永久の愛 永久の憎悪


ドレスローザを攻め落としたドフラミンゴがまず最初にやったことは、
ドルド3世の評判を下げることだった。

平和の王として国を治めていたドルド3世だったが、
の幸せを喜ばなかったこと、その上から寄付をせびり、
だからこそは普段、王族としては質素な生活を余儀なくされていたことなどが
まことしやかに新聞に書き立てられる。

でっち上げだったが、実際が質素な生活をしていたのは本当だったし、
ドレスローズ社の利益をドレスローザの国庫に寄付していたのも事実であったため、
国民は動揺していた。

「そんなはずはない。だがもしかして、」と言う疑念は毒のようにじわじわと広がっていく。

ヴィオラは父親が悪し様に罵られている新聞を握り潰し、
数少ないドレスローザの兵士の生き残り、
護衛隊長を務めるタンクに、やり場のない憤りを吐露した。

「嘘よ、こんなの!!!
 確かにお姉様はお金をドレスローザに寄付していたけど、
 お父様がそれを強制したことなんて一度もないわ!!!」

「わかっております、ヴィオラ様。
 リク王様が娘から金をせびるような人物でないことは、我らが一番よく知っています!」

タンクは悔しそうに奥歯を噛んでいる。
ヴィオラは額に手の甲を置いて、嘆くように息を吐いた。

「・・・お姉様は、なにをしているの?」

タンクは目を伏せた。

「ドレスローザの兵士は様には近づけません。
 ドンキホーテ・ファミリーが身の回りを固めている。
 ・・・それに今回、様が何か声明を出すことはないでしょう」

が父親をかばうような真似をすれば、他、未だ生きているリク王家の人々の命が危ない。
賢明なならば百も承知のはずだ。

鍛え上げられたドレスローザの兵士と傭兵たちを下したドフラミンゴの強さと残酷さは、
戦場に立ったタンクが肌で感じた事だった。
がドフラミンゴに逆らうことはできないだろう。

戦況がドフラミンゴに傾いた際、ヴィオラやの身を守るためにと
ドフラミンゴに投降したが、ヴィオラのことは守れても、に近づくことはできずじまいだ。
せめて、不安に揺れるヴィオラと一目でも顔を合わせることができるなら、いくらかヴィオラも
安心できるだろうに、とタンクはもの憂いげな王女を伺う。

「そうよね。・・・ねぇ、タンク。お姉様は本当に、」

ヴィオラは俯いて、思わずと言ったようにこぼす。
タンクは首を横に振った。

様はドフラミンゴとは会ったこともないとおっしゃっていた。
 あれほど動揺した様を我々、見たことがありません」

タンクの言葉に、ヴィオラはしばし沈黙すると、窓の外を眺めた。
とドフラミンゴの結婚式の準備のために、バラの花が刈り取られている。

「・・・私ね、お姉様の心を見通せたことがないのよ」
「え?」

タンクは瞬いた。
ヴィオラのギロギロの実の能力は、心を見通す力、嘘を見破り真実を見抜く力だ。
だからこそ、もヴィオラの力を重宝していた。
そして、他ならぬドフラミンゴも一目を置いている。

「ギロギロの実の能力で覗いても、お姉様の心は複雑で、
 いつも、いくつもの映像や専門的な言葉、図や数式が巡っていて、読みきれないの。
 会社を起こす前、お姉様が子供の時からよ。
 ・・・あんな心の人は、今までお姉様以外に会ったことがない」

ヴィオラは不安そうに眉を顰め、タンクに問いかけた。

「お姉様は本当に、ドフラミンゴの恋人だったわけじゃ、ないのよね・・・?」

タンクは固く目を瞑り、頷いた。

「・・・そのはずです。
 あの方はこの国に全てを捧げた賢明な姫君でした。信じましょう」

一度胸に巣食った疑念は毒のようにじわじわと広がっていく。
それがどんなに、真実とかけ離れた荒唐無稽な嘘であっても。



はソファに腰掛け、ドフラミンゴから渡された新聞に目を通している。
ドフラミンゴ自らがの監視に当たっているが、気にするそぶりは見せないでいた。

ドフラミンゴは執務室の椅子に腰掛け、愉快そうにを見ている。
元々はドルド3世の部屋だが、
ドフラミンゴは初めからその部屋の主人だったというように振舞っていた。

テーブルに積まれた山ほどある書類の横に目を通し終えた新聞を置き、
は深い溜息を零した。

「・・・新聞社にツテでもあるのですか。
 有る事無い事、よくもまあ、ここまで書き立てられるものですね」

「フッフッフッ! 奴らはそれが仕事だからな」

ドルド3世の評判を落とした後、ドフラミンゴはの持つ裁量を減らしにかかった。
叛逆の芽を摘むため、そしてドレスローザがの国ではなく、
ドフラミンゴのものになったのだと知らしめるために。

