コットンキャンディ
「なァ、お前、指を舐られたことはあるか?」
マリージョアでの七武海会議までの空き時間、
暇を持て余したのか、ドフラミンゴは砂の国の英雄に尋ねた。
クロコダイルはドフラミンゴの質問を受けて不愉快そうに眉を顰める。
「いきなり何言ってやがる」
「フフフッ雑談くらい付き合えよワニ野郎。
噂じゃお前もファンだって言うじゃねぇか。
稀代の"小説家"・の」
クロコダイルは胡乱げにドフラミンゴを見返した。
「だから何だ? おれはテメェと読書談義する気はねェぞ」
「フッフッフッ! 安心しろよ、おれだってその気はねェ。
だが、クロコダイル、お前をどこまで知ってる?」
ドフラミンゴはクロコダイルが、
のパトロンの1人であることを知っているらしい。
クロコダイルは聡明で上品な老婆の書く物語が好きである。
の紡ぐ言葉には特別な霊感が籠っているようだった。
例えば葉巻と、上等の酒とともに言葉に浸れば、気分が和らぐ。
そういうものをもっと見たい。
そう願い出資者になったが、
小説家本人を深く知りたいと言う訳でもない。
クロコダイルはただ、の才能を愛でたいのだ。
ちょうど芸術品を鑑賞するのと同じような感覚である。
「なにも」
だからクロコダイルはドフラミンゴの意味深な問いかけに素直に返した。
ドフラミンゴはいつものニヤニヤ笑いのまま頬杖をついてみせる。
「つまらねぇなァ、だが、そうなんだろう。
・の正体を誰も見たことはねェんだ」
「お前は知ってる口ぶりだな」
ドフラミンゴは口の端を吊り上げる。
「良いこと教えてやるよワニ野郎。
・は"人食い"だ」
※
ドフラミンゴが最初にその小説家と会った時、感じたのは違和感だった。
美しく歳を重ねた老婆は上品にドフラミンゴに挨拶し、
ストーリーテラーとしてドフラミンゴを満足させたが、
ドフラミンゴは・が秘密を幾らか持っていることを勘付いていた。
会話の端々に僅かな隠し事の香りが漂っていた。
ドレスローザの王宮、謁見の間で行われた最初の会食で、
ドフラミンゴが援助を申し出ると、はあっさりと受け入れる。
そもそもは、ドフラミンゴに対し、
構えることも無ければ、特別に畏まるわけでもなかった。
まがりなりにも海賊と2人きりであるにも関わらずだ。
「フッフッ、海賊、悪党をパトロンにしても構わないのか?」
ドフラミンゴが問いかけるとはくすくす笑いだす。
「あら、面白いことを仰るのね。
私は小説家ですよ、ドフラミンゴ王。
立派な悪党ですわ、見方によってはあなたよりもよほどね」
「・・・ほう?」
首を傾げたドフラミンゴに、
は顎の下で指を組む。
「何人殺したのか覚えてない位ですもの。
戦争も手引きしましたし、災害も起こしました。
人々に試練を与え、恋人達を引き裂き、
親子の情を試し、友人たちを裏切らせた。
物語を引き立たせるために、ありとあらゆる残酷な手段を使いましたわ」
切れ長の目が緩やかに細められる。
ドフラミンゴの口角も上がっていた。
紙の上で神の如く、悪逆を尽くす小説家は、現実ではどんな人間なのだろう。
ドフラミンゴは好奇心を覚えていた。
それを予期した様に、は悪戯っぽく笑って見せる。
「ウフフ、悪党同士、仲良くいたしましょう?」
※
何度目かの邂逅を経て、秘密の香りが色濃くなっていく。
それに伴い、ドフラミンゴの好奇心も増していった。
新世界を何度も行き来する程の並外れた資産。
迎えに行くたび、違う船では現れる。
ドフラミンゴは半ば確信じみた疑念を覚えていた。
・は”悪党”だ。
十中八九、紙の上でなくとも。
そして、5回目のやり取りでは子供の姿をとって見せたのだ。
「フッフッフッ! 悪魔の実の能力者だったか!」
「私はシュガシュガの実の砂糖人間。
ご存知の通り甘党なのです。ドフラミンゴ王」
会食の際にいつもデザートを幸福そうに食べるので、
の嗜好はドフラミンゴもよく知っている。
しかし、砂糖人間が年齢操作できるとは面白いと、ドフラミンゴは顎に手を当てる。
「どういう仕組みで砂糖人間は若返る?」
「"甘さ"が抜けるか、抜けないかですわ」
は子供らしく、供されたアイスクリームを頬張っている。
「子供の姿の時が標準になります。
