恋知らぬ姫君


社長と副社長メルシエがまた喧々諤々と意見を交わしている。
この頃はの提案したコスメカウンターでの接客システムについて、
社員教育のマニュアルを作成するべく、ああでもない、こうでもないと顔を突き合わせて
意見を出し合っていた。

メルシエは非常に優秀な男である。
経営の才を持ちながら凄腕のメイクアップアーティストだ。
この二つの能力を兼ね備えている人間はそうはいない。

しかし、40にさしかかろうというメルシエと、まだ21歳の
どのように知り合ったのだろうか。

の周囲にドレスローザ出身の者が少ないのが気になっていたモネは
意見交換が落ち着いた頃、二人が飲み干したカップを交換する際にメルシエに尋ねる。

「メルシエ様は様とはどのようにお会いしたのですか?
 付き合いが長いと、伺っているのですが」

メルシエはコーヒーの香りを楽しむのをやめ、懐かしそうに目を細める。

「ああ、社長がまだ13、4の頃からの付き合いだな。会社を起こす前だから。
 ・・・引き抜かれたんだ、私は」

「当時、メルシエは貴族のお抱えの化粧師でしたがろくな給金も与えられておらず、
 ほとんど飼い殺しの状態でした。・・・全く、今思い出しても腹が立ちます」

は無表情のまま一度頷いた。

それから興が乗ったのか、はメルシエとの出会いをモネに聞かせることにしたらしく、
モネに椅子に腰掛けるよう促し、語り始める。

「まだ駆け出しの私を面白がって呼びつけた貴族の娘がいましてね・・・。
 当時はまだ王族といえど、私は若年者でしたから割合対等な付き合いだったのです」

「・・・それにしたって、いささか浅慮ではないでしょうか、王族を呼びつけるなど」

モネが思わず眉を顰めると、は小さく肩を竦めてみせる。

「まあ、子供のすることですから」
「社長も子供だっただろうに・・・というか、今のあなたと当時の令嬢は同じ歳だよ」

メルシエがどこか呆れた様子で言うと、はわざとらしく驚いてみせる。

「私も子供みたいなものでしょう?」
「またご冗談を・・・」

メルシエとモネが「やれやれ」と目配せするとは小さく笑い、話を続けた。

「当時メルシエは私の拙い手際を歯がゆそうに見ていました。
 そして貴族の娘が席を外した時、『もったいない!』と叫んだのです」

「社長の持ってきた化粧品そのものは良かったのに、技術が惜しかった。
 下手じゃあないが上手くもない。
 私ならもっとうまくやれると思って一国の姫君相手に説教したんだ。
 あの頃の私はどうかしていた・・・」

恥ずかしい、と頭を抱えるメルシエを、は面白そうに見つめる。

「ふ、ふ。まともな食事や睡眠を取らないとイライラすることもあるのです。
 あの頃あなた、鉛筆みたいに細かったものね」

今も長身で痩せ型の男ではあるメルシエだが、当時はその比ではなかったとは言う。

「食い物を買う金を全部商売道具につぎ込んでたもので。
 ・・・おかげで妻子には愛想をつかされた。社長がいなきゃ、あのまま泣き別れだっただろう」

メルシエは今ドレスローザで家族とともに暮らしている。
愛妻家ぶりも評判だったので、モネはメルシエの言葉に瞬いていた。
はその様子を見て、ため息をこぼす。

「人一人をお抱えにするのであれば生活を保障し、
 仕事を円滑に進められる環境にするのは当然のことでしょうに、
 メルシエの雇い主はそれを怠った。けしからぬことです。
 雇用主は従業員の人生を抱える責任を持たなくてはならないと言うのに・・・」

