花は枯れ落ちて


ドフラミンゴはの顔を覗き込んだ。

薄暗い室内に、の顔はぼんやりと白く浮かんでいる。
少しばかりの疲労は伺えるものの、怯えや恐怖、怒りの色は浮かんではいない。
まるでよくできた等身大の人形がドフラミンゴを見返しているようだった。

目の前にいる”生気”というものを感じさせない女が、ドレスローザの経済を発展させ、
商売のために世界中を飛び回ったと言う
”あの”リク・なのかと思うと、何かの冗談のようにも思えた。

ドフラミンゴは沈黙するに口角を上げて見せた。

「しかし、よくもまァ、10年足らずでここまで国を盛りたてたもんだ。
 おかげで大分苦労した」

はそこでようやく、ドフラミンゴに言葉を返した。
低くもなければ高くもない。平坦な声だった。

「随分手回ししたようにお見受けします。
 私のどこを見初めたのかは知りませんが、 
 言葉も交わしたことのない相手と結婚する気になるとは、
 あなた、どうも奇特な方なのですね」

「フッフッフッ! 口の聞き方には気をつけな。姫。
 おれの機嫌を損ねてもいいことはねェぞ」

ドフラミンゴはの皮肉を笑い飛ばし、忠告する。

はしばし考えるようなそぶりを見せたが、
やがて意を決したように尋ねた。

「あなたがここまで足を運んだということは、
 我が国の兵士と、傭兵たち、・・・父は無事ではないのでしょうか」

ようやく感情らしい感情を覗かせたに、ドフラミンゴは口の端をつり上げる。
が”不安”を覚えるのも無理からぬ状況だ。

「フフ・・・いやァ、随分としぶとかった。
 お前が軍に投資してたことは知ってるぜ。
 あれに加え海軍がいりゃあ、勝負はわからなかったなァ?」

こめかみを流れる血を拭いながら言うドフラミンゴに、
はわずかに目を眇めた。

「だが、リク王はまだ生きている。外海までその賢しさを轟かせたお前だ。
 おれがお前の父親を生かしている意味がわかるな?」
「・・・」

は小さく頷いてみせる。

今生きている家族は、あるいは国民の全てが、
にとっての人質になるとドフラミンゴは考えていた。

何しろは”王たる女”であると、モネが太鼓判を押した人物なのだ。
真っ当で健全なやり方を好むならば、良心が咎めるような選択はできないだろう。

ドフラミンゴは値踏みするようにを眺める。
表情の乏しい女であるが、今、頭の中では様々なことを巡らせているはずだ。

「新聞は読んだんだろう?」
「ええ。驚きました。・・・海賊というのは随分とロマンチストなようで」

の声にどこか呆れのようなものを感じ取って、ドフラミンゴは笑った。

「フッフッフッ! 茶番はお楽しみいただけなかったようだなァ?
 だが、世の中ってのは時に劇的な娯楽を望むもんだ。わざとらしいくらいが丁度いい。
 その証拠に、容姿と裏腹に真面目で堅物、浮いた噂のなかったお前のゴシップに、
 国民は概ね好意的だったろう?」

