運命の人


明るい満月の夜のことだった。
開け放たれたドルド3世の部屋の窓辺、飜るカーテンの内側に腰掛ける男が一人、
寝台に横たわっていたドルド3世を見ていた。

ドルド3世は弾かれたように半身を起こす。

「誰だ、貴様!!!」
「声を上げるな、誰も呼ぶな。フフ、命の保証ができねェからなァ」

自身の膝に肘をつき、その男は名乗りを上げた。

「おれはドンキホーテ・ドフラミンゴ。
 今帰った。この国の正統なる王位継承者だ」

ドルド3世は眉を顰めた。

近頃新聞を賑わせていた海賊の一人に”ドンキホーテ”と名乗る男がいることは知っていた。
かつてドレスローザを支配し、マリージョアへと旅立った古い王族の名も”ドンキホーテ”である。
もしかしたらとは思っていた。古い王族の末裔が、海賊となったのだとしたら、と。

「・・・最近聞くドンキホーテという名の海賊が気にはなっていた」

ドフラミンゴはドルド3世の懸念に頷いてみせた。

「その通り。おれは”その”ドンキホーテの一族だ」

本来なら天竜人として君臨しているはずの男がなぜ、と、
ドルド3世は厳しい表情のままドフラミンゴに相対した。

「各国の天竜人への貢ぎ金”天上金”の輸送船に手をつけ、
 世界政府を脅し、”七武海”になったと聞いている」

「フフフッ、フッフッフッフ!!
 お前の娘のわがままには互いに苦労するな、リク・ドルド3世・・・、
 いや、義父上とでも呼ぶべきか?」

ドルド3世の言葉に、ドフラミンゴは奇妙な返答をした。
なぜそこで娘の話題になるのか、父と呼ばれるのかが分からず、
ドルド3世は怪訝な顔をする。

「何?」

ドフラミンゴは愉快そうに笑った。

「おれはお前の娘、リク・と結婚するために七武海になったんだ。
 次期女王の婚約者を探していたんだろう?
 フッフッフッ! 安心しろ、おれがの夫となってやる」

ドルド3世は絶句した後、信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

「何だと・・・!?」

「・・・その様子を見るに、はお前に何も話していないらしいな」

ドフラミンゴは肩を落とし、嘆息する。

ドルド3世はドフラミンゴがまるでと知り合いのように、
それも、深い仲だと言わんばかりに振る舞うので、混乱を隠しきれず、狼狽えていた。

「反対するなら力づくでもを奪い去ろう。
 だが、何も知らされていなかったのなら混乱するのも無理もねェ。
 明日の正午まで待ってやる」

しかしドフラミンゴはドルド3世の困惑に付き合うつもりはないらしく、
どこか淡々と話を進める。

「海軍には連絡してくれるなよ・・・。
 まァ別に、連絡されたところで痛くも痒くもねェんだがな」



ドフラミンゴがドルド3世の元から去った後、
急遽広間に集められたドレスローザの兵士たちはドルド3世の説明を聞いて騒ついていた。

ドレスローザの賢姫と名高い第二王女、そしてドレスローズ社の社長でもあるが、
まさか海賊と恋に落ちるとは思えず、また信じられなかったのである。
半信半疑の表情を浮かべる兵士達と、説明を終えた父親の顔を見て、は瞬いていた。

「は? なんですかその男は?・・・頭が沸いているのでしょうか?」

この言い草からして、ドフラミンゴがの恋人ということはないだろう。

いつもなら嗜めるべき言動をとるに、ドルド3世はどこかホッとしていた。
まさか本当にが海賊と恋に落ちたのでは、という気持ちがあったのだ。

しかし、まだ兵士たちも半信半疑、ドルド3世はを問いただした。

「奴はお前を知っているようだったぞ?!
 というかお前のために七武海になったと言っていたが、どういうことだ!?」

は困惑と辟易を滲ませて少々眉を顰めて見せた。

「どうもこうもありませんよ・・・。
 お言葉ですがお父様。
 お父様には私が海賊と身分違いの恋に落ちる女に見えるのですか?」

その言葉を聞いて、ドルド3世を始め、兵士たちも静まり返った。

は常に冷静沈着な女であった。
それを裏付けるように、は続ける。

「私はこの国の王女ですよ。伴侶は慎重に選びたいと常々申し上げていたはず。
 それでも疑うのなら・・・それは私に対しての侮辱です」

の声には幾ばくかの怒りが見える。

は深く息を吐いた後、顎に手を這わせ、何か考えるそぶりを見せた。

「そもそも、そのドンキホーテを名乗る海賊とは会ったこともありません。
 ・・・その海賊、”正統な王位継承者”を名乗ったのでしたね。
 その上私と結婚したがっているというのなら、
 狙いはこの国の王位と、私の財産、その両方でしょう。
 ・・・しかし、妙ですね、お父様の部屋の窓が開いていたのは、」

