幽霊の兄弟


「もしかしたら、私、兄弟が居たのかもしれないわ」

飴玉の雨をサウザンド・サニー号がすり抜けた頃、
甲板に居た幽霊が呟いた。
チョッパーと一緒に本を読んでいたのだ。

「なんか思い出したのか?」

チョッパーの言葉に、幽霊は頷く。

「ルフィが、エース、お兄さんが居るって話を聞いたら、そんな気がしたの」

エースのビブルカードが縮んでいる件で、幽霊はルフィに兄が居ると知った。
ルフィ自身は兄を助けに行く気はないとして落着したことが、
幽霊にとっては新たに記憶を呼び起こすトリガーになったらしい。

チョッパーは腕を組んでみせた。

「幽霊のアニキか・・・」
「そいつも幽霊なのか?」

魚を釣ろうとしていたルフィが振り返って幽霊に問いかけた。
幽霊は苦笑する。

「ウフフ、どうかしら?そもそも私、いつ死んだのかしら・・・」
「服の感じから言って・・・10年くらい前じゃないかしら?」

ロビンの言葉に、幽霊が目を瞬く。

「そのワンピース、というよりもドレスの形だけど、確か流行していたものよ。
 ナイトドレスにも使われた形だけど、
 色がわからないから、どちらかは分からないわね」

幽霊は頬をかいた。
人外とは言え、幽霊にも人並みに羞恥心のようなものは持ち合わせている。

「・・・寝間着でうろうろするのは恥ずかしいから、
 出来れば普段着であることを祈るわ」
「ウフフ、大丈夫よ。可愛いわ」
「――ありがとう、ロビン」

チョッパーが幽霊のワンピースの裾の辺りで手を動かした。
スカートの裾はメラメラと炎のように揺らめくけれど、
ひんやりとした感触が蹄に伝わるだけだ。

「幽霊だからって魔法みたいに変えられるもんじゃねぇんだな」
「そう言えばずっとその格好でしたね、お嬢さん」

「ええ、・・・私幽霊だけど、魔法使いじゃないもの。
 自分がどういう原理で喋ったり動けるのかもよくわからないわ」

幽霊の答えにチョッパーは顔を上げた。

「それおれも気になるぞ。あと幽霊の近くに居ると涼しいな!
 なんでだ・・・?」
「謎だわ」

チョッパーと幽霊が首を傾げていると、ブルックがヨホホホと笑いだした。

「そんなことを言ってしまったら、
 私だって自分がどうやって動いているのかなんてわかりませんよ!
 生身の頃だって意識して呼吸したり、瞬きしてるわけでも無かったですしね」

ブルックの発言に、チョッパーと幽霊は同じ様に首を捻った。

「骨だもんなブルック・・・。内臓も無いのにメシ食うし」
「謎よね」

「ヨホホホホホ!ミステリー!」

ステッキをくるくると回し、おどけてみせるブルックに、幽霊も笑う。
一向に釣れる気配もないまま、釣り竿を持ったルフィはまた首を傾げてみせた。

「ん?てことは幽霊、今生きてたら幾つだ?」
「16、7くらいか?今の見た目」

ルフィの隣で魚を釣っていたウソップも振り返り、幽霊をまじまじと見つめる。
幽霊は少しむっとした表情を浮かべてみせた。

「20歳くらいだと私は思ってたんですが」
「ってことは実年齢30近いのかもな?・・・へぇ」

ジト目のウソップに、幽霊はますます頬を膨らませてみせる。

「・・・物言いたげね、ウソップ。何をおっしゃりたいの?」
「それにしちゃあ幼いだろ」
「失礼ね!幽霊が年をとる方が変でしょ!?」

ぷりぷり怒り出した幽霊を宥めるように、ブルックが言った。

「まぁまぁお嬢さん。歌いましょう!」
「おっ、いいな。歌うか!」

楽しそうに笑い、バイオリンを弾き出したブルックに毒気を抜かれ、
幽霊もビンクスの酒を歌う。その場に居たほとんどが歌う光景を
ロビンは微笑みながら見守っていた。

「ウフフ、賑やか」

with Franky


フランキーは寝ずの番にマストに登る。
あくびを噛み殺しながら船のてっぺんに行くと、そこには先客が居た。

「うぉっ!?」
「あら、吃驚させちゃったかしら? ウフフ。ゴメンなさいね」

幽霊が振り返った。

「ユーレイ。眠れないのか?」
「実のところ、その必要がないのよ」
「・・・なるほどな。幽霊は眠らないか」

幽霊は月明かりに照らされ苦笑していた。
その佇まいは、ウォーターセブンにあった、大理石の彫像のようにも見える。

幽霊は顔を上げ、フランキーに話しかけた。
眠気覚ましにはちょうど良い話し相手だ。
フランキーも幽霊の話を聞こうと腰を据える。

「フランキー、あなた、星は読める?」
「いや?」
「私、得意だったわ。あれはサソリの心臓。あれは天秤の先端・・・。
 こうして、星を読むのが好きだった。多分あれは・・・、いつだったかしら
 子供の頃だったかしら」

