篝火のかぐや姫

かぐや姫に倣う

真夜中の果し合い

その日、煉獄杏寿郎は花屋に立っていた。
師範に昇進したお披露目の舞台を終えたの為、約束通りに花を贈ろうと、
帰宅の合間に立ち寄ったところである。

に出した手紙の返事に、鯛尽くしで帰宅を待ってるから楽しみにしておけとあったので、
「気合を入れて選ばねば!」と、勇んで入ったは良いものの、
切り花から鉢植え、はたまた観賞用の野菜だのが所狭しと並ぶ様に圧倒されていた。

華道を嗜み趣味とするだから、何をどれだけ選んだにせよ上手に生けてはくれるだろうが、
あんまり適当に選ぶとすぐさまバレるので、なかなか難しい相手だ。

――しかし、そういう相手をあっと言わせるのも一興!

そう思い、杏寿郎が真剣な面持ちで花を眺めていたからか、
売り子の女性がクスクス笑いながら声をかけてきた。

「大事な方に贈られるのですか?」

杏寿郎は迷いなく深々と頷く。

「はい! 姉が大舞台を終えたので、お祝いをしたいと思っていたところ!」

売り子は、パチクリと目を丸くして杏寿郎を見やる。

「おや、お姉さまに」
「相談に乗っていただけるとありがたい! 赤い菊が良いとは言っていたのだが……」

迷っていても仕方がないので専門家である売り子に指南を受けつつ杏寿郎が予算を伝えると、
あれよあれよと花を見繕ってきた。
そのままいくつか選んで花束を作ってもらうことにする。

杏寿郎は売り子の手で花がみるみる束ねられていくのを眺める。
「姉に花を贈る」と言ったら売り子は最初、随分と意外そうな顔をしていた。
おそらく、杏寿郎が花を贈る相手は恋人か奥方だと、あたりをつけていたのだろう。

巷では、男女の双子の前世は想いを遂げられず心中した恋人たちなのだというが、
これが全く迷信俗説の極みであると杏寿郎には断言できる。

は心中のような『思い詰めた末に破滅を選ぶ』
というのを良しとする人間ではない。これは杏寿郎も同じだ。

どうにもならなくとも、選べる限り前向きな選択肢を選ぼうとする姉弟だった。
だから選ぶ物事は不思議と似通う。
その上生まれたときからそばにいて、同じように育っていると、
姿形、性別の差異があれど、なんだか自分が二人いるような心地がしたものだ。

もちろん実際にはそういうわけでもなく、幼い頃の思い込みである。

だが、錯覚するのにも相応の理由があった。
何しろ杏寿郎にはの考えていることが手に取るように分かり、
が怒る理由も喜ぶ理由もすぐに理解できた。
もそれは同様で、杏寿郎が悲しんでいても機嫌が良くても
その理由をすぐさま察していたようだった。

「仲の良いご姉弟なのですね」

売り子に声をかけられて、いつの間にか物思いに耽っていた杏寿郎は顔を上げた。

「うん? ……おお!出来たようだな! 見事だ!」

見れば、杏寿郎の腕でひと抱えほどある、大きな花束が出来上がっている。 の希望通り、赤い菊を主役にした秋の花々で作られたものだ。
代金を支払って受け取ると、売り子はにこやかに言った。

「世の弟さんたちはあまりお姉さんに花を贈らないので、珍しく思ったものですから」

杏寿郎は売り子に向かい首をかしげる。

「そういうものか! いつ誰に贈ってもいいと思うんだが!」
「全くです」

やけに力強く頷く売り子に礼を言って、杏寿郎は花を抱えて歩き出した。

花を崩さぬよう、普段よりは歩く速度を落として帰路を行く。
緩やかに過ぎる景色につられてか、杏寿郎は売り子に言われた「仲の良い姉弟」という言葉を思い返していた。

確かに、煉獄家の姉弟仲は良く、恵まれている。
喧嘩らしい喧嘩をした覚えというのは数える程度だ。
特に千寿郎に関しては年が離れているから、という理由もあるが、
穏やかで優しい千寿郎自身の性質も手伝って、お互いを慮ることができているように感じる。