は静かに目を伏せ、頷く。

「・・・そうですね」

淡々とした反応に、ドフラミンゴはサングラスの下、目を細めた。

普通はもっと取り乱してもいいはずだ。
怒りに震えても、絶望に涙しても許される状況だ。
だが、は凪いでいる。感情を押さえつけているという雰囲気でもない。

「・・・冷静な女だな、お前は」

思わず呟いた言葉に、は僅かに眉を上げた。

「そう見えますか。これでも動揺しています」
「フフフッ・・・! そりゃそうだ」

は顎に手を這わせた後、ドフラミンゴをまっすぐに見つめる。

「あなたの、要求を呑むに当たって、条件があります」
「なんだ? 聞くだけ聞いてやろう」

ある種予想通りの反応でもあった。
の要求もある程度は想像がついている。

「私の家族の無事を約束してください。
 それから、ドレスローズ社の社員の無事を」

「なるほど、だが、」

それを聞き入れる必要がドフラミンゴにはない。
攻め落とした国の、元の王族や国民をどう扱おうともドフラミンゴの勝手。

そう考えていたドフラミンゴに、は相も変わらず淡々と、
それでいて鋭く言った。

「さもなければ舌を噛んで死にます」

ドフラミンゴの顔から笑みが消えた。
は静かに続ける。

「少なくとも、あなたは”現時点”では、私に生きていてもらわなければ困る。
 ・・・そうでしょう?」

容易く自分の命を賭けたに、ドフラミンゴは奇妙な可笑しみを感じていた。
は自信家だ。自分の価値をは知っているのである。

「・・・フッフッフッ! 確かに、写真と随分印象が違うな、お前。いいだろう。
 逆らう奴以外は見逃してやっても構わない。
 さて、茶番の続きといこうじゃねェか」

「え・・・!?」

がドフラミンゴの言葉に僅かな安堵を滲ませたのもつかの間、
ドフラミンゴがの体を抱え上げた。

は突然のことに身を捩ろうとするも、いつの間に体の自由が利かなくなっている。
まるで自ら身を任せるように、首へと手を回し、頭をドフラミンゴの胸に預けていた。

「これは・・・! 悪魔の実の・・・!?」

「ここから先、人質の命はお前の行動に左右される。
 せいぜい知恵を絞ってくれよ。なァ、・・・?」

の動揺を遮って笑うドフラミンゴに、は目を見張ったように見えた。



広間にはドンキホーテ・ファミリーの面々が集っていた。
そこに腕を拘束された妹の姿を見つけて、は息を飲む。

「・・・、お姉様」
「ヴィオラ・・・」

お互い無事を確認しても安堵の他に複雑な感情が混ざっているのが分かる。

国を攻め落としたドフラミンゴとは共に現れ、
あまつさえ、まるで恋人にすがりつくような形で横抱きにされているに、
ヴィオラは驚愕と猜疑心を抱いたようだった。

は体の自由が利かないのを歯痒く思いながら目を眇める。
まともに動けたのならば平手打ちの一つでもドフラミンゴにくれてやりたい気分だった。

広間にいた海賊達からの好奇の眼差しがを刺した。
彼らは値踏みするようにを眺め回している。

は眉を顰めたが、不快感は相手方に気取られることはなかったらしい。
制服のようなものを着た部下たちの前に立つ13人が幹部だろう。

その中に、モネの姿を見つけては大きく目を見開く。

「どうした? 顔見知りでも見つけたか?」

ドフラミンゴは抱えたの顔を覗き込んだ。
はしばしの沈黙の後、答えた。

「・・・なるほど、私は一年も前からあなたの掌の上で、踊らされていたのですね」
「フッフッフッ! さァ、なんの話だ?」

わざとらしく首を傾げて見せたドフラミンゴに、は固く目を瞑り、
誰にも聞こえぬほどの小さな声で、自身の無能を嘆いた。

「ああ・・・ヴィオラの能力を私が持っていたのなら、」

しかし、はすぐに目を開くと、ドフラミンゴに顔を向ける。

「”ドフィ”、約束を」
「フフ、わかってる」

ドフラミンゴはいっそ丁寧と言ってもいいそぶりでを床に下ろすと、
部下に目を向けた。

は結婚するにあたり、いくつか希望があるらしい。
 家族と社員の命は奪うなとのことだ」

幹部の中でも一際背の高い3人の男達は顔を見合わせる。
その中の一人、顔に刺青の入った男が肩を竦めて笑った。

「おいおい、そういうことはもっと早くに言ってもらわねェと困るぜ、ドフィ」
「ディアマンテ」

ディアマンテと呼ばれた男は手に持った銃をひらひらと振って答える。

「もうスカーレットは撃ち殺しちまったよ」

「!!?」

「・・・は?」

ヴィオラは口元を押さえ、衝撃に言葉も出ないでいる。
は大きな瞳がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いていた。

