世界で一番綺麗なあなた


「キュロス~!」
「キュロス様ぁー!!!」

リク王からドレスローザの軍隊長の職を賜り、
王族や国民を守るべく街を見回り、王宮へと戻るキュロスを、
国民たちは歓声で出迎えた。
コロシアムの外で聞く歓声はより身近に感じられるものである。

しかしキュロスは内心ドルド3世から頼まれた任務のことが頭から離れずにいた。

王宮へと入ろうとすると、二人の姉妹に行き合う。

ストロベリーブロンドを結い上げているのは姉、スカーレット。
黒髪をボブカットに整えているのが妹、ヴィオラだ。

姉、スカーレットはキュロスを見ると眦を吊り上げ、
歓声に湧く女性たちをじとりと睨むと、キュロスへと顔を向けた。

「ずいぶんおモテになられるのね! キュロス様。
 だけどあなたは人殺し!
 お父様がなぜ王宮にお入れになるのか、気がしれないわ!!」

王女であるスカーレットの言葉に、護衛たちもどよめいた。
ヴィオラがスカーレットを宥めるように近寄り、首を横に振る。

「お姉さま、ダメよ。そんな昔の傷を掘り返すようなこと・・・!」

だが、スカーレットはヴィオラを自身の後ろにかばうようにしてなおも続ける。

「”正義”の軍隊長を任せることもしかり!どうかしてる!!
 国中の人たちは騙せても、私は騙されない! いつか本性を晒すわ!!
 私たち姉妹には近づかないこと、手も触れないことっ! わかった?!」

ヴィオラは手でメガネを作り、キュロスの心を覗くそぶりを見せた。

「でも、お姉さま、この人意外と」
「こら! 覗かないの、こんな汚い心!!」

スカーレットの言うような悪人ではなさそうだ、と顔を上げたヴィオラに、
スカーレットは嗜めるように言う。
キュロスは困ったように眉を下げた。

近づくなと言われてもキュロスの仕事は国民、王族を守ることである。
近づかなくては護衛はできない。

「しかし、あなた方を守らねば・・・それに、」

キュロスの言葉を遮るように足音が響く。

「ごめんなさい、遅くなりました」
!」

パッとスカーレットの表情が和らいだ。
現れたのはスカーレットの妹、ヴィオラの姉。だ。
走ってきたのか少し息を切らせている。

繊細なレースのグローブを嵌め、ドレスもよそ行きのものを纏っている。
その格好を見てヴィオラが首を傾げた。

お姉様、またお仕事?」
「ええ、王族は『思い立ったら吉日』な方が多くて困ります」
お姉様も人のことは言えないでしょ」

ヴィオラに尋ねられてはやれやれ、と肩をすくめてみせると、
ヴィオラが面白そうに笑いながら言う。

数ヶ月前のレヴェリーで、他国の姫君を相手に化粧品の商いを始めたと言うの元には
他国の姫君からのドレスローザに訪問したいと言う手紙や、
また自国に招待したいと言う連絡がひっきりなしに来ているらしく、なかなかに忙しいらしい。

はキュロスに気づくと顔を上げる。
表情の乏しいの目が、キュロスを射抜くように見ていた。

「・・・ああ、お前がキュロスですか。はじめまして、ですね。
 私がリク王家第二王女のです。
 ずっとお前に会ってみたいと思っていたのですよ」

小さく口角を上げて見せたに、スカーレットが眉を顰めた。

!!! まだあなた手習いを受けたいとか言うんじゃないでしょうね!?」

スカーレットの懸念に、はあっさりと頷いてみせる。

「もちろんですとも。彼はコロシアムで三千戦三千勝無敗の男ですよ?
 お父様も彼のおかげでずいぶん剣の腕が上達なさったと聞きます」

の言葉に、キュロスは困惑した様子で尋ねた。

「あの、私から剣を習いたいと言うのは本当なのですか・・・?」

ドルド3世からその話を聞いたときは何かの冗談かと思ったほどだ。
実際ドルド3世も頭を抱えており、
「娘たっての希望なので無碍にもできないんだが・・・」と、嘆いてすらいた。

