You Don’t Need Me
北の海。
ドンキホーテファミリーの所有する賭場。
そこにドフラミンゴ自らが足を踏み入れたのは、荒稼ぎしていると言う少年の噂を聞きつけたからだ。
百戦百勝とはいかないが、それに近い勝率を誇るのは何と9歳の少年だと言う。
丁度手が空いていたのと、ベビー5やバッファローと言った海賊団の子供にも仕事を覚えさせようと、
ドフラミンゴは二人を引き連れてカードを見つめる少年の背後に立った。
「よォ小僧、お前が”ディーラー”か?」
ゲームの支配者である”ディーラー”と呼ばれている少年。
振り返ったその顔を見て、ドフラミンゴはサングラスの下で僅かに目を見開いた。
薄汚れていても、秀麗な顔立ちの子供だった。
赤銅色の髪と、揃いの瞳がドフラミンゴを射抜く。
ベビー5も、バッファローも驚いて息を飲んだように見えた。
「・・・ああ、そうだよ。兄さん、おれと勝負がしたいのか?」
変声期前のソプラノの声。そのあどけなさに反して目だけは抜け目なく輝いている。
反骨精神と、怒りと絶望。その全てを生命力に変えているようなぎらついた目。
第一印象は悪くない。
ドフラミンゴは笑う。
「そうだ」
「なら、何か賭けよう。そうじゃなきゃおれは博打はしないと決めてるんだ」
生意気にもドフラミンゴにそう言い放った少年はさりげない動作でドフラミンゴを値踏みした。
それに僅かに眉を寄せたが、ドフラミンゴはいつもの笑みに不快感を隠して見せる。
「お前の望むものを賭けてやるよ、何が欲しい?」
「そうだな。・・・アンタのカフスボタン。それがいい」
ドフラミンゴは口の端をつり上げる。
ドンキホーテ・ファミリーの海賊旗の入った金のカフス。
それは言わばドンキホーテ・ファミリーの代紋だ。
これを手にすれば、この少年はドンキホーテ・ファミリーの権威を傘に好き勝手できるだろう。
良い度胸だ。
ドフラミンゴの声に冷ややかな響きが籠る。
「目敏いガキだ。
それで?お前はこれの代わりに何を賭ける?」
「全部だ」
少年は静かに、囁くように言った。
「おれの全部を賭ける。命も身体も。
おれが負けたら、殴ろうが犯そうが殺そうが、アンタの好きにしていい。
おれの有り金を奪っても良いし、身ぐるみ剥いで見せ物にしても、
人身売買に出して、おれをはした金に変えても構わない」
ドフラミンゴの後ろに控えていたベビー5、バッファローが気圧されたように瞬いた。
少年は本気だった。
「フッフッフ!本気か?」
「本気だ。アンタにとって、そのカフスと、それの意味は、そう言うもんなんだろ?」
少年はドフラミンゴを見つめている。
人の顔色を伺い慣れた、小賢しい目つき。
「おれは、釣り合いの取れない賭けはしないんだ。
おれの命なんて、アンタにとってはゴミと同じかもしれないが、
おれにとってはこれしか無い、かけがえのない、唯一無二のものだ。
・・・長話が過ぎたな。始めよう、バカラで良いか?」
※
少年の提示したゲーム”バカラ”のルールは簡単。
2枚もしくは3枚のカードを引いて合計点数の下一桁の数字が9に近い方が勝ちだ。
直接勝負するわけではなく、プレイヤーが勝つかバンカーが勝つかを予想する。
バンカーはバッファローが行った。
プレイヤーは少年”だった”。
今、その少年は、腕から血を流して地面に倒れ臥している。
「悪戯が過ぎたようだなァ、お前、悪いことしちゃあダメだって母親に教わらなかったのか?
イカサマで荒稼ぎは充分にその範疇だろうよ」
少年は切りつけられた腕を抑えて息を荒げている。
その手の平は刃物のような煌めきをおびていた。
「スパスパの実の刃物人間?いや、違うな。刃物じゃねェ。
・・・鏡か。道理で手札が読まれる訳だ」
き、とドフラミンゴを睨みつけた少年の手を踏みつけ、ドフラミンゴはその顔を覗き込んだ。
「おい、ガキ。一つ教えといてやるよ。
悪いことってのはいつかはバレるもんだ」
「・・・なら、おれも教えてやるよ。
アンタ『悪いことはダメだって母親に教わらなかったのか?』って言ったな?
