懐刀と右腕


「なんだ、新入りはまたガキなのか」

ドンキホーテ・ファミリーで食卓を囲む最中、そんな言葉がローの耳朶を打った。
ローを指してガキだと言ったその声もまだ美しいソプラノの声だ。
イライラとその声の主を見てローは思わず息を飲む。

燃えるような赤毛の、秀麗な顔立ちの少年だ。
白いシャツと黒いズボンはよくアイロンがかけられていて、
似たような格好をしているが薄汚れているローとは対照的に見えた。
背はその少年の方が高いだろうか。
良く躾けられているのか、上品な所作でフォークとナイフを使っている。

少年の物言いを聞いて、面白そうにドフラミンゴが笑う。

、ガキだと言うが、ローとお前は同い年くらいだろう?」
「そうなのか?なァ、ロー?お前幾つだ?」
「10歳だ」

ローの答えにと呼ばれた少年は歯を見せて笑った。
笑うとその印象は少し柔らかくなる。

「へぇ、本当に同い年だな」

の答えに、ドフラミンゴは少し考えるようなそぶりを見せると、
に命令した。

「なら、お前が暫くは面倒見てやれよ、
 おれはまだそいつを一員に迎えるかどうかは決めかねている。
 お前もそいつを見定めてやれ」

「ん?・・・ああ、分かりました。ドフラミンゴ船長」

はドフラミンゴに丁寧な口調を作り、改めてローに向き直った。

「そう言うわけだ。よろしく、ロー」

ローは言葉を返しあぐねて黙りこんだ。
黙り込んだローを見てバイスがその異様な肌の白さに気づいたらしい。

「”珀鉛病”ざます!伝染ったら大変っ!」

ジョーラの一声に食卓がざわついた。
バッファローが戦くと、ドフラミンゴがテーブルを叩く。

「”珀鉛病”は中毒だ。他人には感染しねェよ」

ドフラミンゴの言葉に、ローは軽く息を飲む。
珀鉛病について正しい知識を持った大人に、ローは初めて出会ったからだ。

死体の山に身を潜め国境を越え、逃げるのに必死だったと
問われるがままに答えると、ドフラミンゴの口角が上がる。

「——何を恨んでる」
「もう何も、信じてない」

ローはそのまま言葉の矛先を、自分を散々痛めつけたコラソンへ向ける。

「おれは必ず、お前に復讐するからな・・・!!!」

それを聞いてむっとしたのはベビー5だ。
椅子から降りてローに食ってかかる。

「ちょっとバカなの!?
 あんた聞いてた!?そんなことしたらゴーモンよ!
 ”串刺しの刑”!海賊ナメるんじゃないわよ!!」

ローの頭を帽子ごと叩き、ベビー5はやれやれと言わんばかりに息を吐いた。

「子供ってバカだから泣いてあやまれば済むと思ってんのよね!!」

ローは叩いて来たベビー5を一瞥した。
殺意と軽蔑の混じった鋭い視線だった。
たちまちベビー5の目に涙が浮かび、バッファローに縋り付いて泣き出してしまう。

「——睨まれた位で泣いてるようじゃ、
 海賊としては失格だろうよ、”泣き虫ベビー5”」

せせら笑うようにが言った。
ベビー5はその声に肩を震わせ、ますますバッファローに縋り付いた。
周囲の大人達はまた始まったと言わんばかりに、に呆れた顔を向けている。

「おい、、お前は毎回毎回ベビー5に辛く当たるな」

セニョールがため息まじりに言うも、は肩を竦めてみせる。

「おれは間違ったことを言ったとは思わない。
 ・・・ロー、お前着いて来いよ。手当と、それから着替えを貸してやる」

はローに向けて言う。その顔を見て、ローは違和感を覚えた。
目が笑っていない。
赤銅色の瞳は細められてはいるものの、怒っている様にも見えた。

セニョールは額に手を当ててに言った。

「”天邪鬼”め」



「ひとつ、お前に言っときたいことがあるんだ。
 おれのモットーは”目には目を、歯には歯を”
 悪意には悪意を返すし、善意には善意を返すことにしてる。
 それからもう一つ」

