王たる女の箱庭
モネという女性は大層有能で、共に仕事をするとすぐには彼女を気に入った。
同じミスは絶対にしない。勤勉で、仕事が終わると図書館に通い、
の育てる花の名前や化粧品の原料についての基礎知識はあっという間に覚えてしまった。
の予定や思考を先読みし、の仕事がしやすいように振る舞い、
客人に対してもわきまえた態度をとる。
まさしくモネは”有能な秘書”だった。
の欲していた人材である。
しかし。
「あなたの方がよほど清貧ではありませんか、モネ。
欲がないというのはあまりいいことではありませんよ。
成長がなくなりますからね」
庭園の手入れの後の休憩時間。
睡蓮の浮かぶ池を横目に、はモネを嗜めた。
モネは頑なに昇給を拒んでいるのだ。
はそれに、どうも納得がいっていないように見える。
モネは困ったように眉を下げ、首を横に振る。
「評価していただけるのは嬉しいのですが、
私は自分の仕事を全うしているだけですから。
それに生活に困らないだけのお金はいただいていますし、」
は腕を組んでほんのわずか眉を寄せた。
「ダメです。能力のあるものにはふさわしい報酬が与えられるべきです」
「・・・でも、様は役員の中でも一番報酬が低いではありませんか」
モネが人のことを言えないでしょう、と言いたげにを見やるが、
指摘を受けてもは涼しい顔で頷いていた。
「ええ、私より有能な人間が副社長、専務、常務の職についてくださっているからですね。
私は所詮、会社を立ち上げただけの人間ですから」
反論しようとするモネを遮り、はビシ、と指を突きつけた。
「とにかく、あなたに拒否権はありません、昇給です昇給。
よく稼ぎ、よく使ってください。ドレスローザの経済を回すのです」
「・・・かしこまりました」
苦笑しての独特な言い回しを飲み込んだモネに、は満足そうに一度頷く。
モネはそよ風にの髪がなびくのを見て目を細め、
それからあたりを見回した。
「それにしても、見事な庭園ですね」
四季の花々が計算尽くされた配置で植わっている。
睡蓮の池は鏡のように庭の花々を写し、
まるでこの世のものとは思えない色彩が溢れ出していた。
モネの賞賛には口角を少しばかりあげて見せる。
「ありがとう。私が設計した庭です」
「・・・これを、ですか?」
驚いた様子のモネに、はふ、と吐息のような笑みをこぼした。
「もちろんプロの手を借りましたよ。でも最初から携わりました。
植える花の品種や、温室のデザイン。テラスの設置も私のアイディアです。
ちょっとやりすぎたかな、とも思ったのですが、
・・・仕事に詰まると、ここにきます。居心地が良いので」
は髪を耳にかけ直した。
モネは確かに、と庭園の花々に目をやって呟く。
「ええ、分かる気がします」
穏やかで、遠くでせせらぐような水音がする。
木漏れ日は優しく輝き、花々は美しく咲き誇る。
この庭園はにとって特別なものなのだろう。
ここに来たは心なしか力の抜けた態度をとっているように思えた。
はオレンジジュースの入ったグラスを傾けると、
じっとモネの顔を見つめる。
「どうかなさいましたか?」
首を傾げて見せたモネに、は顎に手を這わせ、考えるそぶりを見せる。
「モネ、あなたはウチの商品を使っていますか?」
「え?・・・ええ、もちろんです」
「なら、試作品を試させていただいても? もちろん手当はつけますよ。
使った商品のサンプルも気に入ったなら差し上げますし」
心なしウキウキと頼み込むに、モネは答えに窮した。
は他国の姫に化粧を施すためだけに国を留守にすることもある。
が化粧を施した女性、あるいは女性の心を持った男性は皆見違えるほど美しくなると評判で、
まるで”魔法使い”のようだと賞賛されていた。
しかし多忙なの手を借りるには何年も待たなくてはならないとも言われている。
「よろしいのですか・・・?」
思わず聞き返したモネに、は小さく微笑む。
