Dear Princess
「剣を習いたい?」
ドルド3世はの嘆願に眉を上げた。
寝食を忘れ図書館に通い勉強に励むにしては、珍しい願いである。
「ええ、お父様。ずっと図書館に篭りきりなのは、よくないと思うようになりました。
このままだともやしになってしまいます」
「・・・いや、だが、なぜ武芸の類なのだ?
ドレスローザの女の子が運動したいといえば、大抵は『舞踏がいい』と言うものだが」
ドレスローザの少女たちにとって、踊り子は憧れの職業だ。
彼女らは皆美しく、また纏う衣装も華やかである。王宮でもスカーレットが習っていたし、
7歳になったヴィオラもスカーレットが踊る様子を憧れの眼差しで見ていた。
もスカーレットをまるで眩しいものでも見るように眺めていたので、
てっきり踊りを習いたいと言い出すのではと思っていたのだが、ドルド3世の予想は見事に外れた。
だが、言われてみればは今よりずっと幼い頃から戦記の武将に憧れたり、戦術を学んでいたりしたから、
全く予想ができなかったのかと言われると、そうでもないかもしれない。
「今、世間は色々と物騒だと聞いています。
護身術を学ぶのはいいことなのではと思いました」
「兵士たちの護衛が不安なのか?」
「そう言うわけではないのですが・・・」
目を伏せたに、ドルド3世は静かにため息をついた。
「お前の言い分はわかった。
王族として護身術を習うと言うのは悪いことではない。認めよう」
「・・・! ありがとうございます」
表情は乏しくとも心から喜んでいるのはわかる。
素直な娘に笑みを見せたが、やがてドルド3世は頬杖をついて、眉を上げる。
「お前は何がそんなに不安なのだろうなァ」
「・・・私はこの国を、守りたいだけですよ、お父様。
では、失礼致します」
うっすらと微笑み一礼して部屋を去るの背を、ドルド3世は視線だけで追いかけた。
まるで何かに取り憑かれたように勉学に励み、今では大人顔負けの知識を身につけ、
今度は自分の身を自分で守れるように武芸を覚えたいと言うを見ていると、
ドルド3世はどうも心配になる。
一体は何からこの国を守ろうと言うのだろうか。
※
は相変わらず図書室に篭るか剣を振るうかの日々を過ごしていた。
姉妹と顔を合わせるのは手習いの時と食事の時だけで、
はヴィオラとスカーレットから感心半分呆れ半分の眼差しを受けていた。
「お姉様、手が豆だらけよ・・・!」
「女の子なのにここまでやらせるなんてひどいわ」
ヴィオラはぎょっとしたようにの手のひらに目を止め、
スカーレットはそれを見てかわいそうに、と眉を顰めている。
当のは平気なようで肩を竦めていた。
「しょうがないでしょう、護身術は一朝一夕で身につきませんからね」
「そんな事言って、知ってるのよ。並のお姫様だったら十分すぎるくらいの腕前だって」
「でもキュロスには到底及ばないでしょう」
の言葉にスカーレットは柳眉を逆立てた。
「キュロス! コロシアムでずっと勝ち続けていると話題の人ですけどね!
