花の顔・鬼の形相
鬼と距離を取りながら軽やかに地面に降り立ったは、
竈門炭治郎と共に、和巳と少女を守るように刀を構える。
「この美貌、忍んで任務にあたるつもりだったが、
暴かれてしまったなら仕方あるまい……」
芝居掛かった所作で横髪を払い、は鬼に向け、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「私は人目を惹く、華やかな美少女であるが、
反面、仕事はキチッと地道にこなす出来る女なのだ!
鬼! 貴様の悪行もここまでだ!」
……今この人、自分で自分のこと美少女って言った?
炭治郎はどこか緊張感を削ぐの言動に微妙な表情を浮かべつつ、
構える姿勢だけは崩さぬように背筋を伸ばす。
調子の狂ったの言葉に何を思ったのか、
血鬼術の沼から半身を出した鬼が、まじまじとの顔を見やった。
「……」
「何だ? 私の美しさに声もでないか?」
その視線に気づき、二刀のうちの一つを鬼に向けながらもは首をかしげる。
しかしさっさと仕事をこなすべきだと、は炭治郎に声を上げた。
「よし、私は華麗に援護するからな! 行くぞ竈門!」
「え!? は、はい!?」
妙な言動に押されながらも、炭治郎が先陣を切り、
がそれを補佐するように前へ出た、その時だった。
鬼がに向かって叫ぶ。
「貴様ァアアアア!!! 賞味期限切れが俺に近寄るなァアアアア!!!」
「は? 賞味期限?」
唐突な言葉に訳もわからず、炭治郎とは思わず足を止めた。
「まあ、落ち着け俺よ。確かにソイツは年増だが、珍しい毛色だぞ。
そう邪険にしてやることはなかろう」
炭治郎らの背後に現れた一本角の鬼が
さらりと述べた言葉が聞き捨てならなかったのか、の頰が引きつった。
「年増? おい、今お前私を年増って言ったか?」
「手遅れは黙ってろ!!
そっちの女はまだ間に合うんだよ!!
十六の内に喰わないと刻一刻で味が落ちるんだ!!」
「……“手遅れ”?」
の声が一段低くなったが、鬼は構わずに鬼同士で会話を始める。
「冷静になれ、俺よ。
この町では随分十六の娘を喰っただろう。どれも肉付きよく美味だったろうが。
俺は満足している」
「俺は満足じゃないんだ、俺よ!! まだ喰い足らんのだ!!」
どうやら3体に分裂しているだけで、元は1体の鬼らしい。
“俺”と呼び合い、喰った少女たちについて語る鬼たちの不穏な会話に、
和巳が黙っていられなくなって、声を上げる。
「化け物……! 一昨晩攫った、里子さんを返せ……!」
「里子? 誰のことかな?」
鬼は首を傾げ、自身の懐を開いた。
びっしりと差された女物のかんざしが、鬼の胸元で異様に華やかに見える。
「この蒐集品の中にその娘のかんざしがあれば、喰ってるよ」
和巳はその中に見覚えのある髪飾りを見つけて落涙し、
炭治郎が覚えた怒りに歯噛みする。そんな時だった。
低い声が鬼に問いかける。
「……鬼。私の年齢を貴様ら、どこを見て判断した?」
「全身見ればわかるとも。
貴様は十八と言ったところだろう。旬を逃して2年も経っている」
蒐集品を見せびらかした一本角の鬼がどこか小馬鹿にした調子で言う。
「まァ、多少繕ってはいるようだが、時の流れは巻き戻せんからなァ、年増は年増だ。
食えんことはないが……盛りの頃と比べては劣化して醜くなってるだろうよ」
ハァ、と鬼が3人揃って深いため息を零した。
執拗に歯ぎしりをしていた鬼ですら、
を心底残念なものを見るように一瞥し、嘆息している。
炭治郎は横にいるから禍々しい匂いが立ち上るのを感じて、ハッとその顔を見やった。
はわなわなと震えている。
「このの花の
手遅れ、年増、劣化だと……?」
せっかくの華やかな顔立ちが、鬼の形相になっていた。
「挙げ句の果てには、醜いだァ……?!」
そしては鬼に吼える。
「上ッ等だ貴様らァアアアアア!!!