故に、この姿の方が楽なの。
この実を食べてすぐに、子供の格好になったわ」
「なるほど。なら、老婆の格好の時が
甘さが無いってことになるのか?」
ドフラミンゴの揶揄に、は首を横に振る。
「意外でしょうけれど、一番甘さが残っているのがあの姿なんですよ。
人生の酸いも甘いも噛み分け、なお泰然と生きる。
他者に分け得る程の甘さと余裕がなければ、
あの姿になることはできないのです」
ドフラミンゴは首を傾げた。
「なら、甘さがねェ時はどうなる」
は微笑んだ。
「ご覧になりますか」
ドフラミンゴが頷くと、は一瞬で妙齢の女に姿を変えた。
思わず息を飲む。いつだか手配書に見た顔だ。
「『人食い』・・・?!」
「あら、ご存知だったの?」
は足を組み、優雅な所作で首を傾げた。
長年政府の追う殺人鬼。それもただの犯罪者ではない。
人を調理し食べる女。
確認されているだけで30人はこの女の腹に収まっている。
実際はそれ以上に殺しているだろう。
「甘さを削ぎ落とすとこうなるのです。
・・・それもそうでしょうね。
人生に置いて最も欲深く、狡猾で、餓える時期だわ」
自身の手入れされた爪を眺めた後、
はドフラミンゴをまっすぐに見つめる。
「でもあなた、薄々私の正体には勘づいていたのではなくて?
ドフラミンゴ王、そうでなくては、」
は指を軽く振る。
糸が解ける様に、ドフラミンゴの指先が無くなっていった。
「お人形さんを寄越す必要はないでしょう」
解けた糸が砂糖に変わる。
砂糖がまた違う柔かな輪郭に変わっていく。
まるで魔法のようだった。
つい先ほどまでドフラミンゴが座っていた場所に、
綿菓子が一塊、できあがっている。
拍手と哄笑がその部屋に響いた。
「フッフッフッフッフッ!
見事なもんだ。おれを綿あめにしちまうとは!」
どこから見ていたのか、壁に寄りかかるドフラミンゴに、は軽く会釈する。
は綿菓子をひとつまみ掴むと、ためらいなく口に運んだ。
「上質な砂糖で作れば、コットンキャンディも特別な味わいになるのよ。
純粋な甘さは癖が無くて素晴らしいものだわ。
ソーダに浮かべても、カクテルに浮かべても美味しいの。一口いかが?」
「フフフッ、遠慮しておこうか。
まさか、お前が覚醒の境地に至った能力者だとは・・・、」
は首を傾げ、甘く囁く。
「そう、おっしゃらずに」
ドフラミンゴの顔から笑みが消えた。
寄りかかっていた壁そのものが砂糖になったようだ。
——身動きが取れない。
「私のことを知りたがっていたでしょう」
「・・・フフフ、気に触ったか?」
どうやら秘密裏にの身辺調査をしていたつもりがバレていたらしい。
しかし、は首を横に振る。
「秘密があれば暴きたくなるのが人の性。自然なことだわ。
随分と深く私に踏み込んで来たものだから、特別に、
あなたの探り当てた私が”本当”かどうか、答え合わせをしてあげましょう」
いつの間にの手には書類が握られていた。
ドフラミンゴが部下に調べさせた、の記録だ。
「『小説家、・は悪魔の実、シュガシュガの実の能力者で砂糖人間』
——ええ、お見せした通り」
「『身内は居ない、収入源は印税とパトロンからの援助』——そうね」
「『生活拠点はグランドライン、天竜人とのコネクションがあり、
マリージョアを介しての通行がほぼフリーパス状態』——その通り。よくご存知ね」
「『が16の頃、弟、パンプキンが死亡。死因は刺殺。
が殺害に関与した疑いがある』——そうよ」
ドフラミンゴには近づいた。
砂糖の壁が否応無く、ドフラミンゴを膝立ちにさせる。
ドフラミンゴは怪訝に眉を顰めた。
から、殺意や敵意は感じなかった。
「私は可愛い弟を」
の指が、ドフラミンゴの唇に触れた。
薄桃色に色づいた綿菓子が柔らかく押し付けられる。
「ちょうどこんな風に、食べてしまったわ」
甘すぎず、淑やかな甘さが口の中に広がった。
恐ろしくなるほど美味だった。
それが分身の成れの果てと知っていても。
「美味しいでしょう?」
の声は落ち着いている。
いつの間にサングラスを外されていた。
「真っ赤な瞳ね、クランベリーかしら、ストロベリーかしら。
蕩けたバター、冷たくて甘いアイスクリーム、
