地獄変・泥眼

鬼のような女

諦めぬ焔

その、額に角の生えた化け物が、牙をむき出しに
へ襲いかかって来たので、精一杯の抵抗をした。
持っていた薙刀を無我夢中で振り回した。

型の発表会を近くに控えたがその日持っていたのは仮刃ではなく真剣で、
巻き布を取った刃は月光に冴え冴えと光り、
その化け物の腕を切り落とした。

その肉を断つ感触を、は今でも覚えている。
青ざめたのも束の間、化け物の腕はあっという間に治ってしまった。

「無駄だ無駄だ。俺は不死身なんだ!さぁさぁ、どこから食ろうてやろうかねェ!!!」

不死身の人食い。

は目の前にいる化け物が正真正銘の怪物であることを知って、
驚き、息を飲んで、そして――笑った。

そこに別の人間が来るまで、どれほど時間が経ったのかはわからない。
気がつけば、は怪物をズタズタに切り裂いていた。そこら中にもげた手足が転がっていた。

は息を荒げ、返り血に塗れているのに構わないまま、近寄って来た男を見やった。

「お前随分派手にやったな」

男は血まみれのと凄惨な現状を見て、瞬いていた。
が男に目をやった隙にと逃げ出そうとした怪物を、
はいとも簡単に薙刀で一突き、串刺しにする。

だが怪物は死ななない。苦痛に呻くばかりだった。

「ダメだダメだ。それじゃ死なねェよ。こうやるんだ!」

男が二刀で怪物の首をはねたとき、怪物は心なしか安堵の表情を浮かべたように見えた。
は朽ちていく怪物を見やると、男に向きなおる。

「お兄さん、“あれ”は何と言う生き物だったのですか?
 私も何度か首をはねましたが治ってしまった。徐々に回復する速度は落ちていきましたが、
 人なら致命傷だろう傷を与えても、全然死ななかったのに、なぜお兄さんは殺せたのでしょう?」

の質問に、男は「あれは鬼だ」と答えた。
日の光に当てて殺すか、特別な刀、日輪刀を持ってでしか殺せぬ化け物だと。
男は鬼殺隊に所属する人間で、鬼退治を生業としているのだと。

「そんなことより、お前派手に血塗れだぞ。怪我はねェのかよ」
「ああこれ。返り血ですからお気になさらず……ところで」

は首をかしげ、尋ねた。

「その、鬼殺隊というのにはどうやったら所属できるのですか?」



が任務で負った怪我は全て軽傷だった。
あの鬼、“影鬼”の血鬼術は未だ発展途上の代物だったのだろう。
鬼の中にはより強力な術を使えるものもいる。

もしも影鬼の術が完成していたら、の首は両断されていた。

だが、はどうでも良かったのだ。
鬼の首が飛ぶのなら自分の首もろともで構わないといった様子だった。

杏寿郎はの怪我の治るのを待って、道場にを呼び出した。
行灯に火が灯り、室内をゆらゆらと赤く照らし出している。

「怪我の具合はどうだ?」
「はい。もう全然。痕も残りませんでした」
「そうか、良かったな」

そう言って、正座して見せたに、杏寿郎はこう切り出した。

君。君はどうして鬼殺隊に入った」

は少々驚いた様子だが、すぐにいつもの笑みを浮かべてみせる。

「以前もお話しした通りですよ。鬼を苦しめて殺すことができるからです」
「それも嘘ではないが、君が鬼殺隊に入った理由はそれだけじゃないな?」

杏寿郎は耀哉に手紙を出していた。

がなぜ、鬼殺隊に入ったのかの経緯を知る必要があると、影鬼の任務を終えて思ったのだ。
おそらくそこに、が執拗に鬼を嬲る理由と、命を捨てるようなやり方で鬼殺に臨む理由があると。

「思えば不思議だった。君は鬼殺隊とは縁遠い医者の娘で、何不自由のない暮らしを送っていたはずだ。
 そんな君が、どこで鬼の存在を知ったのだろうかと」

そして手紙を見て知ったのだ。が鬼に襲われたこと。
その時、どのように生き延びたのかを。

「お館様にお伺いしたが、君は薙刀の稽古の帰りに鬼に襲われ、これを蹂躙している。
 鬼殺隊が来るまでかなりの時間が経っていたのではないかと記述があった。
 日輪刀でもなんでもない、ただの薙刀で、君は鬼を痛めつけ続けた」

杏寿郎は笑みを浮かべ続けるを見やる。

「君は、もともと惨たらしい気質の持ち主なのだな」
「えぇ、そうですよ」

はいとも簡単に自身の歪みを肯定した。
やはりは、相手が鬼でなくとも、人であっても、
何かを傷つけたいと言う衝動が人一倍に強いのだろう。

「でもね、煉獄さん。私は人間相手に理不尽な暴力を振るったことも、
 誰かを拷問したこともありません。
 ずっと、ずうっと、堪えてきたんですから」

の眼差しに仄暗いものが混ざる。

「胡蝶君や共に任務に当たった朋輩は君の中に“鬼”を見ている。君は、」

「それは煉獄さんもでしょう」

言葉を遮って、は挑むように杏寿郎を見上げる。

「うふふ。一番私を醜いと、殺したいと思っているのも私ですよ」

浮かべていた笑みが、一瞬で抜け落ちた。
能面のような顔がそこにある。

「皆々様の言う通り……私は鬼と変わりますまい。
 どうぞ、日輪刀で、私の首を落としてください」

杏寿郎は眉を顰めた。

「場合によって君の首を斬ることもやぶさかではないが、
 ……最後に一つだけ、聴かせてほしい。君は、もしも鬼舞辻無惨を倒し、
 鬼を殲滅することが叶ったのなら、どうするつもりだ」

