グラーシュスープとシャルドネワイン
ミリアム王国宮殿 ”バベリオン” 第一謁見室明日の朝旅立つと言うと別れを惜しむべく、
ミリアム国王と王妃、そして子供達がを謁見の間に迎えた。
「ミリアム国王陛下、この度はお招きどうもありがとうございました。
明日の朝には旅立ちます。見送りも結構ですので、名残惜しいですが」
「まったく、残念だ、・。
あなたが一つどころに留まる事が無いのは承知しているが、
この国に住むと言うのなら、私は白亜の城を建てると言うのに」
国王は半ば本気で言っている。だが、は冗談めかしてくすくす笑った。
「もったいないお言葉です。・・・しかしながら私はしがない小説家。
この広い世界を巡り、物語を紡ぐ事こそが、私の愛しい読者、
私を支援する方への報いになるのだと信じているのです」
は目を細めた。
「・・・出版社の方もどこかに定住しろとうるさく言うのですが、
そうするととたんに書けなくなってしまった。
そうなれば、私は”私”でなくなってしまいますわね」
ミリアム国王は僅かに怯えたような目をしたように見えた。
はあえて指摘せず、にっこりと微笑む。
「それでは皆様、本日はどんな物語を紡ぎましょうか」
※
は与えられた部屋へと戻る。
は公の場に出るときは必ず老女の姿をとった。
”小説家”に相応しい品格と経験、そして語り口に落ち着いた声色をとるには、
年老いた女の姿が適切であった。
ミリアムのように、王妃や子供らが同席する場合は別だが、
子供の姿をとるときは、相手がパトロンである時がほとんどだ。
そうする事で、パトロンはと秘密を共有することを楽しむ。
幼い子供から分別のある言葉を聞くのも彼らは面白がった。
は扉を開く。
サボはまだそこに居た。
に気づくと一度顔を上げて、そして伏せる。
手に抱えているのはこの部屋にあったの本の中の一冊だった。
「ああ、懐かしいわ。その絵本。私が一番最初に書いた本ね」
「・・・おれが初めて読んだあんたの本だ」
”4つの海の冒険”
意外と言われる事も多いが、・の小説家としてのキャリアはこの絵本から始まる。
冒険家”パンプキン”が東西南北の海を旅するシリーズ絵本だ。
海賊や海王類らと戦い、海軍を出し抜いて、政府にかしこまった態度を取りながら、
パンプキンは広い海で困難に出くわし、乗り越えていく。
サボにとっては挿絵が無くても、充分に魅力的な本だった。
七色に煌めく海、強い日差し、見た事も無いはずの風景を文字を通じて感じる事が出来る。
登場人物たちも皆魅力的で、悪人でさえもどこか憎めないキャラクターだった。
この本は出版されるや否や、爆発的に売れたのだと言う。
「あ、」
「どうしたの?」
「これ、いつ書いた本なんだ?」
「・・・さァ、いつだったかしら?」
ははぐらかしてみせる。
サボは軽く息を吐いて、絵本の表紙を撫でた。
「ともかく、面白かったよ。これを読んだのは、13、4の頃だったかな」
同じ革命軍に属する年下の子供が、
読み聞かせを強請ってサボに差し出したのがこの絵本だった。
渋々読み聞かせてやっていたときに、サボのほうが夢中になって物語に没頭していったのだ。
「おれはその時、何にも覚えてなかった。
だけど”パンプキン”みたいに世界中を旅するのが夢だったって、思い出したんだ。
そこからは新作がでるのを、ずっと楽しみにしてた」
「まぁ、それはどうもありがとう」
は微笑む。
サボは少々の気恥ずかしさを覚え、話題を変えようとふいに目に入った本棚に言及する。
「それにしても、、あんた年に何冊書いてるんだ?