その節穴目玉をほじくり出して細切れにしてやるゥウウァアアアアア!!!」
「!?」
「ひえっ!?」
鬼も当然のことながら、その殺気、気迫に炭治郎までもが怯んでいる。
は鬼の形相はそのままに、唸るように炭治郎に指示を出した。
「竈門、箱の中の奴に人間二人を守らせろ。できるな……!?」
「え……?」
禰豆子のことを知っているのか、と驚嘆する炭治郎を
が無言で睨んだ。目は口ほどに物を言う。
『さっさとやれ』
「わ、わかりました! 禰豆子!」
炭治郎が呼ぶと、桐箱を蹴り開けて禰豆子が顔を出した。
和巳と少女を見て、何を思ったかその頭を撫で、そのまま鬼たちから庇うように立ちはだかる。
その様を見て、は眦をわずかに細めた。
構えた刃を地面に振るう。
音の呼吸 壱ノ型 轟
ドッカァン! と技の名の通り、轟くような爆音が響く。
地面が爆発したかと思うほどの斬撃だった。
土煙が舞い、衝撃にたまらず鬼が沼から這い出る。
そのうちの一人、常に歯ぎしりしていた三本角の鬼の首が、舞い上がる風塵に乗じて飛んだ。
「な……ッ!?」
鬼の体があっけなく崩れ去る。
あっという間に鬼の一体を屠ったに驚いて、息を飲んだ皆が視線を注ぐ。
は冷え切った眼差しで鬼を見やった。
「……私を“手遅れ”と罵った二本角のお前」
刀の切っ先で指し示された鬼が、顔を顰めてを睨む。
「貴様には痛い目を見てもらう。
本当に“手遅れ”だったのが私と貴様のどちらなのか、夜明けまで試すとしようか」
向けられた鬼以外の人間もゾッとするような殺意である。
「もう一人は、竈門、いけるな?」
炭治郎はこめかみに汗を浮かべ逡巡した。
人を襲わぬよう暗示がかかっているとはいえ、鬼の禰豆子に援護を任せていいのか。
禰豆子の存在を知っていたらしいが、隊士のと共に残していいのか。
しかし、怒りに駆られていると思しきの目が、
極めて冷静に炭治郎を射抜いていることに気づいた時、炭治郎は腹を決めていた。
「……はい! できます!」
「よろしい。任せた」
の言葉に頷き、炭治郎は鬼の誘いに乗って、
血鬼術の沼の中に入っていった。
※
水中の中でこそ真価を発揮する、陸ノ型で一本角の鬼を討伐した炭治郎が
沼から上がり見たものは、二本角の鬼がに圧倒されている姿だった。
再生する間も無く細切れにされては血鬼術を使う余裕もないのか
鬼は完全に嬲り殺しの憂き目にあっている。
細切れにした鬼の肉片を踏み潰し、
返り血を浴びながら刃を振るうに青ざめつつも、
炭治郎は恐る恐る声をかけた。
「あ、あの、さん! 俺、鬼に聞きたいことがあるんですけど!」
「ああ、そちらは倒したのだな? 結構。
……尋問か。いいぞ、何を聞く? 得意だ。そういうのは」
身動きの取れない鬼を、が追い詰めるように道の壁際に蹴り飛ばした。
思わず同情するように眉をひそめた炭治郎に、は淡々と言う。
「竈門。貴様の場合は匂いでわかるだろうが、こいつらはかなり人を喰っている。
そうでなければ異能は発現しない。そういう鬼に同情は不要だ」
は冷徹な顔で、鬼を睨み見下ろした。
「かと言って痛めつけて良いわけでないのもわかってはいるが。
……この鬼の有り様には些か思うところがあってな」
「お、女共は十六を越えると醜く不味くなるんだよ!!
