて素っ頓狂な声をあげた。
院主は特に動じた様子もなく、
ただ胤篤を、これまた切れ長の眼差しでスッと冷ややかに見遣る。
胤篤は咳払いをして、仕切り直すように院主へ尋ねた。
「失敬。……“鬼”と言うんは、あの、“鬼”ですか? 牙と角が生えてて赤や青の肌をしとる、
大江山の酒呑童子やら、桃太郎の
「しかり。姿形は千差万別らしいが、その“鬼”や。
鬼とは鬼の首魁の血によって人から変じ、人の血肉を喰らう生き物のことを言う」
院主は真面目くさった顔で答える。
信じがたいことだが、胤篤をからかったり冗談を言っているのではないようだ。
胤篤は半信半疑の心持ちのまま、ハァ、とため息をこぼす。
「……その鬼狩りご一行が何しにお江戸くんだりから
奈良まではるばるいらっしゃるんですかね?」
「さァ? わからん」
「わからんて、院主さま……」
院主は呆れた様子の胤篤に大げさなそぶりで肩をすくめてみせる。
それまでの堅苦しい様子とは打って変わって、滑稽味を帯びた仕草だった。
「本当にわからんのだ。
大方、産屋敷の采配なのだろうが、あの一族の意図を推し量るのは無駄なこと。
一応、戦国の頃をはじめに宝蔵院から鬼狩りを排出したこともある故、
付き合いは細々とあるのだが……わざわざ詣でに来ることはこれまでなかった。
急な話で拙僧も驚いておるのよ」
腕を組んで言う院主に、これは本当にわかってないのだな、と胤篤は察していた。
胤篤があてにならねえな、と言わんばかりに嘆息したからか、
院主は少々ムッとした様子で「あたりが付いとらんこともない」と言葉を続ける。
「おそらく槍、薙刀を修めた人間の勧誘も兼ねているのやろ。
鬼は人から変じて人に非ず。その膂力は強く、
長く生きたもの、多くの人間を食ったものは妖術の類を使う事もあるらしいからなァ。
鬼殺隊の人間は人の身でありながらそれらと相対し、打ち倒さねばならぬ。
強者を欲すのは自明の理よ」
あまりにも荒唐無稽な話に、胤篤は腕を組んで唸った。
「いよいよおとぎ話の世界の話に聞こえますがなァ」
「にわかには信じ難いのも分かる。が、現実鬼は存在するし、その被害者も多く居る」
しかし院主の声色は本気も本気である。
それにつられて胤篤も神妙な顔を作って見せたが、
内心、鬼のことなどどうとも思っていなかった。
怖いともおぞましいとも思わなかった。
胤篤自身は精進料理やそれに順ずるものしか口にしないが、
生き物が生きる為に生き物を殺し、喰う喰われることは自然の摂理であると考えていたのだ。
鬼とはえらく強い熊のようなもんなんやろ。で、鬼狩りは猟師。
胤篤は置き換えて一人勝手に納得していた。
院主は息子が静かに鬼の存在を認めたのを見越してか、次の話題に移っている。
「さて、どういうわけか此度の参拝には、10になる産屋敷の嫡男も連れて参るとのこと。
その方の面倒はお前が見ろや、胤篤」
子守を押し付けられそうになっていることに気がついた胤篤は顔を顰めた。
「10て。拙僧でなくとも年の近い小坊主ならば他におりますやろ」
「お前が適任や。理由は接すれば分かるだろうが、産屋敷は
院主は意地悪く口角を上げた。
「いや何、お前もこまっしゃくれたガキだった故に、話が合うだろうと思うてな?」
「……ほーん。さようでございますか」
糸目をさらに顰めて細めた息子の頭を、
院主は喉を鳴らして笑いながらぐりぐりと撫で、
念を押すように「頼むぞ」と言った。
※
