ナッツスコーン・クリームと蜂蜜を添えて


レースの詰め襟、ドレープのひだの美しいスカート。
濃い藍色のフリルをふんだんにあしらった衣服を纏った少女が、
パステルカラーの渦をまく、ロリポップキャンディを舐めている。

石畳の町に繋がる港。
そこで少女、は待ち人を待っている。
客船から降りて来た目当ての人物に、はゆっくりと近寄った。
部下もつけず、一人。随分不用心にも見えるが
おそらくは一人で対処出来るが故の自信の現れだろう。

のお目当ての青年の名前はサボと言う。
革命軍の参謀総長。革命家ドラゴンの右腕、
まだ若い青年らしい、みずみずしい生気を纏っている。
しかし、”革命軍”のトップに準ずる立場の割に、
どこか上品な顔つきに見えるのはの気のせいだろうか。
は閉じた唇の裏で自身の歯列をなぞり、朗らかに声をかけた。

「ハァイ、ダーリン。待ちかねたわ」
「・・・誰だ、お前」

見ず知らずの少女から挨拶を受けたサボは怪訝そうに眉を顰めた。

「あら、私をご存じないのね、では、こちらはいかが?」

はゆっくりと手の平で顔を覆う。
次の瞬間、その手を払うと、少女は老婆の姿をとっていた。
上品な眼差しの老女だった。サボは驚きに息を飲む。

「小説家、!」
「ええ、そう。知っているじゃないの。
 なら、私がどうしてここに足を運んだのか、お分かりでしょう?」

サボは言葉に詰まった。僅かに後ずさる。
どうやら思い当たる節があるらしい。

「悪気は無かったんだ。ただ、あんたの本があまりにも、」
「面白かった?」
「ああ」
「皆に勧めてあげたくなった?」
「・・・そうだ」
「革命軍のプロバガンダに私の本のセリフとタイトルが使われたおかげでね、
 私、賞金首になってしまったのよ」

老女の姿の写真がプリントされた手配書を渡せば、サボはうなだれて首を振った。

「知ってる。この手配書も持ってる・・・」
「ふぅん?」

はサボのばつが悪そうな顔を見上げ、面白がるようにキャンディを舐める。
老婆の姿をとっているのに、チャーミングで可愛らしい仕草だった。
サボは少々の逡巡を滲ませ、に問う。

「なぁ、もしかして新しく本が出せなくなるのか?書くのを、止めるのか?」
「どうかしら?でも、状況はあまり芳しくないわよ」

に新作を依頼していた出版社は”言論の自由”を盾に政府の弾圧を拒んではいるものの、
過去の”オハラ”の例もある。
が新作を書いても、政府によって出版を差し止められるかもしれない。

には何人か裏社会に通じるドフラミンゴのようなパトロンがついているから、
彼らの手によって本は出版されるだろうが、
”真っ当な”本屋にの本が並ぶことは無くなる可能性がある。

首を傾げたにサボはショックを受けたように目を見開く。
は片眉を上げた。

「私に無断で宣伝に使っておいて、こういう結果になるとは思わなかったの。
 革命軍がこの海でどういう認識をされているのか、分からないはずが無いでしょう」

サボはゆっくりとと視線を合わせた。

「・・・あんたの言葉には力があるんだ、
 記憶を失くして右も左も分かんなくなったガキが、
 あんたの本を読むときはそれだけに夢中になれた。あんたの書く物語が好きなんだ。
 それが度を超えた暴力でも、優しさに満ちた童話でも、悲劇でも、喜劇でも」

「へぇ」
「きっと色んなものを見て来たんだと思った。
 あんたの物語はどこまでも自由で、
 何にも怖いもんなんて無いんだろうって。・・・おれはそれが、羨ましい」
「だから利用したの?随分勝手ね」