「ふ、ふ。おかしな人ですね、私が頼んでいる立場ですよ、モネ。
あなたはあまり着飾りませんが、化粧品でかぶれることがある、とか、
そういう理由があるわけではないでしょう?」
「きれいな肌をしているものね」と褒められて、モネは頰に熱が集まるような気がした。
は人を褒めることを惜しまないので、時折モネは狼狽えることがある。
目を泳がせるモネをはどこか面白そうに見つめていた。
モネは咳払いをしてから答える。
「失礼。・・・ええ、でも。この通り、・・・あまり目が良くないものですから」
メガネを指して答えるモネに、は「なるほど」と頷いた。
「確かに、視力が弱いと細かい調整が難しいですからね・・・。
私でよければコツなどもお教えしますがいかがです?」
モネはの親切な申し出にしばし目を瞬かせたが、微笑んで答えた。
「はい。ぜひ、お願いしますね」
※
ドレスローズ本社、社長室ではつい先ほどまで最終面接を行なっていたところだった。
長い面接を終わらせて座り心地の良い椅子の上、
伸びをするに、モネは書類のいくつかをまとめながら尋ねる。
「今回は魚人族の方を採用するのですね」
は肯定する。
「ええ、あなたが来る前のレヴェリーの帰り、魚人島に足を運んだのですが、
十二分に我が社が参入する余地があると感じました。
故に能力と経歴も申し分なさそうな魚人族というのは貴重な人材です。
実感のある意見も聞くことができますしね」
良い買い物をした、とエンゼルフィッシュの魚人の女性を思い返しながら頷いたに、
モネは書類を渡し、紅茶の準備に取り掛かりながら、メガネの下で目を細める。
「彼女は感謝していましたよ」
「え?」
は目を瞬かせる。
モネは「わかっておられないのですね」と小さく息をついた。
「様は差別をせず、給金も人と魚人とで平等、
”世界中の女性の心を持った人々へ”のスローガンは本物なのだと、彼女は感激していたのです」
の出した雇用条件に瞳を潤ませていた面接者の顔ときたら、
教会に通う信者のそれと変わらぬものだった。
しかし崇拝の情を向けられてもは涼しい顔である。
それどころか、モネの質問に対して少しばかり面白そうに眉を上げて見せた。
「・・・ああ、まだ世界貴族を始めとする王侯貴族は、
魚人族に対して差別的な感情が根強いから、そんなことを言うのですね」
モネはレモンの浮かんだ紅茶をの前に起き、沈黙で答える。
の心情や人となりを知ることもモネの本来の仕事である。
の性格は概ね把握して来ている。
差別など下らないと一蹴するだろうと思っていたモネだったが、
の答えはモネの予想したものとは少し違っていた。
「私は差別はするべきでないとは思いますが、区別はすべきだと思っていますよ」
瞬いたモネに、はなおも続ける。
「事実として、彼らはヒトと同じ化粧品を使いづらい。
原料、色などを区別するべきです。
また、彼らに関しては耐水性も重要な課題になってきますしね。
人魚の方々は肌の色に関して問題はなくとも、
ヒト用のウォータープルーフでは物足りないとの声が、」
モネは少しばかり肩を落とした。
それは安堵によるものだった。
「様はなんでもお仕事が基準になっていらっしゃる・・・」
呆れたような様子のモネに、は吐息のような笑い方をする。
「ふ、ふ。ワーカホリックですね。私は。
・・・けれど、モネ、
少しでも自分を魅力的に見せたい。綺麗になりたい。可愛くなりたい。
そんな風に思って商品を手に取る女性の心に、何の違いがあるでしょうか?」
面接者の書類を眺めながら、は優しく眦を緩めた。
「たとえ体が男であっても、幼くても、年老いても、種族がなんであろうとも。
”ドレスローズ”の商品を身につけた時微笑んでくれるのなら、彼女らは全て私のお客様です。
私は彼女たちの欲望に応えたい」
が何より仕事に情熱を注いでいることはよくわかっていたが、
モネは少し不可解だった。
「しかし、様はいずれは女王となるのでしょう?
