孤高の人


が21歳の誕生日を迎えた頃、ドレスローザの風景は随分変わっていた。
歩道は整備され、煉瓦造りの建物が軒を連ねる。
人々は皆楽しげに町を闊歩する。

の商売は驚くほどうまく行った。
王女の道楽と見なす者はもはやおらず、は稼いだ金で人を集め、会社を立ち上げた。

化粧品製造販売業”ドレスローズ”。
かつては王侯貴族のみに商売を行なっていたが、
今ではすべての女性たちと、女性の心を持った男性のための化粧品を作り、価格帯も様々。
毎年黒字を更新し続ける会社の社長として、は忙しい日々を送っている。

その才覚と辣腕は外海にまで轟いており、の元には見合い写真が山のように届いていた。

は久方ぶりに訪れた王宮で、うず高く積まれた写真に「わぁ・・・すごいですね、これ」と
どこか他人事のようなコメントをして父親にため息をつかせていた。

「お前はなぜそんな他人事なんだ・・・」
「いや、だって、会ったこともない人に普通求婚しますか?
 それにまだそんな歳じゃないですよ」

どうやら結婚する気はさらさらなさそうなに、ドルド3世は腕を組み、唸る。

「むぅ、私としては早く孫の顔が見たいのだがなァ・・・」
「ジジ馬鹿になりますよね、確実に。孫に会うたび泣いたりとか」

5歳になったスカーレットの娘、レベッカに対しての態度を暗に揶揄すると、
ドルド3世は咳払いをして話をそらした。

は王宮の窓から城下を見下ろす。
賑わう町と、無人島グリーンビットの森、
そして埋め立てて作った人工島”ドレスローズ本社”が見えた。

「私、商才があったのですねぇ、お父様」

は思わず頰に手を当てて呟く。
ドルド3世は「何を今更、」と呆れた様子だった。

「有りすぎだ馬鹿者、お前・・・金庫から溢れるほど財産を持ってどうするんだ?
 10回生まれ直して遊んで暮らしても使いきれんぞ・・・お前個人の財産だろう、あれは」

ドレスローザ王国との会社は別会計だ。
寄付という形での会社は国庫を潤してはいるものの、
”健全な運営”をポリシーに掲げている
作った会社を国営にすることを良しとしなかった。

また、ドルド3世が言うようにが築いた財産は100億を超えている。
その数字に、は並々ならぬ達成感を感じていた。
それは例えるなら「ここまでくれば大丈夫だろう」という安堵のようなものだった。

「ふ、ふ・・・!」
「なにニヤニヤしとるんだ」

口角を上げて小さく笑うにドルド3世は苦笑していた。

「いえ、島の外を埋め立てて会社まで作っても余るものとは思わずにいたので。
 つくづくお金って便利ですね」
「お前なァ・・・」

金を稼ぐことに幼い頃から執心してきた割に、自身はそこまで贅沢というわけでもない。
世間の思うのイメージと合致している華美な服装をするのは
外海に出て王族を相手にしているときだけだった。

が金をかけるのは優秀な人材と、商品開発のための花を育てる庭園。
そして”安全”だ。

はドルド3世に目を合わせ、こう言った。

「健全な労働にきちんと対価を払い、商品を開発するべく投資しても
 ここまで余るのなら、使い道は一つです」
「ほう?」

「軍事力の強化・・・あと貯金です」
「はァ!?」

いきなりの提案にドルド3世は驚いていた。
だがは今考えたことではないと首を横に振る。

「国が富めば自衛は必須。戦いを嫌うお父様の考えはわかりますけどね。
 何が起きるかわからないじゃないですか、今は大海賊時代ですよ?
 お金を多めに払って海軍にとりなしてもらうとか、そういう融通きかせたりするのに便利です」

世界政府加盟国でもあるドレスローザは海軍の恩恵を受ける立場にあると、
は海軍本部に多額の寄付をしている。
元帥であるセンゴクなどは「これは賄賂なので受け取りかねます」と
はっきりとに意思表示をしているのだが、大海賊時代において、
金はいくらあっても足りるものではない。