はたまにわがままを言ったりするが、
本当に杏寿郎や千寿郎が咎めなくてはならないような
度のすぎたものではないので喧嘩にもならない。
だいたいにしては竹を割ったように素直でさっぱりしていて、根に持つということがない。
軽口は言っても心から人を妬んだり、憎んだりということを大変に嫌った。

――だからは剣術を辞めた。

杏寿郎はと唯一、大喧嘩した日を覚えている。

七歳になって一月が経った日のこと、
真夜中の道場で、杏寿郎とはお互いを敵と思って刀を交えた。
少なくとも、は本気で杏寿郎を打ちのめそうとしていたのだろう。

今にも叫び出しそうなのを堪える、震えた声が耳の奥に残っている。

『杏寿郎、わたしと勝負しなさい』

あの夜のの目は煌々と輝いていた。
抱えた菊の花のような濃い赤色の瞳の中に、黄金色に燃えていたのは憎悪だった。怒りだった。

そういう、何もかもを焼き尽くすような眼差しを受けて、
初めて杏寿郎はその人が己とは違うことに気がついたのだと、
今更になって、思い至っている。

――あれは、姉を姉とみとめた日でもあったのだ。



その日はしとしとと雨が降っていた。

杏寿郎は真夜中にひっそりと部屋を抜け出して、竹刀を持って道場に向かう。
「夜はしっかりと寝なさい」と言う父母の言いつけを破り捨て、
今日はとことんのわがままに付き合うと決めていた。

なぜなら、七歳の誕生日を迎えてからのはなんだかいつもぼんやりとしていて、
父につけてもらう稽古にもほとんど身が入っていない、腑抜けのような有様だったからだ。
まるで、魂がどこか遠くに行ってしまったかのようである。

だが父も、不思議とが心ここに在らずの状態なのを必要以上に叱ったり咎めたりしない。
苦しげに目を眇めて「そんな状態で竹刀を握ってはいけないから、母の手伝いでもしていなさい」
と言うだけで、もコクリと頷くばかりだ。

それまではが機嫌を損ねたり元気がない理由にすぐ見当がついた杏寿郎だが、
今回ばかりは勝手が違った。思い当たる節というものが全く無かった上に
は寝ても覚めてもぼうっとしていて「どうかしたのか」と聞いても「なんでもない」の一点張り。
杏寿郎にはなすすべもなく、心配していた。

だから稽古を終えたに『杏寿郎、お願いがあるの』と、言われたときには、
ようやく胸の内を話してくれるのだと思って安心したのである。

『今夜、時計の針がてっぺんをさしたら、道着に着替えて竹刀を持って道場にいらっしゃい』

それまでふさぎ込んでいたの頼みごとだ。
夜更かししてでも聞いてやるべきだと、杏寿郎は道場の戸を開いた。

道場の四隅をロウソクの火が赤く照らしている。
昼時と同じように明るいとは言えまいが、試合するのには充分だ。

はどうやら瞑想しながら杏寿郎を待っていたらしい。
自分の竹刀を傍らに置いて、いつもは父の定位置にちょこんと一人座っていた。
杏寿郎に気がつくと、緩やかな所作でまぶたを開く。

「来てくれて、ありがとう」

口ではそう言うだが、表情は強張っている。
笑おうとして失敗したような引きつった顔だった。

杏寿郎は道場の戸を閉めると、スタスタとに近寄った。

、一体全体どうしたんだ? 近頃は元気がないようだし、今日だって……」

「杏寿郎」

はすっくと立ち上がって、震える声で杏寿郎の言葉を遮り、竹刀を向けた。

「わたしと勝負しなさい」
「いいぞ! 練習試合だな? 何本勝負にしようか!」

ハキハキと言った杏寿郎に、は首を横に振る。

「いいえ、練習なんかじゃない。
 これはどちらが強いかここではっきりさせるための、白黒つけるための勝負です」

杏寿郎はぎょっとしての顔を注視する。

「なんだって?」

道着を着て竹刀を持ってこいと言っていたからには、
素振りに付き合えとか、呼吸を練習しようとか、試合をしようとか、
その手の類のことを言われるのだろうとわかっていたが、
白黒つけるとは穏やかではない。

