キャラメルアイスティー 生クリームとシナモン添え
”北の海 ライラ島 ミリアム王国”ちょうど北の海の中程に位置するこの国は、”ノースの闇”の中継地点である。
密売船の補給を初めとして、あらゆる娯楽施設を擁し、悪人から金を絞りとるこの島は豊かだ。
いっそ醜悪なまでに。
サボは賑わう街並をげんなりした表情で歩きながら、小さく息を吐いた。
ミリアム王国国王の不正を暴くためにこの島に来たは良いものの、
かなり難しい仕事になりそうだったのだ。
特に島の中心にあるミリアムの城”バベリオン”に忍び込むのは骨が折れそうだった。
幾百の警備、高い塀に囲まれていてその全景は分からないその城は、
迷路のような作りになっていると言う噂が街中に流れている。
ひとまず様子見で外壁の周りを見て回って、
一度偵察も兼ねて塀の上に立って見たが、ミルフィーユのような作りの奇妙な城だった。
薄い円上の建物が3つとそれをつなぐ吹き抜けの通路が間にあり、
真ん中に王の住むドーム上の宮殿がある。
思いの外、城の規模は小さい。
真上から見れば綺麗な円を描いているのだろう。
塀から降りて、どう忍び込もうか、と考えていたその時だ。
「あら?」と上品な声が聞こえてくる。
「ハロー、サボ君、お久しぶりね」
トランクを片手にサングラスを下げて、上品な装いの老婆がウィンクをする。
サボは驚愕していた。
かつてサボはその老婆に会った事がある。
あれは半年と少し前のこと。
あの時は彼女の方から会いに来た。
しかし今回はどうだろう。
「"小説家"・・・・!」
まさか、・と再会するとは思っていなかった。
は堂々と、半年前に懸賞金がかけられた時と同じ姿のまま、島を闊歩している。
それもそのはず。今のに懸賞金はかかっていない。
誤手配だったと政府から通達され、新聞が一面彼女の笑顔で飾られたのは記憶に新しい。
噂によると、のファンの天竜人が政府に取り下げを命じたのだとか、
が莫大な金を政府に渡しただとか言われているが、
その真偽は分からない。
は口元に手を当てて、緩やかにその唇を上げてみせる。
「何かお困りなのかしら・・・?
よろしければお茶でもご一緒にいかが?
私もこの島には用事があって来たのだけれど、まだ時間に余裕があるのでね」
サボは逡巡したが、頷いた。
前回かなり痛烈な忠告を受け、その薄暗い一面を覗いたものの、
サボにとっては憧れの小説家である。
ここで別れるのは惜しいと思う気持ちがあった。
※
・に案内されたのは歓楽街とはかけ離れた白い壁と青い屋根の続く住宅地だった。
そのなかで一軒だけカフェテラスが開いている。
喧噪の遠い静かな場所だった。
”ピーコックカフェ”と名付けられた通り、
クジャクがテラスで羽を広げている。
「私の予想が正しければ」
はキャラメルと生クリームを浮かべたアイスティーに口をつけたと思えば、
そんな風に切り出した。
「ミリアム王国国王、テンペスト・フォリオにご用があるのではなくて?
私と同じで」
「あんたと同じ?」
「あの方、私の物語の熱心なファンなの」
この国の王は数多居る・のパトロンの一人と言うわけだ。
なんとなく面白くない、と頬杖をついたサボとは対照的に、は面白そうに目を細めた。
サボは声を堅くする。
「つまりあんたとおれは敵同士ってわけだな」
「フフ、さァ、どうかしら」
「・・・おれがあんたのパトロンに何をするつもりなのかくらい、
分かってるくせに何言ってんだ」
はサボからつい、と目を逸らし、見事な花咲く中庭を眺める。
ガラス張りの窓の外は一枚の絵画のように調和していた。
「王国と言うものはいずれは滅びる」
サボは息を飲んだ。頬杖をついていた手をはずし、の横顔に目をやった。
は窓の外のクジャクを眺めている。
「私にとって重要なのは、どのようなプロセスでそれが成されるかということ。
・・・”面白そう”ね、サボ君」
はクジャクからサボに視線を移す。
その顔は好奇心に輝いていた。
「私の連れとして”バビリオン”に潜り込んではいかが?」
「な・・・!?」
「そうね、フォリオ王は悋気が激しい方だから、召使いと言うことにでもしましょうか」
「ふざけるな、おれに奴隷の真似事しろっていうのかよ!?」
苛立つサボにも、はどこ吹く風だ。
それどころか、クスクス笑ってみせている。
「構わないわ。どちらでも。
あの城、私は何度かお邪魔しているけれど、なかなか面白いし、
もしも一人でやる気なら、あなたがどんな手段でバビリオンに潜入するのかも興味深いわ」
「”面白い”?」
やけに含みのある言葉にサボが首を傾げると、が目を大きく瞬いた。
「あら、あなた塀の上に立っていたでしょう?