この本棚、天井まで全部あんたの本だろう」
高い天井にまで届く本棚にずらりと本が並んでいる。
改めて見ると圧倒される、とサボは独り言のように呟いた。
「そうね、ひと月に1冊書いた年もあれば、調子が悪くて1年に1冊だった年もあるけれど・・・、
最近は3ヶ月に1冊くらいのペースで書いているかしら、
ありがたいことに、小説以外にも映画や舞台脚本のお話もいただいているから」
「脚本?」
「ええ、おかげで本業がおろそかになりがちで困るわ」
「そうか、そっちは知らなかったな・・・」
「小説以外ではあまり大々的に宣伝はしないから」
サボは少し悔しそうな顔をする。はそれに眉を上げた。
「本当に、全部読んでくれているの?」
「・・・出来る限りは」
「ありがたいわね」
は立ち上がり、キッチンに立った。
「リクエストがあるなら聞きましょう。
何が食べたい?」
「肉料理以外」
「フフフ・・・了解したわ」
「・・・手伝うよ」
「ありがとう」
は白身魚を捌きはじめる。
適切な位置に包丁を入れ、考えていた。
どのように、料理しようかと。
※
夕食の席で、子供の姿をとったはグラスに目を落とした。
「あなたのおかげで、充実した3日間だったわ。
色々と取材出来たしね」
サボはそれを聞いて複雑な顔をした。
2日間の物語があまりに印象深かったからだ。
はサボの顔を見て、その目を細めた。
「まだ眠るには早いけれど、何かお話しましょうか。
何が良い?」
の申し出に、サボはしばし考えるようなそぶりを見せた後、
口を開いた。
「あんたの話をしてくれないか」
小説家、・がどのような人生を歩み、稀代の語り部となったのか。
サボのリクエストに、は軽く目を瞑り、またゆっくりと開いた。
「前置きをさせてもらうけれど、
私は”私”の話をする時、必ず嘘を吐くことにしているの。
だから、これから話す物語は、フィクションでもあり、ノンフィクションでもある」
は念を押すようにそう述べる。
今までもそうだっただろうに、とサボは首を傾げるが、は疑念に応えず語り始める。
物語を始めたの声色は、今までと違っていた。
しっとりとして、柔らかくもあるのだが、奥底にほの暗いものが滲んでいた。
「私は昔から即興で物語を作るのが好きで、
3つ年の離れた弟によく物語を作って話して聞かせた。
弟を主役にして空想の世界を旅行するの。
弟は私の言葉で何にでもなれた。
王様にも、奴隷にも。男にも、女にも。はたまた動物や、ロボットにだって。
物語の中で、弟は正義のコートを羽織って、海軍として海賊船を追いかけていたし、
海賊になって財宝を見つけたりもした。
私の事を、弟は魔法使いと呼んだ。
眠れない夜。嫌な事があった夜。悲しみで胸が張り裂けそうな夜。
弟は私を起こして言った。
『姉さん、おれに魔法をかけて』」
暖かい姉弟のやりとりで始まった物語は、徐々に薄暗さを伴っていった。
は豊かな国に生まれた。
しかし王の浪費がかさみ、国は傾き、国民は徐々に餓えていった。
貴族はだれも王を諌めず、贅沢を謳歌していた。
裕福な商人の娘だったと弟は
貴族にも国民にも近しい存在であったからか、双方の温度差や、
国の纏う空気が尖っていくのを肌で感じていた。
そして、が15のある日。弟とは誘拐された。
「身代金を目的とした誘拐だった。弟が1億。私が2億。
誘拐犯は皆武器を持っていて、骨が浮き出る程に痩せていた。
私と弟は殴られ、蹴られ、傷だらけで檻に入れられたわ。
ろくに食べ物も与えられず、初めての空腹を耐え、
甘やかされた子供だった私たちは震えながら身を寄せ合った。
・・・次の日、弟が死んだ。父が身代金を払う事を拒否したから。
私は人身売買にかけられることになった。そして、その日の夜」
に初めてまともな食事が供された。
すね肉の入ったトマトのスープ
”グラーシュスープ”だった。
は空腹を満たすために、そのスープを飲み干した。
「とても美味しかった。それまでの人生で食べた中でも、一番と言って良い位」
いよいよ鎖で繋がれ、競売にかけられている最中、は耳を疑った。
信じ難い言葉が司会者から紡がれたのだ。彼はをこのように称したのだ。
『なんとまだ15歳!その声色はまるでシェヘラザード!
しかしお大尽方、油断召されるな、彼女は"弟のスープ"を残らず平らげた”人食い”!