結局、センゴクはドレスローザからの寄付を受け入れざるを得ず、
はそれを利用して、国力を高めることに腐心している。

それはドルド3世も知ったところではあったが、
を咎めることはできなかった。

ドレスローザは豊かになりすぎたのだ。
新世界を超える実力を持つ海賊たちに抵抗するには、
の方針も間違ったことではなかった。

それでもドルド3世は渋い顔をしてに嗜めるような言葉を送った。

「お前さっきまで健全がどうこうとか言っておったろうに・・・」
「それはそれ。これはこれです」

だがは薄っすらと口角を上げるばかりである。

「お金で安全を買えるなら、安いものではありませんか。
 別にお父様も贅沢がしたいわけではないでしょう? 私も同じです。
 私はただ・・・」

は城下に目を向け、その眦を緩めた。

「この国と家族が幸せに、笑って過ごせるのであれば、なんだっていいんですから」
「・・・そうだな」

ドルド3世もに笑みを浮かべる。
国を潤し、人々に笑顔を与えた娘。

もしもドレスローザが彼女の国になったとしても、きっと繁栄は続くだろう。

「ところで、お父様。私を呼び出したのはどのような理由なのです?」
「ああ、。お前付きの侍女を雇うことにしたのだ」

「新しい侍女を?」

不思議そうな顔をするに、ドルド3世はジト目で娘を見やる。

「お前の突飛な思いつきにも付き合えそうな優秀な方を雇うことにしたんだよ。
 ちょうど友人が紹介してくれてな。経歴もしっかりしていた。
 ・・・だいたいお前は王女のくせに国外への出入りが激しすぎる」

は心外だと言わんばかりに眉を上げた。

「ちゃんと護衛は給金をはずんで海軍に頼んでますよ。
 身元のしっかりした優秀な方をお願いしてます。
 ヴィオラと一緒に面接もしてますし」

ドレスローザの護衛に着く海軍は皆ヴィオラとの面接を通してから雇われた。
その甲斐あってか、ドレスローザが海賊の被害を受けたことは、ここ数年、一度もない。

ドルド3世もそのことは知っている。
護衛についてのことに文句はないのだ。ただ。

「そりゃそうだがな・・・付き合わされる侍女の身にもなれ!
 急な思いつきで一週間外泊がザラというのはな! 普通じゃないぞ!
 付き合いきれないと言われて手当をつけても今じゃ誰もついて来ないのだろう?!
 お前も少しは落ち着きなさい!」

ドルド3世はを叱る。
は耳が痛い、という顔をした。

香水が名産だというアラバスタに支部を作ろうと画策したり、
呼びつけられればどんなに遠くとも年頃の姫君のいる国を行き来した。
冒険と言って差し支えのない航海をして、一ヶ月はざらにドレスローザを離れることもある。

もともとドレスローザにいた侍女たちは付き合いきれないと、
の航海に付き合う者が誰もいなくなってしまったのである。

ノックの音がして、ドルド3世は扉に目を向ける。

「噂をすればだ。入りなさい」

ドルド3世の声に応じて入ってきたのは、
黄緑色に輝く髪を結い上げた、シンプルなドレスを纏ったメガネの女である。
年の頃はとさほど変わらないように思えた。

女は恭しく胸に手を当て、頭を垂れる。

「モネと言います。初めまして」

はそのつむじを眺めると、ドルド3世に顔を向ける。

「じゃあ、ヴィオラを呼びましょう。面接を・・・」
「馬鹿者!友人の紹介だと言っとろうに!
 信用してないと言っているようなものだろうが!」

ドルド3世に叱られて、は眉を上げる。

「ええ? バレないですよ多分」
「多分じゃダメ!」
「・・・しょうがないですね、全く」

はため息を吐いて、ドルド3世から渡された履歴書に目を通す。
貴族の家に長年仕えていたが、この度取り潰しになったので
ドレスローザに就職したいということだ。
どうやら取り潰された貴族のツテを頼ったらしい。