嘆くに、メルシエは苦笑した。

「言っておくが、そう言う風に考えられる貴族は少ない。
 なァ、モネ。あなたも貴族に仕えてたならわかるだろう?」
「・・・ええ、本当に、そう思います」

頷いたモネとメルシエに、は不思議そうに首を傾げている。
奴隷や使用人をモノ扱いしない貴族、王族は、実はそう珍しくもないのだ。

メルシエは腕時計を確認すると、次の仕事に向かうと言って社長室を後にした。

はそれを見送った後立ち上がり、モネを社長室の片隅にある鏡台の前に座らせる。
がスイッチを入れると、鏡の周りについていた電飾が光った。

「それではモネ、あなたに魔法をかけてあげましょう。私は魔法使いなのです」

ブラシや色とりどりのパレットを並べたかと思うと、冗談めかした口調で告げたに、
モネは小さく笑みを浮かべた。
モネが試作品を試す時、はいつもこう言うのだ。

「またいつもの冗談? ですか?」
「ふふ。モネ、目を瞑って?」

はそっとモネのメガネを外し、ほう、と小さく息を吐いた。

「ぐるぐるメガネがない方が、あなたは綺麗ですよ。
 もっと着飾っても見栄えするでしょうに」

率直な褒め言葉に、モネは薄く頬を染めた。

「こうしてあなたのお人形になるだけで十分よ」
「そんなことを言わずに」

は眦を少しばかり緩めると、目を瞑ったモネに手際よく化粧を施していく。

長所を伸ばし、短所は隠す。雰囲気は気分次第で自由自在。

ばらの香りがほのかに鼻先を掠めた頃、はモネの肩に手を置き、
まるで最高傑作を描き上げた画家のように満足げな声で言った。

「ほら、目を開けて」

 目を開けた瞬間、光に照らされた見慣れた自分自身の顔が
 まるで別人のような印象を伴う。

モネは感嘆のため息を漏らした。

金色に彩られたまぶた。けれどそれが上品に見える。
もともと肌に悩みがある方ではないが、
一層透き通るようにみえるのは口紅との色の兼ね合いあってこそだ。

は顎に手を這わせ、考えるそぶりを見せている。

「髪はそのままでもいいけれど、おろしても素敵だと思います。
 どうです、私の魔法の腕前は?」
「・・・いつものことだけど、すごいわ」

素直に感心するモネに、は小さく微笑んだ。
どこか自慢げな雰囲気さえ漂っている。

「そうでしょう?
 モネはパーツが整っていますからね、ほとんど化粧をしないのは勿体ないです。
 逆に言えば素材がいいから薄化粧、
 あるいは何もしなくても何とかなっちゃうんですけどね。羨ましいです」

「・・・」

鏡の中のモネが真っ赤になった。
それを見て、は吐息をこぼすように笑う。

「ふ、ふ、ふ。チークいらずですね、モネ。可愛い」
「・・・からかわないでよ」
「本当のことなのに。・・・ごめん、怒らないで」

キッと眦を尖らせたモネに、は苦笑する。
それから傍に置かれたメガネをモネにかけさせた。

「でも、もったいないわね、やっぱりメガネがない方がいいわ」

残念そうなモネに、はまた考えるそぶりを見せる。

「・・・ふむ、確かにメガネがない方が化粧が映えるけれど、
 もちろん、メガネがあっても美しくすることはできますよ。
 ちょっと失礼、もう一度目を瞑ってね」

はブラシをとってくるくるとモネの目の下、眉尻の上、顎に粉を乗せる。

「目を開けて、メガネをかけたまま鏡をどうぞ」

メガネをかけていても、顔色がパッと明るくなった。
瞬いたモネに、は小さく微笑む。

「ほら、きれいです。とっても。
 ハイライトを入れてメガネの影を目立たなくするんです。
 それから鼻が当たる部分にコンシーラーを乗せると、跡が残らないですよ。
 特にこれ、新作ですから、今までの以上のカバー力が望めます、」

感心していたように鏡を覗き込んでいたモネだが、
の口ぶりに思うところがあったのか、訝しむように眉を上げた。

「ねえあなた、私に新商品買わせようとしてない? ですか?」

は少し瞬いた後、イタズラが見つかった子供のように小さく微笑んでごまかす。

「ふふ。ばれました?」
「もう」

モネが砕けた口調で話してもは怒らないどころか、
少し嬉しそうな顔をする。

これがつかの間の穏やかな時間だとモネだけが知っていたが、
できるならこの微睡みのような温い幸福が、続けばいいと思っていた。



ドフラミンゴは自室にて、でんでん虫が鳴るのを待っていた。
デスクの上には以前でんでん虫が吐き出した書類と、
そして一枚の写真が広げられていた。

写真の中ではブロンズ色の髪を結い上げ、藤色の瞳を細めた女が、
自信に満ちた笑みを浮かべている。

リク王家第二王女。リク・
まだ21歳の小娘であったが、
その小娘に、ドフラミンゴの長年企てていた計画の一つが潰された。

が僅か15歳の頃に立ち上げた化粧品開発会社”ドレスローズ”が成功し、
ドレスローザ王国に富をもたらしたのだ。

序盤とはいえ新世界にある島だというのに、の元で働きたいという
デザイナーや調香師、科学者は長い船旅を経てドレスローザに集い、
のお眼鏡にかなった者はドレスローザ本社か、はたまた友好国の支部に集った。