鬼殺隊の面々は本尊を詣で、そのあと院主と話をするようだ。
その間、連れて来ていた市松人形のような子供、産屋敷
胤篤に任せることになっているらしい。
胤篤は鬼殺隊士10人の中でも一際目立つ容貌の男に声をかけられた。
「良いか坊主。くれぐれも、くれぐれも、耀宗様に怪我などさせることのないように」
緋色混じりの金の長髪を一つに括った、40手前ほどに見えるその人物は、
立派な眉を顰め、いかにも渋々と言った様子で胤篤に耀宗を預けようとしている。
全くこちらを信用するそぶりのない様子に胤篤はムッとして眉をあげた。
「はァ。そないに心配なら
「胤篤」
院主が咎めるように胤篤を呼ぶ。
「そうできるものならそうしている」
男は胤篤から目を逸らし、腕を組んで深く息を吐いた。
「何をお考えなのだろうか」と言う独り言が聞こえたような気もしたが、
それから何か言う前に、他ならぬ、耀宗本人が口を開いた。
「
鶴の一声であった。
「……失礼を」
李寿郎と呼ばれた男はすぐに居住まいをただし、胤篤へと頭を下げた。
「坊主、胤篤と言ったな? すまなかった。
なるべくこちらから護衛をつけず、耀宗様に自由に物見をさせるようにと言うのが、
“お館様”、鬼殺隊の長からの達しなのだが……いささか心配が過ぎたらしい」
打って変わってかしこまった態度の李寿郎に、
内心呆気に取られながらも、胤篤も同様に頭を下げる。
「……構いません。こちらこそ客人に失礼を申しましたことお詫びいたす。
産屋敷耀宗殿のお相手は拙僧、宝蔵院の胤篤が責任を持って務めさせていただきます」
顔を上げた胤篤は耀宗へと目を向けた。
花模様の振袖を着ている上、顔立ちも雅な雰囲気なので知らねば少女としか思えない姿であるが、
この少年こそが鬼殺隊の次期当主なのだと言う。
しかしこのガキ、やたらに大人しい上、ずっと薄笑いを浮かべておるし気味が悪いのぅ。
キンキラ頭の侍を筆頭に、他の連中も嫌にこのガキにはうやうやしい……。
いくら自分の属する集団の長の息子だからと言って、
10やそこらのガキに大の大人が呼び捨てされて改まるか? 普通?
胤篤は内心違和感を覚えながらも、耀宗を外へと連れ出した。
※
「うちの寺はそれなりに歴史のある寺院だけども、お前、そういうのに興味はあるのか?」
「うん。ある程度成り立ちも学んで来たよ。
戦国の世には宝蔵院から鬼殺隊の一員になった者もいると言うし、知っておくべきと思ってね」
「へぇ……」
胤篤はそつなく答えた耀宗に適当な返事を投げる。
ぞんざいに返しても耀宗の薄ら笑いは鉄壁であった。
「しっかしそれこそ戦国の世でもあるまいに、当主を“お館様”と呼ぶとはな。
お前あんまり柄ではなさそうだけど。
どっちかと言うとお公家さんぽいわ、雰囲気が」
“お館様”とは通常、家臣が大名を指して言う呼び方である。
線の細い耀宗には似つかわしくないだろう、とからかい混じりに言ってみるも、
耀宗は微笑んだまま、軽く受け流した。
「昔からそう呼ばれているらしいから」
「……ふむ、なるほどな」
胤篤が挑発してみても乗って来ない。
大人びていると言っては聞こえが良いが、
こうも子供らしくない子供と言うのは不気味であるな、と胤篤は難しい顔をする。
そして、そう考えると耀宗が声をあげて笑ったりする様を、胤篤はどうしても見たくなった。
変な顔とかいきなり見せたらええのかな?
いや、多分呆気にとられて『なんだコイツ』で終わりだろそれ。……そうや!