はローを与えられた自室に招くとその横っ面を思い切り殴った。
予想だにしなかったのだろう、
その一撃に倒れ臥したローは唖然とを見上げる。

は拳を開いたり閉じたりしながら無表情にローを見下ろした。

「”ベビー5を泣かせていいのはおれだけだ”
 なァ、ロー、・・・覚えておいてくれるよな?」

 覚えてくれるまで何度でもおれはお前を殴るよ。

続けられた言葉は刃物のような冷たい響きがある。

その目の奥に、燃え盛る炎のような情念を見て、ローはぞっとしていた。
同い年の少年が持つには余りに激しい感情である様に見えた。

頷いたローを見て、は軽く息を吐くと、年相応の無邪気な笑みを浮かべた。
完璧に計算し尽くされた美しい微笑みだった。

「分かってくれるならそれで良いんだ。悪いな。
 着替えと手当だったか。ちょっと待ってろ」

はどこからかシャツとズボン、タオル、救急箱を持って来た。

「先に顔洗って来いよ。・・・いや、その怪我なら風呂の方が先かな。
 案内してやろうか」
「・・・お前」

ローは得体の知れないものを見るような目でを伺う。

「気色悪い奴だな」

はローの言葉に目を丸くする。
暫くすると腹を抱えて笑い出した。

「ははははっ、そんなこと言われたのは生まれて初めてだな!」

はクスクス笑うと、口の端をつり上げた。
皮肉気な、大人びた笑みだった。
おそらくこちらが素なのだろう。

「だが同感だな。おれもそう思う。
 ただ、ドフラミンゴ船長から世話焼いてやれって申しつかったんでな。
 ちょっと我慢してくれよ。
 まぁ、世話を焼くのはお前を一員に入れるまでの、少しの間のことだとは思うけど」

「・・・?おれをファミリーに入れるかは決めあぐねてると、
 ドフラミンゴは言っていただろ」

ローが訝しむ様に言うと、は軽く頭を振った。

「いや、多分時間の問題だろう。お前気に入られたんだよ。
 おれがお前と同い年だって聞いて、船長は何か考えてただろ?」

ローはそうだっただろうか、と思い返す。
は腕を組んだ。

「今は任務に出てて居ない幹部の一人が、船長と同い年で、
 最初は信頼の置ける友人だったらしい。
 お前とおれに、船長とその幹部と同じ様な関係になって欲しいんだろうよ」

の言葉には哀れむような響きがあった。
ローはが他のドンキホーテ・ファミリーの幹部や子供達とは
”何か”が決定的に違うことに気がついていた。
言葉にするのは難しかったが、
ひとまず、に妄信や忠誠と言う言葉は似つかわしくないのだ。

「まったく相性の問題もあるだろうにな。
 そう言うわけだ。世話を焼くのは終わっても、
 何かと組まされるだろうから改めてよろしく頼むぜ。
 気色悪いおれなんかで申し訳ねぇが」

眉を上げて笑うに、ローは頬を引きつらせた。

「根に持ってるのか」
「そう聞こえたか?」

はローの手を取って立ち上がらせた。

「お前病気なんだろ?おれはその手の知識には疎いが、
 免疫力も落ちてるはずだ。とりあえず風呂入って来いよ。
 破傷風とかになっても、面倒見させられるのおれだろうし、
 手間をかけさせられるのはごめんでね」



「ロー、お前ふざけんなよ」
「うるせェ」

コラソンをナイフで刺した後逃げ出したローだったが、
コラソンがどういう訳か黙っていたおかげで、ローは拷問を受けることもなく、
ファミリーの一員として認められることになった。

それで話が済めばローにとっても万々歳だったのだが、
腕を組んだに呼び止められた時には
面倒なのに捕まったとローは嫌な顔を隠せなかった。
その顔を見てはこめかみに青筋を浮かべていた。

「うるせェじゃねェよ。お前が逃げたらおれが監督不行届ってことになるんだ。
 しかもコラソン刺すとか何考えてるんだお前?バカか?」

にまで責任が及ぶとは考えてなかったし、
だとしても関係ないと言わんばかりにそっぽを向いたローに、はため息を吐いた。
思いの外、は怒っていないらしい。
よほどベビー5を泣かした時の方が恐ろしかった。