だから喰ってやったんだ!! 俺たちは感謝されてもいいくらいだ……ヒッ!」
の刃が音もなく鬼の首の半分を傷つけた。
一瞬血煙が吹き出るが、鬼の再生力ですぐに傷は治っていく。
しかし。
いま、あと半分、刃が通っていたら死んでいた。
そのことに気がついた鬼の額からドッと汗が吹き出た。
「鬼は理性を失くすものといえ、貴様のそのド腐れ嗜好には反吐がでるわ。
余計なことを喋るな。聞かれたことだけに答えろ」
は顎をしゃくって炭治郎を促した。
炭治郎は鬼に向け、用意していた質問をぶつける。
「鬼舞辻無惨について知っていることを話してもらう」
鬼の纏っていた気配が変わった。
「言えない……」
「貴様……」
が眉をひそめても、鬼は震え、ぶんぶんと首を横に振るばかりだ。
「言えない! 言えない! 言えない!」
恐怖に怯え、頑なに「言えない」と繰り返す鬼に炭治郎が困惑する最中、
が喘ぐ鬼の頰に刃で触れる。
「おい、」
鬼がの顔を見上げる。
「私の目を見ろ」
歪んでいた表情がの瞳を覗き込んだ途端にふっと和らいだ。
その目に何かが去来したかと思うと、
の刃が音もなく、鬼の首を薙ぎ払っている。
「貴様の罪、このが引き受けた」
刀を仕舞い、は崩れゆく鬼を振り返らない。
炭治郎に目を向け、淡々と告げる。
「鬼舞辻の居所、情報を鬼から聞き出そうとした隊士は竈門、貴様だけではない。
だが鬼から鬼舞辻の情報を聞き出せたことは、これまで一度もないそうだ」
「そんな……!?」
「皆怯えて本気の抵抗をすると言う。この鬼と同じように」
は息を飲んだ炭治郎に、
鬼舞辻無惨と鬼たちとの歪んだ主従関係を示す性質を口にする。
「――情報漏洩を恐れてのことか、忠誠心の証明のためかはわからないが、
鬼の口から自身の名前が出ることを、鬼舞辻無惨は許さない」
炭治郎は失望に奥歯を噛んだ。
では、鬼から禰豆子を人に戻す方法を聞き出すのは無理ではないか、と
途方に暮れた顔をする炭治郎を見て、は軽く肩を叩く。
「あまり気を落とすな。質問の仕方次第では聞きたいことを聞き出せるかもしれない。
根気強く試していくしかないだろう」
「……そう、ですね」
の励ましに頷くと、炭治郎は和巳と少女の前に立っていた禰豆子を呼んだ。
トテトテと近寄ってくる禰豆子を箱に入れ、炭治郎は振り返る。
今起きたことが信じられないと言った様子で呆然としている和巳に
炭治郎がしゃがみこんで目を合わせ、声をかけた。
※
「竈門、貴様の和巳さんへの対応は美しかったぞ」
鎹鴉が指示した次の任務先、浅草に向かいながら、
は横を歩く炭治郎にそんなことを言った。
婚約者を鬼に殺されたことを知った和巳はひどく打ちのめされていた。
仇の鬼が死んでも、婚約者を理不尽に失った悲しみや怒りがそう簡単に収まるはずもない。
励ます言葉をかけた炭治郎にさえ、和巳は苛立った様子で声を荒らげたほどである。
それでも炭治郎は和巳を責めたりはしなかった。
大事な人を失った痛みには、炭治郎にもよく覚えがあったからだ。
「俺も、和巳さんと同じようなものですから」
「そうか」
苦く笑った炭治郎には一度頷いたが、なおも言葉を続ける。
「だが、鬼殺に励むうちに他者を気遣える余裕を失くす隊士も多くいる。
貴様のように鬼から蒐集品を取り戻すことにまで気の回る隊士はそうはいまい。
良い仕事ぶりだったと私は思う」
「さん、」
炭治郎はの横顔を見上げる。
仕事ぶりが立派だったのはの方だと思ったのだ。
3人に分裂していた鬼のうち2人の頸をはたやすく斬っていた。
狙われるだろう被害者に事前にあたりをつけていたり、
和巳に少女の後を頼んだのもである。
細やかに後輩である炭治郎を助け、何より強い。
炭治郎は意を決したように唾を飲み込み、に尋ねる。
「さんは禰豆子のこと……最初から分かってたんですね」
「当然だ。お館様が鬼を連れた隊士について把握してないわけがなかろう」
炭治郎は聞きなれない単語に首をかしげた。
「“お館様”?」
「何?……そこからか」
はむう、と口を尖らせて腕を組んだ。
「新米とはいえ貴様、水の呼吸の使い手なのだろう?