胤篤はひらめいて耀宗の顔をパッと見やる。
「おいお前! 弁慶と牛若丸は知っとるか?」
「……? うん。御伽草子なら読んだことがあるけれど」
それがどうしたのだろうか、と首を傾げた耀宗に胤篤は膝を打った。
「よっしゃ! ちょっとそこ座って待ってろ!」
胤篤は耀宗に階段を指差して命令し、耀宗を置いてどこかに駆け出してしまう。
耀宗は唖然とその背を見送ったのち、そのまま立ち続けている気にはなれなかったのか
言われた通りに階段に腰掛けた。
紅葉とイチョウが青空によく映えている。
耀宗が流れる雲に目をやっていると胤篤はそう時間もおかずに戻って来た。
手には竹槍を持っている。
「なに、拙僧にはちょっとした特技があってな。
寺院仏像を拝見するもよろしかろうが、多少回り道したとてバチは当たらんやろ」
「宝蔵院流の槍術を見せてくれるのかな?」
尋ねた耀宗に、胤篤は口角をあげる。
「ふっふっふ。いいや、拙僧が見せるは一人の悪僧、一人の少年よ」
訳も分からず瞬く耀宗をさておいて、胤篤は深く息を吸い込み、高らかに口上を述べる。
「さて、どこから語ろうぞ。きりが良いのはいずこからか。
やはりその時代、その男のことから語った方がよろしかろうな。
時は平安の末期、主役はご存知、武蔵坊弁慶」
胤篤は弁慶物語の一幕を朗々と語り出した。
耀宗も聞いたことのある話であったが、
胤篤の語り口は軽快で、思わず聞き入ってしまう。
「弁慶、自ら焼いた寺の再建のため、侍の太刀千本を奪うことを思いつく。
京の洛中、平家の名の知れた強者を狙って太刀を奪って回る」
時折手に持った竹槍を振って、胤篤は見せ場を再現してみせる。
その槍さばきは、ほとんど素人の耀宗から見ても見事なものだ。
「あっと言う間に九九九本の太刀を揃えた弁慶、五条大橋にて笛を吹く牛若丸と出会う。
牛若丸が腰に携えるは黄金つくりの立派な太刀。
『千本目はあれが相応しい』と弁慶は狙いをつけ、薙刀を振りかぶった!」
ブン、と胤篤も語る弁慶と同じように槍を振った。
その時、耀宗は不思議な感覚を覚えていた。
胤篤の声と技とが耀宗の前に、蜃気楼をたちのぼらせる。
そこに現れたのは幻の五条大橋。
架けられた橋の上、武家育ちらしい身なりの少年、牛若丸が笛を手に
胤篤の前に軽やかな所作で立った。
胤篤、いや、弁慶は薙刀を軽々避けた牛若丸をぎりりと睨む。
「牛若丸が口を開く。
『夜中のことだ。お前、私と誰かを間違えてはないか?』
『人違いだろうがなんだろうが関係なかろう。男ならば、打たれたら打ち返すもの!』
飛びかかる弁慶に牛若丸はしかし、太刀を合わせようともしない。
跳躍し、橋の
胤篤の持った竹槍が無尽に動く。
――翻弄されている。
「鳥のごとく軽やかに動く牛若丸を追って、薙刀を振るうも捉えきれず、
鎧で身を固めた弁慶は疲れて汗だく。息も乱れてくる。
牛若丸は鞍馬天狗仕込みの兵法の使い手、さしもの弁慶も形無しよ。
仰ぎ見れば牛若丸は橋の欄干、
携えた太刀をすらりと抜いて、弁慶に尋ねた。
『その立ち居振る舞い。噂に聞く武蔵坊弁慶と見た。お前が欲するはこの太刀か?』
『いかにも』
頷く弁慶に牛若丸、笑みを湛える。
『くれてやるとも。お前が私に勝てたならば。
ただしお前が負けたなら、私の、源氏の家来となってもらおう』
『ぬかしよる。この武蔵坊弁慶の刃を受けて立っていた者などおらぬ』
弁慶は啖呵を切るが、牛若丸は怯みもしない。
それどころかますます笑みを深めてこう言った。
『当たらねばどうということはあるまい』
『小癪な!』
怒りに震える弁慶は大きく薙刀を振り回す。
そこから先は激しい斬り合い! 火花を散らし、両者はしのぎを削り合った!」
胤篤は槍を両手で持ち、顔の前にかざす。防御の姿勢だ。
膝がガクン、と一段下がる。
まるで見えない相手の攻撃を防いだように。
そこから胤篤は攻撃に転じる、が、当たる様子もないのか作る表情も険しい。
耀宗は固唾を飲んで胤篤の演技に見入る。
橋の上で、少年と悪僧が戦っている。
太刀と薙刀が何度も何度もぶつかり合った。
台詞がなくなってもそれがわかる。
「あっ……!」
耀宗は思わず声を上げた。
胤篤が片膝をついた。
その手から竹槍が離れ、転がっている。
決着がついたのだ。
「牛若丸が弁慶の膝を軽く切り、怯んだ隙を見て薙刀を弾き飛ばした。
この勝負、牛若丸の勝利である。
『これまで多くの強者と斬り合ったが、このような不覚をとるとは……まことに無念』
悔しさにほぞを噛む弁慶を見下ろし、牛若丸はこう言った。
『約束通り、私の家来になれ、武蔵坊弁慶』
『……“約束など交わした覚えもない”と、突っぱねても良いが、
それではあまりにも不甲斐なし。あい分かった。この弁慶、貴殿に朝夕ご奉公しよう』」
胤篤はかしこまり、そこに本当に牛若丸が居るかのようにひれ伏し額ずいて見せる。
「かくして、武蔵坊弁慶は牛若丸の家来となった!