その上こうしての姿を見ると、
「剣を習いたい」と言うのが全く嘘のような外見の姫君なのである。

「ええ。お父様から聞いているのでしょう?」
「前例のないことだと、聞いてもいます」

戸惑うキュロスに、はクッと口角を上げる。

「・・・ふふ。いいですね、私が前例となると言うのは。
 戸惑うのも無理はありませんが、遠慮なく。お前は私の師となるのです」
「ですが、」

は首を捻るが、何かに気づいたようで納得したように頷いた。

「ああ、こんな見目だから不安になったのですか、でも、ほら」

「・・・!」

キュロスは息を飲んだ。
がグローブを外すと、形の良い手のひらにはタコやマメができている。
長い間剣に触れていなければ、こうはなるまい。

「傷跡は薬を塗って残らないようにしているのです。
 ネイルを楽しめないのは残念ですが、その分人に施せばよい話ですからね」

はグローブを嵌め直すと、キュロスを見上げ目を細めた。

「ついでに言うと、お前に拒否権などと言うものはありません。
 ・・・私は王族ですよ?」
「う・・・」

それを言われてしまえば、キュロスにもはや為す術はない。

「手を抜いたら怒りますからね。ふ、ふ、ふ」

にたじたじになっているキュロスを見て、
スカーレットは肩を落とした。

ったら・・・」

何事も強引に進めるのはの悪い癖だ、と嘆くスカーレットに苦笑して応じながら、
ヴィオラもに目を向ける。

どこか意地悪くキュロスに笑っているように見えるに、首を傾げていた。

お姉さま、珍しいね、
 いつもは自分のことを『王族だから』なんて言わないのに」



その日はドレスローザに海賊が訪れており、
港町はどこか不穏な雰囲気であった。

「スカーレット様が連れ去られたー!!!」
「海賊だァー!!!」

警戒も虚しく、港町に顔を出していたスカーレットが
海賊に連れ去られたと聞き、
真っ先にキュロスが剣を持って海へと飛び込む。
泳いで海賊船に辿り着いたキュロスは大立ち回り。
海賊をバッタバッタとなぎ倒して、誘拐されたスカーレットを見事に助けることに成功した。

よほど怖かったのか泣きながらキュロスに抱きついたスカーレットに、
キュロスは恐れ多いと謝り倒している。

二人が港町まで戻ると、ブロンズ色の髪を振り乱した
しゃくり上げるスカーレットを見つけて走り寄ってきた。

「スカーレット! お姉様!!!」

に気がついたスカーレットは駆け寄る妹を抱きしめる。
はひどく取り乱していて、スカーレットよりも不安そうに、噛みしめるように呟く。

「ああ、無事で・・・! 本当に、無事でよかった・・・!」
・・・!」

じわ、とスカーレットの目尻に再び涙が浮かんだ。
はスカーレットから離れ、横に立っていたキュロスに腰を折る。

「キュロス、お前が助けたのでしたね。ありがとう・・・!」
「あ、あの、様、顔をあげてください・・・!」

たじろぐキュロスに、は顔を上げる。
すでにいつもの無表情のに戻っており、その上、どこか怒っているようだった。

「・・・それにしてもお前の他の護衛たちは気が抜けていますね。
 軍隊長なら部下の教育にも手を回すものですよ。
 追って彼らには処分を出さなくてはいけません。・・・お父様もそう言うでしょう」