「手加減はいらないから。わたしを鬼と思ってかかって来なさい」

その上、は爛々とした目で杏寿郎を睨むのだ。

杏寿郎はの意図がわからず戸惑っていた。
双子の姉の考えることが、こうも解せないのは初めてだ。

「いや、しかしは鬼ではないだろう! そもそも、なぜ、」

バンッと竹刀を叩きつける音が道場に響いて、杏寿郎は尋ねていた口をつぐむ。
は眦を決して口を開いた。

「問答無用。さっさと構えてかかって来い……!」

唸るように言ったに、杏寿郎も訳がわからないなりで腹が立った。
目を吊り上げて食ってかかる。

「わがままが過ぎるぞ! 理由を言え! 一体何が気に入らないんだ!?
 だいたいこんなことが知れたら、父上と母上二人から怒られるだろう!」

杏寿郎が怒りをあらわにすると、は突きつけていた竹刀を下げて俯いた。

「決着がついたら話します。
 杏寿郎は怒られないと思う。今回ばかりはわたしが全部悪いから」

ポツポツと静かに呟いたかと思うと、下から睨め付けるように杏寿郎を見て、
叫び出すのを堪えるように言い放つ。

「だけど、こうしなくっちゃ腹の虫がおさまらないのよ……!」

覚悟のこもった声と、肌を粟立たせるような気迫に、
杏寿郎はこれがただのわがままでないことを察した。
にはなりの思いがあって、力比べを申し出たのだと。

「……わかった」

だから杏寿郎は頷いて、高らかに宣言する。

「受けて立つ!」

竹刀を己に向けた杏寿郎に、は口角をあげた。

「そうこなくては」

その顔に浮かぶのはめらめらと好戦的な、不敵な笑みだった。



道場の真ん中に移動し、杏寿郎とは向かい合う。
勝負の形式はが決めた。

「柱の字数にあやかって、九本勝負といたします。
 一本取れればなんでもありよ。良いわね」

「心得た!」

頷いた杏寿郎に、は竹刀をまっすぐに構えた。
杏寿郎が応じるように構えると、勝負が始まる――。

次の瞬間、ダンッと鈍い音が道場に響き渡った。

「ゲホッ……!?」

尻餅をついた杏寿郎は耳の端で竹刀が転がる音を聞きながら
自分が今、何をされたのかを思い返して驚嘆する。

それは速攻だった。

は杏寿郎が構えると、すぐさま手を狙って鋭い一撃を放った。
見事な小手打ちが決まり、その衝撃に杏寿郎は竹刀を取り落とした。

――そこまではいい。

杏寿郎は己を冷たく見下ろすに眉を顰める。

「竹刀を取り落とした時点で一本だ。
 追い討ちをかけるように蹴飛ばす必要があったか……!?」

「笑止。わたしを鬼と思ってかかって来いと最初に言ったはず。
 なんでもありだとも言った」

は聞く耳をもたなかった。
目を冷ややかに細めて断じる。

「鬼の攻撃に必要性などあるべくもなし。
 それだけの隙があなたにあっただけのこと。
 ――立ちなさい。次」

理不尽で高圧的だとは思ったが、油断があったのは認めざるを得ない。
不服だったが杏寿郎はそれ以上の物言いはつけないことにして、なんとか立ち上がる。

一戦目はが取った。



二戦目である。

がとったのは再びの速攻だった。
瞬き一つもつかぬ間に、開始の距離から目の前に移動してきた
竹刀を大きく振った。

――二度目は喰らってなるものか!