昼間、幽霊にどうやら兄が居たらしいと言うのはウソップらから伝え聞いていた。
本当に少しずつ、幽霊は記憶を取り戻しはじめているらしい。

船長であるルフィは幽霊が記憶を取り戻そうと、そうでなかろうと
幽霊を仲間と認めているから、フランキーもどちらでも良いと思っていたが、
幽霊はどうしても記憶を取り戻したいと願っているようだ。

仲間の望みを応援するのも、仲間の仕事だ。
フランキーは幽霊の言葉に、問いかけてみることにする。

「一人で見てたのか?」
「いいえ」

幽霊は首を横に振る。

「隣に誰かが居たわ。とても、大事な人達。・・・兄さん、かしら」
「そうかもな。兄貴が2人居たのか」
「え?」

目を瞬かせた幽霊に、フランキーは悪戯っぽく笑みを浮かべる。

「大事な人”達”って言っただろ?複数形だ」
「・・・そう。そうかもしれない。
 私には、兄さんが、2人居たわ!」

幽霊はぱっと顔を明るく輝かせた。
こうして眩しい程の笑顔を見ると、幽霊とは言え、生きている人間とそう変わりない。
しかし幽霊はやがてうなだれた。

「名前も顔も、思い出せない・・・ああもう、本当、嫌になるわね・・・」
「気長にいこうぜ、ユーレイ。航海はまだ続くんだ」

励ますフランキーに、幽霊は微笑む。

「ありがとう、フランキー」
「良いってことよ、自分を思い出せねぇのはキツいんだろう。
 おれァ記憶喪失になったことは無いからわからねぇけどな」

フランキーの言葉に、幽霊は頷いた。

「そうね・・・、でも、”死ぬ”ってそういうことなのかもしれないわ」
「どういう意味だ?」

幽霊は星を見上げる。

「多分、私が今の状態で、私が生きていた頃に関わった人と出会っても、
 その人との思い出も、交わした言葉も、何も覚えていないのよ。
 それってつまり、私はその人にとっての、”私”ではなくなってるってことなんでしょう」

フランキーは幽霊の横顔を眺めた。

もう一度会いたくても、会えない人間というのはフランキーにも居るものだ。
きっと、この船に乗る誰しもにそういう人間は居るだろう。
そして、もし、その人が”幽霊”になったとして、己の目の前に現れ、
その上自分のことを忘れてしまっていたとしたら・・・。

「そりゃあ、確かに、化けて出るくらいなら覚えておいてもらいてぇな」
「そうでしょう?」

フランキーの感想に、幽霊は苦笑する。

「あなたたちに出会って、グランドラインの変な海域を旅するの、
 まだ2日目だけど楽しいわ。
 でも、私の魂は『思い出せ』って叫んでる。どんなに楽しくても、
 頭の片隅ではいつも記憶を取り戻したいって願ってる。
 私は”私”を取り戻したい。
 もしかしたら、生き返りたいって、こう言う感じなのかもしれないわね」

フランキーは幽霊を見つめた。

「——お前、本当に死んでるんだな」

「ウフフフフッ、面白いことを言うのね。フランキー。
 私が生きてる人間に見える?」

幽霊は手を月明かりに照らしてみせた。
ガラス細工のように透けて見える。

フランキーは軽く頬をかいた。

「いや、おれはお前が悪魔の実の能力者なんじゃねェかと疑ってた」
「ああ・・・たしか、ウソップにもそんなようなことを言われたわ」

フランキーは腕を組む。

「だが・・・スリラーバークに居た小娘が霊体になれる能力者だっただろ。
 悪魔の実の能力はこの世に一つ。
 だから、お前は悪魔の実の能力者ではないんだろう。多分」
「そうね。多分、そうみたい」

幽霊の眼差しは凪いでいる。

寝ずの番に幽霊を付き合わせながら、フランキーは朝を迎えた。

with Sanji


「・・・無理して食卓に着くことはねェんだぜ、お嬢さん」

キッチンにて、興味深そうにサンジの手元を眺める幽霊に、
サンジは呟いた。

最初は幽霊にデレデレしていたサンジだが、幽霊がそれをにこにこと受け流し、
逆にサンジの手際を褒めてくるので本音を言いたくなったのだ。
幽霊はサンジの言葉に少し目を瞬かせている。

「ウフフ、気遣ってくれるのね、サンジ。
 でも私、皆が楽しそうに食事をするのを、眺めるのが好きよ」

そこに無理をしている様子は見受けられない。
歌う時と同じ様に、楽しそうに微笑む幽霊をみて、サンジは肩を竦めてみせた。

「余計なお世話だったかな?」
「いいえ!私こそ、こうしてよくキッチンにお邪魔してるし・・・」

幽霊が少し申し訳無さそうな顔をする。
サンジは目を瞬き、やがて微笑む。

「はは、良いよ。お嬢さんに見てもらえるとやる気がでるから!」
「ウフフ!だと良いんだけど!」

幽霊は両手で顎を支えてサンジの手際を見守っている。

「それ、フラムクーヘン?」
「正解。・・・ホントによく知ってるなァ」

サンジは幽霊に感嘆の声を上げる。
サンジの作る料理の名前を、幽霊はほとんど知っているようだった。
東西南北の海の料理を出しても、幽霊はそのどれも当ててみせる。

作った料理を食べてもらえないのは料理人としては残念だが、
こうしたやり取りの中で、ちょっとしたクイズのような楽しみを覚えている。
幽霊の知らない料理を出して、いつか驚かせてみたいものだと、サンジはそう思っていた。