外観がとても変わった作りになっていることは見ての通りだけれど」
「・・・見てたのか」
「ええ、ずっと。あなたが地面に降りるまで」
サボはなんとなく気恥ずかしく、口元を手の平で覆うも、
構わずには指を立てて城について言及した。
「あの城の名前は”パビリオン”と”バベル”を合わせた造語なの。
3層のパビリオン。つまり”別棟”に囲まれ、
中心にドーム状の宮殿があることは外観からも確認出来るでしょう?
けれどあの城の最も特筆すべき点は、その建築が巨大なアリ塚のように
地下に広がっているということ」
サボは眉間に皺を寄せる。
「”バベル”・・・、もともとは天にまで届くとてつもなく高い塔のことだろう、
まさか、それを逆さまにした位、あの城はデカいってことなのか!?」
「その通り」
の言葉に、サボは唖然としていた。
「中はまるで迷路よ。フォリオ王ですら全容を把握していないと言うのだから、面白いわ。
4代前のミリアム国王が命じて作らせた、地下に広がる迷宮の城。
素敵なテーマになりそうよね。
私は取材も兼ねてフォリオ王に馳せ参じているのだけれど。
あなた、強行に突破して見る?それも楽しそうね」
サボはぐ、と言葉に詰まる。
荒事で解決できるならそうするが、今回は違う。
”革命の火種”となる国王の不正の証拠を見つけるのがサボの今回のミッションだ。
ここで暴れて革命軍が侵入した、などとニュースになってみれば、
ドラゴンからの期待を裏切る事になるだろう。
サボはを伺う。
「おれを助けて、あんたになんのメリットがある?」
問いかけると、は口の端を上品につり上げた。
「好奇心に正直でない小説家は居ないわ。
取材させてちょうだい」
※
ミリアム王国宮殿 ”バベリオン” 第一謁見室
客人を招いた国王陛下は随分とご機嫌な様子だった。
「これはこれは、・殿!遠路はるばるミリアムへようこそ!」
「ご機嫌麗しゅう、フォリオ王」
口ひげを蓄えたテンペスト・フォリオが顔を輝かせている。
中肉中背の、一見すると平凡な男だがその目つきは鋭い。
年齢は”今の”・よりは下だろう、50に差し掛かる手前と言ったところだろうか。
王妃と王子、王女が横に侍り、を見下ろしている。
「!またお話をしてくださるのですね!」
「ええ、王子殿下」
「ずるいわ、お兄さま!!私にもお話を!」
「もちろんです。王女殿下」
は随分信頼されているようだった。
ただ、王妃がを見る目が少々厳しい気がするのはサボの気のせいなのだろうか。
フォリオ王がの横に立つサボを見咎めてわずかに眉を顰めた。
「おや、あなたがお付きを伴うのは珍しいね」
「なにぶん歳を召しましたもので、
満足に身の回りのことも出来なくなってしまいましてね。
恥ずかしながら彼にお手伝いをしていただいているのです」
「ふむ、血縁かな?あまり似ては居ないが・・・」
「弟の、忘れ形見ですわ」
が目を細めると、どうしてかフォリオ王は口を噤んだ。
そのこめかみにうっすらと汗を滲ませている。
「そ、うか。まあ、よい。あなたの話が聞けるのなら」
「光栄に存じます」
にこ、と笑いかけたは、完璧な微笑みで全てを煙に巻いてみせたようだった。
※
兵士に部屋へと案内される。
「図書館までの地図をどうぞ」
「一応いただいておくわ。ありがとう。また改装工事をしたのね」
「ええ、困ったものです」
サボが部屋の鍵を受け取り、のトランクを持ち上げ、先に部屋へと入る。
天窓のついた、驚く程天井の高い部屋だった。
白い壁にはクジャクの油絵が飾られており、キッチンが備え付けられている。
本棚には・の本がずらりと並び、
クローゼットを開けると服飾品がぎっしりと詰まっていた。
まるでのための部屋だ。
「あれだけ警備が居て、ろくにボディチェックもされなかったぞ」
「国王直々の客人の連れに、”そんなこと”出来るわけないわ」
は笑う。