私に言わせればただの人殺しよ!」
「す、スカーレットお姉さま、そんなに怒らなくたって・・・。
それに、そのことも事情があったって聞くけど、」
理由があって人を殺め、捕まったキュロスは恩赦を得るためにコロシアムで戦っているのだと聞く。
だが、とっくに恩赦が出るほどに勝ち続けても、キュロスはコロシアムから出てこなかった。
ヴィオラは宥めるようにスカーレットに言うが、スカーレットは聞く耳を持たない。
「どんな理由があったって、人を傷つけるなんてダメよ。
お父様が何故あんな人を気にかけるのか、わからないわ」
腕を組んで訝しむスカーレットだが、
は自分の顎に手を這わせながら悩ましげに呟く。
「でもお父様も彼の薫陶を受けて強くなっていました。
教え方が上手なら、私も手習いを受けたいのですが」
「絶対ダメよ!!!」
スカーレットは「信じられない」と言わんばかりにを睨むが、
はさらに首をひねってみせる。
「うーん、彼がコロシアムの囚人でなければなぁ」
「!!!」
ヴィオラはそのやりとりを見てクスクス笑った。
キュロスから手習を受けたいのは本心らしいが、
はスカーレットをからかっているのである。
※
はノートとペンを手に、今のドレスローザの状況を書き出した。
そろそろ本格的にドレスローザを改革する計画を立てる頃合いだろう。
800年、ドレスローザが平和なのは、この国の地理が天然の要塞のごとく岸壁に囲まれ、
そして資源に乏しい貧しい国だから、と言う理由もある。
そもそも攻め入って得るものがあまりないのだ。
「なぜ、海賊はこの国に目をつけたんでしょう・・・」
は頰杖をついて考え込む。
だが、海賊の考えを読むよりは、改善策を考える方が建設的だと思考を切り替えた。
貧しいドレスローザだが、この国にも特筆すべき”資源”はある。
それは植物だ。
小人たちのおかげで、ドレスローザは植物に愛され、どんな花でも実る美しい国である。
だが、小人たちの専門は花や果実であるのと、気候から小麦や稲といった植物が育ちにくいと言う欠点があり、
ドレスローザの民は、あまり裕福とは言えなかった。
「花や果実は加工しないと貿易で稼ぐことはできないし、加工するには初期費用がかかる。
貿易で外貨を稼ぐにも、稼いだ金を海賊に奪われては元も子もないから護衛がいるし、
新世界の海賊は強いから、それを撃退できる護衛には高い報酬を払わねばならない。
雇わずになんとかするなら軍を鍛えなきゃいけないけれど、・・・それにも金がいりますね」
はため息をついた。
ドレスローザを守るには金が必要不可欠である。
海賊に対抗するために軍事力の強化が求められるからだ。
だがそのためには父親を説得しなくてはならない。
戦いなど獣のすることだと渋い顔をするドルド3世だが、それでも兵士や自らを鍛えるのは、
軍事力がある種の平和の要であると知っているからだ。
根気強くやれば、きっと説得はできるだろうが・・・兎にも角にも金がいる。
はテーブルに置かれた花瓶のバラを突いた。
「嫌になるくらい美しいですね、お前は。
せめて生花でなければ、遠くまで輸出できるのに・・・」
そこまで呟いて、はハッと顔を上げた。
花は加工すれば遠くまで輸出できる。
貿易船を用意する必要があるなら、最初はそれが必要のない相手を商売相手に選べばいい。
例えば、数年に一度開かれるレヴェリーの王族たち、その子女は大人たちが難しい話をしている間、
つまらなそうにサロンで菓子を食っていたり、衣服を品定めしていることもある。
彼らを相手に商売をしたらどうだろう。
例えば、ドレスローザの花々を、質の良い化粧品に加工してみれば、
退屈している姫君なら買ってくれるのでは・・・?
その時、は自分の思いつきにとてもワクワクしていた。
いかにもそれは良いアイディアのように思えた。
「化粧品ならばブランド化が成功すれば高額で売っても許される。
それがドレスローザの王女御用達とあれば納得もいくでしょう・・・うっ!?」
は窓に映る自分の顔を見て難しい顔をした。
スカーレットはともかく、は睡眠不足でクマが濃い。
武芸を始めたおかげで食事を摂るようになったから
栄養不足ではなくなっていたが、それにしたって発育が良いとは言えなかった。
「せ、成長期ですし、挽回はできるでしょう。器量は悪くないはずです。多分。
・・・と言うか、むしろこの状態の私がそれなりに擬態できたら、
それはそれで広告になるのでは?!」
はむしろビジネスチャンスだ、と自分に頷き、微笑んだ。
「とにかくトライアンドエラーです。やってみましょう」
※
の化粧品の開発には3年の歳月を要した。
勉強と強くなることにしか興味のなかったが
いきなり化粧品を作りたいと言い出した時は家族や家臣の皆が仰天したものだ。
しかし好奇心旺盛で弁の立つはあれよあれよと皆を巻き込んで、
気がつけば商品の開発を始めていた。
スカーレットはの試行錯誤に随分付き合わされたが、
可愛い妹の頼みだからと熱心に意見をにぶつけたし、もそれを聞き入れた。
他にも原料や作り方、保存法などで小人や大人の知恵を借り、
出来上がった基礎化粧品のセットはの自信作だ。
実際に使っているの肌にはニキビやシミの一つもない。
3年前はいつも寝不足で隈が深かったのが嘘のようである。
容れ物はヴィオラとスカーレットで意見を出し合って、花の細工をした割れにくいガラスのものを用意した。
完成品を見て、が珍しく満面の笑みを浮かべていたのがスカーレットの印象に残っている。
今日はレヴェリー前日。
スカーレットはの髪を櫛でとかしていた。
明日はとことんめかしこむのだというので、その練習をするのだ。
3年前とは見違えるほど美しく成長した妹に、スカーレットは眦を緩める。
「それにしても、せっかく朴念仁の妹がオシャレに目覚めたかと思ったら、
結局商いをするためだなんて呆れるわ」
「私は朴念仁ではありません。割と融通は利く方です」
「ああ言えばこう言う! そういう意味じゃないわよ、ほんとにもう」
茶化してしまうに、スカーレットはため息をつき、そして首を傾げてみせた。
「でも、どうしてアドバイスを私から求めたの? 侍女がいるじゃない」
「侍女にも聞いていましたよ」
「だけど、私に一番質問してきた。そうでしょう?」
「・・・化粧品を売る人の肌が荒れていては商品の信用を損ないます、
使っている人間が魅力的でなければ、ダメです。広告塔になりません」
自分を広告塔に使うつもりだと言ったに、スカーレットは少し驚いた。
だが、言われてみれば、の言い分は理にかなっていると思う。
「なるほど・・・うん、そう言われればそうかもね」
「それに、年頃が近い人の興味を引くなら、少しだけ大人っぽい方がいいでしょう?
