幽霊と氷の薔薇
花の楽園 “ピオニア”
美しい花々が年中咲き誇る春島である。
その姿は海上からでもよくわかる。巨大なフラワーアレンジメントのような島なのだ。
そこに暮らす人々は豊かに実る植物の恩恵を受け暮らしている。
国章は”花の王”である牡丹。
建築素材にも島固有種の植物を用い、この国の名産の殆どが果実を用いた料理である。
衣服も花をモチーフにしたデザインが多く、刺繍や染物が盛んで、風光明媚な美しい島だ。
故に観光地として有名で、娯楽施設にも事欠かない。
ブルックの次なるライブ会場がこの島だった。
はその島に足を踏み入れ、目を輝かせていた。
居住区や商店街などの舗装された道を抜けると一面の花畑が広がり、
木々には名も知らぬ花や果実が実っている。
「わー、絶景ですねぇ、さん!」
「ええ、本当に!まるでこの世のものとは思えないくらいだわ」
ブルックはの感嘆に頷いた。
「その通りです。ヨホホ、私たちもう・・・」
「すでにこの世のものではないけれど!」
ブルックとは顔を見合わせて笑いあった。
「ヨホホホ!」
「ウフフフ!」
スカルジョークとゴーストジョーク、どちらも絶好調である。
「おいおい、ソウルキング!あんた遊びに来たわけじゃねェんだぜ!」
「ライブだ、ライブ! 本番は明日とは言え、これからリハーサルと打ち合わせ!」
「油売ってる時間はないぞ!」
手長族のマネージャー、ピン、ポン、パンが口々にブルックへ詰め寄った。
「ヨホホ、お嬢さんどうします?」
「私、この島を見て回りたいわ!」
「・・・一人でも大丈夫ですか?」
心配そうなブルックに、は頷いた。
「大丈夫よ、子供じゃないんだから。
宿までの道はきちんと覚えているわ!」
大木を切り出して作ったホテルへの道順を思い出しながらは笑う。
「なら、あまり遅くならないうちに戻ってください」
「そうね、明るいうちはそうでもないけど、
私が夜に柳の木の下に居ようものなら、怪談になっちゃう!」
「本当に”柳の下の幽霊”になってしまいますね!ヨホホホホホ!」
「あんたらそのジョーク面白いのか・・・?」
「なまじ本当の幽霊だけに洒落になってねぇ気がするんだが・・・」
「笑いのツボが分かんねェ・・・」
大笑するブルックとクスクス笑うに、ピン、ポン、パンは呆れていた。
※
は花畑を歩く。
八重の花弁を持つバラのようでそうでない花”ランダム”の畑が今は収穫時のようだ。
赤、ピンク、白、青、緑、黄色、様々な色合いのランダムが咲き誇っている。
観光客の間を縫うように見て回り、奥へと進むと、桜の木々が植わっている。
「チョッパーにも見せてあげたいわ。なんて見事な桜なのかしら・・・」
今は逸れている一味の船医は桜に思い入れがあったとは聞いている。
故郷を旅発つときも、桜を思わせる雪に見送られて旅立ったのだと。
きっとこの光景を見れば喜んだだろうに。
はそう思いながら桜並木を歩む。
やがてはひらけた静かな場所にたどり着いた。
巨大な古木がそびえている。
「わ・・・!」
桜に囲まれた真ん中にそびえる古木には銀の林檎が実っていた。
鏡のように艶やかな表皮に、周囲の桜が反射している。
風が吹いて果実がぶつかり合うと、鈴のような音を立てた。
”シャイニング・アップル”
輝ける林檎という名前のその木はピオニアの固有種である。
食用には適しておらず、主に観賞用だと案内板にはあった。
ちょうど日が当たると金色に輝く様は絵画のようだ。
「確か、黄金の林檎は不死の象徴でもあったわね。
ザクロもそうだったかしら・・・それにしても、なんて美しい、」
その木を見上げていると、誰かがの後ろから来ていたらしい、
通り抜けられて初めてその人の存在に気がついた。
「おっと。悪ィ・・・!?」
「いいえ、こちらこそ・・・」
随分と背の高い男が、驚いたようにを見ている。
も、いささか戸惑ったように男を見上げた。
を通り抜けたその男は恐ろしく”冷たかった”のだ。
そして何より、まるで黄猿を通り抜けた時のように、実体らしい実体を掴めなかった。
男はをまじまじと見つめて、呟いた。
「・・・あらら、お姉ちゃん天使みたいに綺麗だけど、
・・・マジで死んでない?