躾け直したい方は200万ベリーから!』
蒼白になったを視線が刺した。
耳が聞こえなくなったようで、目がくらんだようだった。
だからにどのような値段がついたのかは定かではない。
ともかくそれなりの値段で売れたようだった。
「そこの競売では、人も、物も、同じように競りにかけられた。
競りが終わっても呆然とする私のもとに、
船が揺れ、棚が倒れたからか、その実が転がり落ちて来た。
悪魔の実だった。歪な林檎のような形をしていた」
は迷わず齧った。酷い味だったが、それがを救ったのだ。
はシュガシュガの実の力で隙をみて逃げ出して、そして物語を書いた。
”4つの海の冒険”
その主人公”パンプキン”は、の弟がモデルなのだ。
「弟は私の血肉となり、私の中で生きている。
でも、もう触れ合うこともできない。喧嘩をする事も、笑い合う事も。
ならせめて、残したかった。
千の形容、万の言葉を尽くし、弟の冒険を、その物語を世界中に広げようと思った。
それで終わる事ができたのなら、私は本物の”人食い”にはならずに済んだのだろうけど、
・・・私はあの味が忘れられなかった。
柔らかな肉、調味料のよく染みた、あの、グラーシュスープを」
は物語を黙って聞いていた、サボの顔に眼差しを向ける。
「サボ君。実はね、そのスープ。
人骨で出汁をとっているの」
※
食卓のコップが大きな音を立てて倒れた。
テーブルの上を、水が広がっていく。
青ざめたサボの顔を見つめるの顔はいたって普通だった。
まるで世間話でもしているかのような。
サボは全身から汗が吹き出していることを自覚していた。
それを見て、は冗談めかした声色を作った。
「嘘よ。全部、嘘。全くの、作り話よ」
「・・・!?悪趣味にも程があるだろ!?」
「でも、一瞬は”本当”だと思ったのでしょう?」
その変貌は、唐突だった。瞬きの間の出来事だった。
「ねぇ、サボ君。私は今までどうやって、人を食べて来たのだと思う?」
の切れ長の目が細められる。
今、は子供でも老婆でもなかった。
妙齢の女が頬杖をついて、微笑んでいる。
サボはその顔にたじろいだ。
子供や老婆であった時には感じなかった、
強烈な引力のような、芳香を感じていた。
「その顔、やめろ」
「なぜ? この顔が私の本当の顔だと、あなたはそう思ったのでしょう?」
の素足がズボンの裾を軽くまくり上げた。
足首に、のつま先が触れる。
途端に、心臓の鼓動がうるさく鳴り始める。
警告するような音だった。
「私はどんな風に、”彼ら、彼女ら”を切り開き、飲み干し、貪って来たのだと思う?」
「知るか、そんなの・・・、」
「想像しなさい」
の声色がしっとりとした、夜の闇の中で響くあの声に変わる。
「悪魔の実の力でねじ伏せたのか、それとも言葉巧みに誘い出したのか、
あるいは・・・こんな風に、誘惑したのか」
「・・・いい加減、怒るぞ」
サボはを睨みつけた。
しかしは笑うばかりだ。
「なら教えて欲しいわ。あなたがどんな風に、怒るのか」
サボは座っていた椅子が、砂糖に変わっていることに気がついた。
驚くべき事に、サボの怪力を持ってしてもその椅子は崩れない。
・・・身動きが取れない。
”シュガシュガの実の能力者””人食い”
”小説家”というあまりに強烈な印象に隠れていたその2つの側面が
今ありありと浮かび上がっている。
はしなやかに立ち上がった。
老婆であったときとも、子供であったときとも違う滑らかな所作だった。
一歩、また一歩と近づいてくる。
サボの座る椅子の後ろに、が立った。
「あなたは目的を遂げたなら、すぐ立ち去るべきだった」
の指が、後ろから顎を撫でる。
耳元で囁かれ、サボの背筋を恐怖とも、別の感覚ともつかない痺れが走った。
「危ないものと分かっているのなら、そう簡単に近づいちゃ、いけないのよ」
「おれを、どうする気だ」
眉を寄せ、歯を食いしばるサボに、は小さく喉を鳴らして笑う。
「それを知って、あなた、私を拒める?」
首の付け根に鼻先が触れた。
スカーフが砂糖になって崩れていく。
がその砂糖を一欠けとって口に運んだらしい。
さっくりとした音がその場に響いた。
「タイムとローズマリーの蜂蜜、キャラメルを絡めたナッツの風味、
フフフ、・・・おいしい」
「・・・狂ってる」
の髪が、サボの顔の前に帳を下ろす。
薄い笑みを浮かべるその頬は上気していて、まともじゃなかった。
顎をつかみあげられる。
まさか、と思う間もなく口づけられた。
上等な菓子のような、芳しい香気がむせ返るように広がった。
ぬめりを帯びた生温い舌が、ほのかに甘い砂糖水のような味覚を伴って
歯と歯の間を滑り込んでくる。
切れ長の瞳が煌々と光る。
唇が離れ、甘ったるく、それでいながら切実な声が名前を呼んだ。
「サボ君」
ほの暗い欲望の滲んだその声にゾッとする。
少女でも老婆でもないは、完成されたケーキに
フォークを入れるように、シャツのボタンを外しにかかっている。
「本当なのか嘘なのか、正気なのか狂気なのか、
その境界はどこにある?今、私は狂っていて、あなたはまとも?