が冷たく言うと、サボは唇を噛んだ。

「悪いと思ってるよ。懸賞金がかかる程の大事になるとは思ってなかったから」

が口を開きかけた、その時だ。
いつのまにか水色の制服を纏った海兵がずらりと、サボとを囲んでいた。

「・・・革命軍のNo.2、参謀総長サボに、”小説家”だな?」

銃口を突きつけられると、サボはを背に庇うような仕草を見せる。
は眉を上げる。
海兵を指揮する将校が声を荒げた。

「大人しく捕まれ!それにしても、やはり革命軍と通じていたのだな、!」
「・・・ねぇ、どうしてくれるの?」

サボのコートの裾を引き、が言うと、
サボは眉根を寄せ、苦渋に満ちた表情で囁く。

「・・・本当に、すまねェ。だが、必ずここから逃がしてやる!」
「抵抗するつもりか!」

いよいよ銃のセーフティに手がかけられるその時、サボの後ろに居たはずのが緩やかに動いた。

「おい、下がっててくれ!あんたを巻き込んだ上に殺されたら、おれは、・・・!?」

サボは思わず絶句した。そこに居たのは老婆ではなく、切れ長の目をした女だった。
海兵にも動揺が走る。その変貌は一瞬の出来事だったからだ。

「なんだ!?老婆が若い女になった!?」
「一体全体どうなってやがる!」
「・・・おい、あれは、”人食い”じゃねェか!」

海兵の一人が叫んだ通り名に、その場にいた全員が女の顔を注視する。
レースの詰め襟、ドレープの美しいミニスカートを纏う、
その女は恐ろしく淫らな仕草で持っていたロリポップキャンディを舐めた。

「そう呼ばれることもあるわね」

はうっとりと微笑む。

「私が物語を書くのは、そうしたいという渇望があるから。
 私が人を殺し、食べるのも同じこと。
 筆を折るなんて考えたことも無いわ」

その言葉がサボがした質問の答えだと気づくのに、サボが気づくまでしばしの時間を要した。
はくすくす笑いながら前に出る。

「世界政府が私の書くものを認めようが認めまいが、
 私の”食事”が許されないことだと断じようが何をしようが、
 私は止まらないし、止められないわねぇ、あなた達じゃ」
「何だと・・・」
「撃ってご覧なさい、この私を」

はキャンディを齧る。ガリっ、と大きな音がした。

「ほら、出来ない?」

その目にあからさまな挑発を浮かべたに、将校のこめかみに青筋が走った。
サボが「よせ!」と制止するのが早いか遅いか、銃の引き金を海兵達は一斉に引いたようだった。
だが海兵達の期待は裏切られる。
海兵達自身の悲鳴によって。

全員の銃が暴発したのだ。

一瞬にしてその場は地獄絵図と化した。
腕が吹っ飛んだ海兵、運悪く頭まで撃ち抜いて即死した海兵たちの散々たる光景を見て、
指示を出した将校は唖然とした。
誰の銃もを撃ち抜けはしなかったのだ。

は目の前の惨劇を見てなおもけらけらと笑った。
笑って歌うように言う。

「砂糖菓子の弾丸は、熱で溶けて撃ち抜けない。
 だから弾詰まり、”ジャム”を起こして暴発する。
 バァンってね、血と肉、脳漿が飛び散るの。砂糖に変えればどれも美味しい。
 イチゴ”ジャム”と、ハイファットクリームチーズ、ピーナッツバターの風味。
 ・・・朝食にぴったり」

倒れ臥した海兵の血を砂糖に変え、指で掬って口に運ぶに、
サボと将校はおぞましい戦慄を覚えていた。

「私はシュガシュガの実の砂糖人間。甘党なの。
 ねぇ、知ってる?
 人の目玉を砂糖に変えるとね、瞳の色で味が変わるのよ。
 サボ、あなたはきっとナッツみたいな味がするわ。
 そっちの将校さんはまぁ!紫の目!グレープね。滅多に居ないのよ」

何が嬉しいのかうっとりとした仕草で側に寄ったに、まだ若い将校は歯の根を鳴らしていた。
今のの瞳は捕食者の瞳をしている。
低く、囁くような声で、は笑いながら海兵を脅した。

「銀のスプーンを持っていたなら良かった、・・・その目を抉って綺麗に食べられたのに」
「ひっ」
「おい、そこまでする必要ないだろ!」

気絶した将校にトドメを刺そうとしたが、阻まれて は振り返る。
サボがの肩を掴んでいた。

「・・・痛いわ」

が眉を顰めたのを見て、サボはその手を離す。
だが、それが間違いだったのだ。

今度はがサボの手を取った。
手袋の肌触りがやけにざらついたものに変わっていて、サボは目を見開いた。
ぼろぼろと崩れ去る手袋、露になった指先に、がかじり付いたのだ。