「しかし、バッファローの奴、お前に話したのか」

買収した意味が無い。
ローが苛立った様に言うと、は首を横に振った。

「いや、割れた鏡があったからな。それで見た。
 一応お目付役なんでね?まァ、どうでもいいんだが。
 ・・・ドフラミンゴの弟なんだぞ、コラソンは。
 やるならバレねェように周到に計画を練ってやれよ。
 行き当たりばったり過ぎるだろ」

「・・・刺しといてなんだが、お前の忠告の内容もどうかと思うぞおれは」
「そうか?」

は首を傾げた。

「だが、コラソンがお前を庇ったのも気になるな」
「・・・お前もそう思うか、?」

ローの疑問を肯定するように、も訝しむようなそぶりを見せる。

「ああ、なんたってコラソンの子供嫌いは折り紙つきだ。
 おれも何度もぶん殴られたし、
 おれの前で何回もベビー5を蹴りやがって、あの野郎・・・」

「話が逸れてるぞ」
「・・・ああ、悪い」

の歪んだ感情に付き合うと日が暮れるのは
ローも分かって来たところだった。
は我に返ると軽く咳払いをして顎に手を当てる。

「まぁ、まず間違いなく、ドフラミンゴに話が通ってたら
 お前は拷問の末にぶっ殺されてたし、おれも死んでただろうが」
「・・・なんでお前まで殺されるんだよ」

は眉間に皺を作った。

「お前ナメてたのか!?それで、あんな杜撰なやり方したんだな・・・。
 いいか?バッファローはピーカのコンプレックスを笑っただけ。”笑っただけ”だぞ。
 それで拷問だ。正直言って頭がおかしい。
 最高幹部でドフラミンゴと付き合いが長いからって言うのも理由の一つだろうがな」

ローは段々と自身のしでかしたことが、にまで危険を、
それも生死に関わる危険を及ぼすことに気がついた。

「もし、コラソンが死んでたら・・・」

「お前は死ぬ。それは当然として、お目付役のおれも拷問の末死刑だな。
 一撃で死ぬんならまだマシだが、多分指から切り刻まれるぞ。
 前にコラソンが怪我したときはドフラミンゴはそうしてたからな」

その時はコラソンが相手の眉間に一発銃弾をぶちこんで楽にしてやってたと、
は額に汗を滲ませて言う。

「次からはおれに相談しろよ。お前の巻き添えで死ぬのはごめんだ」

顔色が蒼白になったローを見て
は一応の溜飲を下げたのか、息を吐いた。

「・・・だがそうなると、もしかしてコラソンは、」

は何かに思い当たった様に呟いたが、頭を振った。

「いや、それにしたってあいつがどうしようもねェ大人なのは変わらねぇけど」
「なんだよ、わかった風な口利きやがって」

ローが首を傾げるとは胡乱気な目をローに向けた。

「わかっては無いさ・・・おれは人の顔色を読むのが人よりは得意だがね」

はローに不敵な笑みを浮かべた。

「しかしファミリーに籍を置いて、しかも右腕になるなら、ロー。
 長い付き合いになりそうだな。
 おれはドフラミンゴの”懐刀”になれと言われている」
「・・・どうせおれは3年で死ぬぞ、」

ローが吐き捨てる様に言うと、は腕を組んだ。

「はは、なら死ぬまで付き合ってくれよ。
 お前と話すのは嫌いじゃない」
「気障な台詞だ。
 ——格好つけ野郎め」

ローがぞんざいに返事をしても、は常の通り笑うばかりだった。

「格好がつかないよりマシだろ?」

口惜しいことに、ローと同い年のガキの癖に、
には確かにその台詞が良く似合っていた。



ドレスローザ・王宮
プールの庭

銃撃戦が繰り広げられたその庭はあちこちが崩れている。
しかし優秀な執事長が2時間半もあれば補修してしまうのだろう。
もっとも、壁を壊し、庭をめちゃくちゃにした一人はその”優秀な執事長”なのだが。