お迎え来ちゃった?・・・おれまだ死にたくないんだけど」
はパチパチと目を瞬くと、やがて吹き出した。
幽霊を通り抜けた男は、怯えてはいないらしいが困惑はしているらしい。
「ウフフフフッ、お兄さん、お上手ね、残念ながら私は幽霊。
天使のように天国行きを保証はしなくってよ」
男は笑うを見て腕を組んだ。
「・・・ちょっと時間あるなら話そうか、」と
ベンチを指差すので、もそれに応じる。
男は巻いたバンダナ越しに頭を掻くと、にゆっくりと切り出した。
「あー、なんだ、お姉ちゃんは・・・未練でもあって成仏できないわけ?
おれァ生憎、念仏だのなんだのを知らなくてなァ。
話くらいだ。聞いてやれるのは」
どうやらを”本物の幽霊”だと思っているらしい。
は腕を組んでそれに答えた。
「そうねぇ、未練もあるけれど、まだ成仏はしなくていいわね。
お兄さんも悪魔の実の能力者なのでしょう?」
「・・・ああ、そっちか。なるほど」
「てっきりおれァ、霊感に目覚めたのかと思ったよ」と零す男を見ては好感を持った。
怯えられたり恐怖を覚えられたりするよりは、このような対応の方が好ましい。
それにしても、幽霊に対して成仏を促そうとするだなんて変わっていると、
は男の横顔を眺めた。
「けど、随分な自信だったわね」
「ん?」
「天使が迎えに来てくれると思っていたのでしょう?」
自分を善人だと思っていなければそんな言葉は出て来ない。
男はの指摘に苦笑した。
「・・・いや、どうかな。願望だったかもしれねェな」
「願望?」
首を傾げるに、男は続けて言った。
「自分が正しかったかどうかを決めるのは、自分じゃなくて他の誰かだ。
”お天道様が見てる”って言うだろう?
あれさ。天使が迎えに来てくれたんなら、
おれの今までの歩みは間違ってなかったってことになる」
小さくため息を漏らして、男は古木を眺めた。
銀の林檎が光を弾いて揺れている。
「なんだかんだで、誰かに認めてもらいてェと、おれは思っていたのかもなァ」
そこには自嘲するような響きがある。
は顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。
「・・・それは、普通のことじゃないかしら?」
「そうか?」
「そうよ」
は頷く。
「自分に自信を持っている人は、虚勢を張っているか、
誰かに支えられているかのどちらかだわ。
そうでなければ、自信なんて持てないわよ」
言い切ったに、男は己の膝に頬杖をついて笑う。
「お姉ちゃんはやたらとあれだな、老成してんなァ」
「ウフフ、見た目と実年齢は違うもの」
「・・・マジで?」
本気で驚いたそぶりを見せた男に、は大笑した。
「ウフフフフッ! 私は記憶の大半を失っているから、
本当の年齢はわからないのだけどね」
「記憶喪失? 大変じゃない・・・?」
男が気遣わしげな視線をに向けた。
「それなりに。でも少しずつ思い出して来たから、今はそれほど困ってないわ。
少しでも前に進めているのなら、いつかは全てを思い出せると信じているの」
の横顔を見て、男は丸いサングラス越しに目を細めた。
懐かしむような所作だった。
「お姉ちゃんさ、おれの知ってる奴に似てるよ」
「え?」
「笑った時の感じが、少し」
その声には微かな後悔が滲む。
は尋ねた。
「・・・どんな人だったの?」
男は軽く目を伏せる。
「んー、・・・あんまりおれたちの仕事には向いてねェ奴だったな。
って言ってもおれも向いてたのかどうか・・・。
もう辞めちまったから人のこと言えないんだけど」