お姉様は良いお手本です。私より少し年上で、綺麗で、魅力的です」
妹からの率直な褒め言葉にスカーレットは目を丸くする。
少し照れて困ったように笑ったスカーレットを、は目を細めて見ていた。
「まぁ! ったら・・・。あなた男の子だったら大したジゴロになれるわよ」
「ふ、ふ、ふ」
は静かに笑っている。
スカーレットはお茶目な妹に、ほっと胸を撫でおろした。
もう目の下にクマはなく、何かに追い立てられているような雰囲気もなくなっている。
「でも良かった。ちょっと安心してるの。
寝る間も惜しんで勉強していたが近頃はよく寝るって、お母様が」
「寝不足は美容の大敵ですからね」
かつては食事や睡眠を時間の無駄だと切り捨てていたのが嘘のようだ。
おかしくなってスカーレットが笑いながらに尋ねた。
「武者修行も少し落ち着いたでしょ」
はなんとなく肩を落として呟く。
「しょうがないです。多くの姫君はマッチョな女の子は好きじゃないので、
あまり見た目が崩れるのは良くないと判断しました。でも鍛錬は続けますよ。
・・・いいじゃないですか、女の子に適度な腹筋があったって、それはそれで綺麗だと思います」
「なぁにそれ! おかしなことを言うのね! フフフッ」
思わず声をあげて笑ったスカーレットの持っていたブラシがあさっての方向に触れそうになり、
は慌ててのけぞった。
「お姉様、手元手元」
「あら、ごめん」
スカーレットは気を取り直しての唇に紅を差した。
まぶたに薄く桃色のシャドウを入れたが瞬くと、藤色の瞳がスカーレットをまっすぐに見る。
その様はまるで人形が生きているようで、スカーレットは少したじろいでしまった。
「・・・できたわよ。ほら、鏡を見て」
だが、はそれに気づかなかったようで、鏡を覗き込んで瞬いている。
自分でもここまで変わるのか、と驚いているようだった。
「・・・魔法のようですね。私が私じゃないみたい」
感心するように呟いたに、スカーレットは腰に手を当ててため息をつく。
「何言ってるのよ。あなたの作った化粧品しか使ってないわよ、”魔法使いさん”」
はそれを聞いて、小さく唇に笑みを浮かべた。
「私が”魔法使い”?・・・いいですね、それ。世界中の女の子に魔法をかけてあげましょう」
「大きな夢ね」
スカーレットが言うと、は首を横に振る。
「そんなことありませんよ。
まず、私とお姉様がレヴェリーに行くでしょう? もう少し大きくなったらヴィオラも。
年の近い女の子たちは着飾った私たちに興味を示すはずです。
お姉様はともかく私は『ガリ勉の』とか噂が流れてたのに、現れたのはこれですよ、これ」
は自分の顔を指差してみせるが、スカーレットは違うことに気を取られていた。
聞き捨てならないと、スカーレットはに迫る。
「そんな噂が流れてたの!?」
「・・・ええ、まぁ。でも話の核はそっちではなくてですね」
目を丸くした後、頰をかいたにスカーレットは鏡を押し付けた。
「許せないわ! はとってもとってもとっても可愛いのに!鏡をよく見て!ほら!」
「あの、」
は押し付けられた鏡を受け取ると困ったようにスカーレットを見上げる。
スカーレットは不機嫌そうに頰を膨らませたまま、鼻を鳴らした。
「がどれだけ頑張り屋なのか知らないで! 酷い噂をする人がいるのね!」
「・・・あの、・・・ありがとう、お姉様」
は珍しく照れているようで頰が赤らんでいる。
咳払いをしたかと思うと、先ほどの言葉の続きを語り出した。
「とにかく、ですね。もし、私の作った化粧品を世界中のお姫様達が気に入ったら、
貴族の娘も欲しがるでしょう。
そして貴族の娘や姫君が飽きたら値段が安くなって庶民の手に回ります。