牛若丸が源九郎義経と名を改めた後もこの主従、あちらこちらで逸話を残すのであるが、
それはまた、別の機会に」
顔を上げて締めの口上を述べると、
膝を払って立ち上がった胤篤は腰に手を当て、揚々と言う。
「どうや? 暇つぶしにはなったろ?
割と老若男女問わずに評判がええのや、拙僧の語りは」
「……五条大橋がこの目に見えた」
思わずと言ったように感想を述べた耀宗に、
胤篤は目を丸くしたかと思うと、声を上げて笑い出した。
「カッカッカッカ! そいつはおおきに! ありがとさん」
「本当だよ。冗談でなく、見えたんだ」
茶化されたと思った耀宗はムキになって胤篤に詰め寄る。
思いの外、頑なな反応を取られて胤篤はやや困惑した様子だ。
「お、おう。そないにグイグイ迫らんでもわかるけど」
「君の、弁慶の前に牛若丸もちゃんと居た。
薙刀を躱して、飛んで……、」
耀宗は自分の目に浮かんだものを何から説明したものかとしばし悩んだが、
結局のところこれに尽きる、と胤篤に向かって口を開いた。
「素晴らしかった」
「……ま、なんにせよ、気に入ったんならようございました」
耀宗の率直な褒め言葉に照れたらしく、胤篤は頰を掻き、フッと目を逸らした。
その様があまりに幼気だったので、耀宗は不意を突かれて思わず笑う。
「ふふっ……!」
「おっ、ようやっと声あげて笑ったな!?」
勢いよく振り返った胤篤に耀宗の笑みが引っ込んだ。
胤篤は構わず腕を組み、何やら一人納得したようにウンウンと頷いている。
「そやそや。それで良い。
ガキが大人しゅう菩薩もどきの笑みを浮かべてだんまりしてんのは、
気味が悪うてかなわんもん」
「……私はガキじゃないよ」
少々眉根を顰めた耀宗を見て胤篤は愉快そうに笑い、あろうことか耀宗を指差した。
「『ガキ』と言われてムキになるのは子供だけや! はい、子供ー!」
「……」
「拗ねるな拗ねるな! カッカッカッカ!」
無言で唇を尖らせた耀宗だったが、大笑する胤篤を見て深く息を吐いた。
それからジト目で胤篤を睨む。
「胤篤、君は意地が悪い」
「言うやないか。否定はしませんけど」
耀宗は堪えた様子もない胤篤の手に持った槍を見る。
「私も槍術を習えたら、君のように立ち回れるだろうか」
「んー……」
どことない羨望混じりの眼差しで見つめられて悪い気はしなかったのだが、
胤篤はどうも耀宗が槍を振り回す様をうまく思い浮かべられなかった。
それよりはむしろ。
「お前はどっちかと言うと牛若丸やろ。刀を携え笛を吹けば良い」
胤篤の言葉に、耀宗は眦を柔らかく細めた。
「なら、勧進帳の時は手加減をしておくれ、弁慶殿」
“勧進帳”
それは牛若丸が義経になった後の物語である。
源頼朝の怒りを買った義経一行の逃避行。
弁慶を先頭に山伏の姿で関所を通り抜けようとするのだが、
正体を見破られそうになり、機転を利かせた弁慶が義経を杖で叩くことで、
その疑いを晴らす場面が出てくるのだ。
耀宗はその場面を指して胤篤に返したのである。
胤篤はこれは一本取られた、と腕を組んだ。
「……洒落た返しをしよってからに」
「ふふふっ!」
してやられたと舌を巻いた胤篤を見て、耀宗は愉快そうに笑った。
※
弁慶物語を胤篤が耀宗に聞かせてから、耀宗の仕草に感情が乗るようになった。
どうやら胤篤の“物語り”をいたく気に入ったらしい。
その日は耀宗にねだられるまま、御伽草子を話して聞かせて胤篤の1日は終わってしまった。
翌日胤篤は耀宗に寺院を見て回らせようと手を引いて歩いた。
「せっかくウチの寺に来たんやから仏像の一つも拝んで帰らんと損や。
案内してやるでな。こい、耀宗」
胤篤は開けた場所以外の、いわゆる関係者以外立ち入り禁止の蔵まで耀宗を連れて行く。
「……いいの? 部外者が勝手に入ったらまずいのでは?」
「かまわん、かまわん。だいたい仕舞い込んで埃被らせてる方があかんやろ。
掃除も兼ねてんのや。ほい、羽ぼうき」
羽ぼうきを押し付けられて耀宗は目を丸くする。