「実は軍人だったんだ」と男は言った。
はどこかで納得していた。
軍人とは何かと葛藤の多い職業である。
そして男の佇まいにどこか普通の旅人とは違ったものを感じていたのだ。
「あいつはいっつもキツそうだった。訓練でもしょっちゅう泣くし、吐くし。
運動神経は悪くねェのに超のつくドジで傷ばっかり作って、」
「そうなの・・・」
「辞めねェ理由を尋ねたら・・・縋り付くものがそこにしかねェって言ってたよ」
男はの顔を見て思い出していた。
かつて可愛がっていた後輩の一人のことを。
最初はまだ10歳にもなってない子供だった。
見習いから始まり、徐々に階級を上げていった。任務の度に体中に生傷を作って、
散々泣き喚きながら訓練に励んでいたが、ある日を境にピタッと泣かなくなった。
問いかけると、静かに彼は答えてくれた。
『弱いままじゃ、何もできないんです。おれは泣き虫のままは、嫌です』
そう言って小さく笑ったその顔が、幽霊の笑顔に少し似ていた。
顔立ちはあまり似ていないというのに。
後輩の兄の首に懸賞金がかかったと知ったのは、後輩が任務に就いたと聞いてからのことだ。
思えば後輩が泣かなくなったのは、兄に懸賞金がかかったその日だった。
後輩だった彼の末路について、男には色々と思うところがあるのだが、
それは初対面の幽霊に語ることでもないだろう。
しかしそれでも、ため息を零さずにはいられなかった。
「割と可愛がってやってたんだけど・・・はァ。
人生どうしようもねェことも、やりきれねェことも多いんだよなァ」
「そうねぇ、私も一回死んでるから、良く分かるわ」
がしみじみと呟くので、男は思わず笑ってしまっていた。
「ははは! お姉ちゃん面白いこと言うね。あんた生き生きしてんのに」
「そう?」
「生きてる人間より余程だよ」
頭に疑問符を浮かべるにそう言って、
男は立ち上がった。
「じゃ、おれはもう行こうかな」
もベンチから立ち上がった。
「そう、楽しい時間をありがとう、ええと・・・、お名前をお伺いしても?」
男はためらいなく答える。
「クザンだ。・・・しかしできればお姉ちゃんの生前に出会いたかった」
「あら、どうして?」
「こういう特技があってね」
クザンの手から氷が徐々に生えて来たようだった。
それは徐々に形を成していく。
細い茎、広がった葉、美しく重なった花弁。
氷の薔薇が一輪、クザンの手の中に咲いていた。
「綺麗・・・!」
感嘆するに、クザンは小さく笑いかけた。
「花を贈ることもできないんじゃ、楽しい夜は過ごせやしない。
それにあんた、どっちかって言うと昼間の方が似合ってるよ。
幽霊にこういう印象持つのは変な感じだが」
は眉をあげる。
「・・・クザンさんはキザなことを言うのね」
「ふふ、そういう気分なんだ。お姉ちゃん、お名前は?」
もまた、ためらいなく答えた。
「よ」
「OK、覚えた。また会えたら、今度はお茶でもどお?」
「ウフフフ、そうね。よろしくてよ。
ではクザンさん”良い旅路を、良い人生を”!」
はクザンに手を振って別れた。
旅先で人と話すのは良いものだと、一人晴れやかな気分を抱きながら。
※
は暗くなる前に宿に戻った。
リハーサルと打ち合わせを終えて戻って来たブルックは
機嫌の良さそうなを見て首を傾げている。
「あれ?随分晴れやかなお顔をしてますね。何かいいことでもありましたか?」
「ウフフフフッ、ちょっとした出会いがあったの。旅は良いものだわ。
知らないものや、人に出会えるのは」
「ヨホホ、それは良かった。でもお気をつけてくださいよ!