一人呟きながら携帯していたでんでん虫のダイヤルを回したの手を
ドルド3世は血相を変えて止めにかかった。

「待て、! どこにかける気だ?!」
「海軍に通報します。王下七武海といえど、これはルール違反です」

ドルド3世は首を横に振る。
いたずらに海賊を刺激するのは避けたかった。
その上、ドフラミンゴが最後に言い残した「海軍に連絡されても構わない」という言葉が、
ドルド3世にはどうも気にかかっている。

「ダメだ! 相手は海賊! 国民に手を出しかねん!」

激したドルド3世の剣幕に、部隊長の一人が手をあげた。

「我らが様をお守りします! たとえ敵と刺し違えてでも・・・!」
「戦うという道はないのですか、国王様!?」

「そうだ、そうだ!」と次々に声を上げる兵士たちを、
ドルド3世は叱りつけた。

「ならんっ!! ”戦う”と言えば聞こえはいいが、”殺し合い”など人間のすることではない!
 ドレスローザ800年・・・戦争のないことは我らが”獣”でない証拠!
 野生に堕ちるな!! ”人間”であれ!! 殺し合いはさせぬ!!!」

ドルド3世の言葉に、が小さく声を上げる。

「・・・相手が人間らしく対応してくれるとは限りませんよ、お父様。
 やはり海軍を呼ぶべきだと思います。それから、傭兵達も、」

・・・!!!」

親子の間で一触即発の気配が漂った時、
広間に見張りをしていたはずの兵士が血相を変えて飛び込んできた。

「号外です! 王様、様、これを・・・!」

「なんだ?! 今それどころではないぞ!!!」
「とにかく、お読み下さい!!!」

兵士はドルド3世とに有無を言わさず新聞を押し付けた。
その尋常でない様子に、とドルド3世は互いに矛を収め、新聞に目を通し始めた。

「・・・なんですかこれは?!」

は驚愕に目を見開く。
新聞には大々的にの写真とドフラミンゴの写真が掲載されていた。
見出しにはこうある。

『王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴ、ドレスローザの賢姫リク・と結婚か!?』

内容を読み進めるうち、の顔色は蒼白になっていった。

 ”隣国に出かけた帰り、護衛が目を離した隙にが海賊に拐われそうになったところを
 ドフラミンゴが気まぐれに助けたのをきっかけに二人は恋愛関係に発展”

 ”しかしドフラミンゴは海賊。は時期女王とも目されるドレスローザの第二王女。
 身分の違いに苦しむ二人だったが、驚くべきことに、
 ドフラミンゴのルーツはかつてドレスローザを支配した王族に連なる血筋であることがわかった”

 ”しかしドフラミンゴはの立場を慮り、一度は身を引こうと考えたが、は別れを嫌がった。
 そこでドフラミンゴはとの婚姻を認めさせるために政府と交渉し、王下七武海となったのである。
 天上金を奪い、政府を脅したのも全てはのため。
 事情を知った政府と海軍はドフラミンゴの七武海加入を認め、
 もはや二人の仲は政府公認と言って過言ではない”・・・。

は気が遠くなるような心地がしていた。
新聞を握りつぶし、奥歯を噛む。

「なぜ私が外出した日時が漏れているのですか?!
 政府と海軍がこれを信じたと言うの・・・!? 一体何が起こって、」

わなわなと震えるに追い打ちをかけるように、
再び見張りの兵士の一人が広間に飛び込んでくる。

「リク王様! 様! 城門に国民が押し寄せています!!!」

は城下を見下ろす窓を開いた。
兵士が言った通り、早朝だと言うのに、門には国民たちが詰めかけており、
口々にの結婚を祝福する言葉を述べている。

「おめでとうございます、様!」
「まさか様があんな大恋愛をなさっていただなんて!」
「結婚式はいつ行うのですか!?」

「ひ、」

は窓を閉めて、後ずさった。

「違う・・・! 違います・・・!」

ドルド3世と広間にいた兵士たちは、
がこれほど怯え、取り乱したところを見たことがなかった。
崩れ落ちそうになるを、ドルド3世が支える。

! しっかりしろ!」

「私は海賊と恋になんて落ちてない・・・!
 ドフラミンゴなんて知りません! 会ったこともない! それに、だって、私は・・・!
 嫌です! 結婚なんて!!!」

必死に首を横に振るに、ドルド3世と兵士たちはすでに気づいていた。
これは、ドフラミンゴの狂言なのだと。

だがその時、もあることに気がついて、口元を押さえた。
ここでリク王がのために動けば、ドフラミンゴと戦うことになる。
海軍の助力が期待できない状況で七武海まで上り詰めた海賊団と戦うなら、こちらが圧倒的に不利だ。