まるでキスするような仕草に呆然としたサボだったが、次の瞬間走った鋭い痛みに、
眉を顰め、の手を振り払って距離を踊らせていた。

人差し指の爪が一枚、剥がれている。

は微笑んだ。

「うふふふふ、甘ったるい」
「何するんだ、いきなり!」

サボが怒気を滲ませるのに構わず、は続けて感想を述べる。

「甘くて、重くて、もたれそう。
 大味で子供っぽい。でも時々無性に食べたくなるの。
 クローテッドクリームみたいね。
 私はあれをジャムと一緒にスコーンに塗って食べるのが好きよ」

の言い草に、サボは言葉を無くす。
本気で人のことを食材か何かだと思っているのだと、サボはようやく理解したのだ。
警戒も露にを睨み上げると、は少々残念そうに首を振った。

「その髪もハニーブロンド、蜂蜜みたいな味がするんでしょうね。
 火傷も香ばしくて、独特の風味があるの。私は嫌いじゃないわ。
 ああ、あなたが私のファンじゃなかったなら、喜んであなたを料理したのに、
 残念だわ。・・・食べちゃいたいのに」

甘い囁きにサボの背筋を這い上がるのは悪寒だったのだろうか、
恐怖だったのだろうか、それとも別の感覚だったのか。

サボは竜爪拳の構えを取った。
その目に複雑な色合いを浮かべながらも、迷いは断ち切ったようだった。

「おれを、殺しに来たのか、
「うーん。最初はきちんと”料理する”予定だったのだけど」

は頬を抑えて困ったように眉を八の字にしてみせた。

「君は随分熱心なファンのようだしね。私、読者は大切にするようにしているのよ。
 でもね、サボ君。次は無いわ。
 私の本を、私に許可なく政治的な思想に染め上げるのは許さない」

の瞳には、冷静な怒りがあった。
狂気に満ちた人食いの側面がなりを潜めている。
サボはぐ、と言葉に詰まる。

はその様子を見てシニカルな笑みを浮かべた。

「竜の爪を一枚いただけたのだから、この位で容赦しましょう。
 次に下手なことをしたなら、うふふ、朝食にしてあげる」
「・・・ごめんだな、そんなのは」

サボが冷たく言うと、は高らかに笑いながら手を振って去って行った。
その背を見送り、なんとなく渡された手配書をみたサボは、
心臓が大きく高鳴ったのを自覚した。

、あいつ・・・!」

手配書に美しい筆記体で書かれたサインに、サボは手配書を破り捨ててやろうかと、
一瞬紙を強く握ったが、凄まじい握力を誇るはずの拳は結局一枚の紙も破ることは出来なかった。
皺になった手配書を手で伸ばし、サボは息を吐いた。



は客船でグレープの砂糖漬けを食べながら、
特別に作らせたメニューが運ばれてくるのを待っていた。

銀色のスプーンで白い球を口に運び、舌で転がし、奥歯で潰す。
カシュっと弾けるような音がして、葡萄の風味とシロップのような甘みが口の中に広がった。

グレープも悪くは無い。
だが、の一番の目当ては違う。

ヘーゼルナッツの入ったスコーン。
付け合わせはクローテッドクリームと蜂蜜。
飲みものは紅茶だ。セイロンとオレンジペコのロイヤルブレンド。

ようやく運ばれて来た朝食に、は微笑んだ。
スコーンに、クリームと蜂蜜を塗る。

指で摘んで口に運んだ。

さっくりとしたスコーンはほろほろと口の中で崩れた。
クリームがパサつきを補って口当たりがまろやかになる。
蜂蜜の上品な甘みに舌鼓を打ち、ごろごろとしたナッツの香ばしい触感を楽しむ。

「贅沢な朝食だわ」

感嘆のため息をついたが 客船の外を見れば、
朝日が眩しく、海は照らされ光っていた。