「、あんたの仕事は、一体・・・」
「・・・心配なさらずとも。私の仕事は物語を紡ぐ事。
旅行で見聞きした事、完璧な作り話、色々ね。
それから、料理を振る舞ったりするわ」
「まさか」
サボは僅かに青ざめた。
”人食い”の名を冠す賞金首でもあるは、
まさか王族に人肉を食わせているのではないかと思ったのだ。
は老婆の姿からいつの間にか少女の姿に変わっている。
は呆れたように息を吐いた。
「あのね、幾ら私でも、頼まれもせずにパトロンに
そういう真似をするわけないでしょう。
推理小説の読みすぎよ」
「頼まれたらやるのかよ」
サボが真面目な面持ちで聞くと、
茶化すような物言いをしていたはふむ、と口元に手を当てた。
「そうね。相手によるわ。
でも、そんなことはどうでも良いでしょう?」
は端的に言うと、小さなメモと万年筆をとりだした。
「さぁ、サボ君。協力してちょうだい」
そのセリフを聞いてから、どの位の時間が経ったのであろうか。
サボは質問攻めにあって辟易していた。
流石は稀代の小説家だ。革命軍の芯となるところは話さずに済んだが、
質問の仕方も話術も巧みで、この島に来た目的は洗いざらい吐かされてしまった。
「なるほど、そうね・・・」
は呟いてから、サボに見取り図をよこせと手で合図し、
サボが素直に地図を渡すと、断じてみせる。
「執務室は宮殿部地下8F。恐らくその周辺に取引関係の書類があるでしょう」
の断定にサボは腕を組んだ。
「何故分かる?」
「私が仕事をするのがそこの近くだからよ。
今日あなたと行った部屋とは別の謁見の間がそこにあるの。
仕事部屋は近くにまとめているようでね、まったく、合理的だわ。この迷宮の設計者は」
は時計を確認する。
17時。すっかり話し込んでしまっていた。
「私は夕食を作るけど、あなたも食べる?」
「・・・まともな食事なら」
「疑い深いわねぇ、なら見ていれば良いわ」
は少女から老婆の姿に戻る。
驚くべき事に、シンクの高さまで誂えたようにの背丈に合わせているようだった。
その事実に、への並々ならぬ国王の執着を嗅ぎ取り、サボは密かにぞっとしていた。
そしてそれを当たり前のように享受しているにも。
「流石はフォリオ王。私が何を好きかは大体存じているようね」
冷蔵庫の中身はぎっしりと詰まっていた。
は手早く中身を取り出し始める。
「手伝うよ」
「あら、ありがとう」
が笑みを作ってみせた。
サボは小さく頬をかく。
「その方が安心出来るからだ」
「フフ、賢明なことで」
サボはと材料を見比べる。
その顔を見て、はやれやれと肩を竦めてみせた。
「・・・大体何を言いたいのか察しはついたわ。
私は甘党だけれどね、普通の食事を摂らないというわけではないのよ」
サボがの簡単な手伝いをしているうちに、あれよあれよと料理が完成していった。
そのクオリティたるや、どこぞのシェフも舌を巻くだろうと言う出来映えだった。
「あんた料理人になってもやって行けるよ。
それともどこかのシェフだったりしたのか?」
「それはどうも。・・・でも肉料理には手を付けないのね。慎重なのは良いことよ」
は質問をはぐらかしながら指摘する。
「ちゃんと言葉にして聞けば良いのに。
その肉が”何の肉”なのか」
サボは露骨にその顔を顰めた。
「それ、食事時に相応しい話題なのか?」
は口元に手を当てて、上品な笑い声を上げた。
「フフフッ、なかなかにウィットに富んだ返しね」
「・・・結局あんたは答えをくれないんだな」
膨れた顔をするサボを見て、はクスクス笑うばかりだった。
※
長い一日が終わろうとしている。
のミリアムへの滞在期間は3日間なのだと言う。
なら、早く国王の不正の証拠を掴んでしまおう、とサボは決意していた。
3日といわず、明日にでもここを出て行くために。
なぜならば。
サボは戸惑いを隠しきれずにを見る。