甘過ぎないコットンキャンディ、煌びやかなシャンパン・・・ごちそうだわ」
「・・・おいおい、本気か?」
の検分するような眼差しに我に返って、
ドフラミンゴが問いかけるとはくすくす笑いだす。
「あら、相変わらず面白いことを仰るのね。
『本気か』ですって?」
は切れ長の瞳を細めて囁いた。
「本気にさせたのはあなたでしょう」
瞬間、ドフラミンゴは自身の小指を切り落としていた。
血が噴き出し、の頬を汚した。
ドフラミンゴは口の端を上げてみせる。
しかし内心は動揺と驚愕、そして少しの恐れに揺れていた。
今、こうでもしない限り”正気”で居られなかった。
に身を任せても構わないと、一瞬でもそう思ってしまった。
の手管によって危機感を持てない、そんな異常な状態に陥っているのだと、
本能が警戒音を鳴らしていた。
「ならおれも、本気で抗うことにしよう。
指の一本で始末をつけてくれないか?」
は差し出された小指を受け取った。
そしてその指を、飴でも舐める様に咥えてみせる。
その光景のもたらす奇妙な恍惚とおぞましさにドフラミンゴは眉を顰めていた。
「ウフフ・・・では、遠慮なく。
ところで、治るあてでもあるのかしら?」
「なぜそう思う」
「そうでなければ、あなたは指を落とすような人では無いと
よく存じ上げているからよ。ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
ドフラミンゴはの泰然とした笑みを見て、口角を下げる。
「・・・どこからアンタの描いたシナリオだ?」
はドフラミンゴの好奇心を煽った。
己が殺されないギリギリのラインを見極め
ドフラミンゴに己の指を”差し出させた”。
おそらくはの思惑通りに。
「ウフフフフ!」
は笑ってはぐらかしてみせる。
ドフラミンゴの小指を齧り、小首を傾げた。
「私は”小説家”、”人食い”、”美食家”、そして”悪党”。
それぞれに私なりの作法があるのよ。
例えば、人間にも鮮度と言うものがあるわ」
はうっとりと微笑む。
「それは年齢や、肉体の美醜に関わらない。
好奇心、興味、インスピレーションを揺さぶって来る”何か”。
それが鮮度に相当するの。
私はいつでも新鮮なものに触れていたい。
それが人間であれ、食材であれ、ね。
それに触れて、心が動いた時にこそ、真の快楽は生まれるのだから」
小指の爪を舐めて、はドフラミンゴの目を覗き込んだ。
「あなたが私に踏み込んだ時、私の心は確かに動いたのよ、
ドフラミンゴ」
ドフラミンゴは笑った。
まんまと一杯食わされたと言うのに、怒りよりも、喜びが勝っている。
「フッフッフッフッ!なるほどな、確かに大した悪党だ!
・!
おれはそんなに美味そうだったか?」
「ええ、それはもう。
出来れば余すところなく、味わいたいと願う程度には」
「言ってくれる。
フフフフフッ! なァ」
ドフラミンゴは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「悪党同士、”仲良く”しようぜ」
※
「・・・それで?」
クロコダイルは葉巻をふかし、ドフラミンゴを横目で一瞥した。
「あの小説家は詮索や深入りを嫌う女じゃなかったか?
ましておれにその”正体”とやらをばらしたなら怒るだろうよ」
「そうさ。だが、人間怒っている時が一番素直だぜ。
何が許せないのか、何をしたいのかが明確になる瞬間だからな。
おれは”甘くない”が苦手だが・・・」
ドフラミンゴは腕を組む。
「時々は怒らせてみたくなるんだ。フッフッフッフッ!」
クロコダイルは眉を顰める。
まるで子供の様に己の好奇心に忠実なドフラミンゴに、
奇妙な苛立ちを覚えていた。
またそれに付き合わされる小説家にも同情している。
しかし、クロコダイルは思い直した。
あの稀代の小説家は全てを見通し、
笑って受け流すのだろうという予測がついたのだ。
掌で転がされているのは、ドフラミンゴだろうか、
あるいは全てをドフラミンゴが承知だと言うのなら、の方だろうか。
クロコダイルはどちらにせよ全く己には関係のない話だと断じ、一笑に付した。
今度に会う時は、何か甘いものでも差し入れてやろうと思いながら。