「なるほど、貴族の嫡男に付き添っての航海の経験もあるとか。
 ・・・船酔いは心配しなくても大丈夫ですね?」
「もちろんです」

モネは朗らかに応じた。
は少々考えるそぶりを見せた。

「では、一ヶ月を試用期間としましょう。
 その時の働きぶりを見て本採用にするか否かを決めますね。
 もちろんその間の給金は規定通り出しますのでご安心を」

、お前また勝手に・・・」
「そもそも侍女はあまり必要じゃないんですよ。自分のことは自分で出来ますし。
 どちらかといえば秘書の方が欲しいです」

勝手に雇用条件を出し始めたをドルド3世が咎めると、
はため息交じりに答えた。
モネはそれを聞き、手を上げてから質問する。

「・・・では、秘書としての能力を示せば雇っていただけますか?」

は眉を上げた。どうやらモネの態度に自信のようなものを感じ取ったらしい。
有能な人材はいつでもの欲するところだ。

はモネに向かって小さく口角を上げた。

「ええ、願わくばあなたが私の求める人材ならば良いのですが」



モネがの仕事に付き添って3日。
毎日が炎天下に氷が溶けるような速さで過ぎていく。

ブロンズ色の髪をまとめたが副社長の鋭い目つきの壮年の男と
「ああでもないこうでもない」と書類のやり取りをしているのを伺いながら、
モネは今日一日のスケジュールを思い返していた。

工場の視察に赴き、庭園の手入れをし、
書類の山を片付けたと思えば、王族としての手紙の執筆。
そして今、副社長アルビオン・メルシエとの打ち合わせは白熱している。

この後短い昼食をとった後は
の楽しみにしている刺激的なアイディアを持った商人達との謁見が
貿易港にある謁見室で開かれる。
その後は新商品のデザインの確認と、の仕事には終わりがない。

もちろんこれは普通の姫君の過ごすスケジュールではない。
確かに普通の侍女がついてこれないはずである、とモネは納得していた。

そして、に付き従っていて驚くのはその人望と、気前の良さだ。
素晴らしいと感じたアイディアに金を惜しみなく払い、商人やデザイナーを受け入れている。
一方で中途半端な仕事には厳しく、長年付き合いのある相手であっても毅然とした態度をとった。

自分にも他人にも厳しい方だ。とモネはの横顔を見ながら思う。
徹底した成果主義。
だからこそ自身のアイディアに自身のある商人や、腕に覚えのある職人達はの元に集うのだ。

商人達が一喜一憂する顔を見送りながら小さく息をついたモネに、
がふと顔をあげた。

シンプルな壁掛け時計を見ると、最初の商人が来てから3時間は経っている。

「少し疲れましたね、休憩にしましょうか」

「はい。次の商人達が来るのは1時間後にしてもらいましょう。
 様はレモンティーがお好きでしたね、
 それからお茶請けにマドレーヌを、」

「二人分出してもらってもいいですか?」

テキパキとお茶の準備を始めたモネに告げた言葉に、モネは目を瞬いた。
はほんの少し眦を緩める。どうやらモネに笑いかけたらしい。

「一人でお菓子を食べるよりは、誰かと一緒に食べた方が美味しいものですから」



「・・・疲れたでしょう。驚きましたか?
 お姫様のスケジュールにしては、ぎゅうぎゅうだと思います」

上品にカップを傾けたはモネに問いかける。
随分と気さくな振る舞いに、モネは内心で戸惑いつつも、正直に頷いてみせた。

「ええ。ずっとこんな日程なのですか?」
「波はありますが、今日は平均的なスケジュールですね。
 何しろこれは、私の生きがいのようなものなので」

「見ていればわかります」

モネの言葉には小さく口角を上げる。
よそ行きの時には自信に満ちた微笑みを見せることもあるが、
”素”のの笑みはこれなのだろう。

表情は確かに乏しいが、喜怒哀楽を、は素直に顔に出した。

「ふふ。変わり者だと思ったでしょう。
 普通のお姫様というものはこんなにも商売に血道を上げたりはしないのでしょうし」

「そういう星の元にお生れになっただけのことでしょう、変わっているだなんて思いません。
 それに、驚きました。様は贅沢をなさったりはしないのですか」

は少しだけ眉を下げた。

「・・・ドレスローザの人はみんな私を思いの外質素だとか言いますけど、していますよ。贅沢。
 庭園には惜しみなく金を注ぎますし。
 外に出向く際はバカみたいに高い値段の宝石も身につけます」
「ふふ、」