それから何に思い至ったのか、耀宗は胤篤をジト目でみやり、首をかしげた。
「ねぇ、胤篤。君はもしかして、掃除当番を私にもやらせる気なのかな」
「バレたか!」
笑う胤篤を見て、耀宗は困ったような、嬉しいような、複雑な顔をした。
胤篤はそれを見なかったふりをして、耀宗の先を行く。
多分、コイツと対等な口をきく人間が周りにおらんのやろなァ。
鬼殺隊だと言う大人達は、耀宗相手に、10やそこらの子供相手に、
やたらと丁重に接している。
そしてそれに応えるように、耀宗は大人顔負けの所作をする。
胤篤はなんとも奇妙な心地がした。薄ら寒いとも思った。
訳ありなのもなんとなく察していたが、いくらなんでもこれでは息が詰まるだろう、と
胤篤はあえて耀宗をぞんざいに扱った。近くに住む子どもらと同じように。
ま、誰か一人くらい、コイツにふざけた口を聞く相手が居てもええやろ。
勝手に一人で納得し、胤篤は蔵に安置されていた像の“いわく”を嬉々として語る。
これはいついつに誰それが作ったもの。
これは土から作られたもの。これは木をいくつも合わせて作られたもの。
これは四天王たち。こっちは多聞天、あっちは持国天……。
耀宗が疑問を呈してもスラスラ胤篤は答え、
またその目には槍を振るう時とはまた別の喜びを湛えているので、耀宗は胤篤に尋ねた。
「胤篤は、仏像が好きなんだね」
「おう、好きよ。まことに美しかろう、あれらは。
それにあれは見て触れることのできる仏の形なれば!」
胤篤は木で作られた釈迦如来像を仰ぎ見る。
憧憬の眼差しを向けられても、釈迦如来は薄く開いた目で、
ここではないどこかを憂うように見ているだけだ。
「坊主がいかにありがたーい説法を口にしたところでな、伝わらねば意味がないのだ」
耀宗は語る胤篤をじっと眺めた。
「いかんせん、日頃格調高い書物、文書を読みほどいていると、
だんだん脳みそも硬くなって、
口に出すのも書につられた小難しい言葉ばかりを選んでしまうが、
神仏を必要とする人間というのが、そういう言葉を飲み込めるかというと
そうとも限らん」
胤篤は指を立ててなおも続ける。
「故に、坊主は喋りが上手くなる。言葉を噛み砕いて飲み込ませるのが得意になる。
が、そんなことせんでも絵や像は“そこにある”というだけで、
坊主が幾百、幾千の言葉を尽くす間に、一見。
たったの一見で神仏の存在を教えることができるのだ!」
胤篤は、その像についての知識や作り方などは
知りたいと思ったものだけが知っていれば良いのだと言う。
知れば知るほど面白いのは確かだが、別に理屈など分からなくとも構わないのだと。
「見て、触れて、感じるものがあれば良い。
優れた芸術というのはな、そこにあるだけで良い。ただ美しい。ただすごい。
“そこにあるもの”に圧倒され心動かされた時、神仏の残り香を人は感じ取ることができる」
ほう、と感じ入るようにため息をつくと、胤篤はしみじみ呟く。
「形なきものに神性を感じることもできるが、
形あるものに神性を吹き込むのが仏師、絵師の仕事よ。
そうやすやす出来ることではなかろうて」
耀宗は少々考えるそぶりをみせた。
仏師、絵師への尊敬を口にした胤篤だが、もしかして、と思うところがあったのだ。
「胤篤の槍は、前者を目指しているのかな?」
胤篤はキョトンと瞬いた後、言い当てられてバツが悪かったのか腕を組んで難しい顔をする。
「……耀宗、お前は
「覚妖怪……」
面と向かって妖怪扱いされたのは初めてであると、
微妙な表情を浮かべた耀宗に、胤篤は頷いた。
「絵や彫刻の才を神仏は授けてはくれなかったのでな。
代わりに武芸の才が与えられたので、そっちを磨こうと思ったのよ」
下手の横好きなのだ、と胤篤はため息混じりに言った。
耀宗は好奇心から胤篤に問う。
「描いて見せてよ」
「嫌や。めちゃめちゃに下手だと言うわけではないけど、
うまくも無いのや……多分な、耀宗、感想に困るぞ。きっと」
「ふふっ、見たかったのに。残念だな」