もしも負ければドルド3世の命が危ない。
そしてリク王家の血を引く者達も危険に晒されるだろう。妹のヴィオラ、姪のレベッカ。
それに何より、スカーレットの命が。

は拳を握り締め、肩を抱くドルド3世の手をとり、
蒼白な顔色のままゆっくりと顔を上げた。

「・・・要求を、飲みましょう。
 ドフラミンゴと結婚はしますが、条件をつけます。
 私がこの国を出て行く。そうすれば王位は継承されない」

?!」
様・・・!?」

は冷や汗を流しながらも意志の強さを伺わせる表情を浮かべていた。
驚く皆を尻目に、は淡々と言葉を続ける。

「・・・レベッカを、第一王位継承者にできるはずです。会社の方は副社長に譲ります。
 それが一番、今取れる選択肢で、ベストな方法です」

「そんな・・・!? お前一人が犠牲になるとでも言うのか?!」

はドルド3世を怒鳴りつけた。

「優先順位を決めてくださいお父様! あれも嫌、これも嫌では何もかも失うのですよ!!!
 相手は海賊! それも七武海に上り詰めた悪党です!
 人道など持ち合わせているわけがない!!!」

娘の激昂に、ドルド3世は目を見張る。
しかし、やがて静かに息を吐くと、苦い微笑みを浮かべた。

「だったら、、私は戦おう」
「え・・・?」

は大きく目を見開く。
争いを嫌うドルド3世が、”戦う”と言ったのだ。

「娘を犠牲に生き延びるなど、親のすることではない」

息を飲んだに背を向け、ドルド3世は兵士たちに命じた。

「誰か、を懺悔室へ」
「お父様!」

礼拝堂の裏、子供達や小人が悪戯をすると閉じ込められていた部屋。
そこは子供と小人の間では”おしおき部屋”と呼ばれている。
礼拝堂に備え付けられたほとんど使われていないそこは王宮で唯一外側から鍵がかかる部屋だった。

兵士たちに腕を取られたはドルド3世の背に言葉を投げかけ続けていた。

「離してください! 戦うというのであれば、私も戦場に立つべきです!
 お父様! お父様!!!」

叫び続けるに、腕を掴む兵士は宥めるような声をかけた。

様、我々はリク王様が正しいと思います。
 必ずあなたをお守りいたしますから、」

は首を横に振り、届かぬ声をあげ続けた。

悪夢が正夢になる日がやって来たことを、認めたくないとでも言うように。



懺悔室に閉じ込められたは扉を叩いたが、兵士たちは開けてくれる様子もない。
扉に額を擦り付け、は床にずり落ちた。

 甘かった。多少成功したからといい気になっていた。

打ちひしがれるは腕に触れ、そこにでんでん虫が眠っていることに気がついた。
はすぐにダイヤルを回した。
でんでん虫を鳴らすと、数回のコール音の後、眠そうなメルシエの声がする。

『・・・おはようございます、今何時だと』

朝の弱いメルシエが小言を言うのを遮り、
は硬い声色で指示を出した。

「緊急なのです、メルシエ。
 今から言うことをよく聞きなさい」

ただならぬ事態だと悟ったのか、でんでん虫が訝しむような顔をする。

「結婚することになりました」
『は?』

メルシエはが何を言っているのか分からない、と言った様子で聞き返す。
は早口でそれを補足する。

「外堀を埋められましてね。私は会ったこともない男と、
 ・・・それも海賊と結婚しなくてはいけないようです。詳しくは新聞を見てください。
 あの出来の悪い少女小説のような顛末を世界政府は信じたらしい。
 ・・・多分新聞を読んだらあなた、笑っちゃいますよ」

皮肉交じりの言葉に、なおもメルシエは戸惑っていた。

『社長、あなた、何を言って』
「今すぐ緊急総会を開いて私を罷免しなさい」

だが、に困惑に付き合っている暇はない。

『な、なぜです!?』
「理由はなんでもいい。恋に狂った女に経営を任せられないとか、
 そういう理由をつけてとにかく私を罷免しなさい。
 さもなければドレスローズ社は海賊の持ち物になってしまう」
『・・・!』