それにしても。

「お嬢さん、生きてた頃はグルメだったか、もしかして作ったりもしたんじゃねェかな」
「そうかしら・・・」

幽霊はサンジの握る包丁を見て、少し目を伏せた。

「・・・刃物を、」
「ん?」
「刃物を持たせて貰えたことは、なかったと思う」

幽霊は目を閉じる。

「なのにレシピは沢山知ってるの。おかしいわね」

サンジは幽霊の所作に、叩き込まれたマナーのようなものが滲んでいるのを知っていた。
どこかのお姫様だったとしても、きっと驚かないだろう。
少し前まで本当に”お姫様”を乗せていた訳だし、
この幽霊がどんな過去の持ち主でも驚きはしまい。
なにより船長のルフィは、この幽霊が何者であっても気にはしないだろう。

サンジは励ます様に、幽霊に声をかけた。

「きっと大事にされてたんだよ」
「そうかしら?」
「そうそう!おれが君の家族なら、きっと可愛くて仕方なかっただろうし!
 そうじゃなくても可愛いけど」

語尾にハートマークをつけたサンジに、幽霊はクスクス笑って見せる。
こうして笑う姿は、幽霊だというのに可愛らしいと思うのだから不思議だった。

with Nami


「ナミはおしゃれよね」

幽霊は唐突に呟いた。

「何よ、薮から棒に」
「ウフフ、見ていて楽しいの」

にこにこ笑う幽霊に、帳簿をつけていたナミは首を傾げてみせる。
幽霊の着ているワンピースはフリルが沢山ついていて、
彼女が幽霊でなければ動き辛かっただろう。
どちらかと言えばスリラーバークに居た女の子に近い雰囲気をナミは感じていた。

「そう?洋服の趣味、あんまり似てないと思うけど・・・」

ナミの感想に、幽霊は腕を組んだ。

「・・・あまりカジュアルなお洋服、着させてもらえなかったのよ。
 私は可愛いと思うんだけど」
「へぇ・・・あんた良いとこのお嬢さんだったのかもね。
 でもそれにしては、気取ってないし根性もあるか」

何しろ幽霊はモリア、”七武海”を相手に啖呵を切っていた。
麦わらの一味の為に時間稼ぎをしようと身体を張った。
貴族のお嬢さんはそういうことをしないだろう。

幽霊はぱちくりと目を瞬く。

「良いとこのお嬢さんって、気取ってるし、根性無しなの?」
「・・・そういう奴が多いってことよ」

ナミは肩を竦めてみせる。
幽霊は不思議そうに首を傾げるとナミのつけていた帳簿を指差した。

「計算、間違ってるわ」
「あ、ホントだ。ありがと幽霊! 良くわかったわね」
「ウフフ、どういたしまして」

幽霊の頭は悪く無い。

特に、記憶力は抜群に良かった。
一度言ったことを、幽霊は全く忘れないのだ。

幽霊は自分に出来ることがあれば、とナミからは簡単な航海術を、
チョッパーからは応急処置の方法を理論だけ、学んでいる。
人に教えることで知識も深まるからナミとしてもそう悪いことではない。
しかし。

「アンタ、本当に一回聞いたこと全部覚えてるの?」
「ええ。思い出せないのは、過去の記憶だけよ」

ロビンとも少し話したが、幽霊の記憶力は普通ではない。
だが、この幽霊はそれが普通だと思っている。

もしかすると、幽霊が記憶喪失になったのは、
その優れ過ぎた記憶力が原因なのかもしれないと、チョッパーも言っていた。
何か辛い目にあって、防衛本能で記憶を無くしてしまったのかも、と。

「・・・ウチの船には、慣れた?」
「どうかしら。でも、皆優しくて、良い人達だわ。
 海賊とは思えない程」

微笑む顔は、ナミとそう年も変わらなく見える。

「確かに海賊にしてはちょっと変わってるもんね」
「ウフフフフッ!自覚あるのね」
「そりゃね!でもそうじゃなきゃ、私もこの船には乗ってないわ。
 本当は海賊、大嫌いだから」

ナミの言葉に、幽霊は困った様に眉をハの字に変えた。

「・・・それ、私が聞いても良いこと?」
「仲間でしょ。別に良いわよ」

幽霊は嬉しそうに目を細めた。
こうして見ると、やはり幽霊は可愛らしい顔をしている。
しかし、幽霊は着替えることも出来ず、食事を取ることも出来ない。
触れることも出来ない。

ただ、こうして会話が出来て、ブルックらと歌う幽霊は楽しそうだった。

ナミは自分が案外、この新しい仲間を気に入っていることに気がついていた。
できるなら、幸せな記憶だけを取り戻して欲しいと、願う程度には。