期待

杏寿郎とは道場で向かい合い、の悪癖との付き合い方を模索する。

の残酷趣味の最大の欠点は、鬼を倒すのに時間をかけることにある。
その次に、悪癖が行き過ぎるとのいたぶる対象が鬼だけでなく人間になりかねないことだ。

もちろん最初から悪癖を完治させることができるなら話は簡単だろう。

しかしがこれまで何もしなかったわけではないことや、
悪癖を制御できず、が自己嫌悪を抱いて半ば自棄になっていたことも、杏寿郎は既に知っている。

「君の悪癖は堪えようとすると反動が出るのだろうな。
 訓練の際に少しイライラとしていただろう」

「……そうですね。胡蝶さまのところにいた時も、抑えようとしたのですが、
 段々とむしゃくしゃして、やることなすことに、殺気立ったものが混じるようになって」

ため息交じりに、はしのぶの元を破門されるきっかけとなった出来事を、
簡単に説明した。

「最終的に、胡蝶さまが制止するのも無視して鬼をさんざ拷問しまして。
 頰を叩かれてようやく正気になったんですけど、あたりは血の海で、酷いものでした」

杏寿郎は腕を組んでの語った状況を想像する。

「うん。おおよその察しはついた!」
「ちょうど、廃寺での任務の際と状況は似ていましたねぇ」

苦笑したは、さらに言葉を続けた。

「自分の状態の事は、なんとなく把握してるのですけど、
 心臓の音がうるさくなって。興奮して。気が大きくなって。楽しくなって。
 私はお酒を飲んだ事はないですが、酔っ払ってる時のような感じと似ているんじゃないかと思います」

目を伏せて、自身の行いを恥じるように打ち明ける。

「それで、どうしても、歯止めが効かなくなるんです」

杏寿郎はしばし考えるそぶりをみせたあと、
これしかないだろうと、ある提案をした。

「ふむ。少しずつ、鬼を退治するのにかける時間を減らしていく、
 という方法が現実的だろうな」

は頰に手を這わせ、首を傾げる。

「それは……必ず鬼の首を斬れ、という事ですね」
「そうだ。君、放っておくと朝まで鬼を嬲り殺しにするだろう」
「はい」

「……素直なのは良い事だが、そうもあっさり肯定されると結構困るな!」

あっけらかんと肯定したに、杏寿郎は「そこは否定して欲しかった」と思いながらも頷いた。

今までは夜通し鬼を拷問し、朝になったら日に当てて殺す、という方法で鬼を退治してきた。
しかし、悪癖を制御するなら夜のうちに鬼を退治するべきだと杏寿郎は考えたのだ。
そうすれば単純に、が鬼を苦しめる時間が減るのだから。

「鬼を退治するのにかけていい時間は3時間まで、とかそういう制限を設けよう!」
「3時間……」

は杏寿郎の提案に、難しい顔をした。

「なんだ、不満そうだな、これでも譲歩しているぞ!」
「何ができるかしら、3時間ぽっちで……」

呟かれた言葉に、杏寿郎がスッと居住まいをただした。

君。できる限り鬼を苦しめるのは止すんだ。真面目にやれ」
「すみません」

本気で怒ったのがわかったのか、はすぐに発言を謝罪する。
素直に応じたに、杏寿郎は気を取り直して続けた。

「しばらくは俺が任務に同行できるから監督をする!
 だが、そうもいかない場面も出てくるだろう。俺も柱なのでな!
 君にかかりきりというわけにはいかないのだ!」

「でしょうね。一般隊士とは比にならぬ仕事量ですもの」

鬼殺隊の柱というのは忙しい。

一般隊士とは比にならない広さの警備担当、
鬼が関わっていそうな事件や噂の情報収集、
自身のさらなる剣技向上のための訓練、
その他にも単純な事務作業や諸々をこなさなくてはならない。

「そう他人事のように言うことはないだろう!
 君の階級も“ つちのと ”だ! いやはや、入隊して一年も経たずにこの階級だからな!
 さらに腕を上げ自制が効くようになれば、柱としての活躍も夢ではないはず!」

杏寿郎がに期待をかけると、は困ったように眉を下げた。

「……私は柱に向いてるとは思いませんが、」
「そのくらいの意気であれと言うことだ! 弱気になっては何も成し遂げられないぞ!」

叱咤すると、はいつものように曖昧な笑みを浮かべた。
杏寿郎はそれを見てとりあえず良いように解釈して頷いたあと、懐から時計を取り出した。

「ひとまず、当面は君が自制できるよう、鎹鴉に時計を持たせる。
 鴉には君がどれだけ時間をかけて鬼を倒したか、
 どのような方法をとったか、報告してもらうつもりだ。
 ズルはダメだぞ! いつでも君を見ているからな!!!」