本社で働くことができるのはギロギロの実の能力者ヴィオラと
の面接に通ったものだけ。
優秀な者でもすねに傷持つ経歴の人間は本社に寄せ付けず、支部で働かせた。

しかも”ドレスローズ本社”はドレスローザ本土から船での移動が必須。
こちらに部下を派遣したとしても、王宮の内部は探れない。

その上金にモノを言わせたの手によってドレスローザの警備は堅牢になった。
海軍に太いパイプを作り、それでいながら経歴の確かな者以外は国に寄せ付けず、
高飛車だと海軍内部からの評判は悪い。
しかし、ドフラミンゴの相棒であるヴェルゴも面接に行く前に弾かれていることを鑑みるに、
のとった対策は間違いではなかった。

モネが潜入できたのはほとんど偶然だった。
付きの侍女を探しているという噂を聞いたドフラミンゴは
一種の賭けのつもりでモネを派遣した。

モネはプロデンスの王、エリザベロー2世が紹介する予定だった侍女候補の女を殺し
履歴書の写真と名前をモネのものに書き換えて面接に臨んだのである。

がヴィオラを呼んでいたなら、おそらくモネはその場で捕らえられていただろう。
しかし友誼を重んじるリク王は、ヴィオラを呼んでの面接を提案したを叱りつけ、
結局面接はのみが行なった。

ドフラミンゴは賭けに勝ったのだ。
の侍女になれば、王宮に出入りができる。

今日は1度目の定期報告の日だった。

『もしもし、ジョーカー、モネです』
「ああ、おれだ。どうだ? 潜入してみての感想を聞かせてくれ」

ドフラミンゴの問いに、モネは息を吐いた。

『私が入り込めたのは運が良かった・・・警備はかなり、厳重です。
 攻め込むのは難しいかと』

「ああ、ヴェルゴからも話は聞いている。
 海軍の人間の中でさえ面接を通さねェとドレスローザの護衛は無理だそうだ。
 身元がはっきりした、経歴のわかる人間のみを採用しているらしい」

ドフラミンゴは写真を手に取りサングラスの下、目を眇めた。
 
「・・・ドレスローザの第二王女はやり手だな。
 リク王がを表舞台に出してから、明らかに経済状況が好転しだした。
 お前からみて、はどういう人間だ?」

付きの侍女、仕事内容を聞くに、”秘書”としての仕事をこなしているモネに、
の人物像を伺うと、モネは少し考える様子を見せた。

『評判通りの方です。美しく、賢く、国民思いの素晴らしい姫君かと』

にまつわる噂は海軍を除いてわざとらしいほど評判が良いものばかりである。
どことなく胡散臭さを覚えていたドフラミンゴだが、
驚くべきことにモネはその噂を肯定する。

しかし、こうも続けた。

『でも、彼女ははちょっと変わっています。
 普段の生活は質素ですし、何か贅沢をするような方でもありません。
 ただし、人材確保や商品の開発のためには惜しげも無く大金を使います。
 使用人や部下が相手でも気さくです。・・・姫君らしくはないですね』

ドフラミンゴは顎に手を当て、少々考える。

モネの言葉にはに対する好感が伺えた。
モネは冷静な女である。観察対象に入れ込むような性格ではないはずなのだが、
どうもに対しては違うように思える。

ドフラミンゴは尋ねてみることにした。

「お前個人としてはどうだ? についてどう思う?」

でんでん虫はしばらくの間を置いて答える。

『・・・とても、魅力的な人だと』

思わずサングラスの下で目を丸くしたドフラミンゴは、
やがて喉を震わせ笑い出した。

「お前がそこまで言うとはな! フッフッフッフ!
 写真で見る限り、見てくれだけ飾り立てたよくいる姫に見えるが」

写真の中のは華やかに着飾った美しい姫ではあるものの、
その性格を見目が表しているわけではなさそうだ。

『動いて喋る彼女を見れば間違いなく印象が変わりますよ。
 写真だと笑みを作っていますが、彼女は表情があまり動かない方ですから』

「へぇ、清廉潔白を地でいくような女なのか?」

モネの表情を真似するでんでん虫が微妙な表情を浮かべる。

『・・・いえ、そう言うわけでもありません。割と俗な方です。ええ。
 かと言ってハメを外すことはないので、どう表現すればいいか難しいのですが、
 ”王としての自負のある庶民派”とでも言いましょうか・・・』

ドフラミンゴは頬杖をついた。

「欠点らしい欠点のない女か。なるほど・・・」

ドフラミンゴの言葉に、でんでん虫が何かに気がついたように瞬いた。

『そう言えば、欠点、と言うわけではないのですが、気になることなら』
「なんだ?」

『彼女には友人や恋人がいません。
 特に恋愛ごとに関しては消極的で、婚約者をそろそろ決めろとリク王に迫られているようですが、
 仕事を理由に断っていますね。ドレスローザの妙齢の女性にしては珍しいと思います』

