包帯ぐるぐる
が産屋敷耀哉から直々に任務を命じられた際、
宇髄天元はたいそうを褒めた。
「お館様が『お前こそ』と認め、見込んでくださったんだ。
名誉なことだぞ、」
「はい、宇髄さま。恐悦至極に存じます」
宇髄邸の鍛錬場、天元が上座に座り、腕を組んで満足そうに頷く。
天元の前に膝立てて首を垂れるのが。
彼女こそ、他ならぬ天元の継子である。
音の呼吸と忍術を可能な限りに教え込んだ甲斐があったと、天元はに朗々と言う。
任務への出発に際して、天元はを激励しているのだ。
「今回の任務の仔細を俺は何も聞いてはいない。
お前自身の判断力が試されるだろう。
だが俺の継子であるお前なら大丈夫だ!
必ずお館様の期待に応えてみせろ!」
「無論、この、粉骨砕身いたします!」
きりっとした声で返したに、
天元は「かたっ苦しいのは治らねぇなァ」と苦く笑った後、不思議そうに首を捻った。
「ところで、なんだその顔の包帯は。怪我でもしたか?」
の頭にはやたらと厳重に包帯が巻かれている。
近頃は滅多に怪我を負わないので珍しい、と
まじまじ己を見つめる天元に、は淡々と述べる。
「仔細は述べませんが、こたびは日中出歩くことも必要な任務となりますので」
「うん?」
「私の花の
そんな理由で頭が1.5倍のデカさになるくらい包帯巻くか、普通?
しかし天元は真剣なの言葉を笑ってはいけないと、口角と腹に渾身の力を込めた。
はふざけているわけではないのだ。
天元は長年の付き合いからそれをよく理解していた。
は真面目である。
鍛錬にも任務にも天元が心配になるほど真面目である。
だからこそ、は磨いた武芸に裏打ちされた自分の強さと、
そして美しさに、並々ならぬ自負を持っている。
それゆえ時々、真面目にズレたことを言うし、やる。
「……そうか、確かにお前の顔立ちは派手だからな。これは褒めている。喜べ!」
「ありがとうございます!」
返される言葉にも喜色が滲む。
天元の口の端もわずかに緩んだ。
「でもよ、それで包帯ぐるぐる巻きにするのは、お前……」
「?」
逆に目立つだろ、と指摘しようとした天元であるが、
きょとんと小首をかしげたの、
包帯の隙間から覗く何の惑いもない透き通るような目を見て、何も言えなくなる。
そのまま己の膝をバシッと叩いた。
「……しっかりやれよ!」
「承知!」
ザッ、と地を蹴り、颯爽と任務に向かったを見送る。
その気配がわからなくなった頃合いを見て、
天元は笑いを堪えるのをやめて大笑し、やがて深くため息をこぼした。
「あいつ、マジで大丈夫か……いや、出来る奴なのは知ってるが」
「誰に似たんだか、えらい自信満々だからなァ」と天元は呆れ混じりに一人呟く。
ここに天元の妻がいたなら3人揃って
「間違いなくあなたの影響だろう」と断じていただろうが、
生憎と天元に指摘を入れるような人物は、この場には不在であった。
※
がその隊士を見つけたのは、街に着いた翌日、昼のことである。
「あれか、箱を背負った新米は」
は屋根の上から街を見下ろし、人並みを窺う。
竈門炭治郎の身なりについては事前に聞いていた通りだ。
市松模様の羽織を纏う大きな桐箱を背負った、まだ真新しい隊服の少年。
は腕を組んで、様子を見る。
「ふむ……、真面目そうだ。
復讐心や焦りに駆られているわけでもない。
ありがたいことに多少は話が通じる種類の人間だな」
鬼殺隊の人間の中には意思疎通から難しい人間も多々存在する。
そういう種類の人間だと任務をこなすにも支障が出ると、
は密かに危惧していたのだが、杞憂だったとホッと胸をなでおろす。
炭治郎を“まとも”な手合いと踏んだは、
正攻法で行くべきだろうと、鬼殺隊士なりたての新人の元へ足を運んだ。
※
突如、目の前に人影が現れて、炭治郎は目を丸くした。
降って湧いたように、その人物がどこから現れたのかもわからなかったからだ。
その上、相手は顔を包帯でぐるぐる巻きにしていて、男か女かも定かでない。
ただ一つだけわかることと言えば、その人物が鬼殺隊の一員であることだった。
隊服の上から飾り気のない黒く短い羽織を纏っており、腰には二刀を携えている。
「竈門炭治郎だな?」
喋って初めて女とわかった。
「あなたは……?」
初めて見る同僚に戸惑う炭治郎へ、女は腕を組み、鷹揚に名乗った。
「鬼殺隊隊員、。階級
貴様の監督指導の任を受けて合流した」
「監督、指導?」
寝耳に水だという顔をする炭治郎に、は不思議そうに首を捻る。