はチクタクと動き続ける懐中時計を受け取った。
しばらくそれを興味深そうに眺めていたが、顔をあげて、微笑む。

「わかりました。時計は鴉の首にかけることにします」



杏寿郎の提案は一定の効果を発揮した。

は3時間と決めれば3時間の間に鬼を殺し、
鬼に悲鳴を上げさせる回数を定めればそれを守った。
ただし、守れる規則は1つだけで、それ以上の規則は守れなかった。

その辺りのことを鑑みるに、おそらく、最初の任務の時のように
「好きにしてもいい」と自由を与えるのがにとっては鬼門なのだ。

は人の目があれば、悪癖を堪える努力をすることができるが、
言質をうっかり与えてしまうと、本当に好き勝手にやってしまうのである。

故に、鎹鴉を使っての報告や監視を徹底することで、
杏寿郎本人がそこにいなくともの悪癖を制御することができるようになっていった。

近頃は合同任務に出しても同僚の手当てにあたりながら鬼退治をこなしたりと、
以前の悪評が嘘のようには評価を上げていく。

ただ。

「むぅ、やはり炎の呼吸と、君の相性は良くないらしいな」

一応、型を一通り教え、はその通りに技を放つことはできるようになったが、
杏寿郎のような威力を発揮することはなかった。
無論、柱である杏寿郎との身体能力には差があるが、それにしたって効果が違いすぎる。

藁の束ねた試し切り用の巻藁を前に、杏寿郎は腕を組んだ。

杏寿郎が技を試した巻藁はほとんど形を残していないのに対して、
の試した方は形が残ってしまっている上に、巻藁を両断できていない。

「適正を鑑みるに、仕方のないことだと思うが」

の薙刀の刃は薄い青色に変わっている。
本来なら水の呼吸や、その派生の呼吸に適性があるのだろう。

渋い顔をする杏寿郎に、は肩を竦めてみせる。

「まぁ、適性は適正ですから。
 だからこそ、お館様も私を煉獄さんに紹介したのでしょうし。
 おかげで蟲、花、炎、それぞれの呼吸を合わせて良いように使っておりますので」

の悪癖の制御に良い兆しが見えても、耀哉は杏寿郎に引き続きの監督を任せている。

実際が鬼に遅れを取るようなことは少なく、
それどころか自身で呼吸や型のようなものを作り出して鬼殺に当たっているのだから、
が鬼殺隊隊員としてやっていく上で際立った問題というのは、解決が見えた状態にある。

「流派の違いはなかなか面白いです。
 蟲、花の呼吸は非力であっても鬼を殺せるような工夫が見られた。
 炎の呼吸は遠隔、近接、偏らず様々な場面で使えます。さすがに基本の流派だけありますね」

だが、“炎柱の継承者”として考えるのなら、がその役目を果たすことはできない。
それを自覚している故か、は目を伏せて、首を垂れた。

「でも、私が“炎柱”を継ぐのは難しいと、思います」
「……そうだな。いや、わかっていたことなのだが」

「ご期待に沿えず、申し訳ございません」

深々と頭を下げたに、杏寿郎は気を取り直して朗らかに応じてみせる。

「構わない。近頃の君は残酷趣味も控えようと努力しているし、
 柱の仕事を助けてもらっているからな! これ以上を望むのは贅沢なことだと思う」

顔を上げたは何を考えているのか、珍しく笑みを忘れた能面のような顔で、
ただただ笑う杏寿郎のことを眺めていた。



「伝令!! 伝令!! カァァ!!」

杏寿郎がと訓練に当たっている時のことだった。
の鎹鴉がつんざくような声をあげる。

「負傷者多数! 負傷者多数! 蝶屋敷ニテ明峰ガ処置ニ当タルモ人手足リズ!
 、直チニ蝶屋敷へ応援ニ向カウベシ!!」

は生家の医院で医術に携わっていた経験も買われていたので、
たまにこういう指令を受けることがあるらしいと聞いていたが、
実際に杏寿郎が目の当たりにするのは初めてのことだった。