は「どうしたの?」と首を傾げた。
「・・・本当に同じベッドで寝る気なのか、おれは最悪床でかまわないんだが」
「あなたこんなおばあちゃんに何をするつもりなの?」
呆れたように息を吐くに、サボの方がため息を吐きたい気分だった。
無論そういうつもりは無いが、抵抗がある。
そして、は自身が恐るべき魅力の持ち主だと言う事にしばしば無自覚になるようだ。
しかしここで断ってもサボにやましいところがあるようではないか。
だから渋々同じ布団に入った。
が明かりを消す。
サボは小さく息を吐いた。
・・・寝れそうにない。
「千夜一夜のシェヘラザードのように、
寝物語でもしてあげましょうか」
サボの緊張を和らげるためにか、はそんな事を呟いた。
その声は夜の闇に柔らかく響く。
サボは思わずの方を向いていた。
暗闇の中、は静かな眼差しでサボを見ている。
「あなたを主役にしてあげましょう。
同じ寝台に寝転ぶなら、それくらいのもてなしは必要でしょうね」
「・・・良いのか?」
サボが問いかけると、は小さく笑ったようだった。
「これは私の趣味のようなものだもの」
は天井を眺める。
まるでそこに、物語が綴られているかのように、目を細めた。
「両親とは不仲だった」
サボは不覚にもどきりとした。の声が違う。その内容も。
まるで筋書きを読むようにすらすらと、は語る。
「食事の作法は叩き込まれてる。
それは、そうね、鞭をもってして叩き込まれたものだわ。
その作法を嫌悪してすら居る。
癖になった作法を途中でわざわざ荒立たせることさえある。
元々は貴族、あるいは金持ちの息子だった。
でもある日、家を飛び出した。・・・スラム、無法地帯に飛び込んだ。
最初はあまりの世界の違いに目が回るようだったが、時期に慣れた」
は柔らかな声のまま、続ける。
「そこであなたは誰かに会った。
一生の友人、あるいは恋人。友人の方かしら」
「・・・兄弟だ」
がサボの言葉に眉を上げる。
「へぇ、”兄弟”。兄の方?弟の方?」
「最初に出会ったのは同い年の奴だったから、どっちがどっちかは・・・。
後から弟も出来た」
「・・・最初は喧嘩もしたでしょう」
「ああ」
気がつけば、サボはの言葉に引きずり込まれつつあった。
「それは抑圧された環境下に置かれていた子供にとっては、
素晴らしい体験だったでしょうね」
は目を閉じ、物語を始めた。
生き生きと、まるで見て来たかのように、の言葉で色鮮やかなサボの記憶が脳裏に浮かぶ。
途中でサボが物語に口を出した。
コルボ山に暮らした事、ガープ、ダダン、ルフィ、エースのことをに話した。
サボから付け加えられた情報を上手く使って、は驚くほど的確に、
サボの冒険を、その言葉で語ってみせた。
鼻持ちならない大人たちを出し抜いたこと。
山に住む動物たちを仕留めたこと。
見よう見まねで秘密基地を作ったこと。
が言葉を紡ぐ度に、その時の感触が蘇る。
山を歩くと感じる緑の深さ。川の水の驚く程の冷たさ。倒したトラの毛皮の柔らかさ。
グレイ・ターミナルの煙を吹くゴミの山。ゴア王国の整えられた街並、見せかけの富。
フーシャ村の長閑な風景。
いつだって擦り傷、切り傷だらけだったこと。
ガープやダダンに叱られたこと、兄弟と転げ回って笑い合ったこと。
・・・ああ、これだから。
サボはに気づかれないように目蓋を堅く瞑り、手の平で覆った。
の言葉には”力”がある。
人の心を揺さぶって、冷静で居られなくさせるのだ。
幼い頃のサボの夢は、この広い世界を回って、本を書くことだった。
窮屈な貴族社会から飛び出して、自由に生きることだった。
そして、今、サボの横に居る人こそが、サボの幼い頃の夢を体現している。
悔しく思う。かつて爪を剥がされたというのに。
には恐るべき悪癖があると言うのに、
どうしてもサボは小説家・のことを、憎むことも嫌うこともできないのだった。