メルシエは息を飲む。
は固く目を瞑った。

「穏便に済もうが済むまいが、私は海賊の伴侶とならねばならない。
 おそらく会社は縮小を余儀なくされる。
 相手が望むのが王位なら、叛逆の種となるものは全て潰されるでしょう。
 私の財産が目的なら、ドレスローズ社の利益を吸い上げられる。
 ・・・どちらにせよ、今まで通りの経営は無理です」

ようやく事態の深刻さを悟ったらしいメルシエは喘ぐようにに問いかけた。

『海軍は、何か、手立ては、』

「ダメです。・・・相手が上手でした。
 求婚者は”王下七武海”なのです。海軍の援軍は期待できません。
 今ウチに居る傭兵と兵士たちで、
 七武海まで上り詰めた海賊と交戦した場合・・・我々が不利でしょう」

は無理やり口角を上げて見せた。
何もかもを海賊の思う通りに運んでたまるものか、というプライドがその笑みには滲んでいた。

「こう言う時のために、私は会社を国営にはしなかった。
 ・・・私を見限ったと言う演技をなさい。
 そうすればメルシエ、あなたを始めとした賢明な社員は、海賊に目をつけられることはない。
 結婚の条件に、あなた方の身の安全を含ませます。
 ・・・けれど、行動は素早く頼みますよ、なるべく早くドレスローザを出るのです」

メルシエはしばし沈黙した後、絞り出すように声をあげた。

『なぜ・・・なぜ、あなたが海賊と結婚しなければならない?!
 まだ、道半ばだった! 魚人島への参入だってまだしていない!
 あなたなしじゃ”ドレスローズ社”は成り立たないのに!!!』

悲痛の叫びだった。
しかしにとっては何よりも慰めとなる言葉だった。

「・・・ありがとう、メルシエ」

でんでん虫が息を飲む。
しかし、は再び冷静な声色で述べる。

「でも、私なしでも大丈夫です。メルシエ。あなたが居るなら」
『社長、様・・・!』

「私が社長を解任されたことを証明する書類だけ残してくれれば、後はなんとかします。
 ・・・”ドレスローズ”の名前も捨てなさい、全く新しい会社を作るのです。
 家族よりも共に過ごしたあなたですから、私の考えや、ノウハウは分かっていますね?」

でんでん虫は固く目を瞑った。
それから静かに、に尋ねる。

『・・・それしか、ないのですね?』
「ええ、残念ながら」

どこか穏やかですらあるの言葉に、
メルシエはやりきれない様子ながら、頷いた。

『・・・承知しました』

「・・・あなたとは、長い付き合いでしたね。メルシエ。
 年は倍近く違うのに、あなたを親友のように思っていました。
 ・・・後は、頼みますよ」

通話を切って、は顔を覆った。

会社の運営に青春の全てを捧げた。
国民を雇用し、富を産み、世界中の女性たちへ贈り物をするつもりで仕事をした。
スカーレットへの恋慕を忘れるために没頭した生きがいを、
今、は自分の手で打ち捨てたのだ。

「スカーレット・・・、」

ドフラミンゴと結婚することになったのなら、
まず第一にスカーレットの無事を約束しなければならない。

 スカーレットの無事さえ約束してくれるなら、
 王位だろうが、財産だろうが、なんだろうがくれてやる。

は膝を抱え、うずくまった。

ひとまずスカーレットの安全を心配することはない。
スカーレットのそばには――――がいるはずだ。

は自身の脳裏に奇妙な空白ができたのを悟り、言い知れぬ悪寒に襲われた。

「今、私、何か大切なことを・・・」

その時だった。

断末魔の声が聞こえた。

扉の隙間から血が流れ込んで来る。
は立ち上がり、扉から距離をとった。

心臓がうるさく鳴っていた。

 扉の外には今、誰がいる?

鍵が回り、懺悔室の扉が開いた。
そこには男が一人立っていた。背の高い男だった。
懺悔室のドアとさほど身長が変わらない。

こめかみから血を流し、返り血を浴びた男の足元で、
先ほど言葉を交わした兵士の死骸が転がっている。

息を飲んだに目を合わせるべく、男はしゃがみこんだ。

「おれの名はドンキホーテ・ドフラミンゴ。
 ”初めまして”だな。リク・

その時は、何か、ガラスのようなものが砕けて壊れる音を聞いた気がした。

 壊したのはこの男だ。間違いない。
 だが、果たして壊れたものは、なんだったのだろうか。

はその答えを、10年かけて思い知らされることになるのである。