だが、は慣れた様子で鴉に頷いてみせる。

「あら、左様ですか。では急がねばですね。煉獄さん、そういうわけなのでちょっと離れます。
 帰りは鴉に伝えますので、」

「俺も行こう!」

威勢良く言った杏寿郎に、は目を丸くしている。

「君を預からせてもらっている手前、父君にも挨拶をしなくてはと思っていたところだった!」

さしあたって急ぎの仕事も今は入ってきていない。
杏寿郎の希望に、は口元に手を当て、眉を顰めた。

「構いませんが、……煉獄さん、一つだけ、良いですか」
「なんだ?」

はスゥ、と目を細め、冷ややかな笑みを浮かべる。

「多分煉獄さんは父に何も言わないと思いますが、
 私、冗談は冗談のままにしておきたい方なので、よろしく頼みますよ」

『あなたを殺して、私も死ぬしかありませんねぇ』

いつかに聞いた言葉が脳裏をよぎる。

杏寿郎はおそらくの言いたいことを冷ややかな笑顔の中から読み取った。
決して師範に向けるような眼差しではなかったが、杏寿郎は咎めたりはしない。

「ははははは! その辺りの血の気が多いのは相変わらずだな、君!」

鷹揚に許してバシバシと肩を叩いた杏寿郎に、は「本当に分かっていらっしゃるのかしら」と
言わんばかりにため息をついたが、すぐに支度に向かった。



杏寿郎の担当する地域から蝶屋敷までは通常の足で2日はかかるが、
今回は急ぎ、また獣道を通ったので半日で済んだ。
息を切らしていない杏寿郎とは違って、さすがには息を切らしているものの、
まだ処置に当たれるだけの余裕はありそうだ。

蝶屋敷の門の前で、は静かに息を吐く。

「ごめんください。応援要請を受けまして、参上致しました」
「呼ばれてないが煉獄杏寿郎も参った!」

炎柱まで来たとあって蝶屋敷は一気にざわめき出した。
だが、周囲の喧騒のことなど気にも止めず、案内を始めた隠の一人のあとを追いながら、
は勝手知ったるとばかりにたすきを掛けながら処置室へと向かう。

処置室に入ると、人が入ってきたのに気づいたのか手術に当たっていた壮年の男が顔を上げる。
は柔らかな声で男に声をかけた。

「お父さん、が参りましたよ」

の父親は頷くとに助手に入るよう指示を飛ばした。

「すぐに手伝ってくれ! 目が回りそうなんだ!」
「承知いたしました」

頭を下げたは杏寿郎を振り返る。

「では、煉獄さん、私はしばらく手が離せませんので」
「分かった! 俺も皆を手伝うことにしよう!」

杏寿郎は隠を恐縮させながら手術に当たる部屋とは別の、比較的軽い怪我人が集まる部屋へと移った。
手当てに当たっていたしのぶが杏寿郎の姿を見つけて目を丸くする。

「あら……、本当に煉獄さんもいらしたんですか」
「ああ! 何かと多忙で君の父君に挨拶もできずにいたのでな! ついでだ! 手伝うぞ!」

張り切って腕をまくった杏寿郎に、しのぶは考えるそぶりをみせる。

「……助かります」

しのぶは軽く目を伏せたあと、杏寿郎に指示を出し始めた。

主に力仕事を振り分けることにしたしのぶに、
杏寿郎はの父親との仕事の終わるまで、こき使われることになるのだった。



くるくると働いたあと、
少しばかりくたびれたの父親とが杏寿郎の元に顔を出した。

「こちらが父の明峰です」

娘から紹介を受けた明峰が眦を細めた。
目元や口元がとよく似ているが、よりも幾分優しげな表情を作る男だった。

「いやぁ、お見苦しい有様で申し訳ありません。娘がお世話になっております」

「炎柱の煉獄杏寿郎です。突然押しかけてしまい申し訳有りませんでした。
 お嬢さんを預からせていただいている手前、ご挨拶に伺いたく思っていたので。
 これを機会によろしくお願いいたします」

腰を折った杏寿郎に、明峰は恐縮した様子だ。

「いやいや、こちらこそ柱の方に何かと細々としたことをお手伝いさせてしまい……。
 助かりました。娘はご迷惑をかけてはいませんか?」
「お父さん」

が咎めるように明峰の袖を引いた。
ついぞ見たことがない、子供っぽい仕草だった。

く、いや、お嬢さんはよく働いてくれていますよ!」
「なら良かった! 実は近々私の方から伺おうかと思っていたのですが、」
「お父さん。もうその辺で」

はなんとかして杏寿郎と明峰の会話を妨げたいらしい。
明峰は幾分呆れた様子で娘へと顔を向ける。

「なんだ、照れることはないだろう」
「照れてません」

真顔で断言するだったが、結わえた髪の隙間から見える耳が赤い。
何か反論しようと口を開いただったが、隠の一人に遮られた。

さん、ちょっとこちらに来ていただけますか?」

は明峰と杏寿郎に目をやった。
明峰が笑ってに声をかける。

「行って来なさい」
「……わかりました。すぐ戻ります」

は杏寿郎に目を配らせたあと、隠の後ろをついていく。
残されたのは明峰と杏寿郎だ。

明峰は娘の背中をいつまでも目で追っているようだった。

「胡蝶さまの元を破門になったと聞いたときは、
 何をしでかしたのかと問い詰めたのですが、はだんまり。
 胡蝶さまも含めて誰も仔細を教えてくれませんで。
 あなたに聞ければ良いと思っていたのですけれど」