もその辺りは承知のようで、淡々と事後処理を進めていく。

「しかし、お前も人望がねェんだなァ、
 まさか社長をクビになってるとは思っても見なかったぜ」

「全く不徳の致すところです」

はしれっとした様子でドフラミンゴの揶揄をいなしている。

おそらくが早々に手を回し、自らドレスローズ社の社長の座を退いたのだということは
ドフラミンゴも分かっていた。

ドフラミンゴはドレスローズ社の利益をあてにしていたわけではなかったが、
工場や交易港などの施設はそのまま闇取引などのビジネスに使えそうだと算用していたし、
蓄えた利益は全て吐き出してもらうつもりでもいた。

結果としてドレスローズ社の利益は手に入らなかったものの
100億を超える個人の財産を手にすることはできた上に、
工場は元ドレスローズ社から格安で買い叩いた。

彼らは驚くほど速やかにそれを承諾し、ドレスローザを去りつつある。
十中八九の指南で。

「彼らはドレスローザから支部に本社を移し、活動するとのことです。
 名前も変えるそうなので、もう私とも、この国とも関係のない企業になるとのこと。
 残念ですが、仕方ありません」

淡々と述べるに、ドフラミンゴは口角を上げる。

「フフフッ、抜け目のねェ女だよ。
 だが、結果的にはおれの思惑の通りだ。
 どちらにしろ、ドレスローズ社は解体するつもりだった、
 だが、お前の人脈は使える」

「と、言いますと?」

はドフラミンゴを伺う。
訝しむように、わずかに眉が上がっていた。

「王侯貴族相手の商売は続けてかまわねェ。
 が、今現在ドレスローザにある工場の大半はおれが使う。
 ”ドレスローズ本社”で賄える分だけでなんとかなるだろ?」

本社には試作品を作る設備が設けられていた。
大量生産は不可能だが、少量なら商品の生産が可能である。

はドフラミンゴの言葉に納得したようで頷いた。

「かしこまりました」

ドフラミンゴは頬杖をつきながら、数日後には妻となる女に問いかける。

「そういや、結婚式の準備はどうだ?」

淀みなく書類をさばいていたの手が止まった。

「・・・万事滞りなく。
 あなたの部下の、ジョーラと、ベビー5と言いましたか。
 彼女らがよく働いてくれています」

その声にどこかうんざりとした響きを感じ取ってドフラミンゴは愉快そうに笑った。
何しろドフラミンゴも衣装合わせだなんだと、ジョーラに付き合わされた被害者でもある。

ジョーラはシャンパンゴールドのタキシードを試した際に、ドフラミンゴを死ぬほど褒めちぎった後
「あの能面のような姫を若様に釣り合うようにしなくては!」と気合が入っていたので、
衣装合わせではさぞかしうるさく注文をつけられていることだろう。