厳しいまなざしに、キュロスは居住まいを正す。

「・・・はっ、申しわけございません」

その様子を見て居たスカーレットが不服そうにを見ていた。
視線に気づいたらしいは眉を上げ、小さく笑う。

「・・・ふ、ふ。そんな怖い顔をしなくたっていいでしょう。
 スカーレットお姉様」

スカーレットは仲の良い妹が相手でも、間違っていることは間違っていると指摘する人だ。
を嗜めるように咎めた。

、キュロスは私を助けてくれたのに・・・! そんな言い方、よくないわ」

しかし、は首を横に振る。

「ええ、でも、お姉さまは怖い思いをしたでしょう?
 ・・・本当はあってはならないことです。絶対に」

は幾分消沈した様子で、ポツポツと語った。

「・・・心配、したのですよ。
 お姉様が海賊に連れ去られたと聞かされた時、どんな心地がしたかわかりますか?
 今回は本当に肝が冷えました・・・」

様、スカーレット様」

キュロスはとスカーレットに跪き、目を合わせた。

「私がいる限り、二度と同じ目には遭わせません。必ずあなた方をお守りいたします」
「キュロス・・・!」

頬を染めるスカーレットを横目に一瞥すると、
は目を閉じて小さく息を吐き、僅かに口角を上げて見せた。

「・・・お前は真面目な男ですね。ええ。そのように、頼みます」



「ねえ、、私って本当に可愛い?」
「何です? 藪から棒に」

いつものごとく化粧品を試したいとの部屋に呼ばれたスカーレットは
ため息交じりにに訪ねた。

ブラシを手に取りながら首を傾げるに、スカーレットは目を伏せる。

「別に・・・。はいつも私を褒めてくれるけど、
 本当にそうなのかなって、思って・・・」

物憂いげなスカーレットに、は何に気がついたのか小さく微笑んでみせる。

「キュロスのことでしょうか?」
「・・・ああ! もう! ・・・私ってそんなにわかりやすい?」

ソファの肘掛にもたれたスカーレットには目を細める。

「ふふ。スカーレットお姉様は表情が豊かですもの。
 それに・・・悔しいですが、私の化粧品を使うより、
 キュロスのことを話している方が可愛らしい。
 恋という魔法には敵いませんね・・・」

ったら!」

揶揄う様子を見せたに、スカーレットは頬を膨らませる。
は顎に手を這わせ、何か考えるそぶりを見せた。

「胃袋でも掴めばよろしいのでは?」
「え?」

どうやら恋路に悩むスカーレットにアドバイスを送ることにしたらしい。
はなおも続ける。

「あと割と押しに弱そうな雰囲気がありますから、素直に気持ちを伝えるといいと思います」
「お、押しに弱そう?・・・そうね、あなたとキュロスの会話を見てるとそんな感じがする・・・」

スカーレットはなるほど、と頷いていた。

キュロスはの剣の師匠としての立場でもあるはずなのに、
普段はどうもに押されているような部分がある。
指導は真面目にしているし、も鍛錬の時は弟子として言うことを聞いているのだが。

のアドバイスを聞き入れることにしたらしいスカーレットに、
は新しく開発している化粧品を指差して言った。

「ふ、ふ、ふ。必要とあらば私も魔法をかけましょう。
 ちょっとだけ自信をもたせてあげますよ。
 もちろん。そのままでもお姉さまは可愛らしいですが」

相変わらずジゴロのようなことを言う妹に、スカーレットは微笑む。

「フフ。じゃあ、ここぞという時はお願いするね」



徐々にキュロスとスカーレットの距離が縮まるのを、は一番近くで眺めていた。
平気な顔をして、彼らの仲が成就するのを祈って見せた。

スカーレットの幸せだけを祈っていた。
この国でキュロスと思うように、健やかに生きていけるのがスカーレットの幸せなら、
それがの幸福なのだと思っていた。

の心臓には誰にも見えない傷口があって、
そこからいつも血が流れているようだった。

は胸が痛むのを無視し続けた。
もしかするとこの時から、徐々に、取り返しがつかなくなっていったのかもしれない。



「お父様、私、彼と一緒になれないのなら死にます!」

キュロスと結婚したい、できなければ死ぬ。
そう父親に豪語したスカーレットは世間では流行病で死んだこととなった。
前科のあるキュロスと、王女スカーレットの結婚を大衆は許さないと危惧した、ドルド3世の判断だ。