あなた結構おモテになるんですからね!」
ブルックの忠告に、はムッとしたように唇を閉じた。
「またそんなこと言って・・・そんなことないったら。
だいたい私は幽霊なのよ? 手だって触れる人は少ないのに」
「それはそうですが、その”触れる人”に目をつけられたりしそうなんですよねぇ」
ブルックは「なんとなくそんな感じがします」と呟いている。
「そう言えばお嬢さん、私の幽体離脱を見て、何か思いついていたようでしたが」
「あ!そうなのよ」
は手を前に出した。
「よく見ててね、”透明化”」
「!」
ただでさえ透けていたの腕が徐々に空気に溶けていくようだった。
指先から腕、腕から肩、顔の輪郭が失せ、
そしてついに、見えなくなってしまう。
ブルックは慌てふためき、周囲を見回した。
「おおおお、お嬢さん!?
消えちゃいましたけど?! いらっしゃいますか?!」
「ウフフフフ。居るわよ、ここに」
「キャア!?」
ブルックの耳元で声がする。
思わず飛び上がって驚いたブルックに、笑い声が響いた。
黒い霧のようなものが渦を巻き、すぐにの姿が見えるようになる。
「どお?びっくりした?」
「見ての通りですとも!びっくりしすぎて目玉飛び出しそうです!
私、目玉ないんですけど!いや、冗談でなく!」
尻餅をついたブルックを見て、はクスクス笑って居る。
「ごめんなさいね、ブルックが幽体離脱をして居るのを見たら、
ほら、偵察とかに重宝しそうな能力でしょう?
私にもできないかしらと思って」
「な、なるほど・・・ちなみにそれ、すっごい怖いですよ」
「そう?」
未だに心臓がばくばくして居る気がする、とブルックが呟くと、
は首を捻っていた。
「それにしてもさんの能力は面白いですねぇ、
壁抜けに床抜け、透明化、通り抜けたものの性質を見抜くこと、
それから、魂への干渉ですか。
いやはや・・・幽霊というものは意外と色々できるものなんですね」
ブルックが感心したように言う。
「ウフフ、それからとっておきもあるんだけど・・・」
「とっておき、ですか?」
首を捻るブルックに、は腕を組んだ。
「そうなの、でも、実際にやったことはないのよね。
できるって言う確信はあるんだけど、・・・ちょっと危なくて。
できれば使う日が来ないことを祈ってるわ」
の言葉に、ブルックは、これは聞かない方が良さそうだ、と一人ゴクリと唾を飲んだ。
の発想は柔軟で、突拍子もなければタブーもない。
そのが”危ない”と明確に表現したのだ。本当に”危ない”のだろう。
何しろ無自覚とはいえ
世界一の剣豪、鷹の目のミホークに、
自らの首を落とす幻影を見せることも、にはできたのだ。
ブルックはその話を聞いた時に無い肝を潰していた。
一歩間違ったら殺されかねない出来事である。
本人にその自覚は薄いが。
案外その無邪気と言って良いのかわからない部分を
気に入られたのかもしれないが、あまりに危うい。
「さん。私勝手にあなたの能力は割とサポート向けな気がしてたんですけど、
・・・使い方次第では、いえ、あなたの発想や表現力と合わさると物騒な代物です。
加減など、ほどほどに頼みますよ!」
「ウフフフフッ! 心得てるわ!」
は悪戯っぽくブルックに笑いかける。
成長したは頼もしくもあるが、
どこか目の離せない雰囲気までも身につけてしまったようだと、
ブルックは思っていた。