「新人にはこういう監督・援護役が付くこともある。
鴉から連絡は来ていないか?」
炭治郎は首を横に振った。
「はい、聞いてないです」
「む、……行き違いでもあったんだろう。よくある」
は嘆息してやれやれと肩を落としたのち、炭治郎に向き直った。
よほど分厚く包帯を巻いているのか、目の部分も影になって表情が読みにくい。
は淡々と炭治郎に告げる。
「ともかく、そういうわけだ。よろしく頼むぞ、竈門」
「……はい、さん、よろしくお願いします!」
炭治郎はぺこりとに頭を下げたが、内心では弱ったことになった、と思っていた。
鬼殺隊の隊員ならば、鬼は滅殺しなければならないだろう。
それは妹の禰豆子も例外ではない。
さんは箱の禰豆子に気づいてる様子はないけど……。
いつまでごまかせるかどうかはわからないな、と炭治郎は顔を上げてを見やる。
何しろこのという人物、鬼殺隊の先輩と言うだけあって、
相当の実力者のような匂いがするのだ。
……とにかく様子を見てから禰豆子のことを伝えるかどうか決めよう。
まだこの人がどんな人かもわからないし。
何より気になることがある。
炭治郎は「不躾な質問かもしれないんですが、」と前置いて口を開いた。
「怪我をなさっているんですか?」
「いや、これは諸事情あって目立つから隠しているだけだ。心配無用」
なんとなく、の目元がキラッと青く光ったように見える。
「……そうですか」
包帯をぐるぐる巻いている方が目立つのではなかろうか、と言う疑問はあったが、
諸事情があると言うのなら触れないでおこう、と炭治郎はそっと話題を流した。
※
今回、炭治郎に課せられた任務は『夜毎少女が消えている街の調査』である。
は炭治郎と共に通りを歩きながら、鬼殺の流れを指立てて説明し始めた。
「こたびのように、未だ鬼がいるかどうかがはっきりしていない任務の場合、
まずは“鬼がいるかどうか”を確定することが先決だ。
鴉の情報を鵜呑みにするのでなく裏を取るといい。
自分の足で情報を得ると鬼の行動に規則性が見えたりもするからな」
「なるほど」
「そのためにまず欠かせないのが情報収集。
人への聞き込みが主な手段だが、特殊技能があるならそれに頼ってもいい」
の言う特殊技能に、炭治郎は心当たりがあった。
「あ、俺、鼻が利きます」
炭治郎の言葉に、の語尾が上がる。
「ほう? 鬼の匂いなどもわかるのか?」
「はい。この街にはわずかですが、鬼の匂いが残ってる、気がします」
は感心した様子で頷いている。
「ふむ、それは貴様の強みだな。
そういう特殊技能を持つ隊士は割と生き残る。磨けるなら磨いておけよ」
炭治郎をさらりと褒めたは自身の胸に手を当てて尚も続けた。
「私も一応特殊技能を持っている。
私のそれもこの街に鬼がいると言っているから、」
の言葉の最中、顔に怪我を負った男がふらふらと炭治郎らの横を通り過ぎていった。
炭治郎とは訳ありと見て、男の背中を目で追う。
「ほら、和巳さんよ。かわいそうに、やつれて……」
「一緒にいた時に里子ちゃんが攫われたから、」
噂話をする女性たちの声が聞こえたのはそんな時だった。
は話の途中だが、と炭治郎に告げる。
「……被害者の婚約者だ、話を聞いてみよう」
※
炭治郎に声をかけられた和巳は、藁にもすがるような気持ちで
一昨晩、婚約者である里子を攫われた場所へとと炭治郎を案内した。
揃いの制服を着たと炭治郎は、
里子が攫われた犯人の手がかりを握っている様子だったからだ。
さすがに鬼殺隊だとか、鬼だとかの単語が炭治郎の口から出た時は
担がれているのではないかと思ったが、も炭治郎も真剣そのものだった。
何より、和巳はどうしても里子のいどころを突き止めたかった。
だからこそ、多少得体の知れぬ二人であっても協力することにしたのである。
和巳は住宅の立ち並ぶ道の途中、沈鬱な表情で口を開く。
「信じてもらえないかもしれないが、ここで里子さんは消えたんだ。
まるで煙のように、一瞬で……」
里子の両親には仔細を話しても信用されなかったので、和巳の声は沈んでいた。
だが、それと対照的にハキハキとした声が答える。
「信じます!」
炭治郎が勢いよく和巳に頷いた。
「信じますよ!! 信じる!!!」
そして地面に手をつき、何かの匂いを嗅ぎだしたのだ。
突然の挙動に戸惑う和巳であるが、
連れ合いのは動じず、炭治郎の様子を伺っている。
「竈門、どうだ?」
「微かに鬼の匂いは残ってますが、なんと言うか、まだらというか……」