あるいは庶民のための廉価なシリーズを出してもいいですね」
「・・・飽きられちゃうの?」
悲しげに首をかしげるスカーレットに、は笑ってみせる。
「ふふ。飽きられるのは悪いことじゃありません。
そのたびに、新しく魅力的なものを作って売ればいいのですよ」
は指を立ててスカーレットに顔を近づけた。
その目は描いた夢にきらめき、キラキラと光っている。
表情の乏しいだったが、その時ばかりは誰にだってが楽しそうなのがわかっただろう。
そんな顔だった。
「そうすればお金が手に入ります。お金があるならアイディアを買ったり優秀な人を雇えばいい。
貧しいドレスローザの人や、もう少し頑張ってお金が欲しい人に働き口を紹介することもできます。
十分に給金を出すことができれば、みんな毎日のパンや、衣服に困ることもなくなる・・・」
自分の作った商品が有名になることも喜ばしいことだが、
自分のアイディアで、ドレスローザの人々が豊かに暮らせるようになることこそ、
本当の喜びなのだとは語った。
は試作品の化粧水の入った小瓶をつついて、笑みを深める。
「もしかして、この商品を日々の暮らしのご褒美に、手に入れようとしてくれるかもしれない」
「素敵ね・・・!」
スカーレットは素直にそう思った。今はお腹いっぱい食べることも難しい人々が、
や、ヴィオラや、スカーレットが知恵を絞って作り上げた商品を
そばに置いてくれると言うのは、とても素晴らしいことのように思えたのだ。
「ね? ワンピースを見つけるような、途方も無い夢って感じはしないでしょう?」
はにかんで笑っただったが、しかし、課題も多いと目を伏せる。
「もちろん、簡単にいかないことはわかっています。問題は山積みです。量産はできるのか、とか。
コストを抑えて売るにはどうしたらいいか、とか・・・」
だが、は微笑みを絶やさない。
「でもこれが最初の一歩です。夢の一歩。
小人達にも手伝ってもらって、クオリティの高いものができました。
お姉様とヴィオラに相談した容れ物だってとっても素敵です。自信を持って売り込むことができます」
は自信満々に頷くと、まるで秘密を分け合うようにスカーレットの耳元で囁く。
「私の未来は、世界中の女の子をお姫様みたいに綺麗にして、この国まで豊かにする、魔法使いです。
あなたは魔法使いの私が最初に魔法をかける”プリンセス”なのですよ」
スカーレットはクスクス笑い出した。
いつも大人びているが、今はごっこ遊びをする子供のように見える。
「ふふ、じゃあ魔法使いさん、魔法をかけてくださる?」
「もちろん、お安い御用です」
は筆を使ってスカーレットに紅をさした。
ドレスローザで取れた紅花を使った玉虫色の口紅は、
不思議なことに唇に一塗りすると発色の良い、赤い色に変わった。
「ほら。とっても綺麗」
はスカーレットに鏡を差し出した。
色づいた唇はなんだか大人になったようで面映ゆいと、スカーレットは照れたように笑う。
「だからこの箱には”Dear Princess”って書いてあるのね。
世界中の女の子をお姫様にするから」
バラのイラストをあしらった小箱を指差してスカーレットは微笑む。
はそれに頷き、微笑みで返した。
※
「私は嘘つきです」
はレヴェリーに出発するまでの間、できあがった商品を眺めていた。
バラの小瓶、バラの小箱。少女が好みそうな繊細なデザインと、
ブランド名には叶うことのないの恋心を込めた。
私はあなたのために。あなたの命を守るために。
”私のお姫様”のために、これを作った。
「本当は、ドレスローザの民のため、なんかじゃないんです。
・・・ごめんなさい、スカーレットお姉様」