「首をくくります」

は間髪を入れずに答えた。

「この手が罪なき人の命を奪う前に、私は私を殺します」

しばし睨みあったあと、先に口を開いたのは杏寿郎の方だった。

「君は父君を残して身勝手に死ぬつもりか」

は少しばかり眉をひそめ、黙り込んだ。

不思議とが纏っていた殺伐とした空気を緩めて、
人らしい苦悩を覗かせたように見えたので、杏寿郎はまた、言葉を続ける。

「本当に、死にたいのか、君は?」

は硬く目を瞑り、やがて、開いた。

「……つまらない、身の上話をしてもよろしいですか」

杏寿郎が頷くと、はポツポツと話し始める。

母親は肥立が悪く、を産んで死んだこと。
医者である父親はそれを悔やんで悔やんで、
代わりのようにに一心に愛情を注ぎ続けたこと。

「男手一つで何かと苦労をかけたのだと思います。
 着物のこととか、髪結いのこととか、女の細々とした生活のことなど、
 きっと全然わからなかったはずなのに、
 患者の女の人に声をかけて、どうしたらいいのか指南をもらって、逐一気にかけてくれて」

膝に置かれた指が強く握られ、白くなった。

「……それなのに育て上げた娘はこのように、鬼のような卑しい性根の女で」

絞り出すような低い声だった。

「小さい時から、人の、怯える顔や、痛がっている顔が好きでした。
 悲鳴や、苦痛に呻く様が。
 自分の頭がおかしいことは、物心のついた頃からわかっていました」

眉間にぐっ、と力が篭る。

「せめて父に恥じるような娘にはなるまいと、迷惑も心配もかけたくないと、
 そう思って、あの夜までは何とか、自分を押し殺してきたのです。でも」

けれどは鬼に出遭ってしまった。
痛めつけても殺しても罪に問われない生き物に。
人食いの化け物ならば何をしても構わないのだと、は薙刀を振るった。

「……あの夜、薙刀で鬼を切り刻んだ時に、箍が外れまして」

そしては“鬼のような女”になった。
もう、押し殺し続けていた欲望は殺せない。知ってしまったら戻れない。

「鬼殺隊に入ったのは、ここで死ねばこんな私でも、人を守って死ぬことができると、
 私の悪癖も人の役に立って死ねると思ったからです」

は、自分の頭がおかしいことを誰よりもわかっていた。
だから箍が外れても抗いたかったのだ。

「父の誇る娘であれると、思ったからです」

人を傷つけて死ぬより、人を守って死にたかった。

「真っ当な“人”として生きるのは、多分もう、無理だと思いますから」

自嘲するに杏寿郎は首を横に振った。

「そんなことはない!」

瞬いたに、杏寿郎は断言した。

「君は最悪の時には命さえも捨てる覚悟ができている!
 君が本当に鬼ならば! 自分を抑えることなどしないはずだ!
 自分の気質を恥じることもなかったはずだ!」

自身の悪癖や欲望をきちんと理解し、抑圧し、
人を守るためにと思うことができるのならば、
それは“鬼”ではないと、杏寿郎は思ったのだ。

君、俺は君に謝らねばならない。
 俺は確かに君に鬼を見た。だが、君は鬼ではない。人だ!
 君がその悪癖に、苦しみ続けているのにも気づかなかった!
 すまなかった!!!」

深々と頭を下げた杏寿郎に、はオロオロと視線を彷徨わせた。

「え、えぇ? いえ、あの、私も表に出しはしなかったので。
 それに、その、煉獄さんに謝っていただくようなことでは、
 ないんじゃないかと、思うのですが……?」

戸惑った様子で声をかけたに杏寿郎は顔を上げる。

「だが今日からは違うぞ! 俺は君を見捨てない。
 君に人を傷つけさせない。まして殺させるようなことはさせない。
 君と悪癖との上手な付き合い方を考えてみよう! 共に!」

杏寿郎はの手をとって力強く言った。

「君を鬼などにさせてたまるものか!」

はひゅ、と小さく息を飲む。
そのまま瞬いてしばらく惚けていたが、やがて、ゆるゆると笑いだした。

「……熱烈ですねぇ。うふふふふ。なんだか口説かれているような気がしますよ」

の軽口に杏寿郎は驚いていた。ぱっと手を離して答える。

「いや! 口説いてはいないぞ!」
「わかってますよぉ。冗談です」

の人を食ったような物言いに杏寿郎はムッと眉を顰めた。
何がおかしいのかクスクス笑って、は顔を上げる。

「ではでは、今後ともよしなに頼みますね。煉獄さん」