煤を払い、腕を組んでは、倒れ臥したベビー5を見下ろした。

「いい加減学習してくれないか、
 お前がバカみたいに新聞を契約してくるせいで重要書類が埋もれかねないんだよ。
 だからおれが断ってやってるんだ」

「それで・・・私ががっかりされるんじゃない!
 せっかく私を必要としてくれる人だったのに!!!」

ベビー5が食って掛かるので、はベビー5の銃に変わった腕を踏みつけた。
苦痛に涙ぐむベビー5に、は嗜虐的な笑みを浮かべる。

「へぇ?本当にそいつは”お前”を必要としてくれる奴だったか?
 誰でも良かったって言ってたぞ。おれには」

そのいい草を聞いて、ベビー5は息を飲む。

「・・・!あんた、まさか」
「そいつはもうドレスローザには居ないがね。
 ・・・全く下らない男だった」

ベビー5の目から涙がぼろぼろと零れた。
嗚咽して泣き出したベビー5を、は目を細めて見ている。

「おい、その辺にしとけ。、」

勝敗の歴然とした銃撃戦を見物していたらしい、
ドフラミンゴが呆れた声で自室のベランダから声をかけた。
言葉を続けようとするドフラミンゴにが先んじて言う。

「ああ、公共事業についての要望ならさっき船長に話した緊急を要するもの以外は
 程度によってまとめておいている。
 交易港の人員整理についてはトレーボルに手配済みだ。
 取引相手の王族の誕生祝いについては頼まれた通りに贈り物を手配し、お祝いの手紙も代筆済、
 明日には相手方が受け取るだろう。
 ・・・プールの庭はこれからおれが指揮をとって今日中には直させる。
 その後に寝酒を持って行きます。
 隣国が出来のいいシードルを寄越して来たので、
 試してみてはいかがです?ドフラミンゴ船長?」

にドフラミンゴは機嫌良く頷いた。

「流石だ。寝酒もそれで良い。
 お前が勧めるならそれなりの出来なんだろう」
「勿論。では手はず通りに」

ベランダから姿を消したドフラミンゴの命に従ってか、
はベビー5から足をどかし、立ち去ろうとした。
その背中に、ベビー5が声をかける。それは珍しいことだった。

「・・・待って、
「なんだ?おれは忙しい」

振り返り、訝しむにベビー5はポケットから紙を差し出した。
どうやら手配書のようである。
がその顔を見て、息を飲んだ。

「あんたが契約解除した新聞に挟まってたわ。
 あんた、・・・仲良かったでしょ」

は目を細めた。

「”死の外科医”トラファルガー・ロー。
 2億か。超新星だ」
「”ハートの海賊団”の船長なんですって」

ベビー5は手配書の顔を眺めているを見ていた。
昔見た限り、とローはそれなりに上手くやっていたように思える。

同い年で同性だからだろうか。
ローの憎まれ口をは上手く躱していたし、
時折は声を上げて笑っていた。
の年相応の笑みを見る機会はそう多くはなかったので、その時は驚いたものだ。
今思えば、ローもにはつんけんした態度を徹し切れていなかった気がする。

ベビー5はそれを、どこか羨ましく思っていたので、良く覚えている。

は緩やかに口の端を上げた。
その目には、哀れみとも嘲りともつかない奇妙な感情が伺えて、
ベビー5は目を瞬いた。

「そうか。ベビー5、このことは船長に言ったか?」
「い、いいえ。でも若様は知っていると思うわ」
「・・・だろうな」

はそのまま立ち去ろうとした。
ベビー5は意外に思って言った。

「ちょっと、あんた他に言うことは無いわけ?
 生きてて良かったとか、色々・・・」
「お前には関係ない」

ぴしゃりとはねつけられ、ベビー5の目に再び涙が浮かぶ。
はそれを見て、小さく笑った。

「不細工」

「な、なんですって!?」
「生憎お前に構ってる暇はないんだ、ベビー5。
 仕事に戻れ」

ベビー5は苛立ちを覚えながらも、の言うことはもっともだと
使用人としての仕事に戻った。
あのままと居てもまた喧嘩になるだけだ。
だが。

ベビー5は振り返り、の背中を眺めた。
少し、様子が変だった様に思えたのだ。



「”ハートの海賊団”か」

はドフラミンゴに寝酒を届け、
自室に戻って寝台に背中を預けると手配書に向かって呟いた。

「お前も十分、どうかしてるよ、ロー」

きっと次会う時は敵同士なんだろうと、
はあまり当たって欲しく無い予感に
ため息を吐きながらも目蓋を閉じた。