「古い王族の血は必要ない。必要なのは第二王女だけ。
 事態の深刻さを分からせるためにも”間引け”って言っただろ?」

ディアマンテの表情には二人の姉妹を嬲ってやろうと言う意図が透けて見えた。
はディアマンテの言葉を呆然と反芻する。

「”間引け”・・・?
 ”お前”、脅しと見せしめを兼ねて、スカーレットを殺したと言うのですか?」

はディアマンテに目を向けた。

「ウハハハ! そう聞こえたか?」

嘲笑うディアマンテに、は先ほどよりも随分低い声色で尋ねる。

「彼女の遺体はどうしたのです」
「は? 知らねェよ、なんでおれがそこまで、」

は瞬き一つせぬままにディアマンテを見上げた。

「庶民に降嫁したとはいえ、リク王家第一王女である彼女の遺体を
 野ざらしにしたと言うのですか、”お前”は」

ディアマンテは笑みを消した。
淡々と言葉を連ねるに、奇妙な怖気を感じたのだ。

「・・・そういや、おもちゃの兵隊が遺体を抱えているところを見たな」

幹部の一人、10歳ほどの女の子どもが僅かにたじろいだように見えた。
は顎に手を這わせて、考えるそぶりを見せる。

「おもちゃ? つまり、遺体は何者かに奪われたと言うことですか?
 ・・・そこのお前。今思い当たる節があったでしょう。
 心当たりがあるのなら言いなさい」

「・・・!」

「シュガー・・・」

子どもはの恐ろしく冷たい眼差しに思わず肩を震わせていた。
モネが思わずと言ったように子どもの名前を呼ぶ。

は淡々とした挙動でドンキホーテ・ファミリーに相対している。
それでも確かに、は姉が殺されたことに憤っていた。

ドフラミンゴがシュガーの代わりにへ答えた。

「ああ、リク王の首を刎ねようとした時に出てきたおもちゃだな。元は人間だ。
 シュガーがおもちゃに変化させた人間は、誰の記憶からも消え去る。
 王族に所縁ある人間だったとしてもお前は覚えちゃいねェだろう。
 フフフ、見つけ出せば従えられるが、」

「あ、」

シュガーはドフラミンゴの言葉に、何を思い出したのか小さく声をあげる。
シュガーはおもちゃの兵隊に”契約”を持ちかけることを忘れたと言った。

「若様に攻撃しようとしたから、とっさに」

「・・・お前はその人間をおもちゃに変えておきながら、
 行方も分からなければ、従えることもできないと?」

は明らかに失望したようだった。
そのまま俯き、沈黙する。

「・・・私は」

なんの前触れもなかったように思えた。

は自身の腕を掴む手に力を込める。
震えを抑えるように、その場に立っていられるように。崩れ落ちるのを耐えるように。

藤色の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

「私は、スカーレットお姉様を、弔うことすら、できないのですね」

ヴィオラは思わず「、お姉様、」と小さく呼びかけていた。
ヴィオラが物心ついてが泣いたところを見たのは、初めてのことだった。

しばし涙し、打ち震えていたは固く目を瞑る。

ドンキホーテ・ファミリーの見世物に甘んじることを良しとしないように、
は涙をぬぐい、の涙を沈黙のまま見守っていたドフラミンゴに目を向けた。

「あなたはどのようにお考えなのですか、ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
「どのように、とは?」

ドフラミンゴは軽く眉を上げた。

「約束が違います。彼らは明らかに先走って失敗している。
 ・・・どう責任を取るおつもりですか?」

恐ろしく冷えた言葉に、ドフラミンゴは笑い出した。
ようやく人間らしくなったと、が感情的になるのを面白がっているようだった。

「フッフッフッ! おいおい、おれが約束したのはお前の姉の無事じゃない。
 父親と妹、姪が現状無事なだけありがたく思え。
 もっとも、お前の態度次第ではそれも保証しかねるんだがなァ?」

は表情を動かさないでいる。
挑発するように、ドフラミンゴは言葉を続けた。

「お前は徹底した成果主義者だと聞いていたが、どうやら噂は本当らしい。
 おれはお前と違って寛容なんだ。部下の”失敗”は咎めない。次失敗しなければそれでいい」

はドフラミンゴを見上げた。

「・・・私の姉の死は”取り返しがつくこと”だと、そうおっしゃるので?」

「くどい。同じことを二度言わせるな」

流石に苛立ったらしいドフラミンゴが問答を打ち切り、
の目が、また見開かれたように見えた。
しかし、それはやがて伏せられる。

「・・・取り乱して申し訳ございません。
 ええ、確かにそうですね。私の落ち度です。
 不穏当な態度をお許しください、ディアマンテ様、シュガー様――”陛下”」

腰を折ったにヴィオラが息を飲み、ドフラミンゴは愉快そうに口角を上げた。

「・・・フッフッフッ! ああ、いいとも、許してやる。
 そうだ。一応形式として言っておくべきだろう」

ドフラミンゴはの手をとり、跪いた。

「おれと結婚してくれるな?

甘ったるく囁かれながらも、の表情は動かない。

「・・・わかりました」

ドフラミンゴはヴィオラを一瞥する。

はそれに気づき、一瞬能面のような無表情になったかと思うと、
やがて微笑みの形に口角を持ち上げた。

「・・・”よろこんで。ドフィ”」