葬儀が開かれ、喪服の国民たちが列をなした。

ドルド3世は額を押さえ、キュロスと腕を組むスカーレットに向き直る。

「スカーレット、・・・今日からもう、お前は王族ではないぞ」
「はい」
「恩を仇で返すようですリク王様・・・」

キュロスがバツの悪そうな顔をする。
ドルド3世は深くため息をこぼし腕を組んだ。

「全く、許されんことだ!
 お前以外の男ならな! 全く聞いたこともないわ、こんな話」

微笑み、祝福するドルド3世に、キュロスもスカーレットもホッと胸をなでおろした。
そこに口を挟んだのは喪服のである。

「でも、ウェディングドレスを着たお姉様が見れないのは残念ですね」
「仕方がないわよ、・・・」

国民たちにはスカーレットが死んだと嘘をついた手前、
結婚式は開くことができない。

眉を下げたスカーレットに、は納得がいかないのか、首を横に振った。

「神様に誓うだけなら、別に大々的にやらなくたって家族だけでやればいいじゃないですか。
 ドレスなら縫いますよ。家族で縫いましょう」

の提案に、ヴィオラが微笑んだ。

「わ、お姉さま。いいアイディアね!」

勝手に話が進んでいくのを呆然と見て居たキュロスに、が目を向けた。

「キュロス。お前も見たいでしょう、ウエディングドレスのスカーレットお姉様。
 きっと世界で一番綺麗ですよ」
「え!? 様、その、」

慌てるキュロスに、は目を眇める。

「・・・しのごの言わずに『見たい』って言え」

脅すような物言いのとたじろぐキュロスを見て、スカーレットは吹き出した。

「まぁ! ったら大げさなんだから! うふふ、うちの人を脅さないでよ」

笑うスカーレットに何を思ったのか。
キュロスは照れながらも、の問いかけに頷いてみせる。

「! ああ、その、・・・見たいです」
「え、」

瞬いたスカーレットに、は小さく口角を上げる。

「最初から素直にそう言えば良いのです。全く。ふふ。
 スカーレットお姉様。旦那様のお願いですよ。お聞きになったらいかがです?」

「・・・しょうがないわね、もう」

苦笑するスカーレットに、とヴィオラが目配せして微笑んだ。



王宮には小さな礼拝堂がある。
口の硬い神父を呼んで、結婚式はそこで行うことにした。

家族で縫った白いウェディングドレスを纏うスカーレットに、
化粧を施すのはの役目だ。

誰よりも早くプリンセスラインのウェディングドレスを着たスカーレットを見たは、
ほう、と感嘆のため息をこぼす。

「・・・よくお似合いですよ、スカーレットお姉様。あまりの美しさにキュロスが腰を抜かします」
「またそんなこと言って! おかしいんだから! ふふふっ!」

相変わらずとぼけたことを口にするにスカーレットは笑い出した。
は小さく口角を上げる。

「ふ、ふ、ふ。では私が最後に、魔法をかけましょう」

はスカーレットの唇に筆を這わせた。
ドレスローザの紅花で作った玉虫色の口紅。さっと塗れば発色のいい赤色に変わる。

鏡を見たスカーレットは息を飲む。

  はずっと化粧を練習していたけれど、ここまで上手だっただろうか。

賞賛の言葉を贈ろうとスカーレットが振り返ると、
の肩が震えていることに気がついた。

の目には、久しく見たことがなかった涙が浮かぶ。

「本当に・・・本当に綺麗です、スカーレットお姉様・・・」
・・・」

は目尻を拭い、首を横に振った。

「・・・ごめんなさい、私、・・・、寂しくて、」

鼻をすするを、スカーレットは抱きしめた。
は驚いたのか、息を飲む。

「ありがとう、。あなたには女王の役目を押し付けてしまったけど、
 きっと私なんかより、ずっとうまくできるわ」

「そんなこと、」

困ったように声をあげたの言葉を遮って、スカーレットは朗らかに笑う。

「あるわよ。あなたは時々真顔で冗談を言って茶化したりするけれど、
 誰より努力家で、美人で、賢くて、私の自慢の妹なんだから!」

は眉を下げて口角を上げた。
どこか寂しげなを励ますように、スカーレットは言葉を続ける。

「こうやってささやかでも結婚式をすることができて、私本当に嬉しいのよ、」

感謝を口にしているうちに、スカーレットの目にも涙が滲んだ。
はそれに気がついて、唇の前に指を置いた。

「お姉様はまだ泣いたらダメです。・・・私のかけた魔法が解けます」
「やだ、いけない・・・」

「でも」

慌てるスカーレットに、は目を細めた。

「キュロスがあなただけの魔法使いになったので、私の魔法はなくても大丈夫です。
 悔しいけれど、私の化粧品を使わなくたって彼の隣にいれば、
 スカーレットお姉様は世界で一番綺麗ですもの」
、」

はブーケを差し出した。
スカーレットの大好きな、ひまわりのブーケを。

「ふふ! ひまわりのブーケに負けない笑顔をキュロスにくれてやりましょう。
 きっと眩さに気絶しますよ」
「ふふふ!」

クスクス笑うスカーレットの背を押して、はスカーレットを送り出した。



編み込んだストロベリーブロンドの髪に、レースに縁取られたベールを被せた。
プリンセスラインの白いウェディングドレスは家族みんなで縫い合わせた。
ひまわりのブーケは特別に、小人の育てた美しいものを選りすぐった。
メイクアップはの魔法”Dear Princess”。

 完璧だった。
 きっと世界中のどこにも、あなたほど綺麗な人はいなかった。

キュロスと腕を組んで、幸せそうに微笑むスカーレットを見て、
の目から涙が滲む。

感激して涙している。そうだったら、どれほど良かっただろうか。
けれど、は本心から、この言葉を贈ったのだ。

「末長くお幸せに。スカーレットお姉様」