杏寿郎がの攻撃を躱そうとすぐさま下がる。肩を狙った一撃は避けられた。

しかしはそのまま振り切らず、途中で無理矢理軌道を変えた。
結果、追いかけるようにして竹刀が杏寿郎の足元に迫る。

「!?」

予想出来なかった動きに気を取られて、たたらを踏んだ杏寿郎の体勢が崩れたと思うや否や、
の呼吸が燃えるような音を立てた。

――炎の呼吸 壱ノ型 不知火

呼吸で強化した胴打ちが、まともに決まった。

「が……ッ!!!」

膝をつき、腹を抑えて咳き込む杏寿郎を見ても、は何も言わない。近寄りもしない。

も杏寿郎も、炎の呼吸を父に習っているが、まだまだ七つの子供である。
扱う呼吸の威力は父のものに比べ格段に劣り、実戦に耐えうるものだとはとても言えない。
しかしそれは対鬼の戦闘においての話であって、
対人格闘においては子供の稚拙な、呼吸もどきの代物であっても十分に強力だった。

杏寿郎はなんとか息を整えると、今や全く考えていることの読めないの顔を見やる。
はすでに道場の真ん中、次の試合開始のための定位置に立って、杏寿郎を待っていた。

――今のはおかしい。

杏寿郎にはそれがよくわかる。
容赦がなく、杏寿郎のことをまるで親の仇のように打ちのめすことを躊躇わない。

――どうしてだ? どうしてこんなことをする? ……俺を嫌いになったのか?

『決着がついたら話します』

杏寿郎はの言葉を思い返して、床に転がる竹刀を手に取り、強く握った。

――は理由もなくこんなことをしたりしない。嘘も吐かない。
きっと決着がついたら話してくれる。

「……次だ!」

――だったら、勝って理由を聞いてやる!

気を引き締めて杏寿郎は再びの前に立った。



三戦目は杏寿郎にとって勝負所だった。

が二勝、未だ杏寿郎は一本も取れていない。
九本勝負だからまだ取り返せるが、
ここで一本を取られてはますますが勢い付くばかりだと杏寿郎にはわかっていた。

二勝を勝ち取った速攻を、は三戦目では使わなかった。
先に杏寿郎が仕掛けたからだ。

杏寿郎はの竹刀に体ごとぶつかりに行く。
一度距離をとらなくてはが竹刀を振れない状態を作る。

「ッ……!」

が杏寿郎の目論見通り下がった瞬間を狙って、杏寿郎はすぐさまの手を打った。
取り落とした竹刀がカラカラと音を立てて転がる。

「一本だ!」

宣言した杏寿郎には舌打ちすると、竹刀を拾い上げて再び構える。

「……次!」

杏寿郎が三戦目で一勝を勝ち取り、の連勝を止めたはいいものの、
四戦目から七戦目までで状況は膠着した。

四戦目でが杏寿郎の足を払って転ばせ一本。
五戦目で杏寿郎がの胴を打って一本。
六戦目でが杏寿郎の腕を打ち、竹刀を取りこぼさせて一本。
七戦目で杏寿郎がの手元を狙い、小手を打って一本。

が一本取れば杏寿郎が食らいつき、
杏寿郎が一本取ればが、と常の稽古とほとんど同じ様相になった。

これは当然の展開と言っていい、と杏寿郎は息を整えながら思う。
実力はほぼ互角。互いの癖も好む戦法もわかりきっている。

ゆえに、この場では最初の二戦を先取したが圧倒的に有利である。

――八戦目、は七戦目での負けを必ず取り戻そうとしてくるだろう。
何よりがここで勝てば五勝目だ。俺の負けが決まってしまう。
必ずここで勝たねばならない。

杏寿郎はが竹刀を構えるのを待った。

七戦を経て、も杏寿郎も汗だくでボロボロだ。
は初めから手加減など考えていなかったし、杏寿郎も真剣勝負と心得てからは容赦をしなかった。
そのせいで打たれたところは痛むし、転んでぶつかりあい、互いに満身創痍である。

それにしても、と杏寿郎は目の前に立つを見て眉根を寄せた。
の一つに括った髪はやや乱れ、道着もなんとなくくすんで見えるが、
研ぎ澄まされた気迫は充分すぎるほど、その立ち姿に満ちている。

――の纏うこの苛烈さはなんだ? こちらを打ちのめそうとする裂帛の気迫。
こんなにも攻撃的な刃をが振るったことがあっただろうか?
炎の呼吸は鬼殺の術。荒々しい面が無いとは言えまいが……!