いくら疲れ知らずのあなたでも、これを続けるのは難しいのでは?」
幾ら何でも社長業と女王業を両立させることは難しい。
はおそらく何か手を打つつもりだろうと思っていたのだ。
そこに、”本来の仕事”のヒントがあるかもしれない、とモネはメガネの下で
油断なく伺いながらに問いかける。
すると、は静かに語り出した。
「・・・かつて、このドレスローザという国は欲のない国でした」
にとってのドレスローザ王国を。
「平和で、のどかで、料理と伝統的な踊り、そして花々が名物でした。
国民は飢え死ぬことはなくとも、お腹いっぱい食べ物を口にするというのは難しいことがあって、
それでも皆、素直な国民性からか、貧しくとも目の前にある自身の仕事を全うしてくれていた・・・」
穏やかな語り口で語られたのは以前のドレスローザの美徳とも言える言葉だったが、
は淡々とそれを否定した。
「それは”ゆるやかな死”です」
「え?」
思わず声をあげたモネに、は小さく口角を持ち上げ、
しかし真剣な眼差しでモネを見つめる。
「この大海賊時代。政府が永遠に続くとも限らない。海賊の跋扈する時代に、
”現状維持”のままでいるというのは、命綱無しの綱渡りに挑むようなもの。
柔軟に、変わらなければなりません。人も。国も」
が国について語ると、生まれついての王族というのはこういう人なのだと、
モネはまざまざと思い知らされるようだった。
そしてやはり、モネの仕える人に近しいものを、には感じるのだ。
は紅茶の水面を見つめながら続ける。
「人を変えることは難しいですが、環境を整え、導くことはできる。
王族として生まれたのであれば、その役目を引き受けるのは当然のこと。
なに、全部一人でやるわけではありません。
会社だって国の運営だって、優秀な人と共に歩めば負担は分散されますからね」
は小さく微笑むと、いたずらっぽく片目を瞑った。
「我が社の理念に賛同してくれて、成長を望む方であるなら、取り纏めるのは誰でもいいのです。
私は喜んで我が社の一番上のフロア、そしてこの座り心地の良い椅子だって譲渡しましょう」
「・・・それは、国の方も同じ、ですか?」
モネの疑問に、は少々言葉に詰まった様子だ。
「う、痛いところを突きますね・・・。
まあ、私は女ですから夫が王となりますね。
共に国家を運営するのが理想的なのでしょうが、
・・・お分かりでしょう、モネ、私に伴侶を選ぶ時間はありません」
多忙を理由に未だ夫を選ばずにいるへ、
モネは薄っすらと微笑んだ。
「うふふ、私にはわざと様が恋を遠ざけているように見えます。
あなたはとても器用な方。
どんなに忙しくとも恋しい人のためなら時間を割いて見せるのではと、思うのですが」
モネの指摘にはわずかに眉を顰める。
「・・・察しが良いというのも考えものですね。
いずれは夫を持つべきだとは思うのですが、・・・今はとてもそんな気にはなれません」
はため息を零した。
モネにとっても不思議なことに、には浮いた話というものが全くない。
かなりお茶目でとぼけたところはあるものの、
表情の乏しいところを除けば、さほどの欠点もないだ。
その隙のなさに大抵の男は萎縮してしまうだろうが、
それ以上にに言い寄る人もいることだろう。
だがそんな相手も、はサッとかわしてしまうのである。
恋に情熱的なドレスローザの女性にしては珍しい、とモネは首を傾げて見せる。
「苦い恋の思い出でもあるのですか?」
「・・・ふ、ふ、ふ」
は吐息をこぼすように静かに笑い、そして、
「さぁ、どうでしょう?」
答える気がないのだと言うように、小さく微笑んで見せたのだった。