おれにイカサマを教え込んだのはその売女だよ・・・!」
己の母親を口汚く罵って、子供は笑った。
ドフラミンゴを鋭い目つきで睨みつけながら。
「性根の腐りきった女だった。あの女の血がこの身に流れてることが苦痛だ・・・!
どこの母親が息子に身を売らせる?薄汚いクソジジイ共への媚びの売り方を教える?
盗みの、殺しの仕方を覚えろと迫る?
おれに群がってくるクズみてェな大人にはほとほとうんざりしてるんだ。
殺すなら殺せ、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。おれは全部受け入れてやるよ。
いつもとなにも変わらない。全部が終わるんなら、そっちのが楽だ」
心底から絶望しきった少年は奥歯を噛んで笑みを浮かべた。
ドフラミンゴは目を眇め、少年の手を踏みつけていた足を外す。
「お前、名前は?」
少年は突然態度を変えたドフラミンゴに怪訝そうに首を傾げる。
しかしその口は素直だった。
「ねェよ。強いて言うなら”お前”とか”あれ”ってのが名前だった」
「お前の言う母親はどうしてる」
「さァ、おれの稼ぎよりマシな相手のとこに転がり込んでるんじゃねぇのか?
捨てられたガキに、居場所なんて検討もつかねぇよ」
ドフラミンゴは少年を見下ろした。
そこに場違いな声が響く。
「・・・かわいそう」
子供らしい声だった。
それに虚をつかれたのか、少年が顔を上げる。
呆然としていた。
「は?」
バッファローが困惑しきった顔でベビー5に問いかける。
「ベビー5、お前、何言ってるだすやん?」
「だって、この子、かわいそうよっ」
「・・・お前、おれの何を知ってものを言ってるんだ」
声を上げたベビー5に少年はますます訝しむような顔になる。
「かわいそうなものは、かわいそうだと思ったんだもの!
ひ、必要とされないのは!つらいって知ってるから・・・!」
ベビー5は涙ぐんでいた。
少年の目が一度大きく見開かれる。
一瞬その顔が泣きそうに歪んだと思ったが、ドフラミンゴの見間違いだったか、
すぐに不機嫌そうな顔になって黙り込んだ。
「フッフッフ!
イカサマがバレたってことは、おれの勝ちだな、””」
「””?」
ドフラミンゴが唐突に呼んだ名前に、
少年は傷が痛むのか、こめかみに脂汗を滲ませながら首を傾げる。
「ファミリーに入るなら、呼び名がなけりゃあ、不便だろう」
「・・・なんだって?」
少年、は信じられない、と言わんばかりに目を瞬く。
「おれはアンタのシマを荒らしたんだぞ」
「フフフッ、このおれに対して一歩も引かねェ度胸。
その歳で身につけるには過ぎた賢しさ。
・・・お前を育てりゃ将来面白いもんが見れそうだ」
ドフラミンゴは膝を着いてに目線を合わせる。
を糸で斬りつけたのと同じ手を差し伸べる。
「おれと来い。お前が好きなように生きれる道を、おれは与えてやれる」
は視線を彷徨わせた。
地面を睨み、バッファロー、ベビー5を見つめ、それからゆっくりとドフラミンゴに視線を合わせる。
「賭けに負けたなら、おれをどうしようとアンタの自由だ。
それにしても、物好きだな・・・ドフラミンゴ船長」
※
「おはようございます。ドフラミンゴ船長」
耳障りの良い低い声がドフラミンゴの朧げな意識を覚醒させた。
カーテンを開け、朝日を部屋に迎え入れ、”執事長”は愛想良く微笑む。
薄汚れた身なりの子供はもうどこにも居ない。
秀麗な顔立ちの少年は理想的な成長を遂げたように思える。
狡猾で冷徹。身内には甘い一面も見せ、与えられた仕事はよくこなす。
今ではドフラミンゴの最も信頼する部下の一人だ。
その働き振りはドフラミンゴが最高幹部に準ずる扱いをするほどである。
最も、今のの仕事は眠気の誘惑にかられるドフラミンゴを
寝台から引きずりだすことだったが。
起きる気配の薄い主には慇懃な口調で告げる。
「起きてください、船長。
本日も忙しい一日なんですから
ご予定は10時から始まり、」
「全部キャンセルしろ」
ドフラミンゴの苛立ったような声音に言葉を遮られ、は腕を組んだ。
使用人らしからぬ不遜な態度だが、妙に様になっている。
「かしこまりました。
ドエレーナ王国要人との銃火器の取引、人工悪魔の実”SMILE”工場の視察、
薬物密輸取引についての最終確認、七武海の定期召集、シュガーとのお茶。
すべて不参加と言うことでよろしいですね?