「そうか。……こたびの鬼、移動に有利な血鬼術の持ち主なのかもな」
は何か思い当たることがあるのか、考えるそぶりを見せた。
「里子さんがいなくなったとき、
和巳さんは不審な人影も何も見なかったのでしょう?」
「!?」
炭治郎に向けるものとは違う、優しく柔らかい声で問いかけられて、
和巳は一瞬うろたえるも、肯定する。
「は、はい、自分たち以外は、周りに誰もいなかったと思います」
「結構。協力感謝いたします」
は納得した様子だ。
懐から印をつけた地図を取り出して、
未だに地面の匂いを嗅ぐ、炭治郎へと声をかけた。
「被害者はみな年頃の少女たちだ。
ある程度、この街にいる少女たちの居所は絞り込んでいる。
そのあたりを中心に警備巡回に行くぞ」
「わかりました!」
「よろしい、良い返事だ」
威勢良く返した炭治郎に満足げなは、和巳を振り返った。
「和巳さんはもう家に戻られても構いませんが」
「……いえ、私も、お手伝いさせてください。
あの、何のお役に立てるかはわかりませんけど」
と炭治郎の話す、鬼の存在や鬼殺隊については半信半疑の和巳であるが、
それでも里子を取り戻したい気持ちは本当である。
「それは、」
和巳の申し出にが断りの文句を告げようとした、その時だった。
炭治郎は鬼の匂いが強くなるのを、
は鬼の気配を察知して、揃って同じ方向を向いた。
「竈門、わかるな?!」
「はい、匂いが濃くなった!! 鬼が現れてる!」
は和巳を振り返りながら、炭治郎に告げる。
「先に行け。後から追いかける」
「わかりました!」
駆け出した炭治郎が常人ならざる跳躍を見せ、
屋根に飛び移るのを和巳は呆然と眺めている。
は和巳に向けて淡々と忠告した。
「和巳さん、これから先は危険が伴う。あなたは帰ったほうがいい」
我に返った和巳はに承服しかねると言った態度で食い下がる。
「でも、」
「死ぬかもしれないんですよ」
柔らかくも頑なな声に、和巳はぐっと拳を握りしめ、を睨んだ。
「それでもいい、里子さんの安否を、犯人の口から聞いて知りたい」
はしばし沈黙した後、諦めたように深く息を吐く。
「……承知しました。
ここから先、命の保証はできかねますが、我々があなたを守ります。
死にたくなければ我々の指示に必ず従ってください」
頷いた和巳にはつかつかと近寄った。
「では早速、失礼」
「え?……は?!」
「喋ると舌を噛みます、しっかり掴まってください」
は和巳を抱えると、地を蹴る。
宙を跳び、最短距離で炭治郎の元へ向かった。
※
と和巳がその場に到着して見たものは、
黒い沼から半身を出した三本の角を持つ鬼。
気を失った少女を抱え、刀を構える炭治郎の姿だった。
和巳とともに炭治郎の横に立ったが包帯の下、難しい顔で呟く。
「こたびの鬼、やはり血鬼術の使い手か……!」
炭治郎が鬼に向けて口を開いた。
「さらった女の人たちはどこにいる!! それから二つ聞く!」
尋ねた炭治郎に鬼が返したのは尋常でない歯ぎしり、問答無用と言わんばかりの威圧感である。
気圧され黙り込んだ炭治郎を前に、鬼は沼に沈み、痕跡さえも残さず消える。
「竈門、彼女をこちらへ」
は炭治郎から少女を預かり、和巳に抱えるよう伝えると、
炭治郎に指示を飛ばした。
「これはお前の初任務だ。
私が人間二人を守るから、攻撃に専念しろ。必ず鬼の頸を斬れ。
危なくなったら手助けはしてやる」
「了解です……!」
炭治郎とは刀を構え、神経を研ぎ澄ませる。
は目を眇めた。
あの鬼、沼が出現できそうなところならば、どこからでも移動が可能だろう。
人を誘拐するのにも、不意をつくのにも、もってこいの血鬼術だ。
しかし、私の“勘”がある限り、不意打ちはできまい。
来る、……数が多い!?
は察知した気配の多さに一瞬怪訝そうな顔をするも、
すぐに臨戦態勢をとっていた。
「さん! そっちです!」
「わかってる!」
黒い沼から三人の鬼が飛び出した。
和巳と少女の着物、の顔に爪が伸びる。
「っ、乱暴、ごめん!」
は瞬時に和巳と少女を突き飛ばし、鬼から距離を離した。
すぐさま炭治郎が二人を守りに入る。
人間二人を庇った隙に、鬼の爪がの包帯に引っかかるが、
構わずには高く跳び上がり丸く刃を振るった。
鬼の手足とともにの顔を覆っていた包帯が千切れて風に飛んで行く。
「チッ、取れてしまったか、包帯が、」
「さん!?」
炭治郎は息を飲んだ。月明かりの下でもわかる。
一つにくくられた、鮮やかに燃えるような豊かな赤毛と、
真っ青な瞳が露わになっていた。