・・・いいえ、違うわ。あなただってまともじゃない」
「なんでそんなこと言い切れる」
サボはの逆さまの顔から、目を離せずに居た。
は薄い笑みを浮かべたまま、目尻を緩める。
「あなたが”私”を知りたいと思っているからよ」
まるで高熱を出した時のように身体が熱い。
しかし、頭の芯はどこか冷静でもあった。
こうなることを分かっていたような気もしていた。
「だから、あなたは、ただ黙って、私に食べられていればいい」
※
水を飲み、ものを食べることが生きるために必要なことだと言うのなら
それが贅沢である必要はなかったはずだ。
神が食物を作り、調味料は悪魔が作った。
おそらくは美食と言う快楽を人間に与え、堕落させるために。
それと同じ事だった。
・は完全なる美食家だった。
どのように目の前に供された料理を楽しめば良いのか熟知している。
文字を綴る指が肌をなぞっている。
色鮮やかな言葉を紡ぐ唇が、サボの指先に口づけた。
制止の言葉が意味をなさないと気づいた時に、サボは歯を食いしばっていた。
そもそも、前提からして狂っている。
「拒めるのか」と聞かれた時に、即答できなかった。
「今、あなたはまともではない」と断じられた時に、強く否定できなかった。
腰骨を齧られる。痛みと、それとは違う、電流のような感触にシーツを堅く握りしめる。
何かがどこかで千切れたような気がするが、構っていられる余裕が無かった。
物語に没頭するのと同じように、深く、深く、没入する。
前髪をかきあげられ、火傷痕を丁寧に口づけられたときは嫌悪感と奇妙な恍惚に首を振ったが、
はそれを許さなかった。
それどころか、アイスキャンディでも舐めるように、目玉を舐められたのだからぞっとする。
いつかの言葉が蘇る。
『あなたはきっとナッツみたいな味がするわ』
酷く滑稽だった。当てこすりにその真偽を聞いてみたい気もしたが、
今口を開いてしまってはみっともない声が零れてしまいそうで、
歯を食いしばるか、拳を握りしめるかしかできなかった。
叫び出したいほどの衝動を抱えるサボとは裏腹に、当のは静かだ。
食事の作法と同じく、口にものを含んでいるときは喋らない。
ただ、少し息を詰めてみせた。
その息が、張りつめられた糸をプツンと断ったのに気がついた。
いつの間に、見上げていたはずのの顔を見下ろしていた。
常に綽々としていた眼差しが見開いて、きれいなアーモンド型になっている。
サボは、何か言おうとしたらしい唇にかじりついてみせた。
言葉なんか今はどうでも良い。
その瞬間に物事が曖昧になったのを感じていた。
正気なのか、狂気なのか、本当なのか、嘘なのか、
貪り食われているのは、どちらなのか。
サボは堅く目を瞑った。目の前が明滅する。
身体の内側を引っ掻かれたような感触がする。心臓の裏側が特にだ。
2人は獣のように荒い息を吐き、
どろりとした白濁を、は掬って舐めとった。
その瞬間の、恍惚と狂気の滲んだ微笑みが焼き付いたように離れない。
正常な意識を保っていられたのは、恐らくそこまでだった。
その後のことは断片的な記憶とイメージしか残っていない。
白い腕、笑う唇。そして水気を含んだ柔らかな声しか。
※
サボは天窓から落ちる光に起こされて、
彼にしては珍しく、はっきりと目を覚ました。
瞬間に悟る。
もうここに、・は居ない。
だだっ広い部屋は主を失くして冷えている。
身体を起こし、身なりを整えた。
どうやらどこも欠けてはいないようだ。
のあの口ぶりからして、
本当の意味で”食べる”気だったのには間違いないのだが、とサボは首を捻った。
ひとまず五体満足であることに安堵して襟を正そうとするも、スカーフが足りない。
途端に酷く感傷的な気分が覆い被さってくるが、サボは頭を軽く振った。