多大な損害が発生するかと思いますが。
・・・特に面倒なのが機嫌を損ねたシュガーの相手だと思うんだが、どう思う?」
眠気覚ましの濃いコーヒーをサイドテーブルに置きながら、
は常の不敵なもの言いに戻っていた。
ドフラミンゴはようやく半身を起こして息を吐く。
「・・・ああ、わかった。降参だ。起きれば良いんだろ、。
定期召集はそのまま不参加で良い。あとは全部出る」
「了解。手紙が何通か来てたぜ。契約書類も多々あったな。
とくに重要そうなものを選り分けたから朝食後に目を通すことをお勧めする」
「フッフッ!いつもながら流石の仕事ぶりだな」
「当然だ」
薄い唇に笑みを浮かべ、信頼に応えるはほぼ”完璧”と言って良かった。
ある一点の悪癖を除いては。
「!」
穏やかな朝の時間を切り裂くように、女の怒りの声がその場に響いた。
ドフラミンゴはを呆れたように見やる。
はその唇に弧を描いていた。
「おい、朝っぱらからよせよ、。お前、ベビー5に今度は何をした?」
「またろくでなしの男に引っかかってたもんだから相手を殺した。これで4人目だ」
そんな会話の最中、扉がバズーカで破壊される。
衝撃と爆音が響き、ドフラミンゴはまたはじまった、と
騒ぎには構わず身支度を整えようと洗面台に向かった。
ベビー5がその目に涙をたたえ、を睨み上げる。
「!あんた何の権利があって私の婚約者を殺したの!?」
「黙れ。ここをどこだと思っている。
船長に迷惑をかけるな、ベビー5」
が怜悧な表情を浮かべると、ベビー5は僅かにたじろいだようにも見えた。
だがすぐにキッとを睨み上げ、言葉を続ける。
「か、関係ないわ!あの人は、私を必要としてくれたのよ!あの人のためなら、私は・・・!」
は残忍な表情を作り上げ、ベビー5をせせら笑った。
「ああ、お前に『愛してる』とほざいた男がおれに最期、何て言ったか教えてやろうか?