「フッフッフッ! あいつらはそういう催し事が好きだからなァ」
「そうでしょうね」

は再び書類に目を通し、サインをする仕事に戻った。
工場の権利をからドフラミンゴへと移す作業へと。

「巷じゃお前は”恋に狂った姫君”と呼ばれてるらしい」

恋とも情熱とも無縁に見える冷静な女がそう呼ばれているのが、
ドフラミンゴは自分で仕組んでおきながら、どこか滑稽だと思っていた。

はペンを走らせながらドフラミンゴに答える。

「新聞に書き立てられていることが事実だったなら、
 それは『気が違っている』と言われても仕方がないことでは?
 私でも正気の沙汰ではないと思いますけれど」

どこか他人事のように「気狂いだ」と自らの評判を断じるを、
ドフラミンゴは嘲笑った。

「フフフッ、フッフッフッ!
 だが、お前はその”狂った女”になりきらなきゃなァ?
 結婚式での振る舞いには気をつけてくれよ?」

はペンを走らせ続ける。

「もちろんです、”ドフィ”」



いよいよ結婚式の当日の朝である。
はコルセットをこれでもかと締め上げてくるジョーラを窘めた後、
用意された化粧道具を見て、ベビー5とジョーラに声をかけた。

「化粧は自分でやります。
 集中したいのでしばらく出て行っていただけますか」

そう言えばジョーラもベビー5も控え室を出て行った。
ドレスローズ社の化粧品はジョーラも愛用していたそうで、
の化粧の腕前は知ったところだったらしい。

ただしゴネられはしたが。

「良いざます!? くれぐれも若様に恥をかかせるような化粧は許さないざますよ!?」
「ええ、ええ・・・わかっていますから」

扉が閉まったのを見て、は深い溜息を吐いた。

望まない結婚式の当事者ほど憂鬱なものはないとは思った。
ジョーラの選んだ無駄に煌びやかなドレスはの気分同様に重苦しい。

だが、はこれから神に永久の愛を誓わなくてはならなかった。

出来の悪いおとぎ話のフィナーレを飾らなくてはならない。
海賊とのロマンスに狂った頭の足りない姫君を演じなくてはならない。

さもなければ人質に危険が及ぶ。

の人質として最も効果的なのがヴィオラだった。
居場所を常に把握できている上に、の妹である。

ヴィオラの能力をドフラミンゴは有用と認めているが、が下手を打てば、
真っ先に彼女が殺されるのだろう。
その次が父親。その次がレベッカ。そして国民へと手が伸びる。

これ以上海賊の横暴を許すことはできない。
そう思ったのも確かだったのだが、不思議なことにどうも気が入らないのが正直なところだった。

は再び深く息を吐くと、鏡の前の自分と向き合う。

「いいでしょう。・・・自分に魔法をかけましょう」

 この場限りは、誰より美しくなってみせよう。

はブラシを手に取った。手際よく、長所は伸ばし、短所は隠す。
目に光を。口には鮮やかな笑みを、頰には夢見るような赤味を。
肌は透き通るように。

出来上がったのは完璧な花嫁だった。
ドレスにも負けぬ華やかさに仕上がり、はほっと息をつく。
これなら誰も文句は言うまい。

「ああ・・・でもやっぱり、あの日のお姉様には、及ばないか。ふ、ふ・・・!」

は苦く笑い、立ち上がった。

「終わりましたよ、案内を頼みます」

そう言って控室から顔を出したを見たジョーラとベビー5はあんぐりと口を開けた。

「あ、あーた、本当にざますか?」
「他に誰がいると言うのです?」
「すごい・・・、顔つきが、全然、」

できるだけ夢見る乙女のような仕上がりになるよう腕を振るった。
何しろ、参考にしたのは世界で一番美しかった、花嫁姿のスカーレットなのだ。
無理矢理好きでもない男に嫁ぐ女になど見えるわけがない。

「これでも化粧品会社の元社長ですからね」

廊下を闊歩し、馬車までの道を行くとすれ違う人々は皆を見て驚いた顔をしていた。
その中に、モネの顔を見つけては足を止める。

モネは複雑な表情を浮かべていた。
驚きと、感嘆と、罪悪感と、そしてどこか苦味のある、その表情を捉えきる前に、
モネはに会釈し、足早にその場を去った。

「グズグズしないでほしいざます!」
「・・・すみません。いま行きます」

はジョーラに促され、馬車へと乗り込む。
結婚式は王宮ではなくドレスローザで一番大きな教会で開かれる。

馬車の中で、はモネの表情に引っかかりを覚えていた。
どこかで見覚えのある顔だった。

あれは。

「ああ、お姉様の結婚式の前の、私の顔ですね」

スカーレットの結婚式の前、は鏡の前で笑顔を練習した。
醜い嫉妬と惜別を表に出さぬようにと・・・。

そこまで考えて、は軽く瞬いた。
それから口角が、笑みの形に歪んだ。

「ふ・・・ふふっ! ふ、ふ、ふ!」

 ああ、お前もか、モネ。
 お前も愛した人間が他人のものになるのを、自分の手で促したのか。
 それがよりによって私なのか。

は奇妙な可笑しさに喉を震わせて笑っていた。

「全く。代われるものなら代わってやりたいですよ、本当に」

は馬車から降り、教会へと進む。

国民たちは身分違いの恋を成就させた姫君の登場に祝福の声をあげる。
あるいは恋のために父親を失墜させた姫君の登場に失望のため息をこぼす。

だが当のを見た瞬間、祝福も失望も消え去った。
驚くほど美しい花嫁がそこにいた。

ベールに覆われていても分かる、夢見る乙女のような顔。

それはドンキホーテ・ファミリーの人間も例外ではなく、
ベビー5などは陶然との歩く姿に見とれている。

の目に、シャンパンゴールドのタキシードを着たドフラミンゴが映る。
「上出来だ」と言わんばかりの表情には内心と裏腹に、笑顔で答えた。



 私が12年、やってきたことはなんだったのだろうか。

神父が誓いの言葉を述べるのを聞きながらはそんなことを思っていた。
確かに、犠牲は減ったのかもしれない。

ドルド3世は国民を手にかけることなく、ドンキホーテ・ファミリーとだけ戦った。
兵士たちも国民を傷つけることはなかった。

だが、スカーレットは死んだ。
もうこの世のどこにも、が心から愛した人はいない。

指輪を交換する。金色の指輪が互いの左手の薬指で煌めいた。
ステンドグラスが光を落としている。祝福するように七色の光が降り注いでいる。

ドフラミンゴの手がのベールをあげ、跪いての肩を抱き、軽く口付けた。

心底憎む男と、初めての口付けをした瞬間に分かった。

ヴィオラが軽蔑の視線でを射抜いたのがわかった。
モネが複雑な感情が渦巻くのを覆い隠そうとしているのがわかった。
ドフラミンゴがこの茶番を演じながら、どの観客よりも愉しんでいるのがわかった。
国民がの心など必要としていないことがわかった。

そしてこの世に神はいないと言うことに気がついた。
愛すべき王国は滅びたのだと言うことも。
守ろうとしたものは粉々に砕け散り、
残ったのはにとっては無価値なものばかりだと言うことも。

晴天に薔薇の花びらが降り注ぐ中を歩く。
笑顔を作りながら、は心から願った。

 ああ、全てが壊れてしまえばいいのに

それは奇しくも、の隣に立つ男が最初に世界の全てを憎悪した時、考えたのと同じことだった。