モネの言葉を聞いて、ドフラミンゴにある天啓が降りてきた。
潰れた計画よりはだいぶ穏当な、そしてドフラミンゴ自身も身を切る選択ではあるものの、
成功確率の高い計略を。

「・・・フッフッフッ!」

ドフラミンゴはモネをねぎらい、でんでん虫での通話を終えた。
全てが滞りなく進んだならば、リク・には近いうち、お目にかかることができるだろう。



「随分と久しぶりね! 活躍は聞いているわよ、!」

スカーレットが訪ねてきたにお茶を出しながら微笑んだ。

ここ最近もは忙しく、隣国にお金を貸したり、海軍に寄付したり、
天竜人に呼びつけられて化粧品を直々に卸に行ったり、
仕事が終われば鍛錬に兵舎へ顔を出したりと
相変わらず王女にあるまじく世界を飛び回っていた。

「秘書が優秀なので、前よりもスケジュールは楽になっているんですよ。
 こうして会いに来れる時間も取れるようになりました」
「フフ! いい人が付いてくれて良かったわ」

嬉しそうなスカーレットに微笑むと、
はレベッカを抱くキュロスの手元に目を留めて、僅かに眉を顰めた。

「キュロス、またお前は手袋なんて使って・・・我が子可愛さはわかりますが、
 逆に子供に触りたくないみたいじゃありませんか」
様、でも・・・」

キュロスが自身の過去に負い目を持っていることはも知っている。
困った様子を見せながらも手袋を取ろうとはしないキュロスに、
は嘆息した。

「頑固ですね、お前は。
 まあ、そのうちレベッカは『パパと下着を一緒に洗いたくない』とか言い出しますからね。
 その時泣けばいいんです」

「・・・!!!」

キュロスは何を想像したのか思い切りショックを受けていた。
相変わらずにたじたじになっているキュロスに、スカーレットはクスクス笑う。

「ちょっともう。ったら、うちの人を虐めないでよ」
「ふふ。失礼、それにしてもレベッカはとても愛らしい子ですね。
 きっとお姉様に似て美人になりますよ」

の感想に、キュロスは「我が意を得たり」と言わんばかりに重々しく頷いた。

「私も同じことを思っていました、様」

「ふ、ふ。大きくなったら私が魔法をかけてあげますよ、レベッカ」
「まほう~?」
「ええ、可愛くなれる魔法です。」

レベッカの手を取って小さく微笑んだに、スカーレットとキュロスも笑みを浮かべた。



その日の夜、王宮では久しぶりに一家揃っての夕食会が開かれていた。

「ヴィオラ、食事の後であなたの意見を聞きたい試作品を渡しますね。
 今日と明日はずっといないので、明後日の夕方意見を教えてくれると助かります」

、夕食に仕事を持ち込むのは良しなさい。忙しないぞ」

ドルド3世に窘められ、は小さく肩を竦めてみせる。
ヴィオラがそれを見てのフォローに回った。

お姉様は多忙ですもの、仕方がないわ」
「むぅ・・・だが、忙しすぎるのも考えものだぞ。浮いた話はないのか?」

ドルド3世の言葉に、は一瞬辟易したような顔になった。

「あ! それは私も気になるわ、お姉様、どうなの?」

ヴィオラにとりなしを期待したは裏切られて小さく息を吐き、
それから少々考えるそぶりを見せた。

「実は私にはとっても素敵な恋人が・・・」

「え?!」
「なんだと!?」

の言葉に、ヴィオラは目を輝かせ、ドルド3世は複雑な顔でを見やるが、
は涼しい顔で答える。

「彼の名前は”ハード・ワーク”
 ・・・振り回されっぱなしですが彼を思うと楽しくて仕方がないのです。
 たまに寝かせてくれないのが玉に瑕ですが」

「おい」
「またそんな風に茶化して、・・・ふふっ!
 冗談はさておき、仕事先にいい人はいないの? モテないわけがないでしょう?」

の冗談にドルド3世はホッとしながらもどこか残念そうだ。
ヴィオラは笑いながらなおも尋ねるが、はとぼけた調子で受け流した。

「ええまあ。モテてはいますよ。みんなこぞって売り込みをかけてきます。新商品の」
「もう!・・・お姉様は素敵な人なのに、勿体無いわ」

のらりくらりと追及を躱すに、ヴィオラは嘆息する。
はいたずらっぽく片目を瞑ると、ヴィオラの方に水を向けた。

「そういうヴィオラはどうなのですか?」
「ええ? いないわよそんなの。
 スカーレットお姉様を見てると幸せそうだから、恋をしたい気持ちはあるけど・・・」

「そうですよね、相手がいないと始まりません」

はわざと重々しく頷いて、ドルド3世に「そういう訳です」と念を押した。