の砕けた物言いに、モネは思わず笑ってしまっていた。
はおや、と眉を上げる。
モネは少し頬を染め、小さく咳払いをすると首を横に振った。

「失礼。・・・よそ行きに良いものを着るのは普通のことでしょう、
 まして、様は化粧品会社の社長なのですから。ご自身を広告に使っておられる」

「ええ。貴族の皆様はキラキラしいものが好きですからね。
 私としては装飾のないドレスに、首飾りだけ、とかの方がシンプルで好きなのですが。
 いつかそういうのが流行ればいいのに」

マドレーヌを口にしながら、はほう、とため息をこぼした。
モネはその顔にどこか寂しげな色を感じ取って、驚いていた。

「あの・・・差し出がましいことを申し上げるのですが」
「はい。なんでしょう?」
様にはそう言った話をされる方はいらっしゃるのですか?」

モネの遠回しな言葉に、は喉を鳴らして笑い出した。

「ふ、ふ、ふ。初めてですね。
 面と向かって『お前に友達はいるのか』と聞かれるのは・・・!
 ふ、ふ、ふ!」

一瞬怒らせたのかと思ったが、は腹を抱えて笑っている。

「あら、そういえばいませんね。家族以外にこういう話をする人は。
 年の近い他国の姫君はビジネスの相手ですし、
 王子達は遠巻きに見て来るかやたらと口説いて来るか・・・。
 強いていうなら副社長や商人達、でも彼らは友人というよりは仲間だし・・・」

考え込むそぶりを見せたは結論を出したのか、
真顔で頷いた。

「はい、友達いないです」
様、そんな、堂々と言わなくても・・・」

思わず呆れて突っ込んだモネに、は心なし楽しそうである。
その顔を見て、モネはしばしの沈黙の後、口を開いた。

「では、私があなたの友達のようなものになるのは、いかがですか」

は目を見開いた。
藤色の瞳は一瞬宝石のような光を帯びたが、はすぐに目を伏せる。

「何を言っているのですか?
 ・・・私はあなたにお金を払っている立場です。友達にはなれない。おかしいでしょう。
 お金を払っている人と、友達になるなんて。不平等です」

は立場の違いを理由にした。
しかし裏を返せば対等な誰かを求めていることにはならないだろうか。

モネは薄っすらと微笑む。

「それではあなたは孤独になってしまう。
 ドレスローザのほとんどの人が、客として、労働者として、形は様々ですが
 今やあなたの会社に何らかの形で関わっているのだから」

モネの言葉に、は瞼を閉じる。
だが、その口角はわずかに微笑みの形に上がっていた。

「ふ、ふ。心配してくれるのですか? でも、承知の上です。
 誰かの上に立つ人というのは、孤独なものですよ。いつも」

小さく息を飲んだ。モネの脳裏に、ここにはいない人の背中が見えた気がした。
似ても似つかぬの顔に、その人が重なった。

「それに、国民が、豊かに暮らせて幸せならばそれが私の幸福です。
 孤独など、吹き飛んでしまいます」

モネはハッと顔をあげ、を見つめた。

「あなたは本当に評判通りの方なのですね、」

感じ入ったそぶりを見せるモネに、は軽く眉を上げる。

「あら、どんな評判を聞いてきたのでしょう、『ガリ勉』ですか」
「・・・何ですかそれは」

思っても見なかった言葉がの口から出てきて
モネは思わず突っ込んでいた。
は大げさに驚いて見せる。

「ご存知ない? 私は化粧品会社を興す前、
 寝る間も惜しんで勉強をする子供だったのでそういう噂が立ちましてね」

「うふふふっ、いつもそんな風に、冗談ばかりおっしゃるのですか?」

ついに吹き出したモネに、は小さく微笑んだ。

「経営者にはユーモアがなくては、気詰まりしちゃいますもの」

とぼけた言動と裏腹に、カップをソーサーに戻す所作は丁寧だ。

モネはその時を見て、
もしかすると自分は本来の仕事を少しばかり後悔するのではないかと予感し、
こう思った。

『願わくば、”穏当”な手段を、”彼”にはとってもらいたいものである』と。