今度こそバルティゴに戻らなくてはならなかった。
しかし。
一冊の本がテーブルに置かれている。
の書いた本だ。
姉弟が主人公のサスペンス、当然サボは読んでいる。
だからその表紙に走り書かれた文字が、からのメッセージなのだとすぐに分かった。
”次はグランドラインで、朝食を”
「・・・・」
サボの声に混じったのは、怒りだったか、惜別だったか、あるいは別の感情だったのだろうか。
全てが曖昧ながらも、ただ一つ確かなことと言えば、
やはりサボは・の物語を愛しているということだった。
※
客船の上、甲板の先で女が一人、でんでん虫をかけている。
1回目のコールで、相手が受話器を取る音がした。
少し疲れている、眠そうな声だった。
『はい、パルプフィクションズ出版』
「ハァイ、スウィティ。私よ。・」
の担当編集の一人、スウィティが眠気を忘れたように声を上げた。
『あ?!名前で呼ぶのやめてくださいって何度も言ってるじゃないですか先生!?
ていうか完成原稿いきなりぽんと渡して"推敲と校正よろしくね"はひどいですよ!
そのあと1週間は音信不通だし!でんでん虫出てくれないと困ります!!!』
マシンガントークには軽く苦笑する。
「ごめんなさいね?それで?原稿はつまらなかった?」
『いーえ!いつもながらお見事です。
スペルミスもほとんどないし・・・これ本当に3ヶ月で書いたんですか?流石ですね』
「ウフフ、ありがと。それで、新作なんだけど」
賛辞も軽く受け流し、はビジネスの話に移った。
スウィティは半ば呆れた様子でそれに応える。
『ハイペースですね・・・ジャンルはどうします?』
「”4つの海の冒険”のシリーズ。あれの続編を動かそうと思ってね。
まだ今年は書いてないから」
『ああ!そうですね。1年に1冊以上は出してますもんね。
じゃあ担当もそのまま私と言う事で。
次はどこの海の冒険にするんですか?』
は目を細め、柔らかく微笑む。
「北の海に」
その声色に何か思うところがあったらしい。
スウィティがふと問いかける。
『ところで先生、えらくご機嫌ですけど』
「あら、でんでん虫越しでもわかる?」
『分かりますよ。声が全然違います』
は目を伏せ、語りかける。
「・・・”ワイン"をね、頂いたのだけど」
『はい』
「飲みごろだと思っていたら、
もう少し待っていた方が良いと気づいたの。
まだ若くて・・・可能性があるうちに飲み干そうと決めていたけど、
寝かせた方が美味しくなりそうだって」
『・・・はい?』
「私の審美眼もまだまだね。勘違いだったわ。
育てる美味しさも、なかなか良いものよね」
スウィティはおずおずと、半ば呆れた様子で質問した。
『あのー、先生、それ、本当にワインの話ですか?』
「ええ、もちろん。とびきり上等な”ワイン”の話よ」
『ハァ・・・先生は本当に、人を食ったような言動ばかりなさるんですから』
は口の端をつり上げた。
「ええ、人食いなのよ。私って」
『また悪趣味な冗談言って!一度本社に顔を出してくださいね!
打ち合わせしましょう』
事務的な会話を交わし、はでんでん虫の通話を切った。
「・・・さて、次に出会った時、彼、どんな顔するかしら。
どんな顔で会おうかしら、・・・味が変わっているかしら」
・は想像する。
蕩けるチーズのクロックマダム。緑の葉の鮮やかなグリーンサラダ。
カットした宝石のような色とりどりのフルーツ。
ナッツのたっぷり入ったスコーン。そして濃厚な甘さのクローテッドクリーム。
金色の蜂蜜、香り高いオレンジペコ。
あるいはキャラメルとホイップを落としたアイスティー。
それらをきちんと味わうには、どのような装いで、どのような状況が相応しいのか。
甘党の美食家は吟味するのだった。
その唇に、笑みを浮かべて。