杏寿郎の中で違和感が膨らんでいく。

は確かに「最強」を目指すのだと口にしたこともあるが、
その目的は命を賭して鬼と戦う父の助けになりたいから。
つまり人を守るために強くなりたいと言っていたはずだ。

対する冷ややかな目をしたの有様は、全くもってらしくない。

――今のには絶対に負けたくない!

構えるのにも気合が入る。

八戦目が始まった。
これを決めれば勝ちに至ると、そうはさせまいと食い下がる杏寿郎とで
七戦目までとは違う長丁場になった。

互いに打ち合い、つば迫り合い、距離を取り合う。
熟知した相手を打ちのめそうと探り合う。

無言の攻防。

しかしその激しさは竹刀をぶつけ合う音、踏み込みで床の鳴る音に比例する。
そこに、燃えるような呼気が加わった。

――炎の呼吸 参ノ型 気炎万象

振り上げたの竹刀に一瞬、火花が散ったように見えた。
これを杏寿郎は後ろに跳躍して躱し、その勢いに乗って呼吸の技をに返した。

――炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天

下から大きく、斬撃は円を描くも、は避けて距離をとった。
舌打ちして再び通常の構えに戻る。

壱の型から奥義を除いた捌の型まで、不完全な呼吸の打ち合いが続く。
杏寿郎もも呼吸を連発するには体力が足りないから互いに不出来で無様だ。
こんなにも長く、実戦形式で呼吸を使ったことはなかった。

だから勝敗を分けたのは誕生日からひと月、稽古に身の入っていなかったと、
稽古を変わらず続けてきた杏寿郎の、ほんのわずかな体力の違い。

杏寿郎が再び竹刀を下から振り上げた。

――炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天

防御しようとしたの竹刀を持つ手に汗が滑る。
その汗をものともしない握力というものが、にはもう残っていなかった。

結果、杏寿郎の昇り炎天は見事に決まり、の小手を打って竹刀を弾き飛ばし、
その勢いに負けてが後ろに尻餅をついて転んだ。
ここまでは杏寿郎の狙い通り。

事故が起きたのはその時だった。

弾き飛ばされた竹刀が、起き上がろうとしたの顔に思いきり直撃したのである。

!!! だっ、大丈夫か!?」

思わずそれまで勝負していたことさえ忘れて駆け寄ろうとした杏寿郎を、
は片手を伸ばして制止した。
がもう片方の手で顔を抑えながら、俯いていた顔を上げると血が出ているのがわかる。
手の隙間から血液が一粒落ちた。

