杏寿郎と神仏
「しかし、君の対人格闘の才には目を見張るものがあるな!」
稽古を終えた杏寿郎はを前に感嘆する。
呼吸の精度はともかくとして、の薙刀術と組手の上達ぶりは素晴らしかった。
杏寿郎自身もに引っ張られてより応用が利くようになった実感がある。
並外れた成長である。
十二鬼月と勝負するとなればわからないが、
もはや下級鬼にの相手になるようなのは居ないだろう。
これで悪癖が治りさえすれば、と杏寿郎はを見やるが、
当の本人はわかっているのかいないのか、常の薄笑いを浮かべているだけだった。
「煉獄さんの教え方が上手だからですよぉ。
それに私、人が痛がってのたうち回ってるのも好きですし。
『好きこそものの上手なれ』です」
「君。せっかく褒めたのにそんな言動をするな。怒らねばならなくなる」
「すみません」
その上、相変わらずの人を食った物言いだ。
おそらく本気で言っているのを咎めると、は肩をすくめて見せる。
悪癖を抑える努力は続けているものの、残酷趣味は治る様子もなく、
行動を抑えている分言葉が物騒になりがちだ。
言葉で収まっている分にはいいか、と杏寿郎の基準もやや甘くなってもいたが、
それでも気づいた時には指摘することにしていた。
「君には才覚がある、強い人間なのだから、弱者を助ける責務があるのだ!
私利私欲のために力を使うのはよろしくない! 人のために使うべきだ!」
ビシ、と指を突きつけて杏寿郎は言う。
事あるごとに母の残した言葉をへ教えているが、響いているかは定かでない。
「とは言え、君は悪癖をなんとか人のために使おうとしているのだから、
こうして言うまでもないことなのだろうが……」
やれやれと嘆息する杏寿郎に、は何か思うところがあったようで、その顔から笑みが消えた。
「……強い人間は弱者のために、ご立派なお考えです」
は首を傾げ、微笑んだ。
「でも、いくら強い人間といえど、全てを守るのは難しい場面もあると思いますが」
「だから全てを守れるだけ強くならねばだな!」
「精進あるのみだ!」と朗らかに答えた杏寿郎に、は納得したようで頷いている。
「なら『技も心も神仏に届かせよ』ということですね。
全てを救うほどの力を得るには人間離れしなくてはいけませんから……。
でも、それってあまりに寂しくはありませんか?」
「寂しい?」
思いもよらない言葉をもらって、杏寿郎は問い返す。
「神仏に近しい強者となれば、誰にも胸の内を理解されないのではないでしょうか?
神様や仏様の心など、誰も慮ったりしないから」
の顔には常の張り付けたような笑みが浮かんでいる。
そこから読み取れる感情はなかった。
だからその言葉がどのような意図を含んだものかもわからない。
「……どうだろうか!」
正直なところ、誰かに慮られたいなどとは、考えたこともなかった。
は杏寿郎の答えに何を思ったのか、薄笑いのまま「左様ですか」と呟いている。
「ところで煉獄さんは、
杏寿郎は、胸の内に何かがさざ波のように広がって行くような心地を覚えていたが、
にさらなる疑問を投じられてかき消されてしまった。
「急に何を言い出すんだ君!?」
驚いた杏寿郎へ、は「前々から思っていたのですが」と前置いて答えた。
「煉獄さんが私の対人格闘を褒めてくださるのは
多分その辺りのことも影響してるのかなと思いまして。
煉獄さんの剣術も格闘術も、すごく形や流れが綺麗です。
ちゃんとした武道由来のものですよね? 剣術はもちろん、体術も柔道とか、空手とかの」
確かに、杏寿郎の使うのは炎柱が代々継承してきた剣術と体術。
基本は父から、応用は指南書を読み込んで覚えたものだ。
それぞれが時代を重ねて洗練されて来た技法である。
「君も柔道と薙刀の心得があるだろう? 身のこなしからも伺えるが」
「まぁ、それもありますけど、武道は規則あってのものですし、
私、今は反則技も平気で使いますので」
「そう言えばそうだな……」
の技には容赦がなかった。
具体的に言えば、訓練であっても砂を使って目を潰そうとしたり、
急所である顎や耳を狙ったりである。
最近は地力が上がったのか反則技だけに頼らなくはなっているものの、
杏寿郎はが容赦のないことを念頭に置いて、立ち回らされていることに変わりがない。
「訓練からそうしないと実戦ではあんまり役に立ちませんでしょ?
だから煉獄さんが稽古でも反則を許してくれて助かりました。
私自身、鬼殺隊に入る前の方が、お行儀はよかったと思います」
はにこにこと笑って見せる。
「将棋とか札遊びでも同じですけど、対戦相手の嫌がることを、
相手が音を上げるまでやれば自ずと勝てますよね?
私は同じことを格闘でもやってるだけですよ。陽動をさんざ入れたりね。
「色々言いたいことはあるが、なるほど! 納得はできる!」
の言う勝負事の鉄則にも言いたいことはあったが、
それよりも聞かねばならぬことがあった。
「ところで君、君はいつどこで
「……」
は微笑んでいたかと思うと、つい、と懐から時計を取り出して立ち上がる。
「さて、お夕飯の支度をしなくては」
「待て君! 話は終わってないぞ!」
杏寿郎が咎めるが、はわざとらしく独り言を言いながらせかせかと去って行く。
「はー! やっぱり男の人が3人もいると皆さんよく食べるから大変だわぁ、
すぐに支度しないとお夕飯が間に合わないわぁ。忙しい、忙しい」
「君!」
一礼して襖を閉めていったに、杏寿郎は流されてしまったことに苦笑した。
近頃は、こう言うことがたまにある。
馴染んできたと言うことだろう。
誤魔化そうとするのはよろしくないが、打ち解けてきたのなら良い傾向である。