育手に鬼殺隊の組織がどうなってるとか、説明されてはおらんのか?」
怪訝そうな顔のに、炭治郎はそういえば、と頰をかく。
水の呼吸の育手、鱗滝左近次が炭治郎に教えたのは、
鬼殺の剣士としての術、鬼となった妹を連れ歩く覚悟。
敵である鬼についての情報が主であった。
「鱗滝さん、そういうのはあまり……」
眉を下げた炭治郎には嘆息した。
「……なるほど。組織の形態については後ほど図に書いて詳しく説明するが、
お館様と言うのは要するに、鬼殺隊の上層部の頂点におわす、
とっても偉い方だと言うことだけ今はわかってればいい」
はビシッと炭治郎を指差してみせる。
「その偉い方は貴様の身辺のことなど
お見通しであると言いたいのだ、私は! わかるか?!」
炭治郎はの勢いに乗せられ、バッ!と挙手して頷いた。
「わかりました!」
「よろしい」
は満足そうに笑みを浮かべた後、すぐに悩ましげな表情になった。
「しかしだな竈門、薄々勘付いとるかもだが、
鬼を連れた鬼殺隊士など前代未聞だぞ。
私は最初に聞いた時、かなりびっくりした」
「……ですよね」
炭治郎は乾いた声で応える。
は腕を組み、炭治郎の背負った桐の箱へと目を向けた。
「実際この目で見るまで半信半疑なところがあったものよ。
貴様の妹、鬼となっても本当に人を食わないのだな。人を守ろうともしていた」
そこまで言って、は炭治郎を真っ青な瞳で射抜く。
「ならば私の刃が貴様の妹に向く道理はない。
私が斬るのは“人を殺し喰らう鬼”だけだ」
炭治郎は思わず匂いを嗅いでいた。
嘘の匂いがしない。さんの言葉に嘘はない――。
ホッとして胸をなでおろした炭治郎には口の端を緩めるが、
すぐにきりりとした真剣な表情で告げる。
「だが、残念ながら鬼殺隊士の全てが私のように柔軟で寛大な美人ではない」
故に、お館様は禰豆子の存在を周知させることは混乱を招きかねないとして避け、
ごく一部にしか知らせない方針でいるのだとは語った。
「この先々、合同任務などもありうるだろう。
鬼殺隊の同僚と会った時の説明、対応は貴様がやれ。私は何も手助けしない。
貴様と妹自身で
「……はい」
神妙な顔で頷いた炭治郎に、は尋ねる。
「ところで竈門、私は美しいか?」
「えっ」
「美しいか?」
その時、さほど聡い方ではない炭治郎も察していた。
美しいって言わないと、まずいことになる気がする!
そして実際、の顔立ちは整っている。
――今は目が据わって恐ろしい顔をしているが。
「き、綺麗な人だと、思います……!」
頰を赤らめ、口ごもりながらも断言した炭治郎に、
はころっと気を良くした様子でキラキラした笑みを浮かべた。
「うんうん! そうだろう、そうだろう!」
は声を弾ませる。
その調子を見て、炭治郎は内心「単純な人だ」と呆れていた。
呆然と口を半開きにした後輩を差し置いて、はすっかり自分の世界である。
「宇髄さまにも『お前の顔立ちは派手で良い』と褒めていただいているのだ!
この私が断じて年増扱いされて良いわけがない! そう、断じて!」
「え? 宇髄さまって誰ですか?」
炭治郎の疑問も聞いているのかいないのか、は上機嫌で軽く炭治郎の肩を叩いた。
「いやな? 誰がなんと言おうとも私の美しさは揺るがないけれど、ほら、
三大禁句に匹敵する“年増、劣化、醜い”を一気にもらったなら、
流石に寛大で心の美しい私でも堪忍袋の緒がブチ切れるというわけだよ! な!」
明るく笑う顔は確かにが自負する通り美しいのだが、
言っている内容で全て台無しである。
「だめ押しだったのは“手遅れ”と言うセリフだな。ハッハッハッ!
……久々に血管という血管が爆発するかと思ったわ」
低い声で吐き捨てたあと、炭治郎に向け指をさしながら、やたらと朗らかな声で告げる。
「ちなみに女に対する三大禁句は“年齢・体重・美醜”にまつわるものだ。
覚えておいて損はない。
竈門、貴様も気をつけろよ。虎の尾を踏むと死ぬからな!」
「いや、あの。はい。そうですね」
炭治郎はなんとなくの性格を把握しだしていた。
という人は頼りになる先輩なのだが、こと自分の美しさの話になると、
割と、いや、かなり、暴走するのである。
この人とこの先やっていけるのだろうかと、深いため息をつく竈門炭治郎であった。