これはもう勝負どころではないのでは、と狼狽する杏寿郎だが、
はなりふりも構わず顔を抑えていた手を払い、鼻血を親指で拭い去った。

「これが、八戦目。互いに四勝。次の勝負で決着する……」

は立ち上がると己の顔を強かに打った竹刀を拾い上げ、
杏寿郎にその先端を向けた。

「よもや、ここで止めようなどとは言わないわよね、杏寿郎……!!!」

その滾るような闘志には確かに懇願と切実の色が見えて、
いろいろの言葉や心配を呑み込み、杏寿郎は構える。

「……無論だ! 俺が勝つ!!」
「そうよ、それでこそ。……負かし甲斐があるというもの!!」

最後の一戦に臨むと杏寿郎。
互いに気合は充分、戦意を漲らせて口を開いた。

「いくぞ!!!」
「来い!!!」

九戦目――決着の火蓋の掛け声は、二人同時に放たれたのである。



すぐさまが目の前に迫る。
互いに体力の限界が近く疲労困憊、普通に竹刀を振るだけで精一杯だ。
が速攻でカタをつけようとするだろうと杏寿郎は読んでいた。

――炎の呼吸 壱ノ型 不知火

が胴を狙って放った不知火は、杏寿郎の呼吸術によって防がれる。

――炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

渦を巻くように杏寿郎の竹刀が振れ、の技を殺してしまう。

「くッ!」

苦々しげに距離をとったに、今度は杏寿郎が前に出た。
互いに竹刀を払って隙を作ろうと打ち合い、つば迫り合いの様相になる。

「必ず、勝つ!」

杏寿郎が気合をいれるべく叫んだ言葉に、の顔色が変わった。

「負けるものかっ!」

の蹴りが杏寿郎の足に、浅く入った。

「むっ……!」

気づいて避けたから転ばずに済んだ。

一歩引いた杏寿郎を追うように、は竹刀を振って猛攻を仕掛ける。
雨あられと降るような突き、しなる鞭のように飛んでくる竹刀。
何かに取り憑かれたような、攻撃的で荒々しい太刀筋。

それらを受け流す最中、杏寿郎は不可思議な感覚に陥っていた。

――頭が不思議と冷えていく。
距離を取り、中段に構え足を引く、竹刀を低い位置、脇に構えて迎え撃つ。

杏寿郎の様子を見て、は大技を仕掛けてくるのだと悟り、素早く前に出た。
竹刀を横に振り被る。

『優れた炎の呼吸の使い手が一太刀振るうと、刀身に炎が灯ったように見える。
 使うのが木刀だろうが竹刀だろうが関係なく、そのように見えるのだ。
 これは、刀身が光を反射する様が燃えるように見えるのではなく、
 使い手の威容、志こそが技に表れるゆえだ』

杏寿郎は己の目前にの竹刀が迫るまで、
父に教わった言葉を何度も繰り返し反芻していた。

『炎の呼吸の使い手ならば“鬼を必ず倒す”と意気に燃えよう。
 志も希望も燃えるもの。
 そして焚き火の火種と違い、これらは失せるということが無い。
 意気に燃え、志に燃え、希望に燃えたその先で、
 培い磨いた技ならば、必ずお前に応えてくれる』

――ならば今、の目を覚まさせるような一打を!

杏寿郎がしっかと握った柄から切っ先に火が走る。
ゴウゴウと呼気が燃えている。

の振り抜いた竹刀が杏寿郎の首に到達する前に、
その技は決まり手となった。

――炎の呼吸 伍ノ型

驚嘆と気合に、それぞれ見開いた瞳の中で、一匹の虎が吠える。

 “炎虎”

一閃の後、が尻餅をついた。
手の中から飛んでいった竹刀は刀身が半分折れている。
まるで獣に喰い千切られたかのように。

杏寿郎は息を切らせながらもなお、竹刀の先端をに向けていた。

「……まけた」

は一言呟くと、気が抜けたように息を吐くや否や、パタンと仰向けに倒れこんだ。

「ふっふっふ! あっははは! ああ! 負けた負けた! 大負けした! 完敗完敗!」

それまで人を寄せ付けない、氷のような雰囲気を纏っていたのが嘘のように、
は腹を抱えて笑っている。
いつも通りに戻ったようで、そうではなかった。

?」

呆気にとられた杏寿郎が懸念交じりに呼びかけると、は半身を起こして杏寿郎を見上げた。

なんだかやたらに晴れやかな顔をしたは、固く目を瞑った後、
意を決したように口を開く。

「杏寿郎、わたしは鬼殺隊士にはなりません」
「は?」

杏寿郎はの言うことがすぐには理解できなかった。
意味を理解できた時にも信じられなくて、の顔を見つめるばかりだった。

「……煉獄は、鬼殺隊士にならないのです」

念を押すように言われたのは杏寿郎にとって、全く寝耳に水の言葉だったのである。