ずーん、と影を背負った胤篤を見て、耀宗は笑いながらもあっさり引き下がった。
胤篤は気を取り直して「代わりに槍にはちょっと覚えがありますよ」と胸を張る。
「まあ、槍術・薙刀術は殺しの術に他ならんけど。
我が宝蔵院流の開祖、胤栄さまも晩年、
僧侶が槍術を学ぶことへの矛盾に苦しまれたのだと言うし」
耀宗は不思議そうに胤篤を見やる。
「でも、君は槍を生き生きと振るうじゃないか。
楽しそうに見えたけれど」
「ああ。お前の言うとおり、
拙僧はこれを不殺のまま磨き上げることに至上の喜びを感じている」
胤篤は笑顔で頷いた。
「拙僧の武は“神仏への奉仕”。
極めに極めて捧げ奉るのが拙僧なりの信仰の示し方なのだ。
戦無き世の中で武芸を磨くというのはいささか時代遅れだろうが、
拙僧に恵まれた才の使いどころとしては、これくらいしかあるまい」
また釈迦如来像へと目を向けて、胤篤は言う。
「拙僧の槍を見たものに神仏を感じ取らせることができるようになるまで、磨かねばな」
耀宗は、その横顔を静かに眺めていた。
※
耀宗に物語を聞かせたり、寺院を見てまわらせているうち、
あっという間に鬼殺隊の面々が江戸に帰る日がやってきた。
胤篤は院主や宝蔵院の坊主らとともに見送りに出る。
どうやら今回勧誘に応じた人間はいなかったらしい。
新たに鬼殺隊の列に加わるものはなかった。
李寿郎を筆頭に寺を後にしようとした時のことだ。
落ち着かないそぶりをしていた耀宗がついに思い切ったように声を上げた。
「胤篤!」
耀宗は駆け出した。
振袖をひらひらとなびかせながら胤篤に向かって走り寄ってくる。
目を丸くした胤篤だったが、大人たちは胤篤以上にざわつき、驚いていた。
ほんの少し走っただけで息を切らせている耀宗に、
胤篤も駆け寄って竹筒を差し出した。
「耀宗、大丈夫かお前。水飲め、水」
「へいきだ。これくらいなら」
膝に手を当て、ゼイゼイ言っている耀宗が顔をあげる。
「ねぇ、胤篤。その……手紙を書いてもいいかな?」
不安そうに聞かれて、胤篤は瞬いてのち、あっさり頷いた。
「なんやそんなこと。いちいちお伺いをたてんでもええやろそんなん。
……しかし拙僧はそう面白いことを書けんと思うぞ」
胤篤は腕を組んで唸った。
「なんせ拙僧、槍を振るか、経を読むかくらいしか、普段しとらんし」と、
難しい顔をする胤篤を見て、耀宗はホッと、安堵したように笑う。
「それでいいんだ。……そういうのがいい」
それから耀宗は繰り返し何度も振り返りながら、胤篤に手を振って帰っていった。
「またね、胤篤」
※
見送りを終えた宝蔵院の面々はそれぞれ元の日常へと戻っていく。
槍の稽古をするか、と竹槍を取りに行こうと歩き出したところに
院主が少々険しい顔をして胤篤へ声をかけた。
「胤篤、お前産屋敷の嫡男にえらく気に入られたのやな」
「さァ? 普通に喋っただけですよって」
首を傾げ、特別なことはした覚えがないと言う胤篤に、院主は眉を顰める。
「その“普通”があの子には特異だったんや」
そこに咎めるような色を感じ取って、胤篤は院主を見上げた。
院主は言い含めるように言葉を紡ぐ。
「ええか、胤篤。世の中にはな、
自分では如何ともしがたい因果を背負って生まれて来るお方と言うのがおるのや」
耀宗がそうだと言うのだろうか。
しかし胤篤は自分の行動に、後悔も恥じるところもないと思っている。
院主は不服そうな胤篤の目を見て、少しばかり表情を和らげた。
「……でも、拙僧はお前を止めへんよ。
お前の振る舞いはもしかするとあの子にとっては酷やもしれんが、
これも巡り合わせ。神仏のお導きよ」
院主は胤篤の肩を叩くと、確かめるように言う。
「お前の目であの子を見ておやり」
胤篤は「言われなくとも」と小さく呟いた。
快晴の秋の空は高く、紅葉が風に乗ってひらひらと舞い上がって、落ちる。
これがのちに還俗し、宝田種篤と名を改める坊主胤篤と、
鬼殺隊94代目当主、産屋敷耀宗の出会いであった。