『あんな女どうでも良い、借金を肩代わりさせたかっただけだ。命だけは助けてくれ』だとよ」
ベビー5は唇を噛み締め、ついには涙を零し始める。
は笑みを深めた。
「お前は本当に、馬鹿な女だ、ベビー5」
「うるさい!死ね!!」
その足をガトリングに変え、銃撃して来たベビー5に、は手をかざした。
”リフレクション”
ミラミラの実を食べた鏡人間の真骨頂。
攻撃を反射させることができるの能力は、無駄が無く、美しい。
跳ね返った銃弾は王宮の壁にめり込んだ。
その隙に近づいて来たに足払いをかけられ、床に倒れるはめになったベビー5。
その腕を踏みつけて、は無表情にベビー5を見つめる。
ベビー5は悔しそうに唇を噛んだ。
は腕を組んで言う。
「おれはお前が嫌いだよ、ベビー5。
必要とされりゃなんでもする。主体性もプライドも無い。
・・・物事や言葉の表面だけを撫でて、本質を理解しようともしない。
その態度が気に入らねェ」
遂に嗚咽を零して泣き出してしまったベビー5を見下ろし、は甘ったるく囁いた。
「自分を必要とする人間になら自己犠牲を厭わない。
自分を大事に出来ない人間が、他人を大事に出来るとでも思ってるのか?」
「何を、言ってるの・・・?」
ベビー5の顎を靴先で小突き、は笑う。
「お前の望む言葉をかけてやろうか。ベビー5。
”おれにはお前が必要だ。”
だからおれの与える苦痛に泣きわめいてくれ、その顔が見たい」
いつもなら、そんな言葉をかけられれば、どんな状況であっても頬を染め、
「私、必要とされてる?」と喜ぶベビー5が、の言葉には深く傷ついたような顔をする。
常のやり取りにさっさと身支度を済ませていたドフラミンゴが声をかけた。
「その辺にしとけ、。
ベビー5。に勝てると思うのが間違ってるんだ。仕事に戻れ」
「うぅ・・・」
涙を拭いながら、ベビー5はとぼとぼと部屋を後にする。
その背中を見送ったドフラミンゴがに呆れの籠った眼差しを投げかける。
「お前もそれさえなけりゃな・・・」
「何か問題でも?この部屋なら午後には元通りにしてみせるが」
は薄い唇をつり上げ、伏し目がちに笑った。
冷艶な鋭さを纏わせて笑う男だ。
「もう好きな女を虐めて楽しむような歳でもねェだろ、」
ドフラミンゴの咎めるような言葉には喉の奥を震わせた。
その目には嗜虐的な色が見える。
その辺の女なら一撃で誘惑されるだろう顔を作り上げ、
はドフラミンゴに素顔の片鱗を見せた。
「いつまでたっても男はガキだ。
分からないとは言わないだろ、ドフラミンゴ船長」
つまり、はベビー5が好きなのだ。
いつからだとか、そういうことをドフラミンゴは聞いたことが無いが、
まだが幼いころ、
ベビー5に辛く当たるを咎めたときから、見せた執着は、根深かった。
「分からんでもねェが、お前回りくどいにも程があるぞ。
素直に言えばそれで済むだろ、お前なら」
「さァね。ただ」
は不敵に笑う。
「おれはベビー5が、おれのせいで泣いてるのを見るのがこの世で一等好きなんだよ」
それはほの暗い情念に満ちた言葉だった。
ろくでなしの男にばかり好かれるベビー5。
その筆頭がなのかもしれないと、ドフラミンゴは思い当たる。
「・・・あいつ、そもそも男運がねェんだな」
「言えてる」
しみじみと呟いたドフラミンゴに、自身のことながら同意の言葉を返して
は息を吐いた。
「おれみたいなのにうっかり同情したりするからいけないんだ。
その癖あいつはごく普通に、誰かの花嫁になって幸せになりたいって言うんだから救えねェ」
「お前が花婿になってやれば良いだろう」
は苦みを含んだ表情を形作る。
遠くを見ているのは、その想像をしたからだろうか。
ドフラミンゴの思い描く未来では、仲睦まじく笑い合う二人もあり得なくはないと思うが、
の描いた未来は違うらしい。
「・・・そうだなァ、毎日あいつを虐めて苛んで可愛がるのも悪くはねェが、
それはあいつの望む”幸せ”とやらじゃねぇのさ。
だから黙っててくれよ、ドフラミンゴ船長」
は密やかに囁く。
「あいつに”必要”なのは、おれじゃない」
ドフラミンゴは一度言葉を飲み込み、小さく笑った。
は賢い。
大抵のことが出来る。
人の心を読み取り、先んじて動くことも、
人を楽しませる方法も、苦しませる方法も知っている。
その力と、悪魔の実の能力。
その二つを持ってして、はドフラミンゴの懐刀となった。
しかし、は、愚かだ。
ドフラミンゴは頬杖をつきながら、哀れみと同情を込めて言った。
「難儀な男だ、お前は」
「人間、ちょっとした欠点があったほうがそれらしいとは思わないか、船長」
自覚もあるくせに改める気は無いらしい。
この天邪鬼な男が素直になる日を待ち望む一人としては、全く残念なことである。