明峰に問いかけられて、杏寿郎は腕を組んだ。

とてもじゃないが、明峰に事実を伝えるのは はばか られるし、
もし伝えるにしても、の許可を取ることが必要だと思ったのだ。

だから杏寿郎は、首を横に振ってみせる。

「……面目無いことですが、こればかりは俺の口からではなく、
 お嬢さんから聞いた方が良いことだと思います」

明峰は杏寿郎の答えを予測していたのか、
残念そうにため息をついたものの、それ以上問いただそうとはしなかった。

「でしょうねぇ。まぁ、実は大体想像がついているのです」

の悪癖を明峰は知っているのかとどきりとしたが、そうではなかった。

は頑固者ですし、自分が納得しないことには反抗しますから。
 どうせ命令違反とか、規則を破ったりとかしたんでしょう。
 ……ただ、あの子も一応、それなりの覚悟を持って鬼殺隊に入ったことだけは、お伝えしておきたい」

明峰は、杏寿郎へと向きなおる。

は鬼殺隊に入ると言って、通っていた女学校も辞めてしまったんですよ」

杏寿郎は瞬き、しばしの沈黙のあと、口を開いた。

「……初耳です。鬼に襲われて、鬼殺隊に入ったことは聞きましたが」

「私は実際に鬼を見たことはありませんが、
 一般人が鬼に遭ったらまず助からないのが普通のことと知りました。
 だから、の命があったことはとても喜ばしいのですが、
 あの日、鬼に遭わなければ良かったのにと、私は時を巻き戻したくなります」

その声は落胆に陰っている。
と鬼との邂逅は、の悪癖の箍を外しただけでなく、
の将来を大きく変えてしまったのだ。

「成績も良かったんですよ。
 あの子が将来、好きなことを好きなようにできればと思って通わせたのですが、
 まさか薙刀で鬼退治するようになるとは思いませんで。ハハハハハ!」

明峰はくつくつと喉を震わせて笑った。
何を思い出しているのか遠くを見つめる。

「『これは私にしかできないことだから』と言ってね、
 茶道やお花の先生になれる学友は多くいるけれど、
 鬼殺隊に入れるような生徒は他にいないからと」

嘆息する様には、娘を心配する親の、深い愛情が見て取れた。

「物心ついてあんな熱心にわがままを言う娘を見るのは、初めてでした」

杏寿郎が口を開きかけた時、が扉から顔を出す。
急いで戻って来たのか、肩を上下させ、つかつかと明峰に歩み寄った。

「用事は全部すみましたので、胡蝶さまに挨拶をしてから帰りますけれど、
 お父さん、煉獄さんに余計なことはお言いでないでしょうね?」

「なんだ、それで急いで戻って来たのか、ハハハ!」

明るく笑う明峰に、は深いため息をこぼした。

「ハハハじゃありませんよ全く。たくさん前科があるのをお忘れですか?
 私が描いた絵とか、繕った縫い物を患者さんに見せびらかして回って、
 顔から火が出そうになったことも一回や二回じゃないんですから」

頬を膨らませて文句を言うに、
明峰は腕を組み、首を傾げて惚けてみせる。

「そうだったかなぁ?」

その仕草はが都合の悪いことをごまかす時にみせる仕草とよく似ていた。

「またそうやって惚けるんですから……行きましょう煉獄さん」
「ああ、そうだな! では、明峰さん、今後ともよろしくお願いします」

確かに長居してしまったと、時計を見た杏寿郎が明峰に頭を下げると、
明峰は頷いて、それからに声をかける。



振り返ったに、明峰は微笑む。

「体に気をつけるんだよ」

の眉が、一瞬、苦しげに顰められたように見えた。
しかし気がつけば完璧にあつらえたような、穏やかな笑みが浮かんでいる。

「はい。お父さんも」

告げた声色がどこか震えて聞こえたのは、杏寿郎の気のせいではなかったのだろう。

「期待を裏切れない」と強く思う感情には、杏寿郎にも覚えがあった